44 不意の合流

(ロアと言やぁ、冒険者界のドンじゃねーか。だが……)


 ――この男の強気な態度は虚勢だろう。

 大方、少女の悲鳴を聞いて偶然駆け付けた冒険者ってところだ。声の調子や醸し出す雰囲気から、シグルーナほどの勘の良さがなくともある程度は予測が立つ。人間とは意味がないと理解していながらも理性を優先してしまう愚かな種族なのだ。

 だが気になるのはその言葉だった。


(上位魔人と戦ったのかぁ? まさかベリアルの野郎を倒したのってこいつじゃないだろうな……)


 ベリアルは完全覚醒済みの上位魔人だ。その強さはガトーの目から見ても圧倒的なもの。

 そんな彼が死んだと聞いた時は驚愕したが、まさか人間に殺された訳ではないだろうとさして気にも留めなかった。大方、他の上位魔人と喧嘩でもしたのだろうと。

 だが、もしも人間によって葬られたとすれば――?

 そう考えた時、ロアの名を持つ人間は筆頭候補だろう。やはり人間に殺されたなどとは思えないが、絶対にないとは言い切れない。

 ――いずれにしろ、面白くなって来やがった。


「冒険者の意地、見せてみやがれぇぇ!」


 ガトーはそんな咆哮の後、一息に両者の距離を詰める。踏みしめられぐしゃりと潰れた床が、その膂力の高さを証明している。

 だが、両者が接触するよりも早く、ラズールの手から魔法が放たれた。

 安宿の狭い廊下を埋め尽くすサイズの土塊が、猛スピードで駆けるガトーの視界を覆う。やがて逃げ場がないこととガトー自身が魔法へと接近していたことから、土魔法は容易にその肉体を打ち付けた。

 視界が激しく回転し、後方へと飛ばされたガトーの体は安宿の薄壁を容易く貫いた。

 一瞬にして屋外へと弾き飛ばされたガトーは、咄嗟に挟み込んだ右腕が折れていることに気付いた。


「へぇー、中位魔人の骨を折るか。大した魔法じゃねーか」


 どうやらロアの名は伊達ではなさそうだ。

 ガトーはそんなことを考えながら、ラズールが壁のなくなった宿屋から出て来るのを待つ。

 五秒、十秒――三十秒。

 だが、折れた右腕が完治してもなお、彼が追い打ちをかけて来る様子はない。不審に思うが、散乱した瓦礫と土煙、そして屋内の暗さから中の様子を伺うことはできなかった。

 やがて気付く。


「――あんの野郎! 逃げやがったなぁッ!?」




 ◆◇




 ラズールはどうやら足が折れているらしい少女を抱えながら、魔人が飛んで行った方向の逆側へと必死に走っていた。

 腕の中の少女は痛みで苦しそうに喘いでいる。おそらくは一先ず逃走に成功したことで安心し、忘れかけていた痛覚が戻ったのだろう。汗だって凄い。

 仮面の剣士や上位魔人と比べると中位魔人など小物、という言葉は本心から出たものだった。だからこそ耐性が付いていたラズールは臆することなく魔法を放つことができたのだ。

 だが、勝てるかどうかはまた別の話である。


(悲鳴が聞こえたから急いで駆け付けてみれば、なんだってあんな化け物と遭遇するんだよ!)


 思わず心の中で愚痴ってしまうが、その足取りに乱れはない。

 ただ闇雲に逃げ、どこかへと姿を隠してしまえばそれでいいという訳ではない。当然だ。中位魔人が現在進行形で王都の町中に潜んでいるのだから。

 向かう先の候補はいくつかある。――化け物には化け物を、だ。

 王都に拠点を構える冒険者ギルドはいくつかあるが、その中でも信頼が厚いのは“戦神”マリノス・ラロが率いる『黒三日月』だろう。彼女自身がB10級相当の戦闘力を持つと同時に、レベル5の回復魔法をも併せ持つ正真正銘の化け物なのだから。それに黒三日月にはA級冒険者も一人だけ所属しているため、逃げ込む先としては申し分ない。黒三日月はここから距離もそう遠くないし、同じ方角には冒険者組合までもがある。


 そうやって目的地を黒三日月のギルドホームへと定めると、ラズールは脇目も振らずに走り続けた。

 そんな彼の下へと、おそらく王都の冒険者としては最強であろう人物と、それに匹敵するだけの強さを誇る女性が姿を現した。

 息を切らして疾走する二人の視線がラズールの抱える少女へと留まると、驚いたようにその場へ立ち止まった。


「お前、その子……」

「ちょうどよかった、ラナーシャ殿。たった今――」

「――中位魔人か?」


 現れた女性の一人――ラナーシャへと事情を説明しようとすると、彼女は全てを理解しているといった様子で問いかけて来た。

 ラズールは彼女の言葉を肯定する。


「はい、どうやら足を折られたようですが、この子だけは救い出してやることができました。先ほどの反応を見る限り、お二人はこの子とお知り合いのようで……。また、現場では死者も出ているようでした」

「そうか……。いや、その子だけでも助け出してくれてありがとう。居合わせてくれたのは不幸中の幸いだ」


 ラナーシャは心底安心した様子でラズールへと頭を下げた。その隣ではシグルーナが膝から崩れ落ちている。

 そんな二人へとこれから黒三日月に助けを求めようとしていることなどを話しつつ、新たな指示を仰ぐ。二人は今回の事件についての情報をラズール以上に持っていると思われるため、ラズールよりも的確な状況判断が可能だと判断したためだ。

 そんなラズールへと口を開いたのはシグルーナだった。


「その子――ミラちゃんには悪いけど、治療は後回しにするしかないわ。あなたには私たちと一緒に戦ってほしい。そうでないと勝てない相手なの。だけどその辺の通行人に託すわけにはいかない。あいつの仲間がどこに潜んでいるかわからないから」

「わかりました。ですが、逃げるという選択肢はないのですか?」


 それに答えたのはラナーシャだった。


「ない。一般人が危険に晒されている現状で逃げるわけにはいかない。それにここは王都だ。こちらから誰かを頼らなくても、自然と援軍はやって来るだろう」


 そこまで言うと、彼女は少し苦々しく微笑んだ。


「心配するな。私もシグルーナも、そしてお前も強い。それにグレイとアルシェもじきに駆け付ける」

「そうですか。確かに、あなた方と一緒なら最低でも時間稼ぎくらいはできそうです」


 そうやって話がまとまると、ラナーシャとシグルーナはミラの顔を覗き込んだ。

 汗に濡れる前髪を優しく横へと流してやると、優しい笑顔を向ける。


「ミラ、よく頑張ったな。話は聞いてただろ? お前には悪いが、もう少し痛みを我慢していてほしいんだ」


 そんなラナーシャの言葉に、ミラは苦痛に顔を歪めながらも彼女なりの精一杯の笑顔を浮かべた。


「へ、平気です、これくらい……。回復魔法さえあれば、骨折の放置くらい、大したことではないので……」

「そうか。お前は強い心を持ってるんだな。安心したよ」


 そしてラナーシャは自らの額をミラの額へとこつんとぶつけた。


「だから今度はお前が安心する番だ。大丈夫、私たちが来た」


 やがて額を離したラナーシャの目に映ったのは、涙を流しながら笑うミラの表情だった。それは安心と歓喜を感じさせるものだ。

 そんな顔ができるくらいに落ち着いてきたミラの様子に安心しつつ、魔装により大きく上昇した聴覚が猛スピードで近付いて来る何かを捉える。

 ゆっくりと音のする方角へと視線を向けると、やがてそれは姿を現した。


「おぉ! 見つけたぜ! やっぱ冒険者組合の方に向かってたかぁ。俺様の読みも大したもんだろ? ってかそれ以前に逃げてんじゃねーよボケ!」


 真っ白な肌に黒い短髪の筋肉質な男。事前にシグルーナから聞いていた外見とは一致しないが、彼は特殊能力で姿形を変えることができると聞いた。おそらくは町中で戦闘になることを予見し、あらかじめ姿を変えておいたのだろう。

 そいつはラズールを指差しつつそう喚くと、シグルーナの存在に気付き、楽しそうに笑った。


「お、シグルーナじゃねぇか。なんでお前がこんなとこにいるんだ? あ、もしかして死体見た? どうだった? 割とグロかったろ? でも身元がすぐにわかるよう、首から上には何もしなかったんだぜ」


 何が面白いのか、そいつ――ガトーは聞いてもいないことをベラベラと口にする。

 それに対し、シグルーナは何も言おうとはしない。ただ唇を噛み締め、腐ったような口上に必死に耐えている。


「それで、俺はあと何人殺ればお前を手に入れられるんだ? お前はいい戦力になるからな。多少の労力は惜しまねーぜ?」


 悪びれる様子もなく、尚も口を止めないガトーにラナーシャは我慢の限界に達した。

 シグルーナに代わり口を開く。


「シグルーナがお前のようなクズの仲間になどなるものか!」


 その言葉に、ガトーは少し思案気な表情を浮かべる。


「んあー、もしかして、シグルーナが魔人だって気付いてないのか?」


 そんな言葉に、ラズールの目が驚愕に見開かれた。ミラの息を飲む音も聞こえる。

 だがラナーシャはそれらを無視すると、きっぱりと言い放つ。


「もちろん知っている! だがそれがどうした! シグルーナは紛れもない私たちの仲間だ!」

「仲間、仲間ねぇ。そう言えば、シグルーナって変わった魔人だったよなぁ。……そうか、ようやく理解できた。シグルーナにとって人間の仲間ってのは、俺みたいな上辺だけの付き合いじゃないんだな。んだよー、それならどれだけお前の仲間を殺しても意味ねーじゃねーかよ。てっきり、俺よりもそいつらと一緒にいる方がメリットがあるから仲間になってもらえないのかと思ってたぜ」


 一息にそう言い切ると、ガトーは再び何かを考えるかのように黙り込んだ。

 やがていいことを思い付いたとでも言うかのように顔を上げると、邪悪な笑みをその顔に張り付ける。


「じゃあ、計画変更だ。おい、シグルーナ。お前の大切な仲間を皆殺しにされたくなければ、俺と共に来い」


 聞くに堪えない戯言だと感じる一方で、有無を言わさぬ強者の言葉にも感じられた。

 ふと視線を向けると、シグルーナの噛み締められた唇から血が流れていることに気付く。

 彼女の怒りを感じ取り、ラナーシャは一歩を踏み出した。これ以上ガトーに好き勝手言わせてなるものか。

 だがその足取りをシグルーナが止めた。


「ダメよ、ラナーシャ。戦う時は一緒よ。一人で向かえば間違いなく死ぬわ。言ったでしょ? あいつは私よりも遥かに強いって」

「だが、こんな町中でお前を戦わせるわけにはいかないだろう」


 ラナーシャは周囲を見渡す。

 ここは人通りが少なく閑散とした路地だが、遠巻きにこちらを眺める人間もちらほらといる。

 そんな場所で彼女が戦えば、その正体を隠し通すことは極めて困難になるだろう。

 だが、シグルーナは強い意志の籠った声でそれを否定した。


「何言ってるの。死ぬとわかっててあなたとラズール君だけを戦わせる方があり得ないでしょ」

「そ、それはそうだが……」

「それでも私には戦わせられないと言うのなら、ガトーの言う通りあいつの仲間になるわ。あなたたちを殺されるよりずっとマシだもの」


 シグルーナのその言葉からは強い覚悟が伝わって来た。

 ラナーシャは一瞬たじろむが、やがて彼女の意志を尊重することに決めた。


「……わかった。だが大きな怪我だけはするな。強さだけなら何とでも誤魔化せるが、超速再生まで見られれば流石に大変だ」

「……ええ。努力するわ」


 そうやって納得すると、ミラを民家の壁際へと下ろしたラズールが二人の横へと並んだ。


「……前々から強い人だとは思ってましたが、どうやらその強さにも秘密があるみたいですね」


 ラズールのその言葉は、「シグルーナは魔人だ」というガトーの言葉からもたらされたものだ。

 ラナーシャが「何か言いたいことがあるのか?」と尋ねると、ラズールは笑いながら首を横に振った。

 そして言う。


「――あなた方を信じます、とだけ」




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