46 連携の力

 左足の痛みと現実離れした光景を前にして、頭がぼんやりと熱い。正常に機能を保てていないようだ。

 ミラは体の異常を自覚しつつ、地面を這うようにシグルーナの下へと移動する。

 シグルーナはただのアマチュア冒険者だ。正直、ミラ自身の方が強いとすら思っていた。

 だがそうではなかった。ミラに劣るどころか、身体能力ではラナーシャすらをも上回っていると言える。魔装も纏わずにそれだけの動きを実現していたのだ。

 そして彼女のことを、敵は自分と同じ魔人だと言った。

 その単語に既視感はないが、大体の意味くらいなら推測できる。要は彼女は人間とは少し異なる種族なのだろう。敵と同じ種族なのだとすれば、もしかすると人類と敵対関係にあるものなのかもしれない。いや、『魔物』と同じ字を冠する以上、そういう存在なのだろう。

 やがて彼女の下へと辿り着くと、その体を覗き込んだ。そして息を飲む。

 敵の打撃により受けたと思われる傷は全く見当たらず、腹部に空いた穴はおびただしい血痕を残したまますっかりと塞がってしまっていた。まるで時間が巻き戻ったかのようである。レベル5の回復魔法を以てしてもここまでの治療は不可能だ。

 彼女が無事だという安堵と共に、やはり人間ではないのだなという思いに駆られる。

 あの化け物と同じ存在なのだということが怖い。

 シグルーナも自分の体をぐねぐねと操ることができるのだろうか。

 そんなことが脳裏を過ったその時、シグルーナがミラの頭を優しく抱え込んだ。

 不意に胸元へと抱き寄せられたミラだったが、最初に感じたものは恐怖や困惑などではなく、安心だった。

 優しく、とても温かみのある彼女の腕が、ミラの熱っぽい頭を少しずつ解していくかのようだ。

 その瞬間、全てがどうでもよくなった。

 シグルーナはシグルーナだ。いつもの優しい彼女こそが、そして命懸けで自分を守ってくれた彼女こそが本当の姿なのだ。

 グレイ、アルシェ、ラナーシャに守られ、シグルーナに抱きしめられていると、限界までこわばっていた全身の筋肉の緊張が嘘のように消え失せていく。

 ミラはそれに身を委ねると、ゆっくりと瞼を下ろした。




 ◆◇




 ――お前を誇りに思う。

 仲間を守るために奔走したシグルーナへと正直な思いを伝えると、グレイは腰に差していた剣を鞘ごと取り外した。グレイがいつも使っている剣とはまた別のものである。

 そしてガトーへと視線を向けたまま、それを真横へと掲げた。


「ラナーシャ。これを使え。魔法の剣だ」


 後ろに立っていたラナーシャをそれを受け取ると、グレイの横へと並ぶ。


「魔法?」

「ああ。さっき魔法帝が即席で創ってくれた。奴のレベル5の火魔法が込められた剣だそうだ。抜いてみろ」

「わかった」


 そして促されるがままに抜いてみると、一メートルにも満たない長さの鞘から出てきたのは、全長で二メートルはあろうかという灼熱色の剣だった。

 固まった蝋のようなものではない。炎が定められた範囲内で凶悪そうに蠢いている。

 そんな奇妙な光景にもラナーシャはすぐさま得心する。

 これは鞘に見合った長さの普通の剣へと、形式変化を施した魔法を付与してあるのだ。言葉で言うと簡単だが、これはそう単純な技術ではない。

 まず、形式変化と魔法付与、そして鞘へと干渉しないための性質変化という三つの奥義を同時に使用している時点で、並みの魔法使いには不可能なものだ。そして何より、形式変化により刃状となった火の形を完璧に維持していることが異常だ。剣なのだから、おそらくは高速で振るってもその形を変えることはないのだろう。強大な魔法ほど制御の難易度が上がるという問題もある。

 魔法帝はそれらを容易くこなしてみせたのだ。流石は形式変化の神と呼ばれるだけのことはある。

 ラナーシャは思わず感嘆の息を漏らした。


「凄いな……」

「ああ。あと二十分ほどで消えるらしいが、それだけあれば十分だろ?」

「もちろんだ。この剣があれば何だって斬れる」


 ラナーシャの振るう剣は、レベル5の剣術と魔装が合わさった究極形だ。そこにレベル5の火魔法が合わさるのだから、その一刀に秘められた攻撃力は中位魔人の体と言えど容易に両断できるだろう。それに、質量をほぼ変えることなく倍以上ものリーチを得ることとなるのだ。この一本の剣がもたらす恩恵はかなりのものだと言える。


「それだけじゃない。その剣には仕掛けがあってな。ほら、耳を貸せ」


 グレイはそう言うと、視線を魔人から外すことなくラナーシャへと小声で内容を伝えた。

 やがてラナーシャの表情が一瞬だけ驚愕に満ちたかと思うと、すっと真顔に戻った。

 グレイが言う。


「――アルから合図が出たら、剣先を敵に向けろ」




 ◆◇




 ガトーの魔法耐性は特殊能力によるものではなく、中位魔人としての肉体の強さでしかない。

 そのためグレイの魔法を無効になどできるはずもなく、三回もの直撃を受けた体は見た目に反し決して小さくないダメージを負っていた。

 作戦でも練っているのだろうか。グレイたちが何かを話している時間を使い、自らもダメージの回復に努める。

 やがて話を終え、グレイが改めて口を開いた。


「ラズール、なぜお前がいるのかは後だ。……戦えるか?」


 そんな確認に、ラズールは力強く頷いた。


「舐めるな。金が貯まるまでは俺も一冒険者だ」

「よし。だったらお前にはアルの身を守ってもらいたい」

「おう、任せろ」


 ――それが戦いの合図となった。

 ラズールがアルと呼ばれた青年の下へと走り出すと同時に、ラナーシャが魔法を纏った剣でガトーへと斬りかかる。

 その身体能力は中位魔人であるシグルーナには劣るが、“剣の女神に愛されし者”という二つ名は伊達ではなく、振るわれる剣の速度はシグルーナのそれを遥かに凌駕する。

 だがそれだけでは脅威とはなり得ない――というのは、先ほどまでに限った話だ。

 彼女が受け取った魔法剣に付与されている魔法のポテンシャルは計り知れない。なおかつリーチの長さが厄介だ。


(この四人の中で唯一、俺を殺し得る存在になった。まずはこいつを無力化せねばな)


 ガトーは初撃を見切ると、体を低く沈め、ラナーシャの懐へと入り込もうとする。

 だが突如、ガトーの体は激痛を伴い動きを止めた。


「ぐぅぅッ!」


 本日で四回目となる雷魔法の直撃である。


(くそっ、俺はバカか! こいつらにはこれがある!)


 魔人としての身体能力の高さで無理矢理に硬直から逃れると、全力で体を逸らし、剣の直撃を避けた。

 だが完全には避け切れず、切断された左手首が宙を舞う。

 痛みに顔を顰めながら、慌ててその場を離脱する。


(ちっ、油断した。だが……)


 今の攻防でわかったことがある。それは、不可視魔法は普通の魔法に比べて威力が大幅に落ちるということ。

 そうでなければ硬直はもう少し続き、ラナーシャの剣を避けることなど叶わなかっただろう。今の一瞬であっさりと死んでしまっていたと思われる。

 ――こいつらの連携は厄介だ。

 何より、あのグレイという青年が巧い。雷魔法の硬直を理想の形でラナーシャの攻撃へと繋げてくるのだ。

 この際、背後で弓を構える青年は無視しても良い。彼には先ほどの目隠しのようなサポートが限界だと思われるからだ。初めから来るとわかっていればどうということはない。所詮は小手先の技術だ。

 それよりも、あの雷魔法をまともに喰らわないようにすることが最優先だ。


(そのためにはこちらから仕掛ける!)


 不可視魔法の威力程度ならば、たとえ命中したとしても無理矢理振り切ることができる。二度も経験したのだからイメージも十分だ。

 そう考えたガトーは、左手の再生を待たず勢いよく飛び出した。

 標的はラナーシャだ。彼女ならガトーの得意な近接戦闘へと持ち込むことができる。

 特殊能力『身体変化』により槍状に伸びた左腕がラナーシャへと襲い掛かる。

 だが、腕を向けた時点でガトーの狙いに気付いたのか、ラナーシャはそれを躱すと、そのまま一歩を踏み込んできた。

 付与された魔法によりリーチが大幅に伸びているため、彼女の攻撃は十分にガトーへと届くものだ。


「当たらねぇよ!」


 ガトーは悠々とそれを躱すと、更に加速してラナーシャの懐へと入り込む。そして身体変化により右腕を二本に増やし、ラナーシャへと殴り掛かった。

 一本は右ストレート。そして新たな腕で繰り出すのは右フックだ。それぞれ独立した別の動きで同時に襲い掛かる。戦闘の天才であるガトーだからこそ可能なトリッキーな攻撃である。

 だが、それらの攻撃は予期せぬ方法により防がれた。

 右ストレートは、腰に差してあった彼女自身の剣が左手で逆手に抜かれることにより防がれた。そしてそのまま剣を走らせると、再生途中のガトーの左手を更に深く斬り飛ばす。

 これも確かに予期せぬ行動だったが、よく考えてみれば、彼女は女神を魅了するほどの剣術の才能を持っているのである。即興で二刀流にシフトすることくらいはできても不思議ではない。

 だが、もう一本の右フックは違った。

 それを防いで見せた存在を見据え、ガトーは吼える。


「貴様ッ! これほどまでに!」


 その目に映るのは、雷を全身に纏ったグレイの姿だった。

 先ほどの右フックは、シグルーナほどに戦闘勘が良くなければ反応することなど不可能なはずの攻撃だった。それもグレイに放ったのではなく、ラナーシャへと放ったのだ。

 それをなぜ防げるのか。


(天才なんてもんじゃねぇ! こいつのそれはもう人の域では――)


 そしてその一瞬の動揺は、二撃目の判断を少しだけ鈍らせた。

 その隙を突き、レベル5の魔装を纏ったラナーシャの前蹴りが鳩尾を抉る。


「ぐっ……」


 その衝撃に一歩だけ後退すると、今度はラナーシャが向かって左側から、グレイが右側からそれぞれ剣を振るう。

 完璧なタイミングで首と胴を同時に狙った二本の剣に対し、ガトーにできたのは両腕を犠牲にして命を守ることだけだった。

 ラナーシャの剣を受けた再生途中の左腕は更に短くなり、右腕は切断にこそ至らなかったものの深く斬り込まれてしまった。

 たまらなくなったガトーは、身体変化により両肩を槍へと変えると、それを更に膨張させて両者から距離を取る。

 だがそんな苦し紛れな防御反応が彼らに通用するはずもなく、あっさりと避けられたかと思うと、巨大な雷魔法に飲み込まれた。


「ぐぅぅぅぁぁぁぁぁッ――!」


 これは向かいに立つラナーシャにもダメージを与えないよう、性質変化により改良された魔法なのだろう。雷神化との併用も相まって、不可視魔法ほどに威力の落ちたものだった。

 ガトーは強引に硬直から逃れると、翼を生やして上空へと離脱する。


(ぐっ、まただ! 今のが高威力の魔法だったらそのままラナーシャの剣にやられてた!)


 同じ失態を繰り返した自らへの怒りと同時に、二度も命を危険に晒したという事実に対して恐怖を抱く。

 この二人はガトーを以てしても脅威だ。


 まず一つは、グレイの異常なまでの戦闘センスの高さが挙げられる。

 身体変化を駆使した攻撃への冷静な対処。不可視魔法による牽制と雷神化による直接攻撃。そして僅かな隙をも見逃さずに放たれる強力な雷魔法。当たれば一撃でガトーをも殺し得る攻撃力を誇るラナーシャを、理想な形でサポートしているのだ。

 たとえグレイ以外の人間が彼と同じ力を持っていたとしても、彼ほど効率的かつ有効になど扱えはしないだろう。


 そしてもう一つの脅威。それは彼らの連携だ。

 もし連携が未熟だったなら、今頃とっくに勝負は付いていただろう。

 確かに二人とも人間としてはかなりの強さを誇るのだろうが、それでもガトーには遠く及ばない。二人の力を――いや、シグルーナを含めた三人の力だったとしても、足し算ではガトーをここまで追い詰めることはできない。

 だが、彼らのそれは足し算などではなく、掛け算なのだ。彼ら――おそらくグレイがだろう――が普段は連携訓練に重きを置いていることは間違いない。


 ガトーはそんなことを考えながら、更に空高くその身を持ち上げた。

 グレイたちとの距離は大体二十メートル強くらい。これだけ離れていれば、たとえ不可視の魔法でもギリギリ避けることができる。不可視とは言うが完全に見えなくなるわけではないのだから、わかっていれば反応できるのだ。今は両腕の再生に努めよう。

 だが、そんなガトーに対し、グレイが皮肉気に笑った。


「アルに対する警戒がゼロだな」


 彼のそんな余裕が癪に感じられ、ガトーは不快気に声を張り上げた。


「はっ! A級レベルの力を持つならまだしも、ただのガキに警戒なんか必要ねえ

 だろ!」


 グレイの魔法をこれだけ受けても絶命には及ばないのだ。これだけの耐久力を誇る自分が、今更弓が少し巧い程度の子供をどう警戒しろと言うのだ。とにかく彼の火力は微塵も怖くない。

 そんなガトーの心中を悟ったのであろうグレイが続ける。


「確かに、アル一人の火力は大したものじゃない。だからこそ魔法帝の下で修業しているんだ。だが、仲間がいる今はその限りじゃない。何せ、ここに来るまでにたっぷりと仕込むための時間があったんだからな」


 グレイが続ける。

 ――「即興で火力不足を解消する方法は、大きく分けて二つある」

 ――「一つは、仲間の力を分けてもらうこと」


 そこまで言われてから、ガトーは彼らがしようとしていることに気付いた。

 だがグレイがこうやってネタばらしをしている以上、それは既に回避することができないものだった。

 背中に一本の矢が当たる。

 それはガトーの筋肉を抉るには至らず、一瞬だけ皮膚に引っかかると、そのまま地上を目掛けて落下していく。その瞬間――


「がぁぁぁぁぁッ――!」


 ――その矢は強大な雷魔法を放った。

 激痛に晒されながら、ガトーは自らの考えに確信を持つ。

 そう、これは予めグレイがこの矢へと付与していた雷魔法だ。

 効果遅延により発動を任意の時間だけ遅らせて、それを効果付与により矢へと搭載する。最初にあの青年が使った技と同じことを、グレイが自分自身の魔法で行った。ただそれだけのことなのだ。

 だが今更気付いても遅い。

 そして、そのまま轟音に飲まれるガトーには、グレイのその後の言葉は届かなかった。


 ――「そしてもう一つは、単純に手数を増やすことだ」


 トン、トン、とガトーの背中に次々と新たな矢が命中する。いずれもガトーには刺さらない。だがその全てが、悪意に塗れた雷魔法を吐き出していく。

 やがて雷魔法の奔流に飲み込まれ、ガトーの姿は完全に見えなくなった。






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