39 魔法帝

 理事長室は洗練された最低限の家具により構成されており、卓越した機能美をも兼ね揃えているかのようだ。

 部屋の中央にて向かい合う形で設けられた応接用のソファとガラスでできたテーブル。必要な書類などを保管するための棚の上には観賞用の植物が控えめに飾られ、入り口から見て正面の最奥には、この部屋の主専用の高級な椅子と机が堂々と鎮座している。

 そんな理事長室のソファの一つに一人の男が腰かけていた。歳は五十三。だが伸ばされた白髪頭のせいでプラス十歳ほど老けこんで見える。そんな彼は時折意味もなく首を回したり、指の骨をコキコキと鳴らしたり、どこか落ち着かない様子である。

 どこかミステリアスな雰囲気は纏っているが、あまり威厳や威圧のようなものは感じられない――そんな彼こそ、デスティネ王国で最高の魔法使いと呼ばれる“魔法帝”ジルロッド・ベルニウスその人だ。

 ジルロッドはこの学院の正式な理事長ではないが、彼がこの学院創設の最高功労者であることに疑いはなく、なおかつ正式な理事長よりも偉いため、特別にこの部屋を借りることができている。そしてその目的は、グレイ・ナルクラウン及び、その仲間たちに会うことに他ならない。

 だが――目的の人物が現れる気配はない。

 不安になり、ソファの脇に立つ護衛兼秘書の男へと口を開いた。


「……遅くない?」


 それは、見た目や実年齢とは裏腹にどこか少年っぱさを残した声色だった。

 そんなジルロッドの言葉に男は同意する。


「はい、遅いですね。私が探して来ましょうか?」

「い、いや、それは何だか急かしてるみたいだし……」

「はぁ、そうですか」

「うむ。それにまだ昼休みは終わってないからなぁ……」


 歯切れの悪いジルロッドの言葉だが、側付きの男に苛立った様子はない。それはジルロッドに対する尊敬や畏怖の念から来るものではなく、単純に慣れてしまっているからに他ならない。

 ジルロッドはかなり変わった人間だ。

 今現在見せている気弱な老人像だが、これは決して彼の本来の性格ではない。だが偽っているという表現も間違いだ。彼のこれは、本来の彼ではないと同・・・・・・・・・・時にいつも通りの彼・・・・・・・・・なのだ。

 ややこしいようだが、真相は単純だったりする。要は彼は、日やその時々によって異なる雰囲気を放つタイプの人間なのだ。まるでキャラ設定の定まっていないフィクションの登場人物のように、昨日培った己のイメージを別のところであっさりと壊してしまうという――そう、変人なのである。


「わし、嫌われてるのかなぁ……」


 昼休みも残り一分を切った辺りでとうとうそんな女々しいセリフまで飛び出した、丁度その時だった。

 部屋の唯一の出入り口が勢いよくノックされたかと思うと、入室を促す声を待つこともなく、一人の青年が飛び込んで来た。

 金の髪をした、色白の青年である。まるでどこかの国の王子とも見紛う雰囲気を纏う彼は、背後を振り返ると「ほらな、間に合っただろうが」と少し誇らし気に言い放った。そんな彼に続く形で、次々と若者たちが姿を現した。

 扉の向こうに見えるのは、根本と毛先が白と茶のグラデーションになっている青年と、赤髪の美女、季節外れのローブで全身を覆うこれまた美女、そして当学院の制服を身に纏った可憐な少女だった。彼らは廊下から部屋の中を覗き込むと、ジルロッドと側付きの男、そして唯一部屋の中へと足を踏み入れている金髪の青年を順に見やると、一様にバツの悪そうな表情を浮かべていた。

 最後の少女を除き、彼らは皆、ジルロッドがこの場へと招待した者たちの特徴と一致する。そして金髪の青年こそがグレイ・ナルクラウンだろう。些か――と言うよりかなり――失礼な彼の一連の行動だが、側付きの男にそれを咎めるつもりなど毛頭なかった。

 ――ようやく、待ち人たちの登場らしい。

 男は無意識の内にジルロッドの顔色を伺い――そして、彼の雰囲気がまた変化していることに気が付いた。

 突然の訪問客を前にし、ジルロッドは威厳のある笑い声を上げた。


「はっはっは、久しいなグレイ君。見た目は随分と変わったようだが、やんちゃなところは子供の頃と同じだ」


 そんなジルロッドの様子を見て、男は思う。――これは、彼の性格パターンの中で最も多く見られる姿だ。そして外向けの姿でもある。ころころと変わる彼の性格の中で真の姿を挙げよ、と言われたら、おそらくは――強いて言うなら――この姿を挙げることだろう。

 そんなジルロッドの言葉を受け、グレイは「余計なお世話だ」と笑った。


「遅刻の回避を最優先に考えてたらこうなった」

「はっはっは、そうかいそうかい。私は一向に構わないが、お友達はその限りではなさそうだ」

「んあ?」


 そんなジルロッドの言葉に対し、グレイは背後を振り返った。


「何だその顔は」


 視線の先にいたのは、申し訳なさそうに顔を歪ませるアルシェたちだった。ミラにいたっては顔を青褪めていた。すこぶる体調が悪そうである。


「何って、お前こそ何が遅刻の回避を最優先に、だ。完全に開き直りやがって」


 アルシェが代表してグレイへと文句を飛ばすと、開けっ放しの扉越しに部屋の主へと頭を下げた。

 扉は開けられているが入室の許可を貰っていないために生じる奇妙な光景だ。ジルロッドは一頻り笑うと、気前の良い笑顔で全員を部屋へと招き入れた。

 やがてグレイ以外の四人の男女が部屋の端に並ぶと、非礼を詫び、ジルロッドに促されるままに順次自己紹介を終えた。

 ジルロッドが続ける。


「今日は突然呼び出してすまなかったね。私がジルロッド・ベルニウスだ」


 そうやって最後に名乗ってみせたジルロッドの雰囲気は、魔法帝の名に相応しい威厳に満ちたもの。

 先ほどまでは軽口を叩いていたグレイでさえ、その表情には少しの緊張が差すように見えた。そういう所はやはりまだまだ子供なのだろう。




 ◆◇




「ところで君たちを呼んだ目的だが、いくつかあってね。まずはグレイ君に魔法を見せてもらいたい。不可視魔法を使えると聞いた時からずっと興味があったんだ。なに、ただの好奇心だと思ってくれればそれでいい。構わないか?」


 アルシェたちに午後の授業がないことを確認したジルロッドは、そんな話題から話を進めた。

 そんな彼へとグレイが快く魔法を披露すると、それを見たジルロッドが感嘆の溜め息を吐く。


「なるほどな。想像していた以上に見え辛くなるわけだ。戦闘中に完全に見切ることは不可能に近い」


 そしてぶつぶつと呟きながら分析を始める彼へと、グレイが淡々と言った。


「満足か?」

「ああ。正直圧倒されたよ。これだけ高度な奥義を駆使しつつも、発動速度に大きな欠点は見当たらない。私も不可視魔法に挑戦した過去があるからこそ言えるのだが、これは尋常ならざることだ」


 魔法帝と呼ばれる自分が不可能だと結論付けた技術を、十代の青年が習得に成功した。それだけでも魔法史に残る偉業だと言うのに、それを戦闘で使えるまでに昇華させたという事実。

 感嘆や驚愕、戦慄など、グレイに対して抱いた感情は数知れないが、その中でも一際強いのが一人の魔法探究者としての希望だった。

 ジルロッドの頬が愉悦に緩む。


(新時代の幕開け、未来への希望……。ははっ、なるほどな)


 思い出すのはグレイの父親でもあるジョットの言葉だった。

 以前、ジョットへと「なぜもっと大きなことを成そうとしないのだ」と問いかけたことがあった。若き日のジョットは野心の塊のような男で、物怖じすることなく覇道を往く鬼神が如き人間だった。それが今ではとある任務を全うするのみで、上を目指す姿勢などは見て取れない。一部の冒険者からは八年前の事件を機にすっかりと委縮してしまったとまで言われる始末だ。

 だが彼の答えはジルロッドの予想とは大きく違うものだった。


「ジョット君が言っていたよ。名誉になど興味がない。使命を果たすことに比べれば、と」

「親父が……?」

「そうだ」


 ジョットへと使命とは何だと尋ねると、彼は「未来への希望を育むことだ。内容は人によって大きく異なるだろうが」と答えた。そして「あの子たちに会ってみればわかるはずだ」とも言った。

 そして今、グレイたちに会い、彼の言葉の意味が理解できた。

 ジルロッドの望みとは魔法の深淵を覗くことに他ならない。そのために大量の汗と涙を流し、今の自分、そして今の魔法界が存在するのだ。だがここからは違う。望みを叶えるためにすべきこと――それはジルロッド自身が研究を重ねることに非ず。グレイ・ナルクラウン及びこの者たちに全てを託すことに在り。

 それに気付くことができた今だからこそ、ジョットからの頼みごとにも意味を見出せる。

 ジルロッドは神妙な顔で話を聞いていたアルシェへと視線を移し、口を開いた。


「ジョット君に前々から頼まれていたことがある。彼はどうやら、君を私の弟子にしたいそうだ」


 ジルロッドがそう言うと、アルシェは狼狽えたように表情を変えた。


「僕を弟子に? グレイではなく、ですか?」


 そんな彼の反応が予想通りのもので、ジルロッドは軽く笑い声を上げる。


「はははっ、確かに、ジョット君は少しの間だけ私の下で魔法を勉強したから、グレイ君が後に続くのが自然だろう。だがグレイ君に私の指導は必要なさそうだ。それよりも、昨日の君の戦いぶりを見ていて思ったことがある」

「思ったこと……」

「ああ。君はジョット君によく似ているということだ。グレイ君よりもね」


 昨日のアルシェが彼の全てではないのだろうが、一つの弱点が浮き彫りになった試合でもある。その弱点とは圧倒的な火力不足だ。レベル4のスキルはおそらく弓術だけで、後はレベル2相当の魔法を上手く工夫して戦っていた。その戦いぶりはジルロッドを以てして感嘆させるものだったが、格上相手にどれだけ通用するかと問われれば大きな不安が残る。

 魔法技術の発展により魔法使いの力が突出し始めた現代において、主要スキルが弓術のみというのは些か不自由が過ぎる。中遠距離での戦いでは弓よりも魔法の方が強力であり、なおかつ工夫次第で魔法は近接戦においても効力を発揮するからだ。魔法を極めずに冒険者としての頂点に立とうとなど、それこそラナーシャのような天才にしか不可能だろう。

 かつて、ジョットも同じ問題に直面したことがある。彼はそこから強引に雷魔法のスキルレベルを5にまで引き上げその弱点を克服して見せたが、それは言うまでもなく彼だからこそ成せた業だ。アルシェに同じことを求めるわけにもいかず、それをよくわかっているからこそジョットはジルロッドへとアルシェを託そうとしたのだろう。


「君の効果付与と効果遅延はよく訓練されている。それにより戦術の幅も大きく広がったことだろう。だが火力が心許ない」

「はい、ありがとうございます。火力不足は僕も痛感しています。ですが、スキルレベルを上げないことには……」


 そう言って顔を伏せるアルシェだったが、ジルロッドは「道はある」と続ける。


「そもそもの話、ジョット君が私を頼る理由など一つしかない。巷では私も魔法帝などと呼ばれ彼と同列に語られるが、はっきり言ってジョット君の方が私よりも上なのだから。彼に匹敵する人間など見たことがないよ。……だが、私の方が優れている部分もある。彼はそこに目を付けたのだろう」

「優れている部分、ですか……」

「ああ――」


 そしてグレイとアルシェをそれぞれ一瞥した後、“形式変化の神”はこう言い放った。


「――グレイ君が性質変化の天才ならば、君には形式変化の達人になってもらいたい」

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