49 追跡者
「もしA級上位が手こずるような敵なら、あんたのことは守ってやれねぇぜ?」
走り続けるジンの隣で、護衛の元冒険者――ジュード・ラゲッジはそうこぼした。
ジンは走る速度を落とすことなく、小さく鼻で笑った。
「何も戦いに行くわけじゃないんだ。どうしても何か収穫が欲しいからこそ走っているんだろ」
「収穫って、具体的には何だ?」
「それはわからん。それを知ることも収穫の一つと言えるのかもな。だからこそだ。戦いに首を突っ込むわけじゃないのだから、多少の危険くらいからなら十分守ってくれるだろう?」
ジュードはジンが今の地位を得ると同時に、旧知のよしみで冒険者を引退し護衛として行動を共にしてくれている三十五歳の元B1級冒険者だ。
かつてはA級に最も近いとまで言わしめた天才であり、その実力は世界各国でも高く評価されている。
そんな彼の強さを知っているからこその発言だったのだが、当のジュードはお返しとばかりにわざとらしく鼻で笑った。
「ふん、あんたは何もわかってない。A級に最も近いと言われておきながら、その後何年もB1級に甘んじ続け、そのまま冒険者を引退する羽目になったのはなぜだと思う?」
「A級になれなかった理由は知らないが、引退は私の護衛を務めるためじゃないのか?」
「バカを言うな。護衛くらい冒険者のままでも出来るだろ。――答えは簡単だ。俺には未来がないとわかったからだ。それほどにA級の壁は厚くて高い。世界に三十三人しか存在しない奴らは、全員が全員B級など足元にも及ばない化け物なんだよ。A級に最も近い? ふんっ、俺とA級との距離よりも、そこら辺の子供から俺までの距離の方が全然短いね。もう一度言うぞ。A級が手こずるような敵が相手じゃ、俺はあんたを守ってやれねぇ」
あまりにもはっきりと断言され、ジンは少したじろんだ。
ジュードほどの戦士がそう言うのだから、確かにその見立ては正しいのかもしれない。
だが、それくらいのことで立ち止まるわけにはいかない。この国の危機を救うためには、支部長である自らが現場を見なければいけないと判断したのだから。
やがて遠くに人垣が見えた。
ジンは目的地が近いことを確信し、走る速度を上げた。
◆◇
それは大通りを進んだ先の広場での出来事だった。
大都市の割に野次馬が思っていたよりも少ないのは、危機察知能力に劣る一般人でさえ逃げるべきだと判断せざるを得ないほど激しい戦闘があったためだろう。過去形なのは、既に戦闘が終わってしまっていたからだ。
そんな人だかりの向こう――民家の壁にもたれるかかるように、三人の若者が倒れていた。グレイ・ナルクラウンとシグルーナ――マリノスの背中に隠れてよく見えないがおそらくは――、そして昨日組合に顔を出していたアマチュア冒険者の少女だ。
「ジンさん。ここより先には誰も入れないよう、マリノスから言われています。一人が大きな怪我を負っていますので」
思わず駆け寄るジンを静止したその男は、よく見知った人物だった。
白銀の髪に灼熱のような深紅の瞳を持つ彼こそが、ギルド『黒三日月』の副ギルド長にしてA7級冒険者、“神兵”ウィル・キュベレイだ。
ウィルの言う大きな怪我を負っている人物というのは、おそらくシグルーナのことだろう。レベル5の回復魔法を持つマリノスが彼女の腹部へと回復魔法を施しているのが見える。それがどれくらいの怪我なのかは、体がマリノスの背中に隠れているため伺うことはできない。
ジンとジュードは互いの顔を見合った後、仕方がないとばかりに頷いた。
「わかった。だったら君で構わない。少しだけ話を聞かせてほしい」
「なんなりと」
ウィルが言うにはこうだそうだ。
黒三日月のギルドホームへと駆け込んだ冒険者により、今回の事件を知った。精鋭四人で慌てて駆け付けたが、その時には既に戦闘は終了していた。
どうやら戦っていたのはラナーシャ・セルシス、グレイ・ナルクラウン、ラズール・ロア、アルシェ・シスロード、そしてシグルーナの五人で、ラナーシャ曰く瀕死の重傷を負った人型の魔物は上空から逃走したらしい。
大きな怪我を負った人物というのはやはりシグルーナのことで、腹部を貫かれたがマリノスの治療のおかげで命に別状はないとのこと。ただ倒れている他の二人もシグルーナほどではないが重傷だそうだ。
そしてアルシェ・シスロードがシグルーナのローブを借り受けた後、この場を離脱。おそらくは単独で敵を追っているとのこと。
ジンは説明してくれたウィルへと感謝を告げるが、最後の言葉に不安を隠しきれなかった。
「それで、単独で後を追撃とは、いったい何故? いや、何よりも危険すぎる!」
思わず声を張り上げるジンだったが、それに対しウィルは淡々と言葉を紡いだ。
「何故かはわかりません。そもそも追っているというのは私の推測です。ただ本当に追撃が目的で離脱したのなら、ジンさんの意見には全面的に賛同します」
「さっき君は、敵は瀕死の重傷だと言ったが……」
「ええ。間違いなく中位以上の魔人でしょう。傷は直に塞がります」
「くっ、だったら早くアルシェさんを追うべきだ! それにそもそも、何故彼を行かせた!?」
「マリノスが止めなかったので」
「何故止めなかったんだ!?」
「さあ? そもそも、我々がここへ着いた時には、既に彼は向こうへと走り去る寸前でしたから。その辺りはマリノス本人に――」
「――違う! 君に聞いているんだ! 何故君は彼を止めなかった!? 君は走り去るアルシェさんの背中を見て、直後にラナーシャさんから敵が逃亡したことを聞いた。ならその時に彼が追撃に出たことを悟ったはずだ。そうだろう? では何故、その時点で彼を追わなかった? 君なら十分に追いつけたはずだ!」
「言ったでしょう。マリノスが止めなかったからです。指示されたなら追いました。ですが指示されなかった」
「治療のことで頭がいっぱいで、そこまで考えが及ばなかっただけかも知れないだろう!」
「ああ、そうかもしれませんね。私もそこまで考えが及びませんでした」
ははは、と笑うウィルを見て、ジンは大きく溜め息を吐いた。
(そうだ。こいつはこういう人間だった。悪気がないのはわかっているが……)
普段は割と気の合う仲だが、彼のこういう性格だけはあまり好きにはなれなかった。
ジンはそんな考えを振り払うと、先ほどウィルが示した方角へと足を踏み出した。
「ジュード、アルシェさんを追うぞ。手遅れになる前に止める」
だが、ジュードはまるでためらうかのように疑問をぶつけて来た。
「止めてどうする? 敵にまた暴れる機会を与えるだけなんじゃないのか? アルシェとかいう冒険者には酷だが、賭けに出る価値はある。傷が治る前にアルシェが魔人を仕留めることを願うのも一つの手だ。俺が聞いた限りでは、魔人の超速再生は短時間で繰り返し過ぎると効力が落ちるそうじゃねえか。まだ治ってない可能性も十分にある。そう考えてあの妖怪女も部下に後を追わせなかったんじゃないのか? 少なくとも、考えが及ばなかったという可能性よりは高いだろ。なんせ“戦神”だぜ?」
「……だが、無駄死にする可能性の方が遥かに高い。まだ十七とか、そこら辺の子供なんだ」
「十七でも一人の冒険者だろ? 未熟とは言え、まだ再生が覚束ない魔人相手なら勝機はある」
「そうじゃない。まだ十七だから死なせたくないと言ってるんだ。それに未熟なんかじゃないぞ。彼はC級の上位冒険者だ」
「は、はぁ? 上位冒険者? 十七でか? へぇー、俺よりも早くランクを貰うとは、まあ才能豊かなこった。それは確かに死なせたくねぇーわな」
「才能があるから死なせたくないとか、そういう訳じゃ……。ああ、くそっ! とにかく私は追うぞ! 付いて来てくれるのかどうか、はっきりしろ!」
痺れを切らしたジンがそう吐き捨てると、ジュードはやれやれといった様子で小さく笑った。
「もちろん付いて行くさ。一つの選択肢を提示したに過ぎないよ、俺は。ただ、わかってんだろうな? 追うのはあくまでもアルシェで、魔人じゃない。あんたを死なせる訳にはいかないからな」
「お前が私の身を案じるとは、気持ち悪いな」
「これでも護衛なもんでね。それにそれだけじゃない。アルシェを止めるということは、つまり魔人が王都に潜伏することを意味するんだ。そんな非常事態にあんたの不在は流石に困る」
「……ふん、わかっている」
付いてくると言ったジュードと共に、ジンは勢いよく走り出す。
先ほどのジュードの指摘は全て的を射ていた。
傷が治る前にアルシェが魔人に追い付ければ、そのまま魔人の討伐に成功する可能性は決してゼロではない。そして王都が危険に晒されている以上、その小さな可能性に冒険者が命を懸けるのは間違っていない。おそらく、戦神がそう判断したというジュードの推測も正しいだろう。
だが、それでもアルシェを止めるべきだと譲らなかったジンには、先ほど言ったものとは別の根拠もあった。
ラナーシャ・セルシスが危機に直面すれば、必ず姿を現す存在。
ジンはどこかで確信している。
今回の戦いで現れなかった理由はわからないが、もしまた魔人がこの王都で暴れようものなら、必ず仮面の剣士――剣の女神が討伐してくれる。そうでなければまたラナーシャが戦わなければならないからだ。それに今日のことを知った剣の女神は、魔人を殺したいほどに憎く思っているのではないか。
もちろん対応を疎かにするつもりなど毛頭ないが、例えこのまま魔人を逃がしてしまっても大丈夫だと考えている。
だからこそ、アルシェが少ない可能性に命を懸ける必要などないと言えるのだ。
◆◇
魔人は上空を逃走したと聞いたが、出血量が余程多かったのか、滴り落ちる血が道しるべとなりジンたちを導いてくれる。これを辿ればアルシェを見つけることができるだろう。
だが、それは何も良いことばかりではない。
(我々がそうであるように、アルシェ君も簡単に魔人を追跡できることを意味する。さすがに迷うことなく魔人を追われでもすれば、彼が標的を見つける前に止めることなど不可能だ)
尤も、アルシェが魔人の姿を常に視界に収めたまま後を追ったのだとすれば話は別だが。
ジンと同じことを考えたのであろうジュードが、神妙に呟いた。
「これはまずいな。魔人の超速再生に期待するべきか否か……」
「期待するべきだ。今はな」
そんなジンの思いが通じたのか、次第に血痕の間隔が広がり始めたかと思えば、とある地点を以て完全に消失してしまった。
二人は同時に足を止めた。
ジュードがコキコキと首を鳴らす。
「さて、ここからは俺の出番だな」
「任せた。お前の追跡技術は期待できる」
「つっても、魔人が逃げた方角は見当が付いてるが」
「本当か!?」
「ああ。こっちだよ。おそらくはな」
ジュードが指差したのは、進行方向に向かって右前方だった。
首を傾げるジンに対し、ジュードは淡々と説明する。
「魔人が追跡を嫌ったことが大前提だが、逃げる側の心理上、ずっと真っ直ぐに逃げ続けるってのは難しいだろう。少しでも追跡者を迷わせようと思うはずだ。さっきまでは血痕が道しるべになっていたから現場から遠ざかるのを最優先にしてたみたいだが、ここからはそうじゃない」
「確かにそうかもしれない。だが何故向こうなんだ?」
「一つ目の理由は、道なりに進む必要など皆無なこと。だって敵は空を飛んで逃げたんだろ? それに対し追跡は地上からだ。地上では進みにくい方角――つまり、道が延びていない方角へと飛んで行ったはずだ」
「なるほどな。確かにこの先はかなり狭い路地を除き、なかなか右折する道がない」
「ああ。そして二つ目の理由は簡単だ。文字通り羽を休めたいであろう魔人は、どこかへ降り立ちたいはずだ。そんな時にうってつけの場所があっちにはある」
ジュードがそう言うと同時に、ジンは彼の言わんとしていることが理解できた。
「そうか! スラムだ!」
魔人はスラム街へと飛び去った。間違いない。上空を飛んでいたのだから、きっとスラムの鬱屈とした雰囲気を感じ取り、身を隠そうと思ったはずだ。
そう確信したジンは、直ぐに移動を再開した。
慌てて付いて来たジュードが訝しげに口を開く。
「おい、魔人が向こうに行ったと思うだけで、アルシェがそっちへ行ったかどうかは別だぞ?」
だが、ジンは速度を落とすことなく答えた。
「何を言ってる。アルシェさんは上位冒険者だぞ?」
「あー、そうだったな。だが戦闘力と追跡能力は別だ」
「だからこそだ。彼は殲滅卿の弟子だからな」
「はあ? 殲滅卿って……おいおい、マジかよ。ああ、じゃあ確かにこっちだな。アルシェの能力を疑うのは殲滅卿に失礼だ」
「そういうことだ。速度を上げるぞ」
やがて、彼らのそんな予想は的中することとなる。
だがその先で広がっていた光景は、想像を絶するものだった。
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