47 死闘
グレイがアルシェの矢へと付与した魔法の数は全部で五つ。
つまりガトーは今、五発分もの雷魔法にその身を晒しているというわけだ。
「これだけ離れていても、少しだけ体が痛いな」
圧倒的な光量と熱量に顔が熱せられるのを感じつつ、ラナーシャは念のためもう二メートルだけ後ろへと下がることにした。
グレイが言うには、この魔法は仲間に対しても影響するものだそうだ。
効果遅延と効果付与は苦手なため、更に性質変化を加えて仲間には作用しないように改良するだけの余裕がなかったとのこと。
それは、少しでも矢を放つのが遅れていれば、今頃アルシェがこの雷魔法に晒されていたことを意味する。だからこそこれは、アルシェの正確な体内時計を信頼した危険な技なのだ。
「だが、これで倒せないとなると……」
「ああ、さすがに危険だな」
ラナーシャの呟きに対し、グレイが神妙に頷いた。
ふと視線を移すと、グレイが肩で息をしていることに気付く。
終始こちらが圧倒しているように見えて、内心、なかなか倒しきれないことにかなりの焦りを抱いていた。
レベル5の雷魔法を何度も当てているにもかかわらず、絶命には至らない。
魔法帝から授かった魔法剣を駆使しつつも、その刃が急所に届くことはない。
こちらが連携を駆使して追い詰めているのは事実だが、それでも連携にミスは付き物だ。単純な戦闘力ではガトーに軍配が上がるため、もし隙を見せようものなら大惨事をも招きかねない懸念がある。
それに何より、グレイの魔力は無限ではないのだ。
「そろそろだ」
グレイがそう呟くと、先ほどまでの轟音が嘘だったかのように雷魔法が虚空へと消え去った。
翼の生えた黒い物体が姿を現したかと思うと、それはふらふらと地上へと落下し、石畳へと激突した。
グレイたちの間に緊張が走る。
ラナーシャが剣を構え、グレイが魔力を練る。
そしてその視線の先で――
「貴様、らァ、許さねぇ、ぞ……」
――ガトーが力を振り絞り上体を起こした。
グレイの表情が不快気に歪む。
(くそっ! まだ立つのか!)
どれだけ化け物なんだ、とグレイは独り言ちる。
「グレイ! 今の内に止めを刺した方がいい!」
そう叫び一歩を踏み出そうとするラナーシャをグレイが止めた。
「ダメだ。捨て身になられたら手の施しようがない。たとえ殺せたとしても、今ならほぼ確実に道連れにされるぞ」
「ぐっ、だが!」
「とにかくダメだ。確実な隙を作るまでは動くな」
もしガトーが自らの死を受け入れ、誰かを道連れにすることだけに集中してしまえば、最早グレイの魔法が直撃したとしても十分な隙とは言えない。
不意を突く最も有効な技は全身の不可視化を用いた剣突だ。だがあれは文字通り不意を突くことにのみ特化したものであり、発動中は他のことに気を回せないため、攻撃力が著しく低下する。それでは今のガトーと言えど命を絶つには至らない。
魔力も残り少なくなった今、できることは時間を稼ぎ続けることだけなのだ。
(アル、まだか……)
グレイは心中でアルシェを急かす。
待っているのは、彼からもたらされるとある合図である。
だが、こちらをずっと見据えていたガトーがその場に立ち上がる方が早かった。怒りに染まった眼光がグレイを射抜く。
「ふ、ふふっ、ほぅら、回復してきたぞぉ? 早く逃げなくてもいいのかぁ? くくっ……」
ガトーは戦闘前の飄々としたものとは程遠い、歪な作り笑いを上げる。
やがて笑い声が止まると、今度は憤怒に満ちた叫び声を上げる。
「まあ、逃がしてやらねぇけどなッ! お前ら全員ぶっ殺してやる! 覚悟しやがれ!」
そう言い切ると、ガトーの全身が膨張を始めた。
身体変化を使っていることは間違いないのだろうが、それは今までのものとは規模が違った。
体の一部を変化させるのではなく、全身が外見をそのままに巨大化していくのだ。
やがてそれは、ガトーの身長が四メートルほどに達したところで止まった。
「これが俺様の一番でかい姿だぁ! これで貴様らを蹴散らしてやる!」
空気が震え、唇が渇く。それほどにその叫び声は圧倒的な圧力を孕んでいた。
だがその時、必死で対処法を練っていたグレイの下へと、待ち侘びていたアルシェの声が届いた。
――「ラナーシャさん! 今です!」
それを聞いたグレイも声を張り上げる。
「ラナーシャ! 剣を奴に!」
「ああ、わかった!」
――その直後。
ガトーへと向けられたラナーシャの魔法剣が、途轍もない速さで前方へと飛び出した。
いや、違う。まるでガトーの身体変化が如く、伸びたのだ。
魔法でできた剣先が棒のように細くなり、それにより余った体積の分だけ前方へと伸びる。その速度はグレイが想像していたものよりも遥かに上で、不意を突かれたガトーの胸を容易に貫いた。
――効果遅延により発動を遅らされた形式変化。
魔法の剣は、効果付与により剣へと付与された火魔法を、形式変化により刃状へと押し固めたものだ。
これだけでも凄い技術なのだが、魔法帝と呼ばれるジルロッドの妙技はこれだけに終わらなかった。
晴れて刃と化した火魔法へと、前方へと伸びるよう更に形式変化を施したのだ。そしてその変化を効果遅延により時限式のものへと変えた。
胸を貫かれたガトーは状況を飲み込めぬまま、苦しそうに血を吐いた。
その瞬間、魔法剣に無数の棘が出現した。更に形を変えたのだ。
その棘が体内を抉り、なおかつ“返し”の役目を果たしているため、ガトーは上手く剣を抜けないでいた。
そして――その隙を逃さないのがグレイ・ナルクラウンだった。
突然の出来事に呆気に取られていたガトーの目に映ったのは、雷を纏いこちらへと猛進するグレイの姿だった。手放したのか、その手に剣は握られていない。
だがその直後、グレイはガトーの反応速度を遥かに上回る速度で加速した。それはガトーやシグルーナですら実現できない速度だった。
――
これは“瞬神”マキバ・シルラハルが使用する瞬脚に、雷神化の要素を取り入れて改良したオリジナルの高速移動術だ。
瞬脚を行う瞬間、蹴り足の雷神化の出力のみを大幅に上げることで、通常の雷神化以上の負担を強いられる代わりに、たった一歩に限り雷神化を大きく上回るスピードを実現することができる。雷に成るという名は伊達ではなく、その速度はガトーやシグルーナでさえ凌駕する。
汎用性には著しく欠けているが、使いどころによっては決死の攻撃へと繋げられる技だ。
そしてガトーの眼前へと現れたグレイは、その右腕をガトーの心臓へと突き立てる。その指は立てられており、先端には圧倒的なポテンシャルを誇る雷魔法が蠢いている。
――
レベル5の雷魔法を形式変化により無理矢理に凝縮し、己の指先へと集約する。これはその状態で放たれる貫手のことを指した技だ。
剣先に乗せる訳ではない。効果付与に割かれる集中が無駄だからだ。手から放つこともしない。放出とは拡散を意味するためだ。
これはリーチを捨て、利便性を捨て、そしてリスクを背負い、威力のみを追求した最強の突きだ。
かつて、C1級だったグレイがA10級にまで昇格するきっかけとなった事件。その時にドラゴンの頭蓋を砕き、止めを刺した技こそがこの雷貫だった。
最後の魔力を振り絞り、最速の技と最強の技を組み合わせたグレイの攻撃は、ようやくガトーの急所を貫くに至った。
焦りと痛みから無様に両腕を振り回しつつグレイを追い払ったガトーは、体内が抉られることなど些末事だと言わんばかりに、強引に後方へと飛び退き魔法剣から逃れた。
そして大量の血を吐きながら、身体変化による巨大化を解除する。
「がっ……許さ……ね、ぐぅ……」
やがて言葉にならない言葉を呟きながら、その場へと片膝を突いた。
だが、その体は身体変化により膨張していたため、確実に心臓を貫くには至っていなかった。足りない体積を周囲の魔力で補っていたため、抉った肉の多くがただの魔力だったのだ。
そのことを悟ったラナーシャが今度こそ止めを刺そうと飛び出すが、それよりも早くガトーが翼を生やし上空へと飛び上がった。そしてふらふらとどこかへ飛び去って行ってしまった。
――またしても倒しきれなかった。
そんな事実にラナーシャは絶望するも、グレイの様子がおかしいことに気付き、思考を切り替えた。
ふらふらと上体を力なく揺らすグレイの下へと駆け付けると、やがて彼はラナーシャの方へと倒れ込んできた。
その体を咄嗟に受け止める。
「おい、グレイ! 大丈夫か!?」
そんな呼びかけに対し、グレイは力なく頷いた。
「長く、雷神化を使い過ぎた、だけだ……。あとは、魔力不足だな」
そんな彼の言葉に少しだけ安心するが、ふと右手の指と右足の脛が酷く赤らんでいることに気付いた。
――折れている。
「お前、それ……」
「ああ、平気だ。元々こういう技、だから」
「……少し無理をしすぎだ」
「無理をしなきゃ、人が死ぬ……」
弱々しく紡がれた言葉だったが、その目にはとても強い覚悟の炎が灯っていた。
そんなグレイの様子に気圧されていると、アルシェとラズールがグレイの下へと駆け寄ってきた。
彼らが何かを言うよりも早く、グレイはアルシェへと口を開いた。
「わかってる、だろうな……」
そんな彼に対し、アルシェは力強く頷く。
「もちろん。ここから先は僕の仕事だ」
アルシェはそれだけを言い残すと、後方で重症の振りをしているシグルーナの下へと駆け寄り、膝を突いた。
そして小声で何かを話したかと思うと、やがてシグルーナが羽織っていたローブを預かり、肩へと掛けた。
ラナーシャたちの下へと戻ってくると、彼は改めて一言だけ言い残し、そのままどこかへと行ってしまった。
「――すぐに戻りますので、グレイをよろしくお願いします」
◆◇
アルシェを見送った直後、遠くからこちらを伺う野次馬の群れが大きく割れたことに気付いた。
その原因となった者の姿を視界に入れたグレイは、計算通りと言わんばかりに小さく口を歪めると、大きく息を吸って声を張り上げた。
「マリノス! シグルーナが! シグルーナが虫の息なんだ! 助けてやってくれ!」
それだけを言い切ると、グレイは大きく肩を上下させて呼吸を整える。
そんな叫びが届いたのだろう。目的の人物は慌てた様子でこちらへと駆け寄ってきた。
「おい、何があった!」
三名の部下を引き連れたその人物――“戦神”マリノス・ラロはグレイへとそう問いかけた直後、壁際にもたれて腹部を押さえているシグルーナの存在に気付き、その表情に理解の色を灯した。
後で詳しく説明しろよ、とだけ言い残すと、一人でシグルーナの下へと駆け寄って行く。
(これで、とりあえずシグルーナのことは誤魔化せるだろう……)
シグルーナはガトーとの戦闘で腹部に大けがを負ったが、偶然にも内蔵には当たっておらず、後に駆け付けたマリノスの回復魔法により一命を取り留めた。――という筋書きである。
あれだけ激しい戦闘だったため野次馬は少なく、そして遠くにいた。誤魔化すための条件は十分に揃っている。
グレイはそう考えると、精神を落ち着かせるためにゆっくりと息を吐いた。
そしてその意識を少しずつ手放していく。
◆◇
最後の力を振り絞って逃げて来たガトーは、とある路地裏にて怪我の回復に努めていた。
(くそがぁ……。次に会ったら必ず全員殺してやる。絶対にだ……!)
怒りから唇を強く噛み締め、流れる血を舌でなぞる。
確かに彼らは強かった。だが二度と負けることはないと断言できる。
グレイの魔法は喰らい慣れたし、魔法の剣を持たないラナーシャの攻撃力は著しく低下する。矢へとグレイの魔法を付与するという工夫にも対処法はある。それにそもそも準備をさせなければいいだけだ。
ガトーはそんなことを考えつつ、瞼を閉じた。
やがて五分ほどが経ち、目を開ける。
何かを確かめるように空中で手を握り締めると、その場へと勢いよく立ち上がった。
――完治した。
ガトーの表情が邪悪に歪む。
(なんなら今から殺しに行ってやろうか。もう他の冒険者もとっくに駆け付けてるだろうが、全部まとめて蹴散らしてもいい。なによりあいつらは俺とは違い、今もまだ満身創痍なはずだ)
自らをコケにした冒険者たちの恐怖に歪む表情を想像し、少しばかり留飲も下がった気がする。
そうだ。それがいい。今すぐ全員の息の根を止めて、逆らったシグルーナを絶望させてやろう。
「くくっ、決めたぞぉ……」
だが、そう呟いたガトーへと言葉が返って来た。
「何を決めたの?」
ガトーはハッとして、声の方向へと視線を移した。
「何か考え込んでたせいか、僕の接近にも気付かなかったみたいだけど」
そこにいたのは、白と茶の髪をした青年だった。先ほどまで弓でガトーへと応戦していた彼に他ならない。
だが服装が少し違い、先ほどまでは着ていなかった黒のローブをフードごとしっかりと着用していた。腹部に穴が空いていることから、シグルーナが着ていたものを借り受けたのだろうと予測が立つ。そして右手には抜き身の剣が握られている。
ガトーは首を傾げると、理解不可能な現状に小さく噴き出した。
「ははっ、お前こんなとこで何やってんだ? 確かアルとかなんとか――」
「――アルシェ・シスロード。お前を追って来た」
そうやってわざわざ説明してくれるが、それでもガトーにはその行動の意味が全く理解できない。
「いや、いやいやいや、お前はバカか? もしかして今頃死にかけてるとでも思ってたか?」
「いや、ピンピンしてるだろうなって思ってた」
「はぁ? 尚更意味わかんねぇー。なに、そんなに死にたいの? 剣を抜いてるってことはそういうことだよなぁ?」
「いや――」
やがてガトーの下へと辿り着いたアルシェは、左手に持っていた無表情の仮面を顔へと重ねると、どうでもよさそうに呟いた。
「――死にたくないから剣を抜いてるんだよ」
その声は、なぜか女性のものに聞こえた気がした。
ふと、アルシェの顔に既視感を覚えたが、彼が仮面を着けてしまったためにその感覚に答えを得ることはなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます