The Brave in the Empire
51 異世界へ
ジェイド・ウェイパーとは特別親しい訳ではなかった。廊下ですれ違えば挨拶を交わす程度だろうか。記憶にある会話の中で最も多くの言葉を交わしたのは、彼が勉強でわからないところがあるからと気恥ずかしそうに助けを求めて来た時のことだ。
そう。所詮は友達とも呼べぬ程度の関係――だが、なぜか彼が亡くなったと聞いて涙が止まらなくなった。
ここは王都魔法学院の第一保健室。
シグルーナの治療にひと段落が付いたとして、マリノスが運ばせたらしい。彼女曰く現場から離れすぎず、なおかつ施設も整っているからとのこと。だがそれは表向きの理由で、本当は人目を気にせずに会話ができる場所ならどこまでよかったのだということを、今のミラは知っている。
ジェイドが亡くなったという報告も、彼らの中では文字通りただの情報共有でしかない。そう感じさせるほど、そのやり取りは淡々とした事務的なものだった。
ミラは次々と溢れ出す涙を必死で我慢する。その頭はシグルーナの胸へと抱き寄せられ、彼女の胸元を濡らす。
そんなミラの頭上では、今でも彼らの言葉が飛び交っている。
現在ここにいるのは、シグルーナの治療――演技だが――を終えて今度はミラの足へと回復魔法を施しているマリノスと、シグルーナ、ラナーシャ、ラズール、そして治療待ちのグレイに先ほど外から帰って来たばかりのアルシェだ。
彼らの会話を聞き続け、理解できたことが二つある。
一つは、ジェイドの死を事務的に処理できるのは、決して彼らが冷たい人間だからという訳ではないということ。
もう一つは、ミラが彼の死を嘆き、いつまでも涙が止まらないのは、決して自分が温かい人間だからという訳ではないということ。
からくりは単純だ。自分と彼らでは住んでいる世界が違うから。ただそれだけ。
彼らがいつまでも人の死を嘆かないのは、それが意味のないことだと知っているからだろう。そんな暇があるのなら少しでも前へと進む。そして同時にそうしなければならない。彼らの住む世界ではそれが当たり前なのだ。いつまでもメソメソとしていられるのはプロでない者の特権に過ぎない。
対し、ミラがジェイドの死を知り泣いているのは、若くして亡くなった彼を慮ってのことではない。ただ怖いのだ。自分が足を踏み入れようとしていた世界、これから踏み入るはずの世界の一端を知り、怖くなった。
今まではどれだけ身近な人が亡くなろうとも、それは所詮他人の死でしかなかった。だが冒険者の世界ではそうではない。隣人の死は、直接自分の死へと繋がる。実際にラズールの助けが間に合わなければ、ミラはボロアパートの中で生涯を終えていただろう。
だからこそ、決めたことがある。
それは――学院を辞めるということ。
冒険者になるという夢を諦めるのではない。
冒険者になるためには、この世界から離れてはいけないと確信したからだ。この感覚を忘れてしまえば、自分に未来はない。
よく考えてみれば当然のことなのかもしれない。
いったい、どれだけの冒険者が無事に生涯を終えられるのだろうか。そして引退まで生き延びたとしても、そこに五体満足で何も体に異常を来していない者はどれだけいるだろうか。答えなどわからない。学院では教えてもらわなかった。
冒険者とは、まるで処刑台に並んだ囚人のような存在。――それが、ミラが初めて感じた彼らの世界だった。
学院が悪い訳ではない。実際、学院はミラを大きく成長させてくれた。だがこの感覚はこの世界に身を置いて初めて感じられるものだ。そして何より、今の自分にとって最も重要なものだという確信がある。
ミラはシグルーナの胸元から顔を離すと、袖で涙を拭った。
◆◇
マリノスを交えた情報共有が終わり、アルシェは「僕からもいいですか」と前へ出た。
「ご存知の通り、僕は逃げた魔人の後を追いました。行方を見失わないようにです。逃げ込んだ先さえわかれば、機会を伺って最精鋭で討伐に動けますから」
実際は止めを刺すためだ。
だがこの場にはラズールとミラが居合わせ、なおかつ誰かがどこかで聞き耳を立てていることまで考慮し、“仮面の剣士”としての立場からは話さない。あくまでも“ただのアルシェ”として話を進める。
グレイたちもそのことを理解しているため問題はない。
「ですが結局、その必要はありませんでした。敵は仮面の剣士に討伐されましたから」
その言葉を聞き、ラズールが息を飲んだのがわかった。
ミラは内容を理解し切れていないようだ。
「僕はその際、彼女と直接会話を交わしました。僕が着ていたローブが欲しいとのことでした。理由はわかりませんが」
要約すると、そんな作り話――設定が必要になる事態が発生したということ。そして納得のいく動機はまだ思いつかないということ。
面倒くさそうに溜め息を吐いたグレイを横目に、アルシェは話を続ける。
「彼女は魔人をただ討伐した訳ではありません。魔人を見逃す条件として、仲間の居場所を吐かせました。魔人に仲間がいたことは、ミラちゃんが住む宿を突き止めたことから悟ったようです。昨日ミラちゃんがシグルーナさんと別れたのは、魔人がシグルーナさんへと声をかけるよりもずっと前だったので、魔人以外の誰かがミラちゃんを尾行したということは疑いようがありませんからね。そしてどうやら、魔人にとっての仲間とは利用価値のある道具のようなものらしく、あっさりと情報を吐き出しました。当然ながら魔人を見逃すという条件は嘘でしたが」
その時のアルシェは、その現場を近くから見届けていたという設定だ。
「魔人を始末した彼女は、そのまま敵のアジト――冒険士ギルドへと乗り込み、居合わせた十一人を無力化しました。死人は出ていません。ですが一つ、大きなトラブルが起きたようです」
要約すると、トラブルがあったから助けて、ということ。
先ほどよりも大きな溜め息がグレイの口から飛び出した。
「そのトラブルとは、その現場を冒険者組合アレス支部長のジン・ロムロー氏と、その護衛であるジュード・ラゲッジ氏に目撃されたというものです。それをトラブルだと判断した根拠は、彼女が煩わしそうに彼らをあしらっていたからです。ちなみにですが、彼らは僕の存在には気付いていないようでした」
要約すると、もうお願いします助けてくださいグレイさん、ということ。
とうとう頭を抱え込んでいたグレイが、静かに口を開いた。彼が少し怒っているように見えるのは気のせいだろうか。
「ふん、仮面の剣士も案外つまらないミスをするもんだな」
要約すると、つまんねぇミスしてんじゃねーよ、ということ。
「ははは、グレイの言う通りかもしれませんね。もしかして今頃自分のミスを反省してたりして」
要約すると、凄く反省していますごめんなさい、ということ。
「反省で済めばいいがな」
要約すると、取り返しが付かないミスかもしれねーな、ということ。
「いや、本当にごめん」
要約すると、本当にごめん、ということ。
そこまで話し終えると、ずっと話を聞いていたラナーシャが小さく笑いだした。
そんな彼女に釣られ、マリノスまでもが小さく頬を歪ませる。
そして次の瞬間には、部屋が笑いに包まれた。笑っていないのは状況を理解できていないラズールとミラだけだ。二人は不思議そうに周囲をキョロキョロと見渡している。
やがてひとしきり笑い合うと、グレイがベッドの上で大きく伸びをした。
「さて、その辺のことは後で詳しく聞くとして、少し考えていたことがある」
「考えていたこと?」
「ああ。王都を離れよう」
あっさりと言ってみせたグレイだったが、誰にも驚いた様子はなかった。元々冒険者が拠点を移すこと自体が珍しいことではないのに加え、アルシェたちが王都を訪れたのにも大した理由はなかったからだ。最初は都会ならば正直どこでもよかった。
グレイは続ける。
「元々考えていたことだが、さっきのアルの話を聞いて余計にそうすべきだと思った。考えてもみろ。支部長が冒険士ギルドに現れた理由を」
「考えてもみろって、グレイにはわかるのか?」
「当たり前だろ。十中八九、俺たちのことを探ってる。そうでないと支部長ともあろう人物がそんな危険を冒したりするもんか」
「…………確かに、彼らは仮面の剣士が着ていたローブ――僕が彼女に渡したローブを見て、僕の行方を彼女へと問いただしていた。一度魔人襲撃現場を訪れたってことだ。なるほど、調査のためだったのか」
彼らは偶然冒険士ギルドを訪れたのではなく、先に襲撃現場を訪れていたのだ。そこでアルシェがシグルーナのローブを借り受けたという話を誰かから聞いた。
だからこそ仮面の剣士が着ていたローブの腹部の穴を見て、それが先ほどまでアルシェが着ていたものだと理解できた。そしてアルシェの身を心配するに至ったのだ。
そこまではアルシェにも理解できていたが、考えてみれば、そもそも襲撃現場を訪れていたこと自体が不自然だ。だが度々事件に巻き込まれるアルシェたちを不審に思い、調査のために赴いたのだと考えれば辻褄が合う。
「ああ、そう言えばウィルが言ってたなぁ。私が治療の真似事をしている時に、あいつらが現場までやって来てたそうだ」
そんなマリノスの補足により、グレイの推理は決定的になった。
相変わらず冴えているグレイは気負ったりする様子もなく、言葉を続ける。
「ああ。だから拠点を移す。面倒ごとは嫌いだからな。それともう一つ、決めたことがある」
「なんだ?」
「ギルドを創設する」
「……は?」
それも先ほどのものと同じで、あっさりと言い放たれた。
だがこれは黙って受け入れられる発言ではない。
アルシェが身を乗り出した。
「本気か?」
「当たり前だ。それに元々そのつもりだっただろ」
「それは確かにそうだけど……。でも、どうしてこのタイミングなんだ? 拠点を移すだけでも大変なのに」
「気に入らねーからだよ」
「気に入らない? 何の話だ?」
「最近のいざこざ全てがだ。だってそうだろ? ロッド・ベルクは俺たちを見て笑ったそうじゃねぇか。子供と女だけの冒険者ごっこだってな。シグルーナの件もそうだ。俺たちの中途半端な関係がシグルーナに単独行動を取らせたと言っても過言じゃないだろう。そして何よりガトーだ。あいつの発言全てが気に入らない。俺たちの関係を軽んじやがって」
グレイはそこまで言うと、眉を顰めたままそっぽを向いた。そんな彼を宥めるかのようにアルシェが口を開いた。
「あのなぁ、気持ちはわかるよ。だけどお前らしくないだろ。気に入らないからって、そんな――」
そこまで言ってからアルシェはハッとする。
確かに、グレイの発言は彼らしくなかった。だがそれは彼が仲間想いの発言――少し聞いていて気恥ずかしくなる発言をしたからであって、本質は決してその限りではない。
ただ気に入らないから歯向かう。――そうだ。これは実にグレイらしい発言ではないか。
アルシェはそんな結論に至り、心底楽しそうに笑った。同時に、細かい理屈はどうでもよくなった。グレイがそう言うならば、と。
「――いや、ははっ、確かにグレイの言う通りだ。僕も気に入らないね」
そんなアルシェへとラナーシャとシグルーナも同調する。
「そういうことなら私も賛成だ。私も気に入らないからな。とことん歯向かってやろう」
「ふふ、もちろん私も賛成よ」
「よし、決まりだな」
そうやって四人の意志が統一されたタイミングで、マリノスから横やりが入った。
「ギルドを創るのは構わんが、ギルド長は誰がするんだ? それにギルドの名前は?」
そんな質問に対し、答えたのはグレイだった。
「ギルド長はアルだ。とりあえず、仮の期間だけだがな」
ギルドは創設するに当たり、半年間の猶予期間を与えられる。
この期間でギルドの試運転を行い、創設の際に必要な諸々――ギルド長の任命、ギルドホームの手配、ギルド名の決定、拠点の設定など――を済ませるのだ。
そういうことなら、とアルシェも頷く。
「次はギルド名か。マリノスはどうやって決めたんだ?」
話を振られたマリノスが、嫌々といった様子で答える。
「決めたのは戦場だ。黒煙が上がっていて、月が黒く光って見えた。それだけだ」
「そうか。案外適当なんだな」
「そんなもんだろ。お前の親父殿もそうだ。殲滅卿のギルドだから殲滅の旅団だろ?」
「……確かにそうだな。じゃあ『あ』とかでいいか」
その言葉と共に、素っ頓狂な声が上がった。声の主はミラだった。
――『あ』? 『あ』ってなんだ?
ミラは思わず考える。
もしかしてギルド名のことだろうか。話の流れではそうとしか思えない。だが果たして、自分たちのギルド名を『あ』で済ませて良いなどと考える冒険者などこの世にいるものだろうか。
そんな疑問を汲み取ってくれたのか、マリノスからグレイへとツッコミが入った。
「おい、ギルド名は三文字以上と決まってる。ギルド間での連携に影響するからな」
思わず、問題はそこじゃないでしょ、と叫びそうになった。
どうやら本当にギルド名のことだったようだ。
ミラはわざとらしく咳払いをする。
恐ろしいのは、アルシェたちから非難の声が上がらないことだ。彼らは本当に自分たちのギルド名がそこまで適当に決められても構わないと思っているのだろうか。
「そんな規則があったのか。知らなかった。じゃあ『あああ』で」
――それじゃ一緒でしょ!
ミラは心の中でツッコミを入れる。
「バカが。連携に響くから発音し易いのにしろっつったろ」
――だから、ツッコミどころはそこじゃない!
「じゃあ『かかか』で」
――本質は何も変わってない!
「いいんじゃね?」
――何で!?
とうとう堪らなくなったミラは、おずおずと右手を挙げた。
「あの……」
「なんだ?」
「はい。皆さんがどのようなギルド名にするのか、私に口出しの権利はないのかもしれません。ですがこれだけは教えてください。それらはあくまでも仮の名前ですよね?」
そんな質問を受け、グレイたちは互いの顔を見合った。
そして何を言っているんだとでも言いたげに口を開く。
「当たり前だろ?」
その一言で、ミラの心は救われた気がした。
いや、よく考えれば当然のことだ。どこの世界にギルド名を『かかか』にする冒険者がいるのか。
だが、続けて紡がれた言葉がミラを再び絶望させる。
「だけどまあ、半年間で定着すれば正式にそうするかもな」
ミラは項垂れる。
やはり、彼らと自分では住む世界が違うようだ。
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