34 戦闘開始
緊張や興奮が、いつの間にか焦燥と恐怖に変わっていた。
心なしか、左手に持つ盾がいつも以上に重く感じられる。
冒険者学部三年のガイド・ウェザリーは滲み出す汗を乱暴に拭うと、改めて周囲への警戒を強くする。
生徒たちに与えられた地の利とは、決してフィールドの地形や通路を覚えているということだけではない。相手に与えられたスタート地点の選択肢すらも把握しているということがその他の要因として挙げられる。
そしてそれは、生徒と冒険者がそれぞれどこをスタート地点に選ぼうとも、両者が直線距離にして五十メートル以内の近場からスタートすることはないように設定されている。
そこまでわかっているからこそ、こちらが先に相手を捕捉することも可能だと考えたのだ。
直前に地図を頭へと叩きこんだ冒険者がどこをスタート地点に選ぶのかなど、事前のシミュレーションは仲間内で何日もかけて行っていたし、先ほどアルシェという人物を見て、彼はそういう所で決して手を抜いたりするような人物ではないだろうという結論も満場一致で出された。却って好都合だ。そんなふうにさえ思った。
だが——この体たらくはいったい何なのだ!?
昨年までの模擬戦では、先輩たちは例外なく受け身で相手を迎え撃とうとし、結果として敗れている。そのような失態を繰り返さないよう、今回はこちらから奇襲をかけようと試みたのだ。
作戦は完璧だったはずだ。相手のスタート地点、相手の力量、相手の得物など、ありとあらゆるパターンを想定した訓練を行ってきたのだ。今まで一度も生徒側が勝利したことはない、という負の歴史も今日ここで塗り替えられるのだと、気持ちを強く持った。
我々にとって、この模擬戦は決して見物人の言うような祭り染みたものではない。
冒険者を目指す者として、成績上位者のプライドを懸け、憧れの先輩へ己の実力を見せつける一世一代の大イベントなのだ。ナルクラウンの次期当主が見ているこの場で活躍して見せれば、将来的に黎明国家や殲滅の旅団への入団が認められる可能性だってある。絶対に無様な姿だけは晒せない。
だがそれでも——アルシェ・シスロードの行方を知ることは叶わない。
「くそっ」
だが、募る苛立ちから小さくそう吐き捨てた時、予想外の出来事を以て彼の姿を目にすることとなった。
魔装で強化された聴覚が捉えた、一瞬の風切り音。
何かを察知し、無意識に逆立つ体毛。
背筋を駆け抜けた悪寒。
そして——
「ぐぁッ——!」
——突如として仲間が上げた苦痛の声。
何が起きたのかを本能が理解し、ガイドは反射的に大声を上げた。
「奇襲だッ! 攻撃を受けたぞ!」
「ど、どこから!?」
「背後だ! 後ろを警戒しろ!」
そう叫び、全員が武器を抜くと一斉に背後を振り返った。
だがそこにアルシェの姿はなく、自分たちが歩いて来た道が真っ直ぐ延びているだけだ。
(くそっ! どこに消えた!? ってかどこから攻撃して来たんだ!?)
それはまるで、正体不明の亡霊とでも戦っているかのような不気味さを孕んでいる。
ガイドは少しずつ荒くなる呼吸を整えつつ、横目で射られた生徒を見た。
患部はどうやら背面中央のようだ。矢に刃は付いていないとは言え相当に痛むのか、骨折まではしていないのだろうが、苦しそうに表情を歪めている。魔装を解いて極力静かにしようと努力している様子から、彼は今の攻撃が即死に値するものだと判断したのだろう。
——魔装越しでも一本の矢で即死。
そんな事実にガイドの焦燥は強くなる。かなりの威力だ。そんな敵がどこからかこちらの様子を伺っていると考えるだけで、思わず脂汗が滲み出す。
加速する思考がそんなことを考えていた時、仲間の女がガイドの後ろで声を張り上げた。
「上よ! 屋根の上にいる!」
はっとしたガイドは左上方を素早く見上げた。
そして視界に映るのは、屋根伝いに凄まじいスピードでこちらへと接近するアルシェの姿だった。
——屋根上を使うなど、想定外。
そんな事実が頭を過るが、今は反省などしている場合ではない。
むしろこれは好機と言えるだろう。相手はあっさりと姿を現したのだから。それにわざわざ近付いて来るということは、彼が接近戦を選んだことを意味する。あの弓術の脅威レベルは極めて高かったため、ガイドたちにとっては朗報と言えるだろう。
そうやってポジティブな思考を展開し、ガイドはアルシェを待ち受ける。
——その時。
ガイドの足下に転がる先ほどの矢が、「ガッ」という音と共に小さく跳びあがった。
「……は?」
まるで怪奇現象かのようなその光景に頭の中が真っ白に染まったのも束の間、一メートルほどの高さにまで跳ねたその矢に魔力が込められていることに気が付いた。
その光景からガイドは全てを理解し、反射的に盾を掲げる。
——その瞬間、矢はまるで生き物のようにくるくると回転すると、辺りへと小さな
ガイドの持つ盾にもいくつか命中し、両腕へと鈍い衝撃を伝える。だがその攻撃は大した威力など伴っていないもので、一瞬の内に途切れてくれた。
(土魔法か! だがこの程度なら——)
——なんてことはない。
そんな考えが頭を過ったその瞬間、背後へと絶望を知らせる音が訪れた。
ストン、という何かが降り立ったような音。
続けざまに聞こえる複数の鈍い打撃音と、仲間二人の呻き声。
そして——間髪を入れずにガイドの首筋へと添えられた一本の矢。
「取った」
静かに紡がれたその一言に、ガイドは己の認識がいかに甘いものだったのかを悟った。
両手に持った剣と盾を捨てると、ゆっくりと両手を頭上へと掲げる。
「参りました」
そう告げると、背後に立つ彼はさっと矢を退けてくれた。
その場に膝を突き、背後を振り返る。
視界に映ったのは、二人揃って腹部を押さえ苦しそうに喘ぐ仲間と、唯一この場に立つ一人の男だった。
その堂々とした出で立ちを見て、ガイドは思わず呟く。
「かっこよすぎだろ……」
対し、それを聞いた彼は小さく微笑んだ。
「上位冒険者だからね」
たった一言、それだけを言い残すと、彼——アルシェ・シスロードは素早くこの場を離脱した。
その姿を見たガイドは、負けた悔しさや何も出来ないまま討たれた恥ずかしさなど感じず、ただただ上位冒険者の強さに魅了されていた。
想定を遥かに上回る強さだった。その事実が嬉しくて堪らないのだ。
◆◇
「よし、あと四人だ」
素早く敵勢力の半数を無力化したアルシェは、住宅の路地裏を通り建物の陰へと身を潜めた。
今の騒ぎを聞きつけ、残りの四人もこの辺りへと集結することだろう。最初の矢を放ってから三十秒以上が経過しているため、いつこの場へ現れても不思議ではない。
本当なら先ほど仕留めた相手の周囲に罠を張っておきたいのだが、時間も材料も共に足りないため諦めた。
——さて、どう動くべきか。
先ほどの生徒たちを見ている限り、彼らはアルシェの予想通り迎え撃つための心積もりはしていなかったようだ。だからこそあれだけ簡単に制圧できたのだが、さすがに次は同じようにはいかないだろう。
ただ、彼らのおおよその強さは掴めた。
おそらく、全員がレベル3のスキルを一つ持っているかどうか、といったところだろう。アルシェが言うのも変な話だが、これくらいの歳でそれだけのスキル構成をしているというのはさすがとしか言えない。
(正面から戦ったらたぶん負けるよな……)
アルシェ自身、レベル4のスキルを一つ持っているだけで、あとはレベル2の魔装とレベル2の火魔法、そしてレベル1の土魔法だけだ。土魔法に至っては先ほどのような目くらましくらいにしか使えない程度のものである。
(敵は残り四人。最後の一人は一騎打ちで倒せるとして、単純計算であと三人分欺かなければいけないのか)
まるで暗殺依頼だ、と独り言ちる。だがそうでもしないと勝てそうにない。
そんなことを考えていると、アルシェはある違和感に気が付いた。
——他の四人はいったい何をしている?
最初の矢を放ってから、今でだいたい一分くらいが経過している。
戦闘前に察知していたもう一組の距離から考えると、たとえ警戒しながらの移動だったとしても、とっくに死体——生きているが——の下へと辿り着いているはずだ。
アルシェは慌てて魔装を頭へと集中させると、最初と同じように耳を地面へとくっ付けた。
そうやってしばらく気配を探るが、やがてアルシェは頭を上げた。
——気配がしない。
つまり、敵は動いていないか、余程遠くにいるということだ。
(そうか。奇襲を受けた、という叫びを聞いて仲間の命は諦めたのか)
アルシェは「なるほどね」と小さく呟いた。
おそらく『奇襲』というワードは連携を取る際の合図にはないものだったのだろう。だからこそ仲間が先にアルシェに発見されたことを確信し、助けに行くだけ無駄だと判断したわけだ。
確かに間違ってはいないが……。
(冒険者として、それはやっちゃダメだろ)
アルシェは少し寂しそうに息を吐くと、その場へと静かに立ち上がった。
おそらく、彼らも自分たちの判断が冒険者に相応しいものではないと理解しているだろう。少なくともアルシェは殲滅卿からそう教わったし、仲間が危機に陥った際は何を犠牲にしてでも助けに行く覚悟だ。
生徒パーティのその行動から読み取れる情報は以下の三つだ。
一つは、相応しくない行動を取ってまで今回の模擬戦で勝利を収めたいという強い思い持っていること。
二つ目に、先ほど倒した四人の中には、他の四人にとって絶対に失いたくない戦力はいなかったということ。もしリーダーやエースがいたのなら必ず助けに来るはずだ。
そして最後に、残った四人だけでもアルシェを倒すだけの自信があるということ。
「ああ、絶対に負けたくないって気持ちがより一層強くなったよ……」
アルシェはそんなことを呟きつつ、その場を後にする。
とりあえずはこちらも身を隠さなければいけない。
さすがにアルシェの居場所は掴めていないだろうが、仲間の叫び声が聞こえて来た地点の近くにいるということは予想出来ているはずだ。
アルシェがそんな考えから通りへと出たその時、ふと何かの接近を感じ取った。
素早く気配のする方向へと視線を向ける——それは左上空にあった。
「なんだ、あれ」
赤い球のような光が青空をバックにゆらゆらと揺れている。
一瞬それが何なのか理解できなかったアルシェだが、少しずつ大きくなる様子を見て、その正体を理解した。
直後、アルシェから二メートルほど右方の石畳が大きく爆ぜた。
——火魔法の超遠距離攻撃。
それはどこから放っているのかわからないほどの射程を持っている。わかるのは精々おおよその方角だけだ。
その後も次々と火魔法が降り注ぎ、辺りの石畳を無差別に破壊していく。
少しの間呆気に取られていたアルシェは、慌てて思考を回転させる。
(ちょっと待て。なんだその攻撃は! そもそも建造物の破壊は禁止じゃなかったのか!?)
そこまで考えてから、まさかという思いが湧き上がった。
(建造物には当たらないように放っている? 通路にだけ落ちる無差別攻撃か!)
なるほど、確かにこのフィールドを知り尽くしている彼らには可能なのかもしれない。アルシェのいるおおよその位置を知った彼らの必殺技とでも言うべきか。
思わぬ『地の利』を新たに発見したアルシェは、心労から溜め息を吐いた。
(言いたいことはいっぱいある! 破壊禁止の建造物に石畳は含まれていないのかとか、この魔法レベル4以上じゃないのかとか、ってか当たったら明らかに致命傷だよねとか! けど今は——)
アルシェは心の中でそう吐き捨てると、頭上を警戒しつつ地面を蹴り上げた。
足音や気配を隠すことには一切気を配らず、ただただ速度を出すことだけを意識して走る。
向かう先は先ほど倒した四人の下だ。
彼らは例外なく通りの上に倒れている。負傷具合によっては自主的にフィールドを去ることも許されているが、基本的には死んだ場所で待機だと聞いているため、考えたくはないがこの無差別攻撃に命中している可能性があるのだ。
やがて先ほど戦闘を繰り広げた地点へと辿り着くと、そこには予想だにしていなかった光景が広がっていた。
アルシェはゆっくりとスピードを落とすと、前方に立つ彼女へと口を開いた。
「……卑怯じゃないかな、それ」
「ふふ、私はそうは思いませんが?」
彼女がそう答えると、住宅の陰から出て来た二人の男がアルシェの逃げ道を塞ぐ。三人がアルシェを挟み撃ちにした形だ。
——そう、アルシェはここへ誘い込まれたわけだ。
「三人……ということは、残りの一人がどこか遠くであの火魔法を?」
アルシェがそう問いかけると、女性は自信満々な表情を浮かべる。
「その通りです。ちなみにこの作戦を咄嗟に思い付いたのは私ですからね」
「あ、聞いてないです」
アルシェはそう断りを入れると、必死に頭を働かせる。
逃げ道——はありそうにない。
時間稼ぎ——は意味がないし、最後の一人が合流する時間を与えるだけだ。
剣を抜く——なんてのは絶対にあり得ない。
じゃあどうするべきか——
「って、普通に戦うしかないか……」
ようやくその覚悟を決めたアルシェは、前方の女性を強く見据えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます