35 最善の選択

「あんのバカが……」


 苦々しく吐き捨てられたグレイの発言は、あっさりと形勢が逆転してしまった模擬戦を見てのものだ。

 そんな彼へと、ハリトンが申し訳なさそうに口を開く。


「すみませんねぇ。あれはこちらも想定外でした。今からでも試合を止めますか?」

「いや……お人好しのアルにも責任はあるからな。その必要はない」


 そんなやり取りを交わすと、今度は二人揃って溜め息を吐いた。

 そんな彼らへと、いまいち状況の理解できていないアリシアは疑問をぶつけた。


「あの……、いったいどうしてアルシェさんはいとも簡単に囲まれてしまったのでしょうか」


 直前に思わず惚れ惚れするような速さと正確さ、そして強さを以て四人を無力化してみせたアルシェだ。そんな彼がくだらないミスなどするとは思えない。だが同時に、あれほどの実力を持つ人物をただの学生が追い詰めたというのも腑に落ちないのだ。

 その疑問にはグレイが答えてくれた。


「あの無差別の火魔法を見て、あいつはさっき自分が殺した四人の身が危険だと判断したんだ。それが敵側の思惑だと気付かずにな」

「な、なるほど……。でもそれって……」

「ああ。あの四人は既に死んでいる、という設定を無視して初めて成り立つ作戦だ。これが現実だったら、言うまでもなくアルは“死んでいる”四人の下になど駆け付けていないからな。要するにルールを無視した反則だよ。なあ?」

「はい、仰る通りです」


 グレイはハリトンの同意を聞き届けると、「まあ、反則だということにさえ目を瞑れば、あの一瞬でよく思い付いた方だがな」と締めくくった。

 そんな話を聞き、アリシアは少し意外な気分になっていた。


(先生もグレイさんも、自分が戦ってる訳じゃないのに頭を使うのが当たり前になってるんだ……)


 冒険者の強さとはそういうところにもあるのだと、アリシアは頭のメモ帳へと書き込んだ。これからは、物事を深く、それでいて素早く考える癖を付けていこうと決心する。

 アリシアがそんなことを考えていると、今度はハリトンがグレイへと疑問を投げかけていた。


「それにしても、止めなくてもいいということは、アルシェさんはまだ勝てると?」


 それは今日だけで何回目かもわからぬ質問だ。だが、グレイの返答はいつもとは少し違うものだった。


「俺はそう信じてる。だが問題は——」


 ——あいつが自分を信じられるかどうかだ。




 ◆◇




「って、普通に戦うしかないか……」


 時間稼ぎは必要ないが、最低限の準備くらいは済ませておきたい。

 そんなことを考えながらじりじりと警戒しつつ、三人の敵を順に見回した。

 正面に立つ女は短い剣を右手に構えている。片手を空けているのは魔法を使うためで、剣が短いのは女性でも片手で満足に振るえるようにだと思われる。

 そして自分が作戦を考えたという発言と、試合前からの態度、立ち振る舞い、アルシェを前にしても自信満々な表情を崩さないその様子から、彼女こそが彼らのリーダーであり戦術的支柱なのだと推測できる。


 次に背後右手側に立つ細身の男。

 一般的な剣を両手に構える鋭い眼光の持ち主だ。魔法学院の成績優秀者だと言うのだから魔法も使えるのだろうが、アルシェやグレイと比べるとかなり細い腕をしているため剣を片手で振るうのは苦手だと推測でき、どのように魔法を織り交ぜてくるのかがはっきりとはわからない。

 アルシェは考え得る彼の戦法を瞬時に脳裏へとリストアップし、最後の一人へと目を向けた。


 最後は、盾を構える大柄の男だ。

 盾のみを装備して戦う魔法使いは決して珍しくはなく、一見しただけではオーソドックスな魔法使いとしか思えない。

 だが彼のがたいの良さを考えると、魔法にのみ注意を払っていると足元を掬われかねない懸念がある。身体能力の高さというのはそれだけでもかなり厄介なのだ。


 アルシェはそれらの情報を瞬時に頭へ入れると、誰が襲い掛かって来ても反応できるように忙しなく視線を移し続ける。

 そんな均衡は、盾を持つ大柄の男が魔力を練ることで破られた。——しかし、実際に動いたのはアルシェだった。


「はぁッ!」


 アルシェは男が魔法の準備に入った瞬間を見計らい、実際に魔法が放たれるよりも早くその男へと肉薄し、拳を放つ。

 魔法の発動には大きな集中力が必要だ。それは、魔法を放とうとした瞬間に思わぬ反撃を受けようものなら、思わず魔力が形となる前に霧散してしまうほどに。

 盾の男も例外ではなく、アルシェの攻撃を盾で受けると同時に、せっかく練った魔力までもが虚空へと消えていった。


(——次っ!)


 アルシェはその様子を見届けると、追い討ちなどはせずにすぐさま他の二人へと意識を移す。

 そんなアルシェへと、今度は細身の男が斬りかかって来た。

 それを魔装の揺らぎをヒントに余裕を持って躱すと、懐へと潜り込み、腹部へと蹴りを放つ。


(まずは一人!)


 そして苦しそうに呻く彼の腹部を連打すると同時に、アルシェは頭の中で時間を測る。


(一、二、三——)


 その瞬間、先ほどアルシェの拳を受けた大柄の男の盾が突如として炎上——金属なため正確には違うが——した。それは彼の魔法ではない。アルシェが先ほど、彼の盾へと効果遅延を施した火魔法を付与したのだ。

 大柄の男は思わず盾を投げ捨てる。

 それを確認したアルシェは細身の男を前蹴りで突き放すと、好機とばかりに踵を返した。


(これで二人目!)


 そんな確信を強くするアルシェだったが、全身を横から何かの塊が打ち据えることにより、その思惑は幻想となり消えた。

 見えない何かがアルシェの右腕を圧し潰し、メキメキと身体が悲鳴を上げる。


「がッ……」


 訳もわからぬまま、アルシェの体は吹き飛ばされ石畳の上を転がる。そして三メートルほど吹き飛ばされた地点で止まると、その場へと素早く立ち上がった。

 だがダメージは決して小さくなく、激しく軋む右腕がアルシェの表情を歪ませた。


「ぐっ……風魔法か……」

「ご名答です」


 アルシェは鋭い眼光を風魔法の術者——リーダーと思しき女へと向ける。

 対して彼女は清々しいほどのどや顔で応えた。

 風魔法——それは鈍器にも刃にもなり得る便利な魔法であり、レベル2の魔装越しに喰らった感覚としては、おそらくレベル3以上のものだと推測できる。

 ——やっかいだな。

 スキルレベルもそうだが、何よりも高速で動くアルシェを横から捉えて見せたその正確さが、だ。

 そんなことを考えるアルシェを他所に、大柄の男が投げ捨てた盾を拾いつつ、改めてアルシェの背後へと回った。


「助かったよ、ミラ」

「気にしなくて結構」


 そしてそんな会話を交わすと、ミラと呼ばれた女は苦しそうに喘ぐ細身の男へと言葉を飛ばす。


「まだ動けますか」

「ぐっ……当然だ……」


 そう言うと、未だ呻きながらも彼はその場へと立ち上がった。そして魔力を練ったかと思うと、彼の持つ剣がバチバチと唸りを上げる。

 ――雷魔法の効果付与。

 その様子を見てアルシェは辟易とする。


(なるほど、魔法を武器へと纏わせるのが彼のスタイルか。それにしても雷魔法とは、またやっかいな……。ってかそれ以前に立たないでくれよ)


 心の中でそうぼやきつつ、アルシェは右腕の痛みに耐えながら、三人の情報をそれぞれ頭の中で更新していく。

 女性——ミラと呼ばれた彼女は、レベル3以上の風魔法を正確に操る実力派だ。こうやって見ている限りでは間違いなく三人の中で一番強い。

 次に細身の男だが、あれだけの攻撃を喰らってもまだ立てるとは、尋常じゃない打たれ強さの持ち主だ。おそらくは魔装の操作技術が高いのだろう。上手く腹部へと魔装を集中させて凌いだのだと思われる。

 雷魔法を纏った剣には触れることも叶わないためやっかいだが、魔装の動きがなまじ正確なため回避のヒントになりやすく、避けることは難しくない。

 そして大柄の男。彼は素の身体能力で抜きん出ているのだろうが、他の二人と比べるとまだ御し易そうだ。


 だが、今の攻防で理解できたことがある。


(——正直、勝てそうにない)


 二人の男子学生も決して弱い訳ではない。

 魔法を上手く組み合わせながらでなければ攻撃は届かず、先ほどはそれが上手く決まったにもかかわらずどちらも倒すことが叶わなかった。

 そんな彼らに加え、この場にて最もやっかいなミラという女性がいる。先ほど受けたダメージも決して小さいものではない。そして何より、自分は今囲まれているのだ。同じ一対三でも、ただ向かい合っている状況と比べ遥かに不利な位置取りと言えるだろう。

 アルシェはそうやって思わず弱気になってしまう自分を自覚する。

 痛みからふるふると震える右手が無意識に剣の柄へと伸びていることに気付き、急いで自らを律すると、アルシェは気を紛らわせるために大きく頭を振った。


(弱気になるな。気負ったところで状況は変わらない。自分にできる最善の戦い方をするんだ!)


 そう自らに言い聞かせ、改めて頭を冷静に働かせる。——そして、ふと気付いた。


 ——なぜ先ほどは、素手と魔法で立ち向かったのか。

 ——なぜ自分は今、無意識の内に剣を抜こうとしたのだろうか。

 ――それらは本当に、最善を尽くそうとした行動なのか。


 違う。そうじゃない。

 素手と魔法での戦闘は専門じゃないだろ。

 勝てないと悟った時、手を伸ばすべきは剣じゃないだろ。


(——僕は弓術レベル4を持つ上位冒険者だ!)


 やがてそう思い至ったアルシェは、小さく息を吐きつつ、弓を手に取った。




 ◆◇




 ——勝てるかも知れない。


 今の攻防を経て、ミラはそう思い至る。

 もちろん最初から勝つつもりでいたし、もっと言えば、元々はグレイを相手にしても勝つつもりだった。

 アルシェを見てそれは驕りが過ぎたと反省するミラだったが、今では上位冒険者を追い詰めている現状に心が躍っている。

 だがそんな現状でも、ミラの心を締め付ける二つの不安があった。

 一つはアルシェがまだ剣を抜いていないということ。

 もし先ほどの攻防で彼が剣を抜いていたのなら、攻撃を受けたゴウ——大柄の男——とシュン——細身の男——は既に地へと伏せていたことだろう。

 だからこそ、彼へと攻撃を加えた直後と言えど容易な追撃は控えているのだ。図に乗り慎重さを欠くと、いつ大きなカウンターを受けてしまうかわからないから。


(大丈夫。今はこちらが押している。変なミスさえしなければ本当に勝てるのよ)


 そうやって必死に冷静さを保とうとするミラだったが、視界に映った思いも寄らぬ光景に、大きく心を揺らされた。


(嘘、弓を取った? この距離で弓を使うの!?)


 それはミラの常識を大きく無視した選択だった。

 だが、アルシェが自棄やけを起こしたようには到底思えない。

 ミラはそれを認めると、心の中で落ち着け自分と連呼しつつ、仲間へと声をかけた。


「惑わされてはいけません! 警戒すべきは先ほどの効果遅延と効果付与の魔法です! 僅かな魔力も見逃さないように!」

「おう! 了解!」

「わかってるよ!」


 そうやって仲間の返事を聞き届けると、ミラは「もう迷いません」とアルシェを強く見据えた。

 そして、二度目の均衡はアルシェの宣言により破られる。


「——行くよ」


 次の瞬間、ミラの視界に映ったのはこれまた想像を絶する光景だった。


「そ、そんな……」


 ミラの視線の先で、アルシェは背中の矢へと手を伸ばしたかと思うと、矢筒に収まる十数本全ての矢へと魔力を流し込んだのだ。


(全ての矢に魔法を!? いや、そんなのはあり得ない。いくつかはダミーだ。でもいったいどれが!?)


 ——わからない。

 魔法の効果を付与されたものと、ただ魔力を流し込んだだけのものでは、見分けがつくのが普通だ。だがそれも個人差があるし、実力者の偽装を以てすれば素人には一切違いがわからなくなったりするものである。

 そしてアルシェのそれは、完全に見分けのつかない完璧なものだった。

 ミラの頬を一筋の汗が流れ落ちる。

 それを乱暴に拭い去ると、思わず弱気になってしまう自分を強く戒める。


(わからないのなら無理にわかろうとする必要はない! それに彼が近接戦では不利なはずの弓を使っている事実に違いはないから! 狙うべきはそこ!)


 そんなミラの思いが通じたのか、アルシェが矢を番えるより早くシュンが彼へと斬りかかった。

 だがそれを察知したアルシェは、弓へと矢を番えつつもその攻撃を紙一重で躱す。

 ——これだ。

 ——これが、ミラの中に潜むもう一つの不安の正体だ。

 先ほどもそうだったが、人間が振るわれる剣を完璧に見切り、それを躱しているというあるまじき光景。どうやっているのかは不明だが、動きを先読みしているとしか思えないほどの反射速度だ。

 躱す。躱す。躱す——。

 そうやって依然として躱し続けるアルシェだったが、ミラにとっての好機がようやく訪れることとなった。

 それは、シュンの剣を躱すことに集中していたアルシェが、こちらへと完全に背中を向け切ったというものだ。

 一瞬だけミラへの警戒が外れた。それを見逃すほど彼女は甘くない。


(ここッ——!)


 そしてずっと魔法を準備していたミラは、ここぞとばかりにそれを放った。

 先ほどと同じ風魔法だ。

 だが——


「え……」


 ミラが思っていた以上に、上位冒険者とは常識外れの存在だったようだ。

 激痛が走る左肩を押さえつつ、ふらふらと後退し、やがて尻もちを突く。

 そこで、ミラは今見た信じられない光景を思い出した。

 完全に警戒の隙を突いたはずだった。

 だがそれが間違いだった。それこそがアルシェの誘いだった。

 ミラがアルシェの背へと魔法を放った瞬間、彼はシュンの身を守っていたゴウの盾を足場にしたかと思うと、そのまま後方へと宙返りをし、上下逆さまの状態でこちらへと矢を射ったのだ。

 そうして放たれた矢はミラの風魔法を貫き、左肩へと命中した。魔法の威力に押され軌道がずれていなければ間違いなく急所を射抜かれていたことだろう。

 そんな事実にミラは愕然とする。

 シュンの剣を避け続ける常識外れのディフェンス能力。

 あえて隙を見せ、油断を誘う戦闘勘の良さ。

 戦闘中に宙を舞う身のこなし。

 そしてそんな状況でも正確に矢を放ち、魔法すらも貫いてみせた圧倒的な弓術スキル。


 ——これが上位冒険者。

 ——これがアルシェ・シスロード。


 完全に圧倒されてしまっていた。

 だからこそ、それは気の抜けへと繋がる。


「おい! ミラ! ミラ!」


 そうやって自らの名を忙しなく呼ぶ声。

 ——そこでようやく気が付いた。


「……あ、やっちゃいましたね」


 その瞬間、ミラの眼前に転がる矢が小さく爆ぜた。

 脳を揺さぶる衝撃と、翳した腕を蝕む焼けるような痛み。

 激しく振動する視界の向こうで、動揺を隠せないシュンとゴウがアルシェの拳により地へと沈む——そんな光景が見えた気がした。

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