55 決意

 アルシェたちを送り出したグレイとラナーシャは、二人で冒険者組合を訪れていた。

 当然、昨日の冒険者たちへ謝罪することが目的ではない。ただ人を待っているのである。

 デスティネ王国のアレス支部の大きさに慣れてしまっているため少し窮屈に感じる組合は、その印象に違わずどこか喧騒に欠けていた。

 ポツポツと空席が目立つ待合用のソファで時間を潰しつつ、どこかこの静かな雰囲気を好意的に受け入れ始めたその時、待ち人により組合の扉は押し開かれた。

 一目で只者ではないとわかる屈強な肉体と、研ぎ澄まされた武者としての威圧。冒険者だ。それも、尋常ならざる強さの上位冒険者が二人。

 先に組合へと足を踏み入れたのは、どこか軟派な雰囲気を纏った茶髪の男だ。戦闘とは無縁そうな柔らかい雰囲気と、調子の軽そうなルックス。それらが強者としての印象と混ざり合い、強さの底を感じさせない不思議な魅力が演出されている。

 そして後に続くのが、彼よりも幾分か歳を重ねた男だ。几帳面に整えられた黒髪が聡明な雰囲気を放っており、その目は遠くを見通しているかのような達観した高貴さをも備えているように見える。

 そして二人とも、よく知る人物でもあった。


「あ、いたいた! 久しぶりだなぁ、グレイ坊!」


 グレイの姿を見つけるやいなや、珍妙なあだ名と共に手を振る茶髪の男――B5級冒険者ルーデンベルク・ノットの相変わらずな軽妙さに、グレイはどっと疲れを感じるようであった。


「黙れ、このぼけルード。静かにしてろ」


 グレイはそう吐き捨て、ルーデンベルクを睨みつけた。

 先ほどまでは静かで心地よかったこの空間は、彼がグレイの名を口にすることによりたちまち静謐さを失ってしまっていた。

 冒険者たちは今、グレイとラナーシャが共にギルドを設立したばかりなため、少しばかりその名に敏感になっている。

 そしてここにいる二人の外観がグレイ・ナルクラウンとラナーシャ・セルシスのものと一致することを知ると、辺りは先ほどとは一変してざわめきだした。


「会って早々すまないね、グレイ。私が個室を用意させよう」


 そう申し出た黒髪の男は、A2級冒険者“災禍”ロシュフォール・ベルである。

 彼は近くにいた組合スタッフの男性を呼びつけると、小声で何かを話し始めた。やがて男性が何かに頷きこちらへと背を向けると、スタッフルームの奥へと歩み出す。

 ロシュフォールは何事もなかったかのようにこちらを振り返り、「では行こうか」とグレイたちを促した。


 やがて辿り着いたのは、応接室のような小さな部屋だった。備え付けられた高級そうなテーブルとソファ、絨毯以外には特にこれと言って特徴はないため、応接室というのはただの推測に過ぎないが。

 ふと部屋の内装から視線を戻すと、ロシュフォールとルーデンベルクが既にソファへと腰掛けていた。

 一冒険者の身で組合に部屋を用意させるロシュフォールの権力に少し驚きつつ、グレイとラナーシャは彼らの向かいへと腰を下ろす。


「改めて、久しぶりだな。グレイ」

「ああ、そうだな」


 相変わらず無愛想なグレイに笑みを浮かべると、ロシュフォールはラナーシャへと顔を向けた。


「ラナーシャ。君も元気そうで何よりだ。グレイとアルシェを支えてくれていることに感謝する」

「こちらこそ、ロシュフォール殿。それに礼など必要ない。いつも支えてもらっているのは私の方だ」

「そうなのか? グレイ」

「当たり前だ。いつまでも子供扱いすんじゃねーよ」

「ははは、そうか」


 グレイの回答を聞き、ロシュフォールは楽しそうに笑った。その反応からも彼の親心のようなものが見え隠れし、グレイは眉根を寄せる。不快ではないが、少し疲れる。

 グレイは溜め息を吐くと、早く本題に入るよう促した。

 デスティネ王国を離れ、こうやってルクソールの組合で再開したのは当然ながら偶然ではない。

 旅の道中、ロシュフォールたちからの話し合いをしたいという伝言を受け取り、この場が実現したのだ。

 概要については何も知らされていない。


「ああ、そうだったな。まずは尋ねるが、最近誰かに尾行された経験はないか?」


 そんな問いかけから入った本題に対し、グレイは訝しむように再度眉根を寄せた。


「……さあな。心当たりがない。王都にいた時は組合の人間に監視されてが、あんたらが知りたいのはそんなことじゃないだろ?」

「それは周囲で事件が頻発していたからだろう? お前たちを守るための監視でもある。そういうものではなく、もっと巧妙なものだ」

「……巧妙ねぇ。そう言えば昨日、ここに着いてから未熟な冒険者二人組に尾行されたが、巧妙とは程遠いものだったな。当然それでもないだろうし、やっぱり心当たりはない」


 グレイがそう答えると、ロシュフォールは溜め息を吐きつつも、予想通りといった面持ちで言葉を続けた。


「……グレイならば、という期待も微かにはあったが、やはりまだ手には負えないか」

「もったいぶるな。何が言いたい」

「結論から言うと、仮面の剣士の件でお前たちを探ってる者たちがいる」

「警戒してるさ」

「いや、今回はさすがに相手が悪い。事実、彼らは既に何らかのアクションを起こしたと思われるが、お前はそのことにすら気付いていなかった」

「……そいつらに出し抜かれたって言うのか?」

「ああ、そうだ。だがさっきも言ったが、相手が悪い。出し抜かれるのは仕方がないことだ」


 そしてロシュフォールはようやくその正体を告げた。


「――その相手とはデスティネ王国。わかるか? 国家がかなりの確率でお前たちへとピンポイントで焦点を当てているんだ」


 そんな言葉を聞いたグレイは少しの間考え込んだ後、神妙な表情で口を開いた。


「そもそも、お前たちはどうやってそのことを知った?」

「旅団のことを探ってる奴を見つけたんだ。捕まえたわけではないし、さっきから言ってるように絶対ではないが、おそらくは国家に仕える人間。それも軍の人間だ。少し前にマキバ殿が訪ねて来たんだが、その際にな。本当に偶然に偶然が重なった結果だ。それくらいの手練れが動いている」

「……だが、仮面の剣士が国家レベルでの騒動になることくらい想定済みだ。例え誰かが俺たちの周囲を嗅ぎまわってたとしても、秘密は漏れないように神経を尖らせながら動いて来た。そいつ――そのスパイが俺たちに正体を勘付かせないほどの手練れだとしても、漏れようがない秘密は絶対に漏れない」


 グレイはそこまで言ってから、ハッとしたように口元を手で覆った。


「いや、違うな。絶対に漏れない秘密なんてない。もしラナーシャがスパイだとすれば? もしそうなら秘密なんて駄々漏れだ」


 グレイのその言葉に、それまで黙って成り行きを見守っていたラナーシャが不満そうに口を挟んだ。


「私はスパイなんかじゃないぞ」

「わかってる。ただの例え話だ。だが、全く勘付かせないスパイってのはそういうことだろ?」


 ロシュフォールが首肯する。


「少し認識が甘かった。軍の人間と言ったが、具体的にはどういう組織だ?」

「特殊部隊だ」

「特殊部隊? なんだそれは」

「文字通り、特殊作戦を遂行するために設立された部隊だ。一般には存在すら知られていない。かつて、極秘でジョットへと戦闘指南の依頼が来たこともある。まあそれもさっき言った偶然の一つなんだが、その話は今はいいだろう。わかっていることは二つだけ。一つは、彼らが特殊部隊たる所以だ。正規部隊との最も大きな違いはその存在意義にある。軍部に組み込まれてはいるが、その実態は政治部隊と言える。要は国家の要求を叶える何でも屋のようなものだ。それは決して武力による解決のみに非ず、任務遂行のためならば何だってやるし、何だってできる」

「……なるほどな。今回のスパイ行為のようなことも任務の一つというわけだ。それで、もう一つのわかっていることとはいったい何だ?」


 グレイが神妙に問いかけると、ロシュフォールはこう答えた。


「――その手腕が神懸かり的だということだ」


 ようやく、グレイはことの重大さが理解できたような気がした。

 そして考える。全ての先入観を捨て、あらゆる可能性を精査する。

 初めて仮面の剣士の存在が明らかになった龍王事件のことから、ガトーと戦った三か月前の事件のことまで、事細かに記憶を探っていく。


 いったい、どの段階で国は動き出した?

 目的はなんだ? 仮面の剣士の情報を掴むと言っても、さすがに少し漠然としすぎている。任務として動き出す以上は何か明確な目的があったはずだ。そしてその目的を達成するため、特殊部隊とやらは殲滅の旅団にも探りを入れた。

 では、殲滅の旅団に探りを入れた理由は何だ?

 具体的には旅団の誰に探りを入れた?

 俺たちにとってはどうだ? 俺たちの誰に探りを入れた? そしてどのように?

 ロシュフォールが言うように、俺たちにも既に探りを入れているのだとすれば、それはいつだ? いつならそれが可能だ?

 そして、何かを掴んだとすれば、それはいったい何だ?


 神懸っているのは何も特殊部隊とやらの練度だけではない。

 同じく神懸っているグレイの頭脳は、僅か数分の思考を以てして、一つの答えを導き出した。


「まさ、か……」


 その呟きに、ロシュフォールが身を乗り出した。


「心当たりがあるんだな……?」

「ああ。一つだけ。順に説明するぞ」


 そう前置きすると、グレイは滔々と語り出した。


「そもそも国は、仮面の剣士の正体を知りたいという好奇心から動いたのか? 当然否だ。もっと明確な目的があり、極秘の部隊まで動かしている以上は具体的なエンドステージを設定していたはずだ」

「ああ、それには我々も同意だ」

「ではそれはいったい何だ? まさか龍王を倒した仮面の剣士を討伐することではあるまい。無謀すぎるし、実際アルの身には何も起きていない。何よりも話が飛躍しすぎている。討伐なんて正体を知っていることが大前提だし、話が最初に戻ってしまう。では思考の角度を変えてみよう。国家は何かの必要に駆られたから部隊を動かした。そう考えた時、最もしっくりとくるのが他国への対応だ。仮面の剣士の存在には周辺国も気付き始めている。当然だ。仮面の剣士自体は極秘の情報でも、何者かが龍王を討伐したという事実は今や一般人ですら知っているからな」


 そこまで話すと、グレイは一旦言葉を止め、各々の顔を見回した。話に付いて来ているかの確認だ。ロシュフォールは心配要らないが、ルーデンベルクとラナーシャは少し不安だ。

 そんな二人の表情にも理解の色が見えたことから、グレイは言葉を続ける。


「そこで他国はこう考える。王国は何を隠しているんだ? 本当に誰かが単独で龍王を討伐したのか? それは冒険者か? それとも何か強大な兵器でも隠し持っているのか? と、まあこんな感じだ。その力が個人のものでも集団のものでも、人外のものでも兵器であろうとも、古代の龍王をいとも簡単に倒せるだけの力をいつまでも認識できないなど気が気ではないだろう。――だが、気が気でないのは王国も同じだ。なぜなら、王国も同じくその力の正体がわからないのだから」


 ふと、ラナーシャが首を傾げながら口を開いた。


「だが、その仮面の剣士の正体を掴んだわけではないのだろう? それにそれが目的ではないとさっき言わなかったか?」

「ああ、何を以て任務完了とするかは別のところにあるはずだ。それに、さっきも言ったように、仮面の剣士の正体を探るのは無謀なんだ。俺のせいで冒険者組合がその正体を剣の女神だと誤認しているのと同じように、王国もその可能性には辿り着いているはずだ。それに、辿り着いていようがいまいが、龍王や上位魔人を単独で倒せてしまうような強大な存在には可能な限りちょっかいなんてかけたくないはずだ。今のところは王国の味方とも捉えられるしな。それほどの決断を下したとは考えにくいし、下したのだとしても少し早すぎる。まだそこまで追い込まれているわけではないだろう」


 そこまで言ってようやく、ロシュフォールの表情に理解の色が灯った。


「ああ、そういうことだったのか」

「さすがに理解が早いな。まだわからない二人のために続けるぞ」

「ああ、頼む」


 グレイは話を戻す。


「では国家が欲したものは何か。おそらくだが、他国からの追求、または情報収集に対してのブラフではないか。つまり、“他国からの勘繰りに対するとりあえずの答え”だ。そして俺の推測する特殊部隊に対する国家からの指令は、『仮面の剣士の正体として他国に提供できるモノを用意する、またはでっち上げろ』というものだ」


 これならば辻褄が合う。

 重大な決断を下したとはとても思えない初動の早さや、リスクとリターンのバランス、そしてあの・・ことにも――。

 必死に頭を回転させているラナーシャとルーデンベルクが納得するのを待ってから、ロシュフォールがグレイへと結論を迫った。


「それで、心当たりとは?」


 グレイはロシュフォールを見据える。


「特殊部隊が国家へともたらしたエンドステージ、そしてそれを手に入れた張本人がわかった。この答えなら、特殊部隊の人間が殲滅の旅団を嗅ぎ回っていたことにも説明が付く。その張本人――任務を受けて実行した特殊部隊員の名はロッド・・・ベルク・・・。あの男は元軍人だ。だが本当は今も軍隊に籍が残ってるんだろう。それも特殊部隊員として、極秘にな。そして奴が持ち帰った情報とは、十中八九シグルーナの正体だ」




 ◆◇




 いざという時、王国はシグルーナをの正体を明かし、彼女こそが仮面の剣士の正体だとうそぶくつもりなのだろう。実際に彼女に龍王や上位魔人が倒せるのかどうかは重要ではない。とりあえず他国が納得さえできればいいのだ。そして彼女とラナーシャが行動を共にし始めた時期や、魔人であるという事実は、その条件に十分適っていると言える。

 そしてシグルーナがアマチュア冒険者となる際には、ジョットが彼女の身元を保証したため、ジョットも一枚噛んでいるということに王国側も気付いたのだろう。殲滅の旅団――具体的にはジョット――へと探りを入れたのは、シグルーナが本当に魔人だということを裏付ける何かを求めてだろう。

 ようやくもたらされたその答えに、三人は静まり返っていた。必死にその答えを飲み込もうとしているのだろう。

 やがて、ラナーシャが震える声でグレイへと問いかけた。


「ほ、本当にロッド・ベルクがスパイの正体なのか? あの時の彼が私たちをバカにする裏で、こちらを探っていたとは到底考えられない」

「全く勘付かせない。神懸っているとはそういうことだ。それにあの日、宿屋でシグルーナが言ってただろ? 六感強化に僅かに引っかかる違和感があったみたいなことを。奴は最初からシグルーナの目の赤光を狙ってたんだろう。まんまと乗せられたな」


 ロッドはシグルーナの目が赤く光るということを確認することで、その正体を知ろうとしたのだろう。手段はいくつか用意していただろうが、その中の一つであるラナーシャを怒らせる、という作戦が見事に嵌ったというわけだ。


「だが、そもそも彼に話しかけたのは私たちの方だ。向こうからではない」

「それも奴の策略だ。誘導されたんだよ。向こうから接触してきたらこっちも疑いの目を向けるだろ? それに対し、こっちから接触した場合話は別だ。そもそも、戦力を欲してた時期にたまたま一匹狼のアマチュア最強様が王都にいたこと自体、旨すぎる話だったんだ」

「ゆ、誘導って……そんなことが可能なのか?」

「何度も言わせるな。神懸ってるってのはそういうことだ。それに誘導自体も作戦の一つに過ぎねぇよ。俺たちが誘導されなかった時のための作戦だって、いくつも用意してあっただろうよ」


 そこまで言うと、ラナーシャは縋り付く当てがなくなったのか、とうとう肩を落として黙り込んでしまった。

 正直に言うと、グレイにも彼女の気持ちは理解できた。ラナーシャ同様、認めたくなどない。だがこれが現状で最も現実的な答えである以上、それを曲げるつもりもまたなかった。


「……では、本当にシグルーナの正体は王国に知られてしまったのだな」

「ああ、だがまだ心配は要らない。今のシグルーナは王国にキープされてる状況だ。もしもの時のためにな。それは裏を返せば、その時までは安全だということだ。実際、シグルーナが目の赤光を見られた時、ロッド・ベルクはラナーシャと同時に立ち上がることで、その目を周囲から遮ったんだろ? 守る意志があるという証拠だ」


 渋々と納得した様子を見せるラナーシャを横目に、グレイはロシュフォールの目を見据えた。


「何か異論は?」

「ない」


 即答したロシュフォールは「それで」と続ける。


「これからどうするつもりだ?」

「死んでもシグルーナの情報は開示させない」

「具体的には?」

「王国がシグルーナをブラフに使う時ってのは、仮面の剣士が原因で他国との軋轢が生じようとした時だ。そんな事態を起こさせなければいい」

「そんなことが一冒険者に可能か?」

「不可能だ。だが俺たちは一冒険者なんかじゃない。正真正銘、本物の情報を持つ者であり、当事者でもあり、何よりアルは仮面の剣士本人だ。いざという時のための選択肢はもう既にいくつか思い付いてる」

「そこに安全なものは?」

「安全? あるわけねぇだろ。だからこそお前たちにも協力してもらうぞ。ジジイにもだ。一冒険者じゃないって言葉はそういう意味でもある。黎明国家と殲滅の旅団の協力があれば、それはもう一冒険者なんて言葉では収まらねぇからな」


 早口でそう言い切ると、グレイはその場に勢いよく立ち上がった。

 そして椅子に座ったままのロシュフォールを見下ろす。


「まずは、鬼の塒で街道警備をしてるアルたちと今すぐ合流する。何か異論は?」


 そんな問いかけに対し、ロシュフォールは小さな笑みと共に即答した。


「――ない」








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