01 暗殺者

 全ての文明が滅び、かつての旧世界は灰となって消えた。

 それはもう何百年も前のことで、私は旧世界というのがどんなものだったのか知らない。

 それを伝える伝承も、僅かにしか残っていないのだから、旧世界の話は何処か御伽話めいたところがある。

 地上を走る"くるま"や、離れた人と会話ができる"でんわ"という物の話は半ば信じ難い。

 本当にそんな物が存在しているならどんなに便利なことだろう。

 この世はそんなに都合よく、人が生きやすいようには出来ていない。

 まるで、水を離れた魚のようにもがきながら生きていく。それは苦しいようで、自然と当たり前になっていた。感覚を遠くに放って、感情を殺す。そうしないと生きてはいけない。

 ________私も、そうやって生きてきたのだから。

 なのに、何故_____。



 「殺さないの?」


 彼の首に突き立てたナイフが震える。呼吸が、苦しい。心臓をぎゅっと掴まれているみたい。


 「早く、殺せよ」


 彼の紅い瞳が私を捉えて離さない。


 「お望み通りに、殺してあげる」


 咽からかろうじて出た私の声は細く、頼りないものだった。無意識に、拳を強く握る。


 「そのわりには、震えてるじゃないか」


 違う。違うのよ。

 ただ、私は考えてるの。

 何故、よりによって殺さなければならない"ターゲット"が貴方なのだろう?


 「何故_____何故、貴方を殺さないといけないの!?」


 私は、彼の喉元に目掛けてナイフを振り落とした。


✽✽✽✽✽


 暗く淀んだ空気が漂うパブ。

 酒と、煙草。それから、腐るように蔓延する犯罪の匂い。

 私は周囲を見渡すとターゲットを探す。確か、今日の依頼はジョン、という麻薬売人を殺害すること。近頃、ジョンが売りさばいている麻薬に王宮の貴族までもが侵されているらしい。

 それで王国直属の暗殺部隊に依頼が入ったわけだ。

 "王国直属"なんて言えば聞こえは良いかもしれないが、要するにただの人殺しだ。

 私も、その中の一人で、血に濡れた人生を歩んできた。

 今夜も、私の手は汚れていく。


 「隣、座らせてよ。いいでしょ?」

 私はジョンに当てはまる特徴の男に目をつけると、隣に腰を下ろした。

 「別に構わねーよ、好きにしろ」

 言葉は少しぶっきらぼうだが、優しい笑顔だった。

 こういうときは酷く困る。

 殺す気が失せるから。

 それでも、私はいつも通りに仕事を続ける。

 まずは会話。会話で相手の興味を引き、警戒心を解いていく。蜘蛛が糸を張るように、ゆっくりと獲物を罠に誘い込むのだ。

 私の巧みな会話術にジョンは見事に引きつけられた。

 彼の好きを見て、酒に薬を盛る。

 「そういえば、お前なんて名前なんだよ」

 迷ったが、私は正直に答えた。

 「アメリア」

 「アメリアか。お前とは良い酒飲み仲間になれそうだ」

 「そう、ね。私もそんな気がする」

 私は彼に合わせて、甘い虚言を吐いた。現実から目を逸らすように。

 やがて、薬が効いたのか彼はぐっすりと眠ってしまった。

 私はジョンの肩を組み、半ばひきずるようにしてだが、なんとか路地裏に連れ込んだ。

 薄暗い路地裏は、人を殺しやすい。


 「痛くないように、楽に死ねるように殺してあげるから。だから……」


 "どうか許して"


なんて虫のいい話だろう。それ以上は、言葉にしなかった。

 懐から愛用のナイフを取り出し、その刃を指でゆっくりとなぞる。

 そして大きく息を吸い込んだ。

 刃から伝わる肉の感触。

 ジョンの喉元から勢い良く流れ出る生暖かい血液。

 私は彼の頸動脈を切り裂いた。

 少し、彼の身体が痙攣する。

 

 ピクリピクリ


 2回大きく波打ったその身体は、もう動かなかった。

 墨を塗ったように黒い空。

 ひっそりと浮かぶ満月が冷たく私を見下ろしていた。

 「……月が綺麗」

 ジョンを見ると、彼の表情に死の影は全く感じられなかった。苦しみの欠片の一つも零していなかった。

 私は、楽に殺してあげられただろうか。

 私は着ていた黒い外套を彼に被せた。後は回収班が内密に後片付けをしてくれる。

 今日も酷く疲れたな。

 私は手に付いた血を拭うと、夜の闇に溶けるようにして、その場を離れた。



 それから、少し経ってのことだった。

 風変わりな旅人と出会ったのは_____。

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