48 疑心暗鬼

 とある小さな路地の、更に奥まった裏路地。

 王都アレスという巨大で華やかな都市の負の一面は、その大部分がこのような狭く暗い世界に凝縮されている。

 綺麗な衣服に身を包む人たちが行き交ういわゆる“普通の世界”はすぐ隣に広がっているが、両者はまるで見えない壁のようなもので隔たれているかのように交じり合うことがない。

 だが、その境界をあっさりと越えてしまう男がいた。

 その身なりはお世辞にも綺麗とは言い難いが、どこかこのような鬱屈とした世界には似合わないだけのオーラを纏っているようにも感じられた。だがその反面、男の表情はこちら側へと足を踏み入れた途端、まるで故郷にでも帰って来たかのように安堵の色を見せた。


 男の名はゾイル・ドレッファン。

 かつてはB3級の上位冒険者としてその名を祖国に轟かせ、そして彗星の如く行方を眩ました一流の武人である。冒険者組合では既に死亡したものとして扱われているだろう。それくらい表の世界には姿を現していない。


 そんなゾイルは勝手知ったるように暗い路地を進む。

 薬に溺れて正気を失っている男なのか女なのかもわからない人間の体を跨ぎ、ぼさぼさの髪を無造作に伸ばした娼婦の誘いを無視し、やがて何の変哲もない木扉の前で歩みを止めた。


 そして扉を開けたゾイルの視界に広がるのは、扉の古臭さからは想像も付かない小綺麗な空間だった。

 とは言え、二階建ての普通の民家と変わらない程度のものだ。特別なのは、それがこのような裏路地の奥にあるということ。そして奥の空間から男たちの楽し気な笑い声が聞こえて来ることだ。


「おう、お疲れさん」


 躊躇なく足を踏み入れたゾイルへと、唯一目の届く場所で剣の手入れをしていた男がそう声をかけた。


「久し振りの殺しはどうだった?」

「別に何も」


 男へと素っ気なく応答しつつ、ゾイルは上着を適当な椅子の背もたれへと放り投げた。


 ここはゾイルが副ギルド長を務める、冒険士ギルドのアジトだ。尤も、ギルド長だとか冒険士ギルドだとかは名ばかりであり、ただの裏社会の何でも屋に過ぎないのだが。

 そして今日、ゾイルは久し振りの殺しに手を染めた。相手は名も知らぬ一般人。殺しの依頼があったわけではなく、ただの成り行きからの凶行だった。


「それにしても、情報が早いな」


 ゾイルがそう呟くと、男はどこか勝ち誇ったかのような表情を浮かべた。


「にしし、カマをかけただけだぜ。だけど本当に殺しがあったとはな」

「……成り行きで無関係の奴を殺しただけで、元々の仕事はただの道案内だ。そこから先は知らん。かしらの仕事だからな」

「へへ、あの人は何かと自分で手を下したがるからなぁ」

「そうだな」


 そんな会話を最後にゾイルは椅子へと腰をかけると、机へと身を投げ出した。

 最近は不規則な生活が続いているため、眠くて仕方がなかった。だからこそ仮眠を取るのだが、ベッドを使わないのはついつい寝過ごしてしまわないためだ。冒険者を辞めても武人を辞めたつもりはないため、この後の稽古をサボるつもりはない。

 やがてゾイルの意識は夢の世界へと溶け込んでいった。




 それからどれくらいの時間が経っただろうか。

 あの後すぐに眠ってしまったゾイルは、アジトの扉が開かれる音で目を覚ました。

 音の方へと反射的に視線を向けると、仮面を着けた人物が視界に収まった。仮面が邪魔で顔は見えず、黒いローブをフードごと目深に被っているため、髪や体形も不確かだ。性別すらもわからない。

 ゾイルは首を回しながら無理矢理に眠気を追い払うと、椅子から立ち上がり口を開く。


「何だ? お前は誰だ」


 だが、仮面の人物はゾイルの質問には答えず、周囲をきょろきょろと見渡すばかりである。


「はぁ、まあいい。どうやってここを知った?」


 確かに怪しい人物ではあるが、ここは冒険士ギルドという名の犯罪組織のアジトである。

 利用者には訳アリの者や身分を明かせない者も多い。こうやって仮面などで顔を隠して訪れる者も決して少なくないのだ。

 尤も、ここまで厳重に正体を悟らせまいとする人物はゾイルの知る限り初めてだが。

 そんなことを考えていると、ようやく仮面の人物が口を開いた。


「ここが冒険士ギルドだな?」


 驚いたことに、女の声だった。特に根拠もなく漠然と男だと思っていたため、ゾイルは一瞬返答に詰まった。

 その一瞬を沈黙と受け取ったのか、仮面の人物――女は続けて言葉を紡ぐ。


「どうやって知ったか、だったか。簡単だ。お前たちの頭から聞いた」

「頭から直接か。なるほど。残念ながら、当の本人は留守だがな」

「知っている。もう二度と帰って来ないことも、よく理解している」

「……はぁ?」


 裏社会での出来事と言えど、流石に違和感を覚えた。言動がおかしい。会話が噛み合っているようで噛み合わない。

 ゾイルの武人としての勘が告げる。――こいつはただの客ではない、と。

 そんな疑惑の目を向けられていることに気付いていないのか、女は自らの喉に手を当てて「あー、あー」と何かを確認するように声を出すと、視線――正確には顔全体――を奥の部屋へと続く扉の方へと向けた。

 そして小さな咳払いを挟み、声を張り上げた。


「お前らぁ! 全員出て来やがれッ!」


 ざわざわ、と鳥肌が立つ。

 今の声は先ほどまでの凛々しい女のものではなく、完全に男のものだった。声真似なのだろう。技術の高さにも驚いたが、何よりもその声の正体に心当たりがあった。

 今の声は頭――ガトーのものだ。

 女は声真似を止め、続ける。


「出入口はここの他に、裏口が一つ。間違いないな?」

「……だったら何だ」

「先ほど、外から簡単な細工を施しておいた。逃げることなど不可能と知れ」

「だから何の話だ!」


 声を荒げつつも、ゾイルは冷静に状況を受け入れていた。

 ――こいつは敵だ。

 目的は不明だが、その事実に疑いはない。

 最近でこそ皆無だったが、この組織を設立した当初はどこから嗅ぎ付けたのか、このような輩が後を絶たなかった。同じ犯罪組織として力関係を理解させてやろうという魂胆だ。

 ここまで成長したこのギルドに対しそのような愚行に出る者がいるとは思えないが、この女も彼らと同じ敵であることには違いない。黙って排除して、拷問なり何なりで情報を吐かせればそれでいい。


 ゾイルがそう結論付けると、先ほどの声をガトーのものだと勘違いした仲間がぞろぞろと奥の部屋から出て来た。

 その数はちょうど十人。そこにゾイルを加えた十一人が、百を超える構成員の中でガトーの正体についてを知る最古参のメンバーだ。当然ながら武力も相当なもの。


「あれ、頭はどこだ?」


 代表してそんなことを聞いて来た男へ、ゾイルは冷ややかな目を向けた。


「ここにはいない。こいつの声真似だ」

「声真似? ってことは頭はいないのか?」

「だからそう言ってるだろう」

「なんだってそんな……。ってか上手すぎだろ。何者だ? こいつは」

「――敵だ」


 そうやって断言してみせると、仲間たちの女に対する視線が疑惑へと変わった。

 その視線に対し女が剣を抜いたことで、疑惑は完全な敵意へと変わる。


「趣味の悪い仮面を剥ぎ取ってやれ!」


 そんなゾイルの指示と同時に、十人の仲間が女へとにじり寄った。

 剣や槍、メイスなど、それぞれが得意とする武器を手にすると、次々と飛びかかる。


(終わった。気の毒だが、こいつらはただの力自慢じゃない。戦闘のプロだからな)


 そう確信し、ゾイルは興味をなくしたように女へと背中を向けた。

 ――次の瞬間。

 聞こえて来たのは、仲間の男たちの苦痛に歪んだ声だった。

 慌てて振り返ったゾイルの目に映ったのは、その場へと倒れ込む十人の男たちだった。

 よく見ると、全員がアキレス腱の辺りから出血している。


「何だ! 何があった! 何だこれは……!?」


 理解不可能な状況に、普段は冷静なゾイルも思わず声が裏返ってしまう。

 ――やられた?

 ――全員が同時に?

 ――今の一瞬で何が起きたんだ?

 だが、それらの疑問に答えが返ってくることはなかった。唯一はっきりとしているのは、この女は舐めてかかってはいけない敵だということだけ。


「く、喰らえッ!」


 ゾイルは半ば投げやりになりつつ魔法を放った。

 火魔法と風魔法の弾丸がそれぞれ一発ずつ。合計二発だ。

 アジト内での魔法使用は禁止されているが、この際仕方ないだろう。と言うよりも、そんなことを気にしているだけの余裕がゾイルにはなかった。

 そして魔法が命中――する直前、なぜか独りでに消え去った。


「な、何が起きた? 俺の魔法はどこに行った!」


 だが、その疑問にも答えは返って来ない。

 そんな中で唯一返って来たのは、女の冷ややかな呟きだけだった。


「隠れてる奴がいると面倒だな。手早く済ませよう」


 そして女は奥の部屋に向かって歩く。

 何の気負いもなく、まるで自宅の廊下を歩いているかのようにただただ颯爽と。

 一歩、また一歩――。

 ゾイルなど眼中にないと言わんばかりの彼女に対して、思わず安堵の念が込み上げる。同時に、たった一人の女に底知れぬ恐怖を抱いている自分を自覚し、怒りと屈辱で頭が沸騰する。

 ゾイルは震える手に力を込めると、覚悟を決めた。


「うおおおおおおおおッ――!」


 抜いた剣を振り上げ――。




 ◆◇




 王都で正体不明の魔物――それも人型だ――が暴れているという報告を受け、冒険者組合アレス支部長のジン・ロムローはかつて愛用していた一般的なサイズの剣を持ち出すと、勢いよく支部長室を飛び出した。

 部下たちの静止の声が届くが、振り返っている暇はない。何も言わずに付いて来た護衛の元冒険者が神妙に呟く。


「人型ねえ。やっぱり魔人か?」

「おそらく」


 問題はそこにあった。

 デスティネ王国という大国の首都であるここアレスであるが、つい数か月前に魔人による襲撃を受けたばかりだ。敵の目的についてを現在も調査中なのだが、そのような状況でまた新たな襲撃を受けるとは、ただ事ではない。少なくとも偶然として片付けるのはあまりにも愚かだろう。

 状況は極めて深刻である。王都が何度も攻められ、収穫が一切なしとは、控えめに言わずともこの国の危機だ。


 現在、ラナーシャ・セルシスと一人の女性が戦っていると聞いた。もう一人の女性とはおそらくシグルーナだろう。

 正直に言うと、またか、とも思う。

 前回の襲撃の際も、ラナーシャたちが他の冒険者に先立って事の対処に当たっていた。そして魔人の絡む事件に限らず言えば、古代の龍王が王都の近くに居座り“疾風迅雷”デッドリア・ルーズベルトが犠牲になった事件の際も、彼女が対処に当たり討伐――正確には仮面の剣士によるものだが――した。

 これも偶然なのだろうか?


(龍王に仮面の剣士、二度にも及ぶ魔人襲撃。ここ数か月、あまりにも彼女の周りで不可解なことが起こりすぎている。偶然なわけがない!)


 果たして、彼女の存在がそうさせるのか。はたまた彼女に引き寄せられた仮面の剣士の存在がそうさせるのか。

 いや――


(そうだ。シグルーナという女性も不可解だ。突然現れたかと思えば、マキバ殿にA級に匹敵するとまで言わしめた人物……。殲滅卿の口添えがあったからこそアマチュアとして認定したが、結局その身元や経歴については一切わからず仕舞いだ)


 彼女こそが一連の流れの鍵なのかもしれない。

 そうなると、放っておくわけにはいかない。

 マキバからはシグルーナについてを調べたりする必要はないと言われた。だが、この都市の魔物に対する治安維持の責任者として、その選択肢だけはあり得ない。


(すみません、マキバ殿。あなたの言葉に背かせていただきます)


 やがて組合を飛び出し大通りへと出たジンは、事件現場を目指して勢いよく走り出した。





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