36 エルフの血
冒険者学部三年のミラ・ヴェルクイーンは、今年で十七歳を迎える貴族の令嬢だ。
元々運動が得意だったことと、いつもやんちゃな二人の兄と共に遊んでいたことから、いつしか将来は冒険者になりたいと思うようになっていた。
強さを武器に、人々を魔物の脅威から解放する仕事。一蓮托生のパーティメンバーとの固い絆。自由な人生。これほど心躍る仕事などこの世のどこにもないだろう、と。
だからこそ、ミラは七歳の誕生日に魔法の教育を受けさせてくれるよう両親へと頼み込んだ。幼い少女は魔法さえ使えれば冒険者になれると考えたのだ。
そんな彼女の願いを両親は快く叶えてくれた。この国では貴族の令嬢でも武芸を嗜むことは珍しくなく、魔法もその延長として認められたという訳だ。
その翌日から、ミラの魔法人生は幕を開けた。
家庭教師から魔法を教わる日々。
二人の兄や両親へと魔法を披露すると、凄いと言って褒めてくれる。
そんな幸せがあったからこそ、いつかは冒険者になるという夢を両親も認めてくれると思っていた。
だが、それは大きな間違いだった。
十三歳になったミラが自らの夢を告げると、両親は簡単な一言でそれを却下した。
――『女の子なのにはしたないでしょう』と。
両親が言うには、冒険者とは女性がなるようなものではないとのこと。
仕事の邪魔にならないように髪は短く整えられ、一度仕事に出たら何日も野宿をするなど普通のことで湯浴みの時間さえ設けられない。剣を振るう手は分厚く固まり、長距離の移動を続ければ足の裏が傷だらけになる。
おおよそそんなことを言われたミラは、怒りと失望から、その場で自らの長い髪をバッサリと切り落とし、初めて両親と大喧嘩を繰り広げてしまった。
その後も両親とはそのことで何度も衝突し、仲は少しずつ険悪になっていった。
そんな彼女がやがて行き着いたのがこの学院だった。
ミラが理想とする教育をかなりの少額で受けられる機関。それも成績さえ振るえば学費は免除され、条件次第では褒賞金まで出るというではないか。
そのあまりにも理想的な謳い文句を前に、彼女が両親と縁を切ったのは必然だったのかもしれない。
ミラは両親と縁を切り、貴族としての地位を捨ててまでこの学院に入ったのだ。
その後も実家の支援がないミラは、死ぬ気で努力をして全ての学期で学費免除の特権を手に入れ、褒賞金で得た金銭を生活費に充てて来た。
それが毎年学年首位をキープし続ける天才、ミラ・ヴェルクイーンだ。
そして今日、現役の上位冒険者を正面から負かし、天才の称号を盤石なものとする!
――はずだったのに。
光が目に染みる。
頭が少し痛いが、靄のようなものはない。
ミラは目を開けて初めて、自分が眠っていたことを理解した。
そのままの態勢で視線を動かす。
眩しさから表情は掴めないが、横になっているミラを囲むように五人の人間が立っているのが見えた。
相手を絞らずに声を出す。
「あの……」
そんな声に五人共が反応を示した。
「お、起きたか」
その中の一人がそう声をかけてくれる。眩しさに目が慣れると、それが担任のハリトンだと気付いた。
他の四人は、アルシェ、グレイ、保健教師、そしてアルシェの右腕に回復魔法をかけている――確か、アリシアという名の女生徒だったはずだ。彼女とは学部が違うため交流はないが、レベル3の回復魔法を持つということから、この学院ではちょっとした有名人でもある。
なんとなく状況を理解したミラは、頭痛を我慢しつつ、上体を持ち上げた。そこで気付いたのだが、ここは学院の保健室であり、自分が寝ていたのは備え付けのベッドの一つだ。
「すみません、ご迷惑をおかけしました」
ミラが素直に謝罪を紡ぐと、ハリトンはスキンヘッドの頭をポリポリと掻いた。
「迷惑って言われてもな……。とりあえず反省会には参加してもらうぞ。つっても、お前が寝ちまってる間に終わったから、あとはお前一人だけだがな」
「そうですか……」
「ああ、とりあえず状況を説明してやるよ」
ハリトンはそう言うと、ミラが意識を失った直後からの全てを話してくれた。
ミラがアルシェの魔法により気絶したのを見て動揺したゴウとシュンは、その場でアルシェにより倒された。一瞬の出来事だったらしい。
そして合流を果たした最後の一人は、その場の光景に圧倒され、即座に降参を宣言したとのこと。
その後、保健室へと運ばれたミラは、学生側の回復担当者である女性の保健教師――レノンにより回復魔法を施され、現在ケガは完治済み。
他の仲間たちは先ほどまで反省会を開いており、ついさっき終了したとのことだ。
そして現在もアリシアの治療を受け続けているアルシェだが、治療ももう終盤であり、痛みなどもほとんどないとのこと。
そして現在は、試合が終了してからだいたい十五分が経過したくらいらしい。
そんな話を聞かされ、試合でのことやその準備にかけた日々のことを思い出し、目尻に涙が溜まっていくのを感じた。
元々はグレイにも勝つつもりだったが、次第にそれが驕りだと気付いた。
それも仕方がない。だって彼は世界に三十三人しか存在しないA級冒険者の一人なのだから。六百人以上存在するらしいB級冒険者に比べ、たったの三十三人。以前聞いた話では、B級冒険者は常識外れの強さを持った人間で、A級冒険者は人間を超越した者たちとのことだ。具体的にどのようなものかは知らないが、A級とB級との間に立ちはだかる壁の大きさはその数字が表している。
――雷魔法を身に纏い、雷神と化し戦う“雷迅卿”。
――レベル5の剣術と魔装を併せ持ち、近接戦では比類なき強さを誇る“剣の女神に愛されし者”。
――たった一撃で数万もの魔物を葬り去ると言われている“殲滅卿”。
――全ての冒険者の頂点に君臨し、赫々たる功績を双肩に宿す“赫々卿”。
それがA級を名乗る者たちなのだ。一瞬でも勝とうなどと考えるだけで失礼だろう。
だが、こちらは成績上位者が八名もいたのだ。皆が優秀で、毎年学年トップの成績を修め続けてきたミラですら、油断すれば主席の座を明け渡しかねないほど。
だから、せめてC10級の冒険者にくらいは勝てても罰は当たらないだろう。それくらいの夢なら見させてくれてもいいではないか。
だが――結果は散々なものだった。
ミラは必死に涙を堪えつつ、アルシェへと疑問をぶつけた。
「なぜ、なぜあなたは剣を抜かなかったのですか」
そんな質問に対し、アルシェは少し逡巡するような表情を浮かべた。
だが、やがて紡がれた彼の返答は、とてもシンプルなものだった。
「剣を抜いたら、グレイが試合を放棄した意味がなくなるから」
その言葉の意味を理解した時、とうとうミラの頬を涙が伝った。
――ああ。
――やっぱりそうだったんだ。
グレイが試合を放棄したのは、彼の実力があまりにも突出しており、まともな試合にならないからだ。
剣を抜けばその意味がなくなる。つまり、アルシェが剣を抜いた場合でも、同じことが起きていたということだろう。
――要は、最初からアルシェにとって本気を出せない試合だったということ。
そんな事実を知り、自分が今まで積み上げてきたものの価値を見失ったような気がしたミラは、もう無理に堪えようなどとはせず、その場で大声を上げて泣いた。
かつてないほどの号泣。
だが、それに抗う術は持っていなかった。
◆◇
ようやく泣き止んだミラが、「ひっく、ひっく」と嗚咽を漏らしながら、アルシェを鋭く睨み付けていた。
そんな彼女の様子を見て、アルシェは先ほどの発言は失敗だったかなと反省する。だが決して嘘を吐いたわけではないし、あれ以外にいい言葉が見つからなかったのだから仕方ない。
よく言えば天真爛漫だが、悪く言えば場を容赦なくかき乱す彼女に対し、グレイさえもが少し悲痛な表情を浮かべている。
そんな場を取り仕切るかのように、ハリトンが彼女へと声をかけた。
「お、落ち着いたか? そろそろ反省会を始めようと思うんだが……」
そんなハリトンに対し、ミラは鋭い視線を以て答える。
正直意図は掴めないが、それを肯定の意として無理やり解釈したハリトンはアルシェを見た。
アルシェは小さく息を吐くと、やがて話し始める。
「……反省会ということなので、とりあえず悪かった点を。一つはチームを分けたことですね。僕にとって最も嫌だったのは、八人で陣形を整え、奇襲を受けること前提で待ち受けていた場合です」
「わかっています。反省しています」
アルシェの指摘に対し、力強くそう答えるミラ。
依然としてアルシェを鋭く見据える彼女に、思わずたじろんでしまう。
「じゃ、じゃあ次。やっぱり何と言ってもあの作戦は――」
「――それも理解しています。身に沁みて」
今度は食い気味に返事をするミラ。
そんな彼女の様子に改めて溜め息が漏れる。
(いきなり嫌われちゃったか。まだ先は長いのにな……)
思わずそう考えるアルシェだったが、意外なことに、ミラがベッドの上で頭を下げた。
そして言う。
「卑怯な手を使い、本当に申し訳ありませんでした」
そんな想像もしていなかった彼女の言動を前に、アルシェは自らの勘違いに気付いた。
彼女は本当に反省をし、前へ進もうと努力しているのだ、と。
その食い気味な返事も鋭い眼光も決して怒りからくるものではなく、ただ彼女の真面目な姿勢がそうさせているのだろう。
そんな健気なミラを前に、アルシェの頬も自然と緩んでいく。
「……ちゃんとわかってるなら大丈夫。それに、内容はともかくとして、咄嗟にあれが思い付くってのは凄いことだと思う」
そんなアルシェの言葉に、ミラの頬が少しだけ緩んだような気がした。
すると、それまで黙っていたグレイが天井を仰ぎながら言う。
「それにしても、どうせ卑怯なことをするならもっといい手があったよな」
そう言うグレイだったが、ミラはその言葉に首を傾げる。
どうやら心当たりがないようだ。
グレイがアルシェを見て続ける。
「お前はわかってただろ?」
「……まあね。だからなるべく視線は下げてたよ」
「ははっ、確かに意識してたのが伝わってきてた」
そうやって二人で笑い合っていると、まだ思い至らないミラが痺れを切らしたように問いかける。
「あの、そのもっといい手というのは何でしょうか。私にも教えてください」
そんな彼女の疑問は、グレイがたった一言で晴らして見せた。
「――観客の視線」
「……あ、確かに」
観客の視線を追えば、相手のいる位置が簡単に掴めてしまう。
そんな単純なことに今更気付き、ミラはとうとう真面目な表情を崩すと、くすくすと笑みを溢した。
◆◇
ミラを生徒とした反省会は終わり、アルシェたちは今日はもう帰っても大丈夫なことをハリトンから告げられた。
そこでアルシェはこの学院へと来た目的を思い出し、グレイを振り返った。
「そうだよグレイ。回復魔法の使い手、いい人いた?」
アルシェとグレイが臨時講師の依頼を受けたのは、回復魔法所持者を見つけてスカウトするためだった。
そして幸いなことに、来校初日にして二人の回復魔法所持者と出会うことができた。一人は保健教師のレノンだ。彼女はレベル4の回復魔法を持っており、歳もまだ若いため適任だと言える。
二人目に、アルシェの右肩を治してくれたアリシア・フォルンが挙げられる。彼女はレベル3の回復魔法を持ち、歳はアルシェたちの一つ下だ。仲間にするのなら、学院に務めるレノンよりもアリシアの方がいいかもしれない。
そんなことを考えながら問いかけたアルシェだったが、グレイの返答は期待外れなものだった。
「いや、いたのにはいたんだがな。断られた」
「え、もう誰か誘ったのか?」
「ああ、けど断られたって言ってるだろ」
グレイがそう言った時、アルシェの隣に立っていたアリシアが突然頭を下げた。
その様子を見たアルシェは全てを悟った。
「お断りしてすみません!」
「ああ、アリシアさんだったんだね。グレイが誘ったの」
「はい、憧れのグレイさんにお誘いいただいたのはとても嬉しかったのですが、私は宮廷魔術師になるのが夢なので……」
そんな告白を聞き、アルシェは「なるほど」と微笑んだ。
冒険者以外になりたいものがあるのなら仕方がない。さすがのグレイでも口説けないわけだ。
アリシアは「それに」と続ける。
「私は仲間にしない方がいいかと思います」
「ん、どうして?」
アルシェは素直に疑問を口にする。
見ると、グレイまでもが怪訝な表情を浮かべていた。どうやら彼もそこまでは聞いていないらしい。
言って見せたアリシアは、まずハリトンとレノンの顔を伺った。
そんなアリシアに対し二人が小さく頷いたことにより、彼女は意を決したように口を開く。
「私、実はエルフ族の血を引いているんです」
「エルフ……?」
そんな彼女の告白だったが、アルシェにはエルフ族というのが何を表しているのかが理解できなかった。単純にその言葉に聞き覚えがないのだ。
だがそんなアルシェに対し、知識人でもあるグレイは納得したように口を開いた。
「エルフ族か。……なるほどな。ってことは……」
「はい。お察しの通りです」
「ちょっと待て、グレイ。そのエルフってのはいったい何なんだ?」
そうアルシェが尋ねると、グレイは素直に解説してくれた。
曰く、エルフ族とはデスティネ王国ができる以前からこの地に住んでいた先住民族で、少し耳が尖っていることが特徴なのだそうだ。
そんな彼らだが、王国が国として形を成したくらいから、人間から迫害を受けるようになり、今では絶滅の危機に晒されているとのこと。
そんなことを聞いたアルシェは、「でも」と続けた。
「それがなぜ、仲間にしない方がいいということに繋がる? 一般的に認知されてないってことは、今では迫害なんかもないんだろ? それに、お察しの通りって、いったい何が?」
そうやって矢継ぎ早に問いかけると、グレイは淡々と答えてくれる。
「……この世界で魔装を使えるのは、一部の魔物を除き人類だけだ。そしてエルフ族は、定義上その『人類』には含まれていない」
「……つまり、エルフは魔装を使えないと?」
「そうだ。純粋な人間でも訓練をしないと使えないが、エルフはそもそも種族として使えない運命なんだよ。そしてそれは、例え人間との混血であろうとも変わらない」
そしてグレイはまた詳しく説明してくれた。
エルフの血には魔力を外へと引き出そうとする力があるため、とても出力の強い魔法を放つことが可能。だがその反面、その血の特性のために魔力を体表へと留めておくことが酷く苦手で、魔装を使うことができないという。
やがて解説を終えたグレイへと、アリシアは「さすがですね」と微笑んだ。
「私にも、少しだけとは言えエルフの血が流れています。つまり私は魔装を使えないというわけです。これが仲間にはしない方がいい理由です。本当にすみません」
そんな話を聞き、アルシェは全ての疑問に答えを得た。
確かに、魔装を使えないのなら冒険者にはならない方がいい。肉体を酷使する冒険者は魔装により身体能力を上げないと仕事の能率を保てないし、何よりも魔装の有無は戦闘能力に直結する。だからこそプロ試験では真っ先に魔装の練度を見られるのだ。
アリシアは最後に「まあ、魔装が使えても宮廷魔術師になりたいという夢は変わらないと思いますが」と笑顔で締めくくった。
「そっか。その夢、叶うといいね」
「はい! ありがとうございます! ……あ、そうだ。凄く余計なお世話かもしれませんが、ずっと思ってたことがあるんです」
「ん? 何かな」
「はい、あのですね。アルシェ、という名前なんですけど、偶然にも古代エルフ語に同じ言葉があるんです。意味は『愛くるしい』とか『最愛の』みたいな、愛に関係するもので。……だから、その、凄く素敵なお名前だなぁって、そう思ってました」
そう言うと、アリシアは最後にペコリと深くお辞儀をした。
対し、アルシェは少し不思議な気持ちになっていた。自分の名前の意味など考えたことないが、確かに彼女の言う通り、素敵なものなのかもしれない。
アルシェは「ありがとう」と言うと、思わず心が温かくなるのを自覚しつつ、思考を切り替えた。
とりあえず、アリシアが冒険者にならないということは理解できた。
だが、アルシェたちの問題が片付いたわけではない。むしろ振り出しに戻ったと言えるだろう。
そんなことを考えつつレノンへと視線を移すと、その視線の意味を悟った彼女は無言で首を横に振った。
それを見て、アルシェは小さく息を吐く。
「まあ、まだ初日だしね。焦らずに探そう」
そしてグレイへとそう言うと、「とりあえず帰ろうか」と続ける。
そんなアルシェにグレイが続こうとしたその時、ずっと黙っていたミラが口を開いた。
「あの、回復魔法の使い手を探しているのでしょうか」
そんな彼女の言葉に肯定の意を返すと、ミラは最後にこう言って見せた。
「私、持ってますけど。レベル2でもよろしければ」
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