57 前哨戦
廃墟となったラント村跡地には、モミジ、ヒバナ、クレハの三人だけが取り残されていた。
だが、漆黒の鎧を纏った鬼を前にしても、モミジの余裕が崩れることはない。
一連のやり取りを見守っていた鬼に対し、優雅に微笑みかける。
「お待ちいただきありがとうございました。ですがもう結構ですよ」
その言葉に、鬼は再び鈍い唸り声を上げた。
こちらの言葉を理解しているわけではないのだろうが、正々堂々と正面から戦おうとするのは鬼によく見られる習性の一つだ。こちらの準備が整うのを待っていたのも同じ習性から来る行動だろう。
魔物の分際で人間のように振る舞う鬼には失笑ものだが、魔抗石の鎧まで纏い始めたらいよいよ冗談では済まなくなる。眼前のこいつは、それを理解しているのだろうか。
私を前にふざけることの罪の重さを、こいつは理解しているのだろうか。
「ふふ、それについても不問と致しましょうか」
本来なら徹底的に痛めつけてから殺してやるほどの重罪だが、子供たちの前で狂気を見せる訳にはいかない。一思いに殺してあげるとしよう。
モミジは魔力を練り上げ、いつも通りに右腕へと収束させる。
その様子を見て、鬼はとうとうこちらを目掛けて走り出した。
プレートアーマーを身に着けているために動きはいつもより鈍重だが、それでも苦も無く走るその姿は圧巻の筋力だと言える。
モミジは再び微笑んだ。
「二人とも、よく聞きなさい」
右腕に集められた魔力が、徐々に風の槍へと姿を変える。モミジが得意とする攻撃方法だ。先ほどは――風魔法ではなく火魔法だったが――これを投擲することにより、鬼を一撃の下に絶命たらしめた。
「不測の事態に直面した時こそ、大切なのは考えることです」
モミジは口を動かしながらも、いつも通り一瞬の内に風の槍を完成させる。一切の淀みのないその魔力は、いつ見ても信じられないほどの安定性を誇っている。そしてそれを肩口に構えた。
「どうやって倒すか。瞬時に複数の選択肢を用意し――」
そして、左足を大きく踏み込むと、それを勢いよく投擲した。いや、投擲と言うよりは、射出したという表現が合っているだろう。魔装による動体視力の向上がなければ、ヒバナにはその槍を目で追うことすら叶わない。
「――最適なものを選び取る。あとは実行するだけ」
――瞬間。
まるで、金属と金属がぶつかり合ったかのような音が辺りへと響き渡った。
その音の出所には、想像だにしなかった光景が広がっている。
「この鬼を倒す方法として、私が思い付いたのは三つ。一つは、魔法以外の手段で圧倒すること。ですがこれは私でも難しいでしょう。あの鎧越しに剣が通用するとは思えません。二つ目が、あの鎧の魔法抵抗力を上回る魔法を行使すること。これも論外。そして三つ目が、魔法をぶつけた衝撃でダメージを与えることです。今回私が選んだのはこの三つ目の方法です。これなら私にも可能ですからね」
母の言わんとすることが、ヒバナには痛いほど理解できていた。そして何より、目の前の光景が彼女の言葉の正しさを証明しているのだ。
魔抗石の鎧は確かにモミジの魔法を無効化した。だが、魔法が衝突した衝撃をもゼロにするわけではない。
もし魔抗石の鎧がなければ、彼女の槍は鬼の分厚い筋肉をも容易に貫通するだけの威力を秘めているのだ。
鎧が下手に魔法を無効化してしまったせいで、その下の肉体はモロにその衝撃を受けてしまっている。それで無事に済むはずがない。
目の前の光景――片膝を突いた鬼が理解できないといった表情を浮かべているのを見て、ヒバナは改めて戦慄する。
だが最も信じ難いのは、魔法が衝突した瞬間の光景だ。
プレートアーマーと合わさったことで、鬼の体重は数トン、もしくは十数トンにまで達していることだろう。そんな巨体が後方へと押し戻されたのだ。それもこちらを目掛け突進していた体が、だ。
それほどの衝撃を秘めた槍を投擲しているのに、モミジの体はバランスを崩していないということも理解できない。
だが、そんな光景を一言で説明し得る便利な言葉があった。
ヒバナはそれを呟かずにはいられなかった。
「――
やがて、モミジにより放たれた二射目の槍が鬼の行動を完全に封じ込め、三射目の槍が魔抗石でできたプレートアーマーを打ち砕いた。そして四射目の槍がその肉体を貫くことにより、鬼の生命活動は完全に停止した。
だがそんなA級冒険者にとっても、彼我の相性というものは決して無視できる要素ではない。
高い魔法耐性を持つ敵が相手であろうとも、モミジには十分に対抗し得る一撃を持つことがわかった。だがそれは一対一での戦闘でこそ実現し得るものだと言えた。少なくとも、それは複数を同時に攻撃できるような代物ではない。
レベル5の魔装により鋭敏さを増した感覚が、彼らの接近を察知した。
モミジの表情から笑みが消える。
「二人とも、魔装を纏ったまま少し離れていなさい」
やがて姿を現したのは、先ほどの個体と同じ鎧を身に着けた三体の鬼だった。
◆◇
小さな地響きと共に、何か大きなものが倒れるような音を聞いた。
シグルーナの後を追っていたアルシェたちがその音の出所に辿り着くと、うつ伏せに倒れている鬼の背中の上で、シグルーナがこちらを振り返ったところだった。
彼女は鬼のうなじから剣を引き抜くと、背負っていたネイトをその場に下ろしつつ口を開いた。
「どうやら間に合ったみたいよ」
その言葉の意味は、地面へと降り立ったネイトが一目散に駆け出したことにより明らかになった。
「スーラ! よかった! みんな無事か!」
ネイトが駆け寄ったのは、彼と同じ四十代くらいの黒髪の女性の下だった。鬼を挟んだ向かい側に項垂れるように膝を突いていたので、今まではアルシェたちの視界に入っていなかったのだ。
ふと、彼女のすぐ近くに小さな洞穴のようなものがあることに気付いた。おそらくはこれが避難先のシェルターだろう。
スーラと呼ばれた女性はシェルターの前で襲われていたということだ。どうやら想像以上にギリギリだったようで、シグルーナを一足先に向かわせて正解だったと安堵する。
「え、ええ、みんな無事よ。彼らが冒険者の人たち?」
先ほどまで襲われていたとは思えないほど、スーラは努めて気丈に答えた。
ネイトは興奮した様子で首肯した。
「そうだよ。紅六式のみなさんが来てくださったんだ」
「紅六式……じゃ、じゃあ、私たち、もう大丈夫なのよね?」
「はい、我々がお守りします」
答えたのはイズモだった。
アルシェは少し驚く。たった一言で、イズモが戦闘しか取り柄のない冒険者ではないとわかったからだ。
彼の声はとても優しい反面、とても強く、自信に満ちたものだった。それでいて、その自信が豊富な経験に基づいたものだということも伝わってくる。
冒険者にとってこの能力はとても重要だと言える。被保護対象へと心の安らぎを与えると同時に、恐怖に駆られての暴走をも防ぐことができるのだ。
小手先の器用さには自信があるアルシェだが、この技術はもちろん小手先などではない。アルシェにも真似は不可能だ。
そんなイズモの言葉に心底安心したのか、気丈に振る舞っていたスーラの両目に涙が溜まっていく。
彼女は礼を言って頭を下げると、涙を見せまいとするかのようにそっぽを向いた。
そんな様子を微笑ましく眺めていたアルシェへと、シグルーナが耳打ちをする。
「また来たわ。今度は二体」
そんな彼女へと頷き返すと、アルシェはイズモへと視線を移した。
その視線の意味を正しく理解したイズモは、スーラとネイトを洞穴の中へと隠れさせ、剣を抜いた。
「いやはや、あなたの魔装は相当なものですな。先ほども、我々が追いつくよりも早く鬼を一人で倒しておられたようですし」
「……背後からの不意打ちでなんとか、です」
「はは、それを差し引いても凄いですよ」
イズモとシグルーナがそんな軽口を叩き合っていると、やがてアルシェの耳も鬼の接近を捉えた。
それはもちろんイズモも例外ではない。
「来ましたね。二方向ですか」
「ええ、先ほどの音を聞いてやって来たのでしょう」
やがて現れたのは、魔抗石の鎧を身に着けた二体の鬼だった。
予想通りのその装備を見て、アルシェは辟易とする。
「やはり魔抗石のプレートアーマーですね。勝算はありますか?」
「敵が一体だけなら、勝てると断言できます」
イズモの言葉は頼もしいものだったが、裏を返せば二体同時はきついということだ。
ならば、アルシェたちのやるべきことは一つだ。
「わかりました。では、片方は僕たちに任せてください」
鬼には、敵と正々堂々と戦おうとする習性があるという。その最たる例として、複数で同時に襲い掛かっては来ないというものがある。だが当然ながら、それは全ての鬼に当てはまるわけではない。
一対一ならまだしも、こちらはイズモ、アルシェ、シグルーナ、ミラ、そしてイズモの部下であるC級冒険者が三人もいるのだ。なおかつ、こちらの足下には鬼の死骸が転がっている。そのような状況で一体ずつ順番に戦ってくれることを期待するなど愚の骨頂だろう。
だが、そんなアルシェたちの考えとは裏腹に、鬼の一体は途中で足を止めた。そしてもう片方の鬼だけがこちらへと歩み寄り、アルシェたちの前方へと陣取った。
一瞬事態を飲み込めないアルシェだったが、すぐにその真意を悟る。
「僕たち、舐められてますね」
おそらく、倒れている鬼の死骸を見て、取るに足らない存在だと考えたのだろう。うなじに傷跡があり、うつ伏せに倒れている――そんな情報から、この鬼が不意打ちで殺されたと推理できるくらいには知能が高いらしい。
舐めている云々はただの想像だが、少なくとも、一体ずつ戦うという矜持を捨てるほどの相手ではないと思われたのだけは確かだ。
イズモが少し不機嫌そうな声色で言う。
「ここは我々に任せていただけますか。一応、鬼退治のプロですので」
「はい。勉強させてもらいます」
アルシェはそう即答した。
アルシェたちが加わったとしても、何の打ち合わせもできていない以上、イズモたちの連携を邪魔する可能性の方が高いからだ。そして何より、彼は敵が一体なら勝てると断言した。
「ありがとうございます。……よし、お前たちは状況を見て援護しろ」
イズモは部下の三人へとそう告げると、最初の一手を頭の中で思い描く。
プレートアーマーにも種類や形状の違いがある。今回のタイプは、一見しただけでは隙間という隙間のようなものが見受けられない。首の動きに伴い、うなじと顎の下に少し空間が出来る程度だ。
まずはそれ以外に剣が通りそうな場所を探す。
「――しッ」
短い気合と共に、イズモが勢いよく駆け出した。
イズモが纏う魔装のレベルは3だ。それによって引き上げられた動体視力が鬼の一挙手一投足を見逃すまいとする。
そんな彼が鬼の射程へと入った時、鬼は待ってましたとばかりにイズモを目掛けて回し蹴りを放つ。
イズモはその場に飛び上がりそれを悠々と回避するが、その表情は驚愕に満ちていた。
人間がそうするよりも大きな空気抵抗を受ける割りにその蹴りが速かったからではない。重たい鎧を身に着けている割にその蹴りが速かったからでもない。
その驚愕は、鬼が回し蹴りをしたからに他ならない。
確かに回し蹴りというのは基本的な技だ。自分より遥かに小さなイズモに対し、その技は有効ものだろう。
だが、それでも技は技なのだ。誰でも最初からできるものではない。難易度は低くとも、素人が繰り出すそれはあくまでも真似事の域を出ない。
――だが、鬼のそれは確かに“技”と呼べる代物だった。
そうやって驚くイズモへと、更なる驚愕が襲い掛かる。
(――なっ、突きだと!?)
空中に投げ出した全身を目掛け、鬼の拳が一直線に伸びて来たのだ。
回し蹴りと突き――基本技のコンビネーションだ。それも、人間に対してとても有効だと言えるもの。
十中八九、あの蹴りに対し冒険者なら空中へと避けるだろう。そこを狙っての突きだ。つまり、最初の蹴りは拳を確実に命中させるための囮に過ぎない。
言うまでもなく、このような戦い方をする鬼は初めてだった。
だが、B5級という肩書は伊達ではない。
イズモは全身を勢いよくねじると同時に、二本の指を立て、それを横に振るう。土魔法を発動したのだ。イズモの魔力を媒体として形を成した円柱形のそれは、イズモの全身を面で捉えると、その体を突き飛ばした。
――自分へと魔法をぶつけることにより、鬼の攻撃を空中で躱した。
そんな光景を見て、アルシェが小さく唸った。
「凄い……。咄嗟にあんな判断できませんよ。それに魔法の発動速度も異常だ」
「ええ、きっと私の六感強化でも無理ね。長年の経験の賜物でしょう」
だが、真に驚くべきところはそこではなかった。
なんと、咄嗟に自分へと魔法をぶつけておいて、イズモは何事もなかったかのようにその場で飛び起きたのだ。
シグルーナに任せた方がいいかもしれない、などと考えていたアルシェは、またもや彼の凄さを痛感させられた。
(まさか、あの一瞬で魔装を移動させたのか!?)
全身を満遍なく覆っていた魔装を、魔法との接触面へと集中させたのだ。
アルシェは悟る。
彼は、紅六式という精鋭ギルドにおいて、対鬼戦闘を専門とする部署のトップだ。つまり、最低でも鬼を相手取っても余裕を持って勝てる強さが不可欠なのだ。
基本的にはいつも同じ相手とばかり戦っているため、組合からの評価はB5級止まりなのだろう。だが、彼の強さはB級上位に匹敵するかもしれない。
そうやってアルシェからの評価がうなぎ登りだとは知る由もなく、イズモは眼前の敵に集中していた。
(弱点を探るために突っ込んでみたわけだが……ははっ、突破口見ぃーつけた!)
イズモはにやりと笑うと、二本の指で鬼の足を差した。
「お前ら、わかってるな? 転ばせろ」
それだけを告げると、イズモは部下を振り返ることなくもう一度鬼を目掛けて地面を蹴った。いちいち連携に多くの言葉は必要ない。そういうふうに鍛えてきたのだ。
冒険者にとって大切なこと。それは、環境を戦いへと活かすことだ。
そして、鬼が魔抗石の鎧を着ていることも、技を以て攻撃してくることも、全てただの環境だと言い換えられる。
その二つの要素が鬼退治を困難にしているのは間違いないが、新たに付け入る隙が生まれたのもまた事実だ。
――来る!
鬼の射程内へと先ほどと同じように侵入すると同時に、鬼が回し蹴りを放とうとするのがわかった。
予想通りのその行動に、イズモは不敵に笑う。
――やれ!
そして蹴りを回避すべく飛び上がった瞬間、部下の一人から魔法が放たれた。
火魔法だ。いわゆる火炎放射のような魔法で、魔抗石を身に着けた鬼には一切のダメージが入らないものだ。だが、それも全く効果がないわけではない。
その魔法は鬼の顔面を目掛けて放たれたものだった。ダメージはなくとも、視界は遮れる。
そして残りの二人が土魔法を放つ。先ほどイズモが自身へ放ったのと同じような魔法が、鬼の軸足へと襲い掛かる。それは魔抗石に触れた部分から徐々に崩壊していくが、ぶつかった衝撃が完全に消えるわけではない。
重たい鎧は体の安定性を増す。だがそれは、重心を低くして踏ん張った時の話だ。今のように蹴りを放ち、重心が高いところにある状態では、それは逆効果だと言える。
重心が高く片足立ち、そして重たい鎧を身に着け、視界すらも遮られている状況――
「――ははっ、踏ん張れないだろ」
あまりに呆気なく、鬼の巨体は仰向けに倒された。
その衝撃が地面を揺らし、木々からたくさんの葉が舞い落ちる。
そして空中にいたイズモは剣を前方に差し出すように構えると、その体を土魔法で押し出し、加速する。
目標は、無防備に晒された鬼の下顎だ。
「はぁッ――!」
ズン、という重く小さな音と共に、鬼は手足をピンと硬直させた。そしてイズモが根元まで突き刺さった剣を引き抜くと、その手足は力を失い、地面へと投げ出された。
(まずは一体!)
心の中でガッツポーズをしつつ、イズモはすぐさま背後へと飛び退いた。
敵はもう一体残っているのだ。
(さて、果たして今と同じ戦術がもう一度通用するか否か――)
だが、そうやって新たな敵へと意識を移すイズモの耳が、新たな絶望を捉えてしまった。
遠くの方で巨大な何かが森を揺らしている。
それは一定のリズムを刻み、少しずつ大きくなっていく。――それも、二方向から。
「四の五の言ってられる状況ではなさそうですね」
ふと、後方で見守っていたアルシェが隣に立った。その手には剣が握られている。外観とは裏腹に、その刀身はかなりの業物に見える。
イズモはそんな彼へと苦笑いを返しつつ、溜め息を吐いた。
「どうやらそこら中を鬼がうろついているようですね。これはスピード勝負になりそうだ」
想像以上に敵の増援が多く、そして早い。
さすがにこれ以上の敵に囲まれるのは危ないという現状で、一体一体を確実に倒していくやり方は不適切だ。
やがて音の正体がこの場に姿を現した。これで鬼の数は三体だ。
「さあ、総力戦といきましょうか!」
イズモの額を汗が流れ落ちる。
だがその声は低く落ち着いたものだった。
剣の女神かく語りき 秋保 あかさ @akiu-akasa
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