56 魔抗石
鬼の塒へと調査に訪れた紅六式の最初の目的地は、少し前に鬼に壊滅させられたという小村だそうだ。その村――ラント村の惨状を目の当たりにした組合の調査員たちは自分たちの手に負えないと判断し、その後の調査を冒険者へと託したというわけだ。
ラント村へと続く街道――どちらかと言うとみすぼらしい踏み分け道のようなものだが――も存在するが、紅六式が選んだルートは鬼の塒を突っ切る最短のものだった。紅六式のギルド長であるモミジ・シルラハルは村人が全滅したとは考えておらず、時は一刻を争うと判断したからだ。
やがて最短ルートを選んだおかげで、道中で鬼と遭遇するというアクシデントに見舞われながらも、三十分ほどで目的地へと辿り着くことができた。これは通常の四分の一ほどの時間だ。
だが、わかっていたことではあるが、それは遅すぎたと言える。
「酷い……」
目の前に広がる光景にミラが息を飲んだ。
まるで大嵐が通り過ぎたかのように原型を留めていない家屋の残骸、踏み荒らされた畑、そして引きちぎられた村人らしき者の肉片。
ツンと鼻を突く不快な死臭が、この惨状がつい最近引き起こされたものだということを訴えかけてくる。
そんな中、アルシェが黒く焦げた木材の残骸に気が付いた。
「……これ、家屋だったものでしょうか。戦闘があった証拠ですね」
「おそらくは火魔法でできたものでしょう。当時、村の近くで鬼が目撃されたことをきっかけに冒険者が雇われていたそうです」
答えたのは、紅六式に所属するB5級冒険者のイズモ・リリアルだ。まだ三十歳ほどの若い冒険者で、黒髪を短く刈り込んだ壮健な男性だ。
アルシェはそんなイズモへと頷き返すと、改めて廃墟と化した村を見渡した。
その時、隣に立っていたシグルーナがアルシェへと耳打ちしてきた。
「近くに何かがいるわ」
その言葉にアルシェが聞き返すより早く、モミジが小さく声を上げた。
「静かに!」
一行はモミジが指差す方向を見据え、警戒態勢に入った。
その視線の先――崩れた家屋の陰から姿を現したのは、四十代半ばほどの初老男性だった。衣服は汚れ、疲れ切った表情を浮かべている。
一行は警戒を解くと、武器を仕舞って男性の下へと向かう。
男性はモミジが声をかけることにより、初めてこちらの存在に気付いた様子だった。そしてモミジの誰何には答えることなく、こちらへと走り寄って来た。その足取りは先ほどまでの重いものではなく、希望に満ち溢れたものだった。
「ああ! 冒険者の方々ですね!」
その言葉をモミジが肯定すると、男性はとうとう泣き崩れた。
モミジは改めて優しく声をかける。
「あなたはラント村の生き残りですね? お話を聞かせてもらえますか」
モミジが「事態は一刻を争います。そうですよね?」と念押しすると、男性は涙を拭いながら頻りに頷いた。
そして静かに話し始める。
「襲撃に遭ったのは二日前のことです。三体の鬼に襲われ、私以外の男たちは全員殺されてしまいました。……あれは、本当に……まるで、ボロ雑巾の、ように……」
男性はそこまで言うと、吐き気を堪えるように口元を手で覆った。
やがて彼がせり上がってきたものを飲み込んだことを確認すると、モミジが落ち着いた口調で問いかけた。
「ですが、あなたたちは冒険者を雇っておられたのですよね? 彼らはどうされたのですか」
組合から提供された情報によると、当時ラント村の警備に当たっていたのは『暁の剣』という優秀なギルドだそうだ。
人数こそ四人しかいないが、いずれもC級冒険者であり、鬼との戦闘経験も豊富だと聞いている。
三体の鬼を相手取ったのであれば村を守り切れなかったとしても不思議ではないが、一体も倒せずに全滅してしまうとは考えにくい。だが、軽く見渡した限りでは鬼の亡骸は見当たらない。
そんなモミジの疑問は、男性が答えることにより余計に大きなものとなった。
「はい、彼らも成す術なく……。ですが、それも仕方ないのです。その三体の鬼は、いずれも立派な鎧を身に着けていたのですから……!」
「鎧、ですか……」
一行は、信じられないとでも言うように互いの顔を見渡した。
――鬼が鎧を身に着けていた?
思わず、アルシェが二人の会話へと割り込んだ。
「あの、失礼ですが、それは本当に鎧でしたか? ただの衣服ではなく」
「はい、間違いなく鎧でした。一瞬の出来事でしたが断言します」
「……そうですか。ありがとうございます」
アルシェがモミジの顔を伺うと、彼女はこちらへと頷き返した。二人の意見が合致したようだ。
――何か、未曽有の事態が起きている。
もちろん、この男性の言葉がどこまで信用できるのかはわからない。事件当時は恐怖で混乱していただろうし、錯乱していた可能性だってある。
だが彼の言う通り鬼が鎧を身に着けていたとすれば、これは前代未聞の事態と言える。
亜人種と呼ばれる魔物が人間の装備を身に着けることは珍しくない。ゴブリンなどにはある程度知能の高い個体も確認されており、そういった者は殺害した人間から装備を奪い、かつそれを使って戦ったりもする。
だが、そういった事例は全て人間から盗んだものを使っている、という点において共通している。だからこそ信じられないのだ。鬼と人間とでは鎧のサイズがあまりにも違い過ぎる。この事例は当てはまらない。
では、鬼が自分たちで鎧を作ったのだろうか。
木の皮などを細工して作ったのだとすれば、おそらくはあり得るだろう。鬼の知能の高さはゴブリンやオークを軽く凌駕する。
だが、その程度の小細工で優秀な冒険者ギルドを圧倒できるかと問われれば、やはり疑問が残る。
やがてこれ以上の問答は時間の無駄だと考え、モミジは最後に最も大切なことを問いかけた。
「それで、生き残りがあなただけということはないでしょう。他の方の下へ案内していただけますか」
◆◇
この洞窟は、いざという時に身を隠すシェルターとして使えるよう、村を訪れた上位冒険者たちが魔法の力で掘ってくれたものだ。そして現在、あれから十年が経ち、その役目を果たしている真っ最中だ。
大人が立って歩くには少し窮屈だが、女子供が身を寄せ合っている分には十分な広さを持っていると言える。
子供たちの寝息を聞きながら、スーラは高鳴る鼓動を抑えつけるかのように、膝を強く抱え込んだ。
昨日、夕暮れ前に夫のネイトが村の様子を見に行った。事件から丸一日が経ち、生存者がいないかを確認しに行ったのだ。それにこの洞窟には食料の備蓄などないため、食事を確保するという目的もあった。
そこでネイトは立て札を見つけた。それは以前まではなかったものであり、見落とすことがないように村のあちこちへと複数立てられていた。どうやら家の瓦礫を使って即興で作られたもののようだった。
それを作った者の正体は、書かれていた文字を読むことで明らかになった。
冒険者組合だ。組合から派遣されたスタッフたちがここを通りかかり、引き上げる際に立てかけたものだ。村の生き残りが再びここへと帰って来ることを想定していたのだろう。内容は、すぐに優秀な冒険者を寄越すから安心してほしい、というもの。
興奮した様子でそのことを話していた彼は、今日の早朝、冒険者たちが助けに来ていることを信じ、この洞窟を出た。
あれから一時間が経つが、まだ帰っては来ない。
夫のことが心配なスーラは、危険だと知りつつも、洞窟の外へと顔を出した。
◆◇
「なるほど、それで私たちと出会ったというわけですね」
ネイトと名乗った男性から一通りの話は聞いた。
四人の冒険者と村の男たちが命を懸けて時間を稼いでくれたため、女子供の多くは無事に逃げ切ることができた。そしてネイトは、彼らから女子供を託されたために生き残った唯一の男だそうだ。
彼曰く、生き残った者たちが身を隠している洞窟はここから十分ほどの場所にあり、生存者の数は四十名ほどだという。
その数字が大きいか小さいかの判断は難しいが、それでもそれだけの命が救われたことは不幸中の幸いだと言えるだろう。
だが、早速洞窟へと案内してもらおうとしていた矢先、それは姿を現した。
――鬼だ。四メートル近い巨体を揺らしながらこちらへと近付いて来る。その目は既にこちらを捉えているようだ。
そんな鬼も、ヒバナとクレハを除いた紅六式の面々にしてみれば、これまで何度も目にしてきた存在に過ぎない。
だが、明らかにこれまでの鬼とは違う部分があった。
「なっ……まさか、本当に……」
イズモがその存在を前にし、思わず声を漏らす。
他の面々も例外ではなく、その異様な光景に驚きを禁じ得ない。
「こっ、こいつです! 我々の村を襲ったのは!」
ネイトが呼吸を荒くしながら、アルシェの背後に隠れた。
そんな彼を庇うように一歩前へと歩み出たアルシェは、まるで眼前の光景が現実のものなのか確かめるかのように、小さく呟いた。
「鎧を身に着けた鬼。それも全身を覆うプレートアーマーとは」
全身を覆う漆黒の鎧。
一般的には実用性に乏しいと言われるプレートアーマーだが、一部の魔装に優れる兵士たちが身に着けることにより鉄壁の防御力を誇る重装騎士団へと生まれ変わる、文字通り防御重視の鎧である。
だが、あの黒さはいったい何なのだろうか。
(――いや)
どんな鉱石でできているのか、またなぜ鬼がそれを身に着けているのかなど、謎は深まるばかりだが、今はそんなことはどうでもいい。
アルシェは雑念を振り払うと、素早く魔装を練り上げた。
「モミジさん、鬼がこの辺りをうろついていたということは!」
「ええ。生存者を探していたのかもしれません。急ぎましょう」
焦るアルシェに対し、モミジはいたって冷静に答えた。
その右腕には既に膨大な魔力が纏われている。そして彼女は勢いよくその腕を鬼へと突き出した。
「鎧にはこれが一番です」
そんな静かな呟きとは対照的な甲高い音を伴い、
威力はグレイの不可視魔法と同等くらいだろうか。それは雷魔法特有の速さを以て、漆黒の鎧を身に着けた鬼へと襲い掛かり、その身を閃光に包み込んだ。
だが――
「……なるほど。まさかとは思いましたが、予想的中ですね」
――鬼はダメージを受けた様子もなく、その場に立ち尽くしていた。
先制攻撃を受けたことで戦闘のスイッチが入ったのだろう。鬼は重く低い唸り声を上げると、こちらを強く睨み付けた。
モミジの言葉と、目の前の光景から、アルシェも彼女の言わんとすることを悟る。
「魔抗石、ですね。こんな厄介なものを、またどうして……」
その効力は甚大で、純度の高いものだとレベル5の魔法すらも完全に防いでしまうほどだという。
だがその希少価値やコストの高さ、魔法が通用しないために生じる加工の難しさ、銀にも匹敵するほどの重さなどといった理由から、あまり汎用性のない鉱物として知られている。
そして何よりも、それを装備してしまうと魔法や魔装が一切使用できなくなるという欠点があった。
アルシェ自身、実際に加工されたものを目にするのは、殲滅の旅団に属する変わり者の冒険者が愛用している鎧以外では初めてである。
だが、そんな欠点ばかりに思える魔抗石の鎧も、鬼が身に着けることによりかなりの脅威と成り得るだろう。
「この巨体を魔法なしで倒さないといけないのか……」
重装備による単純な防御力上昇に加え、完璧とも言える魔法抵抗の獲得。魔法や魔装を使用できなくなるといった欠点も、元々それらを使用しない鬼には関係のないものだ。そして彼らは、その重さをものともしないであろう筋力をも併せ持っている。
アルシェの額を汗が流れ落ちた。
そんなアルシェへと、モミジが視線を鬼へと固定したまま口を開いた。
「わかりますね。急いで生存者の下へと向かわなければなりません。案内係のネイトさんを抱えて走るとなると、最も高レベルの魔装を持つ者が適任です。それは――」
「――シグルーナさんです」
アルシェはモミジの言葉を遮った。
少し驚いた様子の彼女だったが、アルシェはもう一度力強く告げる。
「適任なのはシグルーナさんです。申し訳ありませんが、この場はあなた方に一任致します」
一方的にそう告げると、アルシェはシグルーナへと視線を送る。
そしてアルシェの意図をすぐさま理解したシグルーナは、ネイトを背中へと抱えると、彼の指し示す方向へと飛び出した。
アルシェは、尚もこちらへと視線を移さないモミジの横顔を見つめた。その表情からはどんな種類の感情も読み取ることはできなかった。
やがて、モミジは不自然なほど静かな声で告げた。
「アルシェさん、あなたも彼女に付いて行くつもりですよね。ではうちのイズモと六番隊の三人を連れて行ってください」
「わかりました。それでは、お気を付けて」
アルシェはそれ以上は何も言わずにイズモと頷き合うと、シグルーナの後を追ってその場を離れた。
それを見届けたモミジは、この場へと残った最後の二人へと優しく声をかけた。
「ヒバナとクレハはここへ残りなさい。私の傍が一番安全です」
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