40 三者三様

 形式変化を極めることにより、アルシェの火力不足は解決する。そう言われ、アルシェが“魔法帝”ジルロッド・ベルニウスの弟子になったのは二日前のことで、今も学院のどこかで指導を受けていることだろう。ジョットが彼へと頼み込んだことが発端らしいのだが、ジルロッドほどの人物に稽古を付けてもらえるという今回の展開は僥倖と言う他ない。断る理由などないため、アルシェの代わりとしてラナーシャが臨時講師の任に就くこととなった。

 そのため、現在グレイと仕事を共にしているのはラナーシャ、そしてロッド・ベルクを警戒してのシグルーナだけだ。停学中のミラには自宅で待機してもらっており、グレイたちの仕事が終わり次第、宿屋で合流する手筈になっている。


 場所は王都を離れ、北上した先にある巨人の森。ラナーシャと出会った当初、街道警備のために訪れた場所でもある。そこへと冒険者学部三年――ミラが所属しているクラス――の一部の学生十人が拠点を構え、各自で分担しテントを張っている。

 現在は街道警備の実習のためにここを訪れており、約二十人で構成されているクラスを二つに分け、それぞれ別の地域へと繰り出した。そのため臨時講師を務めるグレイとラナーシャも別々の班に配属され、シグルーナはラナーシャの方へと付いて行った。

 臨時講師と言えど教育に関しては完全なる素人なので、当然ながらグレイたちが主立って授業を行うことはない。あくまでも教師の補助に就いたり、学生や教師では対処が難しい場面に遭遇した際に力を貸すなど、そのような業務が中心になる。そのため担当教師は別におり、グレイの配属された班――一斑を担当するのはハリトンだった。

 そんなハリトンは手際よくテントを設置する学生たちを労いつつ、この後の予定を確認する。

 そんなハリトンを横目に、グレイは学院の教育について考えていた。


(やっぱ自立することを第一に教育してるようだな……)


 この学院では、冒険者としての強さを養成すること以外にも、冒険者としての心得、思考法、魔物の種類、そしてちょっとした技術などを経験を通して身に着けることを目的としているようだった。そこには、本来ならギルドの先輩や、そうでなくとも冒険者として生きていれば自然と身に付くであろうものまで含まれている。これは駆け出し冒険者の死亡率が高いこと、そしてギルドなどに所属せずとも生きていけるようにと考えられての方針に違いない。

 現役のプロであるグレイから見ても、かなり細かいところまで教育しているのがよくわかる。テントの張り方や夜間の過ごし方、罠の作成方法は当然としても、少し細かすぎるのではないかと思えることまでだ。

 具体的には女性冒険者の便秘問題などが挙げられる。

 確かに冒険者は屋外で用を足すことを強いられる職業であり、排泄中に命を落とす冒険者も毎年一定数いると聞く。そのためパーティから離れすぎないところ――場合によっては目の届く範囲――で済ませることが基本なのだが、女性冒険者にとって抵抗があるのは言うまでもないだろう。

 そのため排泄中に命を落とす冒険者の半数は女性だと言われている。九割以上を男性が占めるこの業界において、この数字がいかに異常なものなのかは一目瞭然だ。だからこそ女性冒険者の中には排泄を我慢する者が多く、結果として便秘に苦しむ者が後を絶たないらしい。

 そう、この学院ではこの問題の解決方法、そして便秘になった場合の解消法までをも教育する始末だ。これはあくまでも一例に過ぎず、このことからも教育範囲の広さが見て取れる。今回の実習にも、実際に長時間町を離れるということの過酷さ・不便さを実際に経験するという目的が含まれているとのこと。


(死なないための教育か。確かに、新人には変わった死に方をする奴も多いらしいが……)


 大変だな、とグレイは他人事のように呟いた。必要ないとは思わないが、果たしてこのような教育をありがたく感じている学生などいるのだろうか。




 ◆◇




 学生たちとノーレンという男性教師、そして臨時講師のラナーシャを含めた総勢十二人で構成された二班に同行したシグルーナは、この学院の画期的とも言える教育内容に感動を覚えていた。

 この数か月間ラナーシャと共に依頼をこなすことで学んだ内容はもちろん、時には重大な病気の原因となる虫刺されを予防する方法や、魔物を手にかける際の精神状態のコントロール方法、女性冒険者の排泄問題のようなエチケットまでをも修めることができるのだ。このような痒い所に手が届く教育を画期的と言わず何と言おうか。

 シグルーナにとって今回の実習で学んだことは多い。例えば、長期の依頼中は髪の毛には触るべからず、などが挙げられる。長期の依頼というのは、言うまでもなく湯浴みなどの時間は限られてしまう。そのため髪はべたつき、それに触れてしまうことで手までべたついてしまい、武器を握るときのグリップが甘くなるなどの問題に繋がるというのだ。

 確かに、冒険者ならば誰もが経験することだろうが、あえて教えてもらうまでは対策など考えもしない問題だ。これから冒険者として生きていこうとしているシグルーナからすれば、とてもありがたいことだった。

 シグルーナはまた一歩プロに近付いたような気がし、心の中で鼻歌を奏でる。


(この学院……凄いわ!)




 ◆◇




 二泊三日をかけての屋外実習も無事に終わり、ラナーシャたちはいつもの宿屋へと帰って来ていた。グレイだけは今もまだウエイトトレーニングに励んでいるが、ラナーシャとシグルーナは入浴も済ませ、就寝までの時間を勉強に充てている。

 そんなラナーシャへと、宿を訪れていたミラが話しかける。


「グレイさんって、いつもこんな時間まで体を鍛えておられるのですか?」


 その声色は多分な尊敬と驚愕を孕んだものだった。

 ラナーシャは仲間を褒められているような気分になり、声を弾ませる。


「ああ、そうだ。私たちも普段はまだ訓練に励んでいる時間だが、一瞬一瞬にかける気迫は遠く及ばない。あいつの頭に手を抜くなんて考えは全くないんだろうな」

「……凄いです。やっぱり、才能だけではないのですね」


 そこまでやるからこそのA級上位なのか、とミラは神妙に呟く。自らもまた才能に恵まれた人間だからか、そう呟く彼女からは負けていられないとでも言うかのような雰囲気を感じさせた。

 そんな彼女にラナーシャは微笑ましい気持ちになっていると、ミラは「それにしても」と言葉を続けた。


「少し不思議です。こんなことを言うのは失礼だとわかっていますが、何があなた方をそこまで駆り立てるのでしょうか。私から見ればもう十分過ぎるほどにお強いのに」


 そんなふうに首を傾げるミラに、ラナーシャは優しく微笑みかける。


「ふふ、お前もなってみればわかる。十分過ぎる強さなんてものは存在しないんだよ」

「そういうものでしょうか」

「ああ、そういうものだ。……かの殲滅卿でさえ、八年前は力不足が原因で大勢の仲間を失っているくらいだからな。仲間のためならどれだけの努力でも払えるのが冒険者なんだと私は思う。少なくともグレイはそういう人間だ」

「グレイさん……怖いだけの人じゃないんですね……」


 変わらず神妙な様子でそう呟くミラに、ラナーシャは思わずクスクスと笑ってしまう。どうやらグレイに対する第一印象の悪さは万人共通のようだ。

 そんなことを考えていると、黙って話を聞いていたシグルーナが背後から身を乗り出した。


「でも、あなたが今でも鍛錬を怠らない理由ってそれだけじゃないでしょ?」

「ん、どういう意味だ?」

「そのままの意味よ。私、勘には自信があるもの」


 そう言うとシグルーナは楽しそうに笑った。

 仲間を守りたいという思い以外に、ラナーシャが今でも強さを追い求める理由――。

 少し考えてみて、ラナーシャはシグルーナが何を言おうとしているのかが理解できた。

 今、アルシェは泊まり込みで魔法帝に稽古を付けてもらっているため、彼とは約三日間も顔を合わせていない。だからなのか少し乙女心にスイッチが入ったラナーシャは、照れ臭そうに顔を背けながらも、満更ではなさそうに答えた。


「……確かに、あいつに相応しい人間になりたい……というのは、ある」


 ふと視線をシグルーナへと向けると、彼女は微笑まし気に、それでいて少し意地の悪そうな笑顔を浮かべていた。

 途端に顔が熱くなる。そんなラナーシャの様子から話を悟ったのか、先ほどまでは少し緊張した様子だったミラまでもが嬉しそうに身を乗り出した。


「え、え、何の話ですか!? 恋愛? 恋愛ですよね!?」

「こ、こら、少し落ち着け」


 気恥ずかしさからそうやって窘めようとするが、火が点いた年頃の少女というのはそう簡単には止まってくれないらしい。

「どうなんですか!?」と問い詰めて来るミラは、ふと何かを思い出したかのように声を弾ませた。


「そう言えば、一時期アルシェさんと噂になってましたよね? ラナーシャさんの方からナンパしたとか何とか。所詮は噂話に過ぎないと思ってましたけど、もしかして本当にアルシェさんと?」

「ち、違う、それは誤解だ。……誤解じゃないけど、違うんだ……」

「え、え!? この感じは、本当にアルシェさんと!?」


 完全に恋バナに興じる少女となってしまったミラは、なぜか嬉しそうに頬を赤く染めていた。

 調子に乗って変なことを言わなければよかった、と今更後悔するラナーシャだったが、時すでに遅かった。ミラはラナーシャの沈黙を正しい意味で捉えてしまったようだ。


「ラナーシャさんとアルシェさんが……。な、なんだかドキドキしますね」

「ど、どういう意味だ。それにまだ私たちは何もないぞ。私が勝手に好きになってしまっただけだ。シグルーナしか知らないことだから誰にも言わないでくれよ」

「ふふ、わかりましたよ。それにしてもお相手はアルシェさんですか」


 ――少し意外だな、とミラは思う。

 確かにアルシェはかっこいい。冒険者としての実力も申し分なく、少し会話を交わしただけでもその人柄の良さは伝わって来た。顔も整っている方だ。

 だが、そんなアルシェを以てしても、ラナーシャの魅力はその上を行くと言える。グレイでようやく一部釣り合うくらいだろうか。もちろんこんなものは主観に過ぎないと理解しているし、ラナーシャがアルシェに惚れない理由にはならないのだが。

 そんな思いを抱いていると、それを悟ったのであろうシグルーナがこっそりミラへと耳打ちをした。


「それ、声に出さない方がいいわよ。彼のことを悪く言うとこの子、不機嫌になるから」


 それだけを告げ、そっと顔を離すシグルーナ。

 対し、ミラはラナーシャのことを今まで以上に好きになった気がした。


(ラナーシャさん、不機嫌になるんだ。可愛いな……)


 ふふふ、と思わず笑みが零れる。

 だがわからないこともあった。


(アルシェさんに相応しくなりたいから今でも鍛錬に励む? ってどういう意味……?)


 相応しくなりたいから内面を磨く、ならば理解できる。外見を磨く、でもまだ理解できる。見た目の良し悪しは主観の影響が大きいからだ。

 だが、戦闘力の高さは誰が見てもラナーシャの方が上だろう。所持スキルを見てもそうだし、A2級冒険者とC10級冒険者という明確な差もある。

 先日アルシェとグレイが口喧嘩を繰り広げていた際、グレイがアルシェの剣について何か言っていたのを覚えている。おそらくアルシェの剣術スキルはかなりのものなのだろう。冒険者が自らの強みを隠すことは珍しくもないし、おそらくはアルシェにとっての剣術もそういう意味での切り札なのだと推測できる。――が、それでもラナーシャよりも強いなどという可能性はかなり低い。

 だとすれば考えられるのは――


(冒険者として鍛錬に励み続ける姿勢とか、精神的なことを言ってるのかな)


 おそらくはそうだろう、とミラは自分なりの答えを導き出した。


 その後もそうやって会話を楽しんでいると、ほどなくして就寝時間が訪れた。ミラも自宅に帰る時間だ。

 本当はこのままこの部屋に泊まりたいのだが、かなり慎重に仲間を集めている様子のグレイに宿泊は禁止されている。それにそもそも宿泊代を払えないという問題もある。ラナーシャたちの部屋を貸してもらう場合でも宿泊料はかかる。当然だ。

 ミラはラナーシャたちへと帰宅する旨を伝えると、両手を頭上に伸ばし大きく欠伸をした。

 尊敬できる先輩との憩いの時間。理想的とも言えるこんな時間がいつまでも続けばいいな、と心から思う。

 ラナーシャの言う通り、この瞬間を守るためならばどれだけの努力でも払えるような気がするのは気のせいだろうか。会ってまだ間もない彼らに対し仲間意識を持つのは勝手なことだろうか。

 なんにせよ、正式に仲間として迎え入れてもらえることを望むばかりである。

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