32 臨時講師
優秀な魔法使いや冒険者を育成しようとすると莫大な資金が必要となる。
学術的理解を深めたり実践的なスキルを習得するには専門家を家庭教師として雇う必要があり、なおかつ訓練そのものにも費用がかかるのだ。
なおかつ、それまでは質素な食生活を送っていた者にはより多くのタンパク質・脂質・炭水化物摂取が義務付けられ、家業の手伝いに費やしていた時間は勉強や訓練の時間へと取って代わり、収入さえも減少する。
そのため、国を代表するような魔法使いや冒険者には裕福な家庭の出身者が多い。冒険者の社会的地位が高い王国では、貴族家の長男が家門を継ぐまでの時間を冒険者として過ごす場合もあるほどだ。
優秀な魔法使いが多いというのは国力の大きさに直結する。やがて、どうにかして貧しい家庭で燻る天賦の才を発掘できないかと考えられてできたのがこの学院——王都魔法学院だった。
宮廷魔術師の頂点に立つ“魔法帝”ジルロッド・ベルニウスを筆頭とした権力者たちの手によって創設されたこの学院では、最低限の簡単な入学試験を突破した者であれば、性別や年齢、身分にかかわらず誰でも入学することができる。
授業料こそただではないが極めて少額であり、受験料・入学金は発生しない。そして成績優秀者だと認められた者は授業料の一切を免除され、学期末に実施される実技試験において上位三名に入賞した者には褒賞金さえも発生する。
それらの特典もあり、これまでではおそらく発掘されなかったであろう才能の数々が花を開き、この国へと大きな発展をもたらすこととなった。
そんな学院に通うアリシア・フォルンも、王都から二日ほど離れた町の一般家庭の出身だ。平均を少し下回る程度の収入しかなかった彼女がこの学院に入ることができたのも、この学院の掲げるその理念にあった。
「アリス! 何やってるの? 早く行くよ!」
図書室で自習をしていたアリシアへと一人の女生徒が話しかけてきたことにより、思考の渦から意識が引き戻された。
「え、行くって……どこへ?」
「もう、忘れっちゃったの? 今日は恒例のあれでしょ!」
「……あ、そっか」
そこまで言われてから、アリシアにも女生徒——イリア・メリーの発言の意味が理解できた。
今日は新しい臨時講師——現役の上位冒険者がこの学院を訪れる日なのだ。
そんな大切な日を忘れていた自分を心の中で叱りつけながら、アリシアはそそくさと荷物を纏め、イリアと共に図書室を飛び出した。
上位冒険者を臨時講師として学院へ招くのは恒例の行事のようになっており、多くの生徒がその姿を一目見ようと彼らの下へと殺到するのはいつも通りの光景でもある。だがその中でも、冒険者を目指している生徒たちにとってのその行動は、何も好奇心を刺激されたためのものだけではない。
知っているからだ。講師として招かれた冒険者たちもまた、この学院の生徒たちを一目見たいがために仕事を引き受けたことを。
だからこそ生徒側も新たな講師の品定めを開始する。そして場合によっては自らを売り込んでいく。過去にはそうやってスカウトされたため、学院を卒業後——または自主退学後——アマチュア冒険者としていきなり有名なギルドへと所属した生徒も多いと聞く。
やがて来賓室前へとやって来たアリシアたちは、予想通り集まっていた他生徒の集団へと加わり、目的の人物を待った。
どんな人たちが来たのだろうか、男だろうか女だろうか、そんな気楽なものから、どうやって自らを売り込もうかなどという現実的なものまで、生徒たちの喧噪は多種多様な興奮を孕んでいる。
それから約五分後——来賓室から待ち人が出て来た瞬間、その喧噪は一斉に沈黙へと変わった。
アリシアとイリアも思わず押し黙る。
やがて沈黙はまた新たな喧噪へと変化する。先ほどまでの浮足立つようなものではなく、怪訝な空気に満ちたものだ。
その原因は、現れた二人の上位冒険者(だと思われる人物)が、あまりにも若過ぎたため。
一人は茶色い髪をした青年で、剣の他に弓矢を携えている。もう一人は金髪が目を引く青年で、一人目とは違い剣だけを身に付けていた。どちらも十代後半くらいにしか見えない。
(あれ……上位冒険者じゃない? もしかして遣いの方かな……?)
思わずそんなふうに考えてしまうが、今日から臨時講師による授業が早速執り行われる予定なため、その可能性は低い。それにそもそも、この来賓室では仕事に対しての細かい説明が行われていたはずなのだ。そんな場に本人が出席しないなどあり得ないだろう。
だが、彼らが上位冒険者などという可能性の低さもあながち劣ってはいない。中には十代前半で冒険者になるような天才も存在すると聞くが、彼らほどの歳でランクを賜る人間などそれとは比べものにならないくらいに稀だ。
——やがて、そんな疑問に明確な答えを得た時、生徒たちの興奮は最高潮へと達することとなる。
◆◇
アマチュア最強と名高いロッド・ベルク、そして王都魔法学院に通う回復魔法の使い手という新戦力の候補が挙がり、アルシェたちはパーティを二つに分けることにした。
少し気性が荒いと噂のロッド・ベルクの下には、不測の事態に備え戦闘力に自信を持つラナーシャとシグルーナが。そして学院へは、ジョットの下でしっかりと教育を受けた経験を持つアルシェとグレイがそれぞれ赴くこととなった。
やがて学院の来賓室で仕事内容の詳細確認——冒険者組合でも面談は済ませているため二度目だ——を済ませた二人は、呆気に取られたような表情でこちらを観察する生徒たちの不気味な雰囲気の中、先導する学院スタッフと共に敷地内の訓練施設へとやって来た。
そこは百メートル四方の贅沢な空間に偽物の町が築かれている異質な施設だった。それはあまりにもリアルで、一部ハリボテがありつつも、住宅や乗り捨てられた馬車などを見ると本物の町の一角にしか見えないものだ。
学院スタッフ曰く、ここは『仮想フィールド・市街(1)』と呼ばれる場所とのこと。ここアレスのとある住宅街を再現したものだそうで、主に町中での戦闘シミュレーションの実習を行うための施設だそうだ。全体を俯瞰して見るためか、周囲にはこちらを見下ろすような形で客席のようなものが設けられている。まるで簡易的な闘技場だ。
そんな場所へ通されたアルシェは、あまりにも現実離れした光景に圧倒されていた。見た目は完璧な町にもかかわらず、人や動物の気配が一切しないその違和感は筆舌に尽くし難い異様な雰囲気を醸し出しているのだ。
「アル、こっちだぜ」
そう名を呼ばれ、アルシェの思考が現実に引き戻された。
声の主であるグレイの視線の先には併設された小さな会議室のようなものがあり、アルシェたちを案内した学院スタッフが扉を開けて待っていた。
はっとしたアルシェはスタッフの男性へと礼を告げつつ、グレイと共に小部屋の中へと入る。
そこでは二十から三十人ほどの男女がこちらを伺っていた。年齢は様々だが概ね十代後半だと思われ、全員が同じ服装をしている。制服だ。黒を基調とした格式高そうなマントを羽織っている彼らは、この部屋唯一の家具である大きなテーブルを窮屈そうに囲っていた。テーブルの上には隣の仮想フィールドのものだと思われる精巧な地図が広げられており、生徒たちが座る椅子のようなものはない。
男性スタッフに促され、アルシェは彼らを正面から見据えた。
「C10級のアルシェ・シスロードといいます。よろしくお願いします」
そして簡単な自己紹介を終えると、ずっと黙っていた生徒たちからざわめきが聞こえて来た。
「若いな。俺たちと同じくらいか?」
「そうだな。その歳で上位冒険者とかすげぇわ」
「ああ……」
そんな雑談は徐々に熱を帯び始める。
「アルシェ・シスロードだってよ。聞いたことあるか?」
「いや……あんまりC級冒険者には詳しくないから……」
「はっ、なにお前ら、知らねぇ―の? 最近王都で有名じゃねぇーか」
「本当だよ。この前の試験でランクを貰った冒険者で、ラナーシャ・セルシスと噂になってただろ」
「ああ、そう言えば聞いたことある! 十六歳で試験をパスしたんだっけ! ってことは、隣の金髪って……」
そうやって止まるところを知らないざわめきを鎮めようともせず、今度はグレイがぶっきらぼうに名を告げた。
「グレイ・ナルクラウンだ」
そんな一言が彼らのボルテージを最高潮にした。
「やっぱりグレイ・ナルクラウンだよ! すっげっ! 初めて見た!」
「貫録あるよなー。年下だなんて信じられねぇーよ」
「おいおい、冒険者の世界で最も勢いのあるナルクラウン一族の次期当主だぜ? 貫録くらい生まれた時から備わってるだろうよ」
「いやいや、彼の貫録を名前のせいにするのは失礼よ。だってA級冒険者だよ? それにすっごくカッコイイしね」
そんな会話を聞きながら、アルシェは頭の片隅を押さえた。この小部屋にこれだけの人数を詰め込んでこれだけのテンションを維持されると、さすがに頭に響く。
グレイに至っては不機嫌そうな顔でスタッフの男性へと文句を言っていた。「この学院の生徒には礼儀ってもんがないのか」と愚痴るグレイに「お前が礼儀を語るのは間違ってるぞ」とツッコミつつ、アルシェはざわめきが鎮まるのを待った。
やがてそれは、遅れて部屋へとやって来た男性の一声により終わりを告げた。
「おいお前ら! 鎮まれコノヤロー!」
そう叫ぶのは、生徒や学院スタッフとはまた違った制服に身を包む、三十代ほどの男性だった。スキンヘッドの強面で、外見は似ても似つかないが、どこかマキバのような優秀さを漂わす不思議な雰囲気を持っている。
生徒たちが一斉に鎮まるのを満足そうに見届けると、その男性はアルシェたちへと向き直る。
「ようこそいらっしゃいましたー! 先日はどうもぉー。改めてよろしくお願いしますね!」
不気味なほどに態度を一変させて握手を求めて来る男性へと応じる。
彼の名前はハリトン・グルー。眼前の生徒たちを受け持つ担任教師であり、戦闘実習を専門に教えている。今回の仕事を受注するにあたり組合でも一度顔を合わせている顔見知りだ。
しかしこの男、異様なキャラとは反し、実に優秀なのだそうだ。ここにいる生徒は皆冒険者を目指す学部に所属しているため、それを教える講師は冒険者上がりが多く、ハリトンに至っては元C1級の冒険者なのである。
そんな情報を頭の中で反芻していた時、八人の生徒たちが前へと進み出た。内約は男が六人に女が二人。全員がアルシェと同い年か少し上くらいだ。
女性の一人が手首をくるくると回しながら言う。
「先生、早く始めたくて仕方ないです」
そんな言葉に他の七人も同調する。
「そうですよ先生。俺たちずっと楽しみにしてたんだから」
「早くやりたくてウズウズするぜ。なぁ?」
「ああ、もちろんだ!」
彼らの表情には共通の感情がいくつか見られた。それは興奮や緊張、敵意などだ。
そんな彼らをハリトンが宥める。
「まあ待て。今すぐにでも始めてやるからよ」
アルシェには彼らが何の話をしているのかわかっていた。
それは、上位冒険者の臨時講師を招いた当日に行われる、歓迎祭のような伝統行事についてだ。その説明はしっかりと受けている。
その伝統行事とは、招かれた上位冒険者とあらかじめ選出された生徒による模擬戦だ。隣にある仮想フィールドを使い、通常冒険者一名につき四名の生徒が戦うことになる。この八人の生徒はアルシェ、グレイと戦うために選ばれた対戦相手だろう。
概要はこうだ。
これは臨時講師歓迎のお祭りと称した訓練であり、生徒たちは格上の人間との戦闘経験を積み、課題を見つける。そして臨時講師を交え反省会を開く。
だがアルシェたちは事前に一つの忠告を受けていた。
——それは、絶対に負けないでくださいね、というもの。
負ければ生徒たちの勉強にならず、なおかつアルシェたちの威厳が損なわれることになり、この先の講義に支障を来たすとのこと。
そんな中、アルシェたちが背負わされるハンディキャップは次の五つだ。
一つは人数の差。冒険者の四倍の生徒が模擬戦に参加することとなる。
二つ目に地の利。今日初めてここを訪れた冒険者に対し、生徒側はこのフィールドで何度か実習をこなしている。
三つ目に戦術の不利。本来仮想フィールドは戦闘シミュレーションに用いるための施設であり、実際に戦闘を繰り広げるために創られたわけではない。そのため建造物などの環境破壊は禁止されており、強者側である冒険者には必然的に加減というものが求められる。
四つ目に準備期間の差。ぶっつけ本番で戦わなくてはならない冒険者に対し、生徒たちは何日も前からこの日のためだけの自主訓練を行ってきている。
そして最後の一つが、文化祭気分で盛り上がる生徒たちとは正反対とも言えるプレッシャーだ。
だが、それだけのハンディキャップを理解しながらも、あらかじめ決めていたことがあった。
グレイが口を開く。
「アル、何分くらいで終わりそうだ?」
「いやいや、それはちょっとわからないよ」
「……とにかく、さっさと終わらせろよ」
「……まあ、可能な限りは」
周囲に気を遣わないグレイの発言に対し、アルシェは苦笑いを浮かべる。
そんな二人の会話を聞いていたさっきの女性が、眉を顰めつつ首を傾げた。
「グレイさん? まるでアルシェさんだけが戦うかのような発言ですが?」
そう問いかける女性を、グレイは興味がなさそうに見据えた。
「そう言ってるんだよ」
「え、え!? それは困ります。こちらはずっと前に八人の選考を終え、この日のために努力してきました。今更人数を減らすのは……」
「減らす必要はねぇーよ。八人でアルシェ一人と戦え」
続けざまにそう言い放ったグレイに対し、今度はハリトンまでもが口を挟んで来た。
「こちらは別に構いませんが、本当にいいんですか? プロじゃないとは言え、うちの生徒たちはなかなか優秀ですよ? それももう三年生です。それに今回は抽選などではなく、成績順に生徒を選出してますが……」
だが、ハリトンの発言でもグレイの意志を覆すには至らなかったようだ。
グレイは呆れたように小さく笑った。
「じゃあ聞くが、本当に俺が出てもいいと思ってんのか? 圧倒的な力の前に自信をなくし再起不能になる未来しか見えねぇ―な。せっかくランクありのプロと戦えるんだ。生徒たちもちゃんとした“試合”がしたいはずだろ?」
当たり前だと言わんばかりのその自信に、ハリトンを含めその場の全員が声を失った。
そんな中アルシェだけが、相変わらず言葉を選ばないグレイへと文句を飛ばす。
「グレイ、いい加減に言葉を選べ」
「うっせー」
「あのな……」
苦々しい表情を浮かべつつも、やがてアルシェは「まあいい」と呟き、ハリトンへと頭を下げた。
「失礼なことを言ってしまい、申し訳ありません」
「あ、い、いや、それは構いませんが……本当にお一人で平気で?」
「はい。……と言うより、態度はあれですが、あいつの言ってることが全てなんです。人数に関係なく、グレイがいるだけでパワーバランスが崩れるかと……」
そんなアルシェの説明を聞き、ハリトンは納得したようだった。「わかりました」とだけ呟くと、彼は改めて生徒たちへと向き直った。
「お前ら、話は聞いてたよな! 知っての通り、アルシェさんが一人で戦うことになった! よし! 模擬戦に出る八人以外は先に上へ上がっとけ!」
ハリトンがそう告げると、生徒たちはぞろぞろと部屋を後にする。その様子に不満は見られず、むしろアルシェがどうやって八人もの成績優秀者を相手取るのかに興味津々のようだ。
そんな彼らの様子を見てアルシェは小さく溜め息を吐いた。
(はぁ……。グレイが出ると勝負にならないから仕方なく出ないってだけで、決して僕自身は八人も相手にして勝つ自信なんてないんだよなぁ……)
そんな本音を心の中に隠しつつ、残った八人の生徒を見やる。
むしろ更に興味が湧いたとでも言いたげな他の生徒たちとは違い、その表情は決して穏やかなものではなかった。当然だろう。彼らもグレイが強いことは理解しているのだろうが、それでも舐められていることに変わりはない。先ほどから見られた興奮、緊張、敵意の内、最後の敵意だけが際立って大きくなっているように感じるのは決して錯覚などではないだろう。
そんなアルシェの内心など知らないハリトンが、テーブルに広げられた地図を指差し口を開いた。
「アルシェさん、模擬戦開始までの短い間ですが、地図を頭の中に入れておいてください」
「あ、それってありなんですね。助かります」
「いえいえ。それにスタート位置を決めてもらう必要がありますからね。勿論相手パーティには内緒で。アルシェさんにも生徒たちのスタート位置は伏せさせてもらいます。ちなみにですが、開始は学院の回復魔法所持者がやって来たらすぐ、ですので」
「わかりました」
そんなやり取りを交わすと、ハリトンは「ここか、ここか、ここか、ここ、そしてここの五つから選んでください」とだけ告げると、そっとアルシェの下から身を退いた。八人の対戦相手たちもアルシェへと背を向ける。アルシェが思い悩む様を見てスタート位置が推測できたりしないようにという配慮なのだろう。
アルシェはハリトンへと礼を告げると、必死になって地図を頭へと叩き込み始めた。
——やがて五分ほどが経ち、部屋の扉が開かれた音を聞き、アルシェは視線を地図から上げた。
振り返ると、扉の前には黒髪の可憐な少女が立っていた。歳は十代半ばほどで、その目は好奇心からかキラキラと輝いているように見えた。
少女は気持ちを切り替えるかのように首を振ると、ハリトンを見据える。
「先生、お待たせしました」
「おう、じゃあちっと挨拶しとけや」
「はい」
そして少女はこちらへと向き直ると、ペコリと頭を下げた。
「お二人の回復を担当させていただきます。アリシア・フォルンと申します。よろしくお願いします」
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