45 戦闘センス

 ラナーシャたちのやり取りを黙って見届けていたガトーは、彼らが攻撃態勢に入ったのを確認すると、その場でゆったりと右腕を天へと掲げた。

 武器も何も持っていない手だ。だが、その不思議な行動に対し、シグルーナの特殊能力『六感強化』は強烈に警告を発した。


「――攻撃! 避けてッ!」


 そんな叫びに、ラナーシャとラズールは訳もわからぬまま、彼女に合わせてその場を飛び退いた。

 ――次の瞬間。

 凄まじい風圧と轟音を伴い、先端部分で直径四メートルはあろうかという巨大なメイスのようなものがその場の石畳を粉々に砕いた。

 ぐにゃりと歪むようにして虚空へと消え去ったその塊の正体を悟り、ラナーシャは戦慄する。


(今のは奴の特殊能力か!? あんな使い方までできるのか!)


 シグルーナから聞かされていたガトーの特殊能力『身体変化』は、文字通り姿形を思うがままに変えることができるものだそうだ。

 それを聞いたラナーシャは、外見を変えて他人になりすましたり、体の一部を変形させて自身の攻撃力を増加させたりといった使用方法を思い付いた。実際、ガトーはその特殊能力で外見を変えているし、シグルーナ曰く先日も彼の特徴である額の角が隠されていたらしい。

 だが、たった今ガトーは想像を絶する使用方法を以て、こちらを攻撃して来た。

 彼は掲げた右腕を無造作に振り下ろすと、空中にて特殊能力を発動し、振り下ろされる寸前にその腕をメイス状に膨張させたのだ。

 おそらくは彼にとって必殺の一撃だったのだろう。それを避けられたガトーは、少し嬉しそうに声を弾ませた。


「おぉっ、避けるとはやるねぇー。シグルーナの指示が早かったとは言え、しっかりと訓練されてなきゃ絶対に反応できねーぜ、今の。絶対お前ら上位冒険者だろ? あ、そう言えばさっきラナーシャとか言ってたな! ははっ、とんだ大物じゃねーか!」


 まるで遥か高みから見下しているかのような言葉である。

 ガトーがそうやって戦闘中に無駄話を挟んで来る理由を、シグルーナの六感強化は推理する。

 一つは、彼が意味もなく余裕を見せているというもの。もしこの仮説が正解だとすれば、付け入る隙があると同時に最も厄介だと言える。

 そしてもう一つは、特殊能力の使用により消費した体力を回復しているというもの。シグルーナの六感強化にも言えることだが、魔人が特殊能力を使用する際には決して少なくないだけの体力を消費するのだ。ガトーは現在進行形で外見を変えており、尚且つ先ほどの身体変化はかなり大規模で速いものだったため、この仮説は有力だと言える。

 だが、彼が発する言葉からは疲労の色が伺えない。だからこそ説を一つに絞れないのだが、それは彼が大技を繰り出した直後であろうとも隙を見せることはない、という絶望的な結論へと繋がる。


 それらを一瞬にして悟ったシグルーナは、この時間を利用して、仲間へと更なる警戒を促す。


「二人とも聞いて。はっきり言って、彼の強さは想定以上のものよ。少なくとも私が知ってるガトーは特殊能力をあんなふうに使わなかったし、あれだけ大規模な身体変化も行えなかった。六感強化が正常に反応してくれただけでも奇跡だわ」


 そんな言葉に、二人が息を飲むのがわかる。

 対し、ガトーは相変わらず追い討ちもかけずに口を開いた。


「当たり前だろ? あれから八年以上も経ってんだ。特殊能力だって筋肉みたいに少しずつ鍛えれば、これくらいにはなるさ」


 そんな彼に対し、シグルーナは「なるわけないでしょ」と独り言ちる。

 人間に一人一人個性や才能の差があるように、魔人にも個体によっての差というものが存在する。そしてガトーは間違いなく戦闘の天才だった。少し大げさに言えば、魔人界のグレイのようなものである。

 そして彼の特殊能力は天才との相性があまりにも良過ぎる。

 シグルーナの六感強化は誰が持っていても一定以上の効力を発揮するのに対し、ガトーの身体変化は戦闘センスが高くなければ使いこなすことができない。せいぜい変装したり、そうでなくとも戦闘外での使用が関の山だろう。だが彼ほどの天才が使えば、その力は他の特殊能力を寄せ付けないほどに強力なものへと昇華するのだ。

 肉体のポテンシャルはシグルーナと大差ないが、おそらく諸々を含めた彼の強さは未覚醒の上位魔人に匹敵する。

 未覚醒の上位魔人とは戦闘経験があるが、その時と比べてグレイとマキバ二人分の戦力が丸々不足している現状で、果たして勝機などあるのだろうか。

 そうやって思わず弱気になってしまうシグルーナの脳裏に、ふとジェイドの笑顔が蘇った。

 そして自らの考えを改める。


(そうよ、勝てるかどうかじゃない。――勝つのよ!)


 奴はやってはならないことをした。

 自らの目的のために平然と人を殺してみせた。

 そんな奴に、冒険者が負けるなど許されないのだ。




 ◆◇




 グレイたちが合流しないことには、勝機が訪れることはない。それだけの差がガトーとの間にはあった。

 B8級のラズールは元より、A2級のラナーシャでさえ、ガトーが本気で命を奪いに来れば長くは凌げない。

 彼らを守るためには誰かがガトーを牽制し続けなければならず、その先駆けは主にシグルーナの仕事になるだろう。六感強化を持つ自分でなければ、身体変化を織り交ぜてくるガトーの攻撃には反応できないのだ。


「はっ――」


 シグルーナは剣を構えると、一息でガトーへと迫る。

 剣を振るう速度こそラナーシャには及ばないが、その移動速度は彼女のそれを大きく上回る。

 いくらガトーが戦いの天才と言えど、武器も持たずに同じ中位魔人の剣を完全に見切ることなど不可能だ。体の一部を膨張させてシグルーナの進行を妨害することも考えられたが、その時はラナーシャたちが後に続いてくれる。

 そんな考えから、シグルーナの動きに迷いはなかった。

 初撃は躱されるが、二撃目の切り上げが肩口へと小さい傷を付ける。そして最後の薙ぎ払いがガトーの左腕を捉えた。

 ガトーが苦痛に眉根を寄せ、苦悶の声を漏らした。


「ぐぁッ――!」


 肘から先が飛び、肉塊が宙を舞う。


(よし! いけるッ!)


 やはり、武器を持つのと持たないのとでは雲泥の差だ。それは人間だけではなく、魔人同士でも変わらない。その事実に、ラナーシャたちが背後に控えているという事実が加われば、シグルーナとガトーの間にはほとんど差などない。

 だが、思わずそんなふうに考えるシグルーナの頭へと、ガトーが失ったはずの左腕で正拳突きを放って来た。中位魔人の超速再生でも部位欠損の完治には早くても一分はかかるはずだが、ガトーの左腕には何の異常も見当たらない。


「ぐっ――」


 シグルーナは上体を逸らすことにより間一髪で回避するが、その不思議な現象の解明に一瞬思考回路が乗っ取られ、続けざまの攻撃を見切ることができなかった。

 鋭い踏み込みからの右肘鉄がシグルーナの脇腹を抉り、肋骨を砕く。

 ――左フック、右膝蹴り、左後ろ回し蹴り、そして最後に身体変化により細身の槍と化した右腕が腹部を貫いた。

 その流れるような動きがあまりにも早過ぎて、ラナーシャたちに介入の余地を与えなかった。

 身体変化が解かれることにより腹部を貫いていた槍が消え、そこから大量の血を流出しながら、シグルーナはゆっくりと膝を突いた。

 ガトーは後方へと飛び退く。


「シグルーナ! 大丈夫か!? おい!」


 心配から声を張り上げるラナーシャへと、シグルーナは無言で応える。

 ――大丈夫。中位魔人にとっては死ぬような怪我ではない。

 そんな思いが伝わったのか、ラナーシャの悲痛な表情に少し安堵の色が差した。

 ガトーに追撃の意志がないことを確認すると、シグルーナは口から大量の血を吐きながら、この怪我の代償として手に入れた情報をラナーシャへと話す。


「ラナー、シャ……。私が、切った腕、偽物だった……気を、付けて。想像以上、よ」


 簡単なトリックだった。

 ガトーはあらかじめ偽物の左腕を生み出しておき、本物の左腕は隠すように背中へと回していただけだった。

 それだけでも十分に騙し得る。当然だ。本物は見えず、偽物だけが見えていたのだから。

 そして判明した、恐ろしい事実。

 それは、彼が身体変化により創り出した腕を、本物さながらに操ることができるということ。それはシグルーナの六感強化にすら違和感を覚えさせないほどだ。

 そしてもう一つは、あれだけのスピードの中でそのようなトリックを行えるだけの余裕が彼にはあったということ。

 はっきり言って、一連の行動は無駄ばかりだった。それだけ高度に能力を操れるのなら、もっと効率よくシグルーナを無力化することができたはずだから。

 それが意味することは一つ。

 ――彼はまだ遊んでいる、ということ。そしてそれでも尚、歯が立たない。


「おいおい、まだ認識が甘いんじゃないか? シグルーナよぉ、俺はこう見えても、この八年間で必死に強くなろうと努力してきたんだぜ? この俺様が! 八年も! 努力したんだ! ……強くない方がおかしくね? ひゃはははッ――!」


 またしても傍観を決め込んでいたガトーは、今日一番の大声で狂ったように笑った。

 やがてひとしきり笑ったかと思うと、爬虫類のようなぎらついた目でこちらを見下ろしてきた。その両目は真っ赤な眼光を放っている。

 ――雰囲気が変わった。


「シグルーナ。今、気付いた。俺は少し強くなり過ぎたようだ。昔は多少脅威に思えたお前も今では全く怖くない。つまり、もう無理して仲間にする必要なんてないんだわ。だからこれが最後のチャンスだ」


 やがてガトーの口から飛び出た言葉は、凍り付くような冷たさを纏っていた。


「――俺と来い。さもなくばお前含め全員殺す」




 ◆◇




 全員殺す。そう言い放った時、辺りに靄のようなものが漂っていることに気付いた。

 ――霧か?


(いや違う。これは――)


 だが、それが霧ではなく魔力なのだと気付いた瞬間、ガトーの全身を青白い閃光が飲み込んだ。


「ぐぅがぁぁぁ――!」


 全身にもたらされる激痛と、視界を奪う閃光。

 ――雷魔法。

 ガトーを以てしても脅威と言えるだけの魔法がそこにはあった。

 咄嗟に目だけは守り、その雷撃に耐え続けること数秒――ガトーはようやく途切れた硬直から逃れるように離脱すると、反射的に魔法の発生源へと目を向けた。

 そして視界に入って来たのは、両脇へと割れた野次馬の中央でこちらを見据える二人の青年だった。

 金髪の青年と、白と茶の二色が入り交じった髪の青年。

 その内の一人が弓へと二本の矢を番え、弦を引き絞っていた。

 ――矢など放ってどうするのか。

 そんな疑問に答えを得るよりも早く、それはガトーを目がけ放たれる。だがガトーにはその矢を避ける気などなかった。

 確かに筋は良いのだろうが、ただの矢など何の脅威でもない。人間からすれば楊枝を投げられるようなものだろう。

 そうやって油断していたガトーは、その矢に魔力が乗っていることを完全に見落としていた。

 命中するよりも早く、眼前で二つの矢が同時に爆ぜると、視界を大量の煙が覆った。


(煙……いや、これは――水蒸気!?)


 おそらく片方の矢には火の炸裂魔法が、そしてもう片方の矢には水の炸裂魔法がそれぞれ付与されていたのだろう。

 ではその目的は何か。――決まっている。目くらましだ。

 ガトーがようやく青年――アルシェの意図に気付いた時には少し手遅れだった。

 水蒸気の直ぐ奥から雷魔法の弾けるような音が聞こえて来たかと思うと、それは一瞬にしてガトーの眼前へと現れた。

 ――“雷迅卿”グレイ・ナルクラウン。

 その正体を知ると同時に、そいつは首筋へと容赦なく剣を振るった。

 ガトーを以てしてもギリギリ回避するのが精一杯の完璧なタイミングだった。いったいどれだけの時間を連携訓練に費やしてきたのか、と考えさせられるほどだ。

 ガトーは半ば感心しつつ、首を大きく逸らすことにより事なきを得た。

 だがグレイの目的はガトーを斬り伏せることではなかった。

 グレイは空振ったことに一切の動揺を見せず、後ろに隠していた左手をガトーの眼前へと翳した。その手には未だかつて見たことがないほど大きな魔力が込められている。


(しまっ――)


 次の瞬間――音が消えた。

 至近距離で放たれたからなのか、先ほど不意打ちで受けたものよりも痛みが強い。

 意識がぐるぐるとかき混ぜられ、自分が今何をしているのかがわからなくなる。なぜ今自分は激痛に晒されているのか。それ以前に、自分は今立っているのか、座っているのか、はたまた倒れているのか――。

 やがて雷の奔流が姿を消すと同時に、ガトーの思考が正常なものへと回復した。

 この日初めて見せることとなる全速力での身体変化により、翼を得たガトーは上空へと体を持ち上げる。

 そしてようやく余裕を持ってその存在を視界に収めた。


(グレイ・ナルクラウン。雷神化ってのはさっきの姿を言うのか。それにしてもなんて魔法を放ちやがる……。いや、それよりもこいつの戦闘センスは――)


 ――俺以上だ。

 ガトーはそう確信する。

 先ほどはガトーの首を切りつける好機だったにもかかわらず、グレイは剣を囮にし、雷魔法を当てて来た。その辺りの判断と切り替え速度があまりにも神懸っていると言える。ガトーですら決して真似できないだろう。


(負ける気は微塵もしない……が、さっきみたいに遊んでかかったら足元を掬われかねないな……)


 なにしろ、相性が悪い。

 魔法耐性の特殊能力を持つベリアルやギャドラならば、魔法使い相手は相性が良いと言えるだろう。だがガトーが得意としているのは近接戦闘である。そのためこれだけの雷魔法を自在に操るグレイとは相性が悪いと言えるのだ。

 そんなことを考えていた時、グレイがこちらを指差しながら言った。


「いつまでそんなところにいるんだ? 降りて来いよ」

「ちっ、貴様ぁ、調子に乗ってんじゃねぇよ。なに俺様に命令してくれてんだぁ?」

「そうか。だったら引きずり降ろしてやる」

「あぁ? いったい何を――」


 ――言ってるんだ?

 そう言おうとするが、それよりも早くガトーの体を今日で三度目となる雷魔法の硬直が襲った。


「ぐぅぅぅぅッ――」


 苦痛に眉を寄せながら、ふらふらと地上へと落下する。辛うじて両足で着地するが、その自尊心はズタズタに傷付けられていた。


「ぐっ、くそ! 不可視魔法か!」

「なんだ、少しは考えられる頭が付いてるんだな」


 ――弱いくせに調子に乗りやがって。

 自分よりも遥かに弱い存在に手玉に取られているという現状。それがガトーには我慢ならなかった。

 その身を憤怒の炎に染め上げ、正体を隠すために行っていた身体変化による変装を解く。


(いいだろう。圧倒的な力の差って奴を思い知らせてやる!)


 そう憤るガトーを正面に見据え、グレイは背後の仲間へと口を開いた。


「シグルーナ、怪我が治っても死にかけの振りをしておけ。野次馬が厄介だ」


 そんな言葉に、ほとんど怪我が治ってきていたシグルーナは不満気な声を上げる。だがグレイはそれを遮った。


「冒険者に一番必要なのは個々の力じゃない。仲間との連携だ。まだまだぺーぺーのお前にそのことを証明してやるよ。…………ああ、それと――」


 グレイはそう言うと、突然何かを思い出したかのように背後のシグルーナを首だけで振り返った。

 シグルーナはそんな危険な行動を咎めようとするが、彼はそれよりも早く、彼らしくない爽やかな笑顔でこう言った。


「――よくやったな、シグルーナ。お前を誇りに思う」


 その瞬間、シグルーナの心臓がドキリと跳ねた。それは先ほど学院でも経験した不思議な現象だった。

 その鼓動の正体が何なのかわからずに首を傾げるが、一つだけ、シグルーナにも理解できたことがあった。


 ――それは、自分が彼と同じ道を歩めることに感謝しているということ。


 握りしめた両手を胸元に掲げながら、静かに祈る。


 ――どうか、この世界の片隅にもう少しだけ住まわせてください、と。


 可能ならば、彼らと共に。


 グレイと共に。

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