54 転生者

 それぞれのパーティメンバーが自己紹介を済ませた後、モミジ・シルラハルは六番隊隊長――B5級冒険者イズモ・リリアルと共に、アルシェが衝突した岩石を調べていた。

 そしてそれは、見た目からして既におかしなものだった。


「見えますか。これだけ巨大な岩が綺麗にくり抜かれています」


 崖の一部がそのまま歪に飛び出したように形成されているそれは、直径で七メートルほどの大きさを誇っている。

 だがアルシェが激突したと思われる個所だけが、なぜだか綺麗にくり抜かれ、二メートルほど窪んでいるのである。


「そしてこのくり抜かれた部分が……」

「これ、ですね」

「ええ……」


 モミジはイズモの言葉を肯定した。だが、実のところ、モミジはそれが信じられないでいた。そうとしか考えられないから、仕方なくそう考えているだけである。

 イズモの視線の先――岩の表面をなぞりながらさらさらと地面へとこぼれる大量の砂粒。これがクッションとなり彼の体を包み込んだのであれば、衝突したときの衝撃はかなり和らいだはずだ。


「ですが、いったい誰がこんなことを? そして、あの青年は偶然ここに落ちたのでしょうか?」


 思わずそう問いかけるイズモだったが、モミジはそれには答えず、ポツリと呟いた。


「いつの時代にも天才とはいるものですね。全く忌々しい」

「天才、ですか」

「ええ。これを可能とする技術に心当たりがあります。おそらくは風魔法を使ったのでしょう」


 四大奥義や多重発動のように、魔法に関する技術は多数存在する。

 そしてあの状況でこのような現象を引き起こす方法は、モミジが知る限りたった一つしかない。

 かつて、カーラ・ナルクラウンが得意とした技術――魔力展開。

 本来は魔法へと変えた魔力を標的へと放つのが基本だが、これはその手順をひっくり返す技術だ。つまり、自身の魔力を周囲へと放ち、任意のタイミングと位置でそれを魔法へと変換する。

 これは必要以上に魔力を消費するハイリスクな技だが、対人戦では――特に相手が近接戦闘を得意とするなら――無類の強さを誇る。展開された魔力の中ではある意味で神のような存在なのだから。

 そしてアルシェは、この技術を用いた魔法で直接岩をかき混ぜるように砕いたのだろう。外から魔法を当てるだけではあのような削れ方はしない。それにそもそも、それほど強力な魔法が彼から放たれれば、間違いなく我々にも認識できたはずだ。だが彼の体から直接放たれたのが魔力だけなら、少し離れていた我々に視認は難しいだろう。


 それにしても、とモミジは息を吐いた。


(カーラ亡き今、これを使える人物が銀嶺卿の他にいるとは……)


 それも十七歳の子供だ。

 鬼に吹き飛ばされ、死ぬ直前にまで追い詰められても尚、咄嗟の判断で窮地を脱したのだ。

 天才の存在を痛感させられる。

 そして思い出させる。かつてカーラ・ナルクラウンに抱いた嫉妬心を。ラナーシャ・セルシスに抱いた怒りを。

 これはほとんどの場合対人戦のみで力を発揮する技術である。魔物相手でも意味はあるが、大量に魔力を消費し、なおかつ集中を必要とするためリスクの方が圧倒的に高い。そんなことをするくらいなら普通に攻撃しろ、というものだ。

 そしてかつてのカーラがそうであったように、冒険者の等級は魔物を相手にした際の強さを基に設定されているため、対人戦での強さはあまり考慮されない。事実、カーラは対人戦において多くのA級上位を凌駕していた。

 そして、それはアルシェにも当てはまる。

 十七歳の若さでランクを持っていることにも驚きだが、対人戦において彼の強さはB級にすら匹敵するかもしれない。それに加え、岩を粉々にするほど強力な風魔法をも持っているのだ。

 グレイとラナーシャのギルドでギルド長を務めるだけあって、さすがの実力と言える。


「ふふ、一度だけ、視てみましょうか」


 モミジはそう呟くと、不適に微笑んだ。




 ◆◇




 先ほどは不意に現れた鬼への対応が間に合わず、仕方なく剣を防御のために抜いた。アルシェの持つ神器はこの世で唯一レベル6の剣術に耐えられる代物であり、決して折れることはない。そのため、それを翳せば衝撃は防ぎ切れずとも、十分に盾の役割を果たしてくれると考えていたのだ。

 だが、鬼の膂力はアルシェの想像を遥かに超えていた。

 その場に踏ん張ったアルシェの体は容易に持ち上げられ、そのまま宙を舞うこととなった。咄嗟にシグルーナへとミラを託したが、アルシェの全身は岩肌へと打ち付けられた。

 剣で岩を粉状になるまで斬り付けたことにより事なきを得たが、それはこの剣術がなければ命を落としていたことを意味する。

 今も昔も、変わらずアルシェは神の剣術におんぶにだっこ状態なのだ。それがこの上なく疎ましい。


 近くの石に腰掛け、鬼の一撃で負った怪我をミラに治療してもらっていると、周囲の警戒を交代してもらったのであろうシグルーナがアルシェの下へと帰って来た。


「怪我の具合はどう?」


 開口一番に心配した様子を見せる彼女へと、アルシェは笑顔で応える。


「大丈夫ですよ。骨は折れてなかったみたいなので、すぐに治ると思います」

「そう。それはよかったわ。それにしても……」


 シグルーナは神妙な面持ちで周囲を見渡す。

 アルシェにも、彼女の言いたいことが理解できた。


「すごい手練ればかりですね。この辺りに詳しいはずの紅六式が、調査にこれだけの戦力を投入しているとは……。僕たち、完全にこのエリアを舐めてましたね」

「そうかもしれないわ。それにしても、あの人だけレベルが違う」

「ああ、彼女……」


 シグルーナの視線の先にいるのは“転生者”モミジ・シルラハルである。

 冒険者としては少し長めの黒髪に、グレイのような切れ長の目を持つ美しい大人の女性。態度や言葉遣いは柔らかいが、どこか冷たい印象を抱かせる人物でもある。

 普段からグレイやラナーシャと行動を共にしているからこそあまり驚かなかったが、彼女は冒険者を代表する強者だ。アルシェでさえ一目見るだけで彼女の凄さをひしひしと感じるのだ。六感強化を持つシグルーナには尚更だろう。


「あの魔装。ラナーシャのものに負けるとも劣らないわ」

「ええ。彼女の魔装スキルも、ラナーシャさんと同じレベル5ですよ。転生者の二つ名で知られる凄い人です。冒険者ランキングも……確か8位でしたね。マリノスさんよりも上です。ああ、それに、マキバさんの妹ですね」


 “転生者”モミジ・シルラハル。

 A4級の上位冒険者であり、冒険者ランキングで8位にランクインする怪物である。確かジョットと同い年なため、年齢は四十か四十一ほどだと思われる。

 そして彼女の強さを語る上で欠かせないのが、その圧倒的なスキル構成にあった。

 彼女の持つ戦闘スキルのレベルを合計すると、全ての冒険者の中で断トツだと言われるほど、それは多彩かつ強力なのだ。


「転生者という二つ名には、二つの由来があると言われています。一つが、とても一度目の人生とは思えないほどに、あらゆるスキルを極めているからというものです。わかっているだけでも、魔装レベル5、剣術レベル4、火魔法レベル4、風魔法レベル4、雷魔法レベル4、ですね」

「ちょ、ちょっと待って。私、スキルのことってあまりよくわからないのだけれど……。レベル4って、アルシェ君の弓術と同じよね?」

「ええ、そうですよ。レベル4のスキルを持つことが、上位冒険者昇格試験の受験資格でもあります。そんなレベル4のスキルをまるでコレクションするかのように複数持っているんです。死に物狂いで習得した僕が馬鹿みたいですよね。凄いところはそれだけではありません。そもそも、それだけ多彩な魔法を習得できること自体が奇跡なんです」


 普通、魔法の属性には得手不得手が存在する。

 ナルクラウン一族が雷魔法を得意とするようにそれは血筋にも影響され、中にはどれだけ訓練を積んでも習得できない属性もあると言われるほどだ。あのグレイでさえ、雷魔法の他は水魔法と土魔法を少し扱える程度だ。どちらもレベル1から成長する気配はない。

 だがモミジは、三つの属性をレベル4にまで極めているのである。普通ならば天才魔法使いとして知られるのだろうが、魔装と剣術を用いた近接戦闘をより得意とすると言うのだから恐ろしい。


「そしてもう一つの由来が、彼女の剣士としての強さが伝説の剣士――マリア・ホークを連想させるためだと言われています。マリア・ホークとは“剣鬼けんき”の二つ名で有名な女剣士です。冒険者組合を創設したロベルト・ロアの右腕的存在で、彼と共に王の砦を築き上げた人物でもあります。そんな彼女の生まれ変わりだというものですね」


 元々、モミジは剣の腕で成り上がった人間だ。おそらくラナーシャが現れるまでは、彼女こそが最強の剣士の最有力候補だったはずだ。そんな彼女が多くの魔法を自在に操るのだから、まさしく万能の冒険者だと言える

 そうやって説明すると、シグルーナは納得したように感嘆の溜め息を吐いた。


「本当に凄いのね……」

「はい。ですから注意していてください。もしあなたの正体を知られた時、敵対などされようものなら……」

「あっ、で、でも、ラナーシャよりは弱いのよね?」

「え……」


 シグルーナの言葉の意味がわからず少しきょとんとしてしまうアルシェだったが、すぐに彼女が言わんとすることを理解した。

 要は、A4級のモミジよりA2級のラナーシャの方が強いため、ある程度強さに予測が立つと言いたいのだろう。

 アルシェは、狼狽えた様子のシグルーナの両目を静かに見据えた。


「――ですが、グレイより強い」


 盲点だったのだろう。

 ハッとしたシグルーナは動揺した様子を見せると、そっと口を噤んだ。

 完全覚醒済みの中位魔人であるガトーを相手に、冒険者としての強さを示したグレイ。そんな彼でも等級はモミジより低いA5級だ。その事実がシグルーナにとっては衝撃なのだろう。どこか悲しい目をしているようにも見える。

 そんな彼女がいたたまれなくなり、アルシェは言葉を補足する。


「もちろん相性によって変わってきます。ラナーシャさんは魔人にとって戦いやすい相手でしょう。それに比べ、グレイやモミジさんとは相性が悪い。そして冒険者同士でも相性というものは必ず存在しますからね。ただ、シグルーナさんが言うように等級だけで判断するなら、モミジさんはグレイよりも強いということになる、というだけです」

「そ、そうよね……ごめんなさいね、変なこと言って」

「いえ、気にしないでください。気持ちはよくわかりますので」


 その言葉に偽りはない。

 本当にシグルーナの気持ちはよくわかる。この世界には天才が多すぎるのだ。

 グレイやラナーシャを間近で見てきたからこそ、彼らの強さはよくわかっている。だが、そんな二人に匹敵する強者はあらゆるところに潜んでいる。

 この世に三十三人しか存在しないA級冒険者。彼らは戦闘のプロである冒険者の中で、実に五千人に一人の化け物たちだ。あまりにも少なく希少な存在と言えるだろう。

 だが、グレイやラナーシャの強さを知るアルシェに言わせれば、その数は大きすぎるように思う。二人に匹敵するだけの人間が冒険者だけでも三十人以上存在するなど、とてもではないが許容し切れないのだ。


 そんなことを考えていると、治療を終えたミラが疲れた様子で額の汗を拭った。


「終わりました! お疲れ様です、アルシェさん」

「ありがとう」


 ミラを労いつつ、アルシェは大きく肩を回す。


「うん、痛みもない。助かったよ」

「いえ、私にはこれくらいしかできることはないので」

「十分だよ。それに、まだまだこれからだしね」

「……はい」


 ふと、アルシェはミラの瞳に灯る悲し気な色を見た。

 何事かと訝し気に眉根を寄せると、それに気付いた彼女は小さく微笑む。


「どうかしましたか? そんなに私の顔をジロジロと眺めて」

「いや……ミラの方こそどうかした? 最近よくそんな顔するけど」

「え……」


 ミラは指摘された意味がわからなかったようで、まるで確かめるかのように左手を自らの頬へとあてがった。


「私、何か変な顔してました?」

「いや、そういうわけではないんだけど……。最近、何か悩んでたりしない?」

「悩みですか。特にはないですね」

「そう。それならいいけど」


 そうやって会話を打ち切ると、アルシェはその場に立ち上がり、改めて腕の調子を確かめるかのように腕の筋肉を伸ばし始める。

 そんなアルシェの下へモミジが歩み寄って来た。


「怪我の様子はどうですか?」

「おかげ様でもう大丈夫です。辺りの警戒まで引き受けていただき、本当にありがとうございます」

「いえ、構いません。こちらもお願いしたいことがあってのことですので」

「お願いですか?」

「はい。少しお力を貸していただきたいのです」


 そして、彼女は滔々と話し始めた。

 曰く、現在紅六式は危険な依頼を遂行中であること。

 曰く、鬼の塒に立ち入ってすぐに二体の鬼と遭遇するなど異常であるということ。

 つまりは、彼女が想定していた以上の事態が待ち受けている可能性があるため、少しでも戦力を確保しておきたいと言うのだ。


「ランクをお持ちで、なおかつ鬼をたった一人で倒せる冒険者など、願ったり叶ったりですから」

「そう……ですね」


 アルシェは彼女の言葉を頭の中で反芻する。

 本当は引き上げるつもりでいた。

 シグルーナと話していた通り、少しこの場所は危険すぎるのだ。

 鬼と言えど、単独ならば問題はない。先ほどのように二体同時に遭遇したとしても、シグルーナが戦闘に加わりさえすれば全く問題にはならない。だが、もし集団に囲まれでもすればその限りではない。少なくともミラがいていい場所ではないだろう。


 それでも、紅六式が一緒ならば話は変わってくる。

 彼らのことだ。きっと下位冒険者の二人以外は、単独で鬼を相手にできるだけの実力を持っていることだろう。それほどの冒険者を、A級とB級の冒険者が率いているのだ。冒険者が取っても良いリスクの許容内と言える。

 そして何より、“転生者”モミジ・シルラハルの戦いを見てみたい。

 アルシェはシグルーナと頷き合うと、モミジへと向き直った。


「わかりました。よろしくお願いします」

「ええ。こちらこそ」


 そして、二人は固い握手を交わし合った。

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