37 奇妙な男

 アルシェとグレイが学院へと行っている間、ラナーシャたちの仕事はロッド・ベルクと接触することだ。

 そのために彼女たちが起こした行動は、まず冒険者組合へと向かうことだった。

 幸いなことに、ロッドは最近この町に拠点を構えたという話を聞いたのだ。かつてのラナーシャがそうだったように、実力のある王国のソロ冒険者は王都を拠点にする場合が多いのだが、それを差し引いても運が良いと言えるだろう。

 そうやって組合内で時間を潰しつつ、ラナーシャは少し懐かしい気持ちになっていた。


「こうして人を探していると、アルシェたちと初めて会った日のことを思い出すよ」


 それは長期の依頼を終えた直後のことだった。

 今とは違い決まった仲間を持たなかったラナーシャにとって、あの日はそれこそ運命の日と言っても過言ではない出会いを果たしたのだ。

 そうやって懐かしさに浸っているラナーシャを見て、シグルーナが優しい笑顔を見せた。


「話は聞いたわ。あなた、アルシェ君をナンパしたらしいわね」


 シグルーナはそう言うと、「大胆ね」とからかうように笑った。

 ラナーシャは不満そうに口を尖らせると、少し恥ずかしそうに頬を両手で挟み込む。


「それを言うな。当時は全くそんな気はなかったんだ。グレイにも同じようにからかわれ、少しやり返してやったら喧嘩になったよ。……でも今から思うと、確かにあれはナンパだったな」


 ラナーシャはそう言いながら、かつて自らが口にした大胆なセリフの数々を思い出し、勝手に一人で悶え始める。

 そんな彼女が可愛く思え、シグルーナは更に追い討ちをかけることにした。


「今ではそんな彼のことが好きなんだものね」

「おい、止めてくれ。誰かに聞かれたらどうするんだ」

「あら、恥ずかしいだけのくせに。いったい誰に聞かれるって言うの?」

「そ、それは、あれだ……わからないが……」

「ふふっ、私の言った通りね」


 そうやって勝ち誇ったように微笑むシグルーナに対し、ラナーシャは少し拗ねた様子でそっぽを向いた。

 その時、逸らした視線の先に一人の男を見つけ、ラナーシャは表情を引き締めた。


「シグルーナ。待ち人の身体的特徴ってなんだった?」


 突然変わった彼女の様子に状況を悟ったシグルーナは、ラナーシャの視線を追いつつ、事前に入手しておいた情報を彼女へと告げる。


「年齢は二十九歳で、見た目も歳相応。身長は百七十センチ半ばほどで筋肉質。赤い癖毛の短髪が特徴で、剣を所持していることが多い」


 そうやってスラスラと特徴を述べつつ、シグルーナもまた一人の男へと注意を向けていた。

 やがて二人は顔を見合わせると、コクリと頷き合った。

 ――見つけた。

 そうやってアイコンタクトで互いの意志を確認すると、二人は入り口近くに立つ男を目指し席を立つ。


「おい、そこの。……ロッド・ベルク殿とお見受けするが、本人で間違いないか?」


 そしてラナーシャがそうやって声をかけると、男はギロリと不気味にラナーシャを見た。

 鋭い眼光に射貫かれ、無意識の内にラナーシャは腹部の筋肉を緊張させる。


「……あぁ? 何か用かよ」


 やがてそう言い放った男に対し、ラナーシャが抱いた印象はとても悪いものだった。

 彼の目は、まるで自分以外の人間はゴミだと言わんばかりの大きな自信と自尊心を感じさせると同時に、あらゆるものを惹き付けて止まないような不思議な魅力を併せ持つかのようだ。

 言うなれば、悪のカリスマだ。

 ラナーシャは思わず険しくなる表情を改めると、努めて友好を態度で示す。


「そうだな、もちろん用があって話しかけている。っと、そうだ、私の名はラナーシャ・セルシス。そしてこっちがアマチュア冒険者のシグルーナだ。――貴殿がロッド・ベルク殿で間違いないのなら、少し話せないか?」


 そんなラナーシャの言葉に興味を持ったのか、男は小さくニヤリと笑った。


「いいだろう。その通り、俺がロッドだ。それで? 話ってのは何だ?」

「慌てるな。とりあえず立ち話もなんだ。腰を据えて話そうではないか」


 ラナーシャはそう言いつつ、先ほどまで自分たちが座っていた席を後ろ手に指した。

 ロッドもその提案を受け入れ、やがてシグルーナも含めた三人が席へと就く。

 最初に口を開いたのはラナーシャだった。


「まず前提となる話なんだが、私たちはいずれ新たなギルドを設立しようと考えている」


 そんなラナーシャの言葉に、ロッドは全てを見通しているかのように息を吐いた。


「……最近よく一緒にいるガキ共とか」

「よくわかってるじゃないか」

「噂になってるからな。とうとうあのラナーシャ・セルシスがギルド入りか、ってな」

「だったら話が早い。私たちの用はもう言うまでもないだろ?」

「ああ、俺を勧誘しに来たようだな」


 ロッドはそう呟くと、少し考え事をするかのように口元を手で覆った。

 やがて時間にして五秒ほどが立ち、彼は口を開いた。


「――断る」


 それは、まるでそうすることだけが正しい道とでも言わんばかりの、堂々とした一言だった。

 思わずラナーシャは面喰らってしまう。その返答にではなく、その雰囲気にだ。たった一回拒絶されただけにもかかわらず、彼の意志を覆すことは未来永劫叶わないかのように思わせた。


「そ、そうか。だが理由を聞かせてもらえないか?」


 狼狽えつつそう言うと、ロッドはバカにしたような口調で話し始めた。


「お前らが気持ちわりーからだよ。噂ではガキと女だけのパーティらしいじゃねぇか。ふははっ、冒険者ごっこならもっとそれらしくやりやがれ。この俺のようにな」


 一息にそう言い切った彼は、ケラケラと不気味な笑い声を上げた。

 思わずムッとするラナーシャだったが、意志の力でそれを抑えつけると、改めて口を開いた。


「そ、それは……お前がプロにならないのは、あくまで冒険者ごっこをしているからという意味か?」


 ふと、ロッドの笑い声が途絶えた。

 すると次の瞬間、彼の右腕に膨大な魔力が練られた。それは途轍もなく強力で、もし魔法を発動しようものならこの組合ごと崩壊してしまいかねないほどの潜在能力を秘めたものだ。

 その暴風のような威圧感に表情が歪む。


「おい女。『お前』じゃなく『貴殿』だろうが。断られた途端に改めてんじゃねーぞ」


 そしてそう言うと、何事もなかったかのように彼はすぅっと魔力を引っ込めた。

 ラナーシャの額に脂汗が滲む。

 思わず身構えてしまったラナーシャは、嫌悪感を隠すことなくロッドを見据えた。


「……なんの真似だ」


 神妙に問いかけるラナーシャに対し、彼の態度は依然として飄々としたものだ。


「ふん、ただの悪ふざけだよ」

「悪ふざけで済むか」

「お前ら次第で済むんだよ、バカが」

「……くっ」


 ラナーシャの両腕がぷるぷると震える。怒りからだ。ラナーシャ自身は悪ふざけで済ませられるかもしれないが、シグルーナにとってはそうはいかない。

 もし何かが起きた時、状況次第ではシグルーナの正体を隠し切れないかもしれないのだ。それ以前に、不意に興奮することで目の赤光が抑え切れず、誰かに見られてしまうかもしれない。

 何も知らないこの男の軽薄な行動は、ラナーシャにとっては許し難い蛮行のようだった。

 そんなラナーシャの腕をシグルーナが机の下でそっと握り締める。

 ふと顔へと視線を移すと、彼女はゆっくりと首を横に振った。我慢しろということだ。

 ラナーシャは怒りに震える息を吐き出した。

 だが、次に彼が言い放った言葉に、とうとう堪忍袋の緒が切れる。


「それにしても、お前らのパーティには一人足手纏いがいるようだな。アルシェっつったか? たかがC10級だもんな」

「なっ、貴様ッ!」

「――ダメよ! ラナーシャ!」


 とうとうその場に立ち上がり大声を上げたラナーシャを、同じように立ち上がったシグルーナが急いで制止した。

 そして気付く。――表情を隠すように視線を下ろしているシグルーナの両目が、チカチカと赤い光を放っていることに。耐えているようだが、赤光を抑え切れていなかった。

 慌てて周囲を見渡す。当然のことだが、組合内にいた全員がこちらの様子を不思議そうに伺っていた。

 幸い、シグルーナと同時にロッドが立ち上がっていたため、彼の背中が死角を作りその目を見た者はいないようだった。

 安心すると共に、ラナーシャは自らを激しく責め立てる。


(私は大バカか! 私がシグルーナの足を引っ張ってどうする!)


 そうやって歯痒そうに舌打ちをしたラナーシャの手をシグルーナが引く。向かう先は組合の出入り口だ。


「ロッド・ベルクさん。お仲間になっていただけないことを残念に思います。では、私たちはもう帰りますので。ご機嫌よう」


 そんなシグルーナの嫌味に対し、ロッドが何かを言うことはなかった。

 シグルーナはこれ以上彼と同じ空間にいることが耐えられず、足早に組合を後にする。

 その胸に、言い知れない不安を抱えながら。




 ◆◇




 拠点の宿屋に帰って来ると、ラナーシャは自室のベッドへと全身を投げ出した。

 そして「うぅー」と呻きながら両手足をジタバタさせる。


「ムーカーつーくー! ムカつくぅぅぅううう! ううう! うーッ!」


 そして一頻り叫んだかと思うと、体を起こし、シグルーナへと向き直った。


「あいつもムカつくが、私は自分にもムカついている! 本当にすまなかった」


 最後にそう言って頭を下げた彼女へと、シグルーナは優しく微笑んだ。


「気にしなくていいわ。仲間をバカにされて、平気でいられる方がおかしいもの。あなたがそういう人間じゃないってわかってむしろ嬉しかった」

「……うぅ、それでも、本当に悪かった」

「ふふっ、気にしなくていいってば」


 そう言いラナーシャの頭を撫でてやる。

 すると、丁度誰かが部屋の扉をノックした。

 シグルーナが「どうぞ」と入室を促すと、ノックの主は姿を現した。それを見て、ラナーシャの表情が安堵に緩む。


「おい、何騒いでやがる」

「グレイ、それにアルシェ! よく帰って来てくれた!」


 ノックの主はグレイだった。隣にはアルシェもいる。

 帰りを待ち侘びていたと言わんばかりのラナーシャに対し、グレイの表情が怪訝に歪む。


「はぁ? そりゃ帰って来るだろ」

「そうじゃないんだ。なあ、シグルーナ?」

「ええ、そうね」

「……あぁ?」


 そんな会話を聞き何かを悟ったのか、グレイとアルシェの表情が神妙に引き締められた。

 二人は近くにあった椅子をラナーシャの前へと引き寄せると、静かに腰を下ろした。

 グレイが「聞かせろ」と促し、アルシェが身を乗り出す。


「ああ、聞いてくれ。結論から話すが、ロッド・ベルクはダメだ」

「断られたのか?」

「それもあるが、そもそもあいつは仲間にするべきじゃない。人柄が悪すぎる」


 ラナーシャがそう言うと、その言葉に込められた嫌悪感の大きさを悟ったのか、アルシェが訝しむ表情で口を開いた。


「具体的にはどういった感じでしょうか」

「……上手くは言えないが、グレイの性格が最悪なバージョンみたいだった」


 グレイは態度や言葉遣いは悪いが、性格はとても良いと言える。本人は否定するだろうが、努力家で他人思い、そして弱き者の味方なのだ。

 だがロッドは違った。彼は態度も性格も共に最悪だったのだ。

 それを聞いたアルシェの表情が大きく歪んだ。


「うわぁ、それは最悪ですね。心中お察しします」

「おい、アル。それはどういう意味だ」

「自分の胸に訊いてみろ」


 アルシェがそう言うと、グレイは小さく眉を顰める。

 そんな二人の相変わらずな関係性にラナーシャは小さく笑う。


(やはり、こいつらと共にいると安心するな)


 少し元気が出た気がしたラナーシャは、先ほどよりもすこし冷静に話を続ける。


「とにかく、彼は仲間にすべきじゃない。まあ、断られたんだがな」


 そうやって少し自嘲気味に笑うと、話の続きをシグルーナが引き継いだ。

 少し苦々しい表情で続ける。


「そのことなんだけど、気になることがあるの。私には彼が見た目通りの人には思えなかった。もちろん凄く嫌な気持ちにはなったのだけどね」


 そんなシグルーナの発言に、ラナーシャは「何を言ってるんだ」と首を傾げた。だがグレイが口を挟んだことにより、ラナーシャは仕方なく押し黙る。


「それは『六感強化』を使っての感想か?」


 そんな問いにシグルーナが頷くと、グレイは神妙に続ける。


「だったら聞くべきだ。詳しく話せ」

「わかったわ。ただ、いくら特殊能力とは言ってもただの勘には違いないってことを忘れないでね」

「ああ」

「……あの人、自分を偽ってるように見えたの。どこまでが本当でどこまでが嘘かはわからないのだけど」

「それは仮面を被ったアルのようなものか?」


 そんな言葉に少し考える様子を見せた後、シグルーナは「少し違うかも」と首を小さく振った。


「上手くは言えないけれど、一時の演技のような小手先のものではなくて、人生そのものをかけた偽装のように感じたわ。何か大きな目的があるのかもしれないわね」


 シグルーナはそこまで言い切ると、「ただの勘だけどね」と念を押した。

 それに対し、グレイは神妙な表情をそのままに考え込む仕草を見せる。

 やがて一分ほど黙っていたかと思うと、思考を振り払うかのように首を回した。


「ダメだ。いくつか思ったことはあるが、今の段階では何とも言えない」


 そう言ったグレイに対し、口を開いたのはラナーシャだ。


「本当にそんなことあるのか? 私はただひたすらにムカついたぞ」


 ラナーシャは腕を組むと、不満気に口を尖らせた。

 シグルーナが微笑む。


「仲間をバカにされたものね」


 そんなシグルーナの発言に反応を示したのはグレイだった。

 彼は「あぁ?」と凄むと、座ったまま身を乗り出した。


「……詳しく聞かせろ」


 有無を言わさぬ様子の彼に対し、シグルーナは組合での出来事を余すことなく伝えた。

 ロッドに声をかけた時のこと、彼がアルシェのことを足手纏いだと侮辱したことや、それに対しラナーシャが激昂したこと。そして大きな騒ぎになる前に組合を去ったことなど、文字通り全てをだ。

 それを聞き届けたグレイは、「なんだ」と軽い調子で肩を竦めた。


「それくらいで怒るなよ。むしろ好都合じゃねぇーか。アルの力を把握されることに比べればな」

「……ま、まあ、そうよね」


 そんなグレイの反応に対し、シグルーナは「あれ?」と首を傾げた。

 仲間想いのグレイのことだから、アルシェが侮辱されたことを知ると怒ると思っていたのだが、どうやらそんなこともないらしい。


(ラナーシャには、仲間をバカにされて平気でいられる方がおかしいって言ったけど……)


 ふとラナーシャと目が合った。

 シグルーナの心中を悟ったのか、彼女は「ふふ」と小さく笑う。

 いつもは天然なのにこんな時だけ勘の良いラナーシャに対し、後で絶対にからかってやろうと考えていると、突然グレイが「ちょっと待て」と声を上げた。

 先ほど以上に神妙な彼の声色に、思わずその場にいる皆が身構えた。


「ど、どうしたの?」


 グレイは考え込むような姿勢のまま口を開く。


「……ロッド・ベルクは、俺たちの中に足手纏いが一人いるって言ったんだよな?」

「え、ええ。そうよ」

「アルのことを名指しで足手纏いだって言ったんだよな?」

「ええ、間違いないわ」


 そんな前置きをした上で、グレイは言った。


「なぜ、なぜロッドは、アマチュアの女冒険者・・・・・・・・・・であるシグルーナを差・・・・・・・・・・し置いて・・・・アルの名を出したんだ・・・・・・・・・・?」


 そんな彼の一言がこの場へと静寂をもたらした。

 各々がグレイの言葉を噛み締め、理解する。

 自分たちはシグルーナが中位魔人であることを知っている。だが、それを知らない者たちからすれば、彼女はただのアマチュア冒険者の一人でしかないはず。

 そんな彼女を差し置き、上位冒険者であるアルシェのことを唯一の足手纏いだと言ったのだ。奇妙としか言う他ないだろう。

 そう思い至ったアルシェはグレイの名を呼んだ。

 そんな彼に対し、グレイは頷く。


「ああ、ロッド・ベルクが何者かはわからないが、警戒しておいた方がいいな」


 そう言うと、グレイは素早く指示を出す。


「二人とも、明日からは俺たちと共に学院へ来い。あまり離れるべきじゃなさそうだ。それに紹介したい奴もいるしな」


 グレイの言葉にラナーシャとシグルーナは神妙に頷いた。

 そんな二人へと、グレイは最後に大切なことを問いかけた。

 ――「二人から見て、ロッドの強さはどんなもんだ?」と。

 やがて視線を交差させた二人は互いに頷き合うと、ラナーシャが代表してこう言った。


「――文句なしにA級上位だ」



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