30 ラズール
戦闘の反省や今後の振る舞い方などを簡単に確認した後、アルシェたち三人は待機班との合流場所へと帰還することとした。
雷神化の後遺症は訓練により以前よりもマシなものへと抑えられているが、それでも体への負担は小さくないようで、グレイはアルシェの肩に支えられながらの移動となった。
その道中、偶然にも弱い魔物の集団に襲われたため、アルシェはわざと少しだけ返り血を浴びるように戦ったりもした。魔人との戦闘では返り血などは決して浴びないように意識していたのだが、敢えてそれとは別の行動を取ることにより仮面の剣士とアルシェが同一人物だと思わせないようにとの考えからだ。
そうやって小さなことにも意識を配りつつ、隠しておいた弓を回収した後に合流を果たす。
真っ先にアルシェたちに気付いたのはマリノスだった。
「おう、ご苦労だった。それとアルシェ。なかなか帰って来ないから心配したぞ」
「すみません、道中で少し魔物に襲われまして。討伐班の方たちとは入れ違いになったみたいですね。二人とはその後合流して、戦闘のいきさつなんかも聞きました」
「そうか」
「はい。ですがそれよりも、怪我……ですか?」
見ると、マリノスはアルシェと言葉を交わしながらラズールの右手へと回復魔法をかけている。
アルシェが「グレイからは怪我人なしと聞いたのですが」と続けると、ラズールが口を開いた。
「俺自身も気付かなかったんだが、どうやら小指の骨にひびが入ってたみたいでな。魔人の攻撃を咄嗟に変な防ぎ方したからなんだが……本当、情けねぇーよ」
そう答えたラズールの口調は、どこか自らを嘲笑っているような雰囲気だった。
それを庇うようにマキバが否定する。
「いや、あれは防ぎ方の問題じゃない。レベル4の魔装を持つ俺でさえ、奴の攻撃は骨の芯にまで響いてきた。よっぽど魔装操作に優れてなきゃ、レベル3では完全になんて防ぎ切れないさ」
「……お気遣い、ありがとうございます」
だがマキバの言葉をただの慰めだと捉えたのか、ラズールの目に元気が戻ることはなかった。
他者であるために完全な推測は不可能だが、アルシェには彼の悩みがわかるような気がした。
彼はおそらく、冒険者としての自分に自信が持てないのだろう。
理想の冒険者とは三つの要素を併せ持つと言う。一つは戦闘能力の高さ。二つ目は知能や知識の豊富さ。そして三つ目に冒険者としての適性。
一つ目は言わずもがなである。一流の冒険者に弱い者など存在しない。二つ目も然り。問題は三つ目だが、これは少し厄介なもので、個人の努力だけではカバーし切れない部分が多いのだ。所謂“才能”と呼ばれるものに近い。年齢などもここに含まれるだろう。
そして、志は高くとも適正が不足しているために苦しむ人間というのは決して少なくない。その中の一人がラズールだ。
もちろん正反対の立場の者もいる。ラナーシャなんかがその最たる例と言えるだろう。
彼女は冒険者としての志は低く、冒険者として出世することにあまり価値を見出せない人間だ。だが適性の高さは折り紙付きで、剣術と魔装の才に優れ、弱者のためならば自然と自らを犠牲にできる心の強さを併せ持つ。
もちろんラズールの適性も決して低くはない。彼が現在B8級の位に就いているのがその証拠だ。適性のない者はそもそも上位冒険者になどなれはしないのだから。
だが、ここで問題となるのがロアという名だった。
冒険者として世界最高の伝統と歴史を持つその名前の重さは、一般の家系に生まれたアルシェには想像することさえ失礼に当たるだろう。
冒険者組合設立者、歴代の冒険者組合長、史上最強と名高い冒険者、組合設立から現在まで常にギルドランキング一位の座に収まる『王の砦』の歴代ギルド長。――
その次期当主と言われるラズールは、何としてでも冒険者として成功を収めなければならない。ラズールはグレイに負けることを心のどこかで許しているようだが、それでも今のままでいいなどとは決して思わないはずだ。少なくともA級上位に立ち、冒険者ランキングでも一桁に入ることを目標にしているだろう。それがロアの名を背負う自らの最低限の責務だと。
そんな折に、彼は初めて自らよりも強大な敵と対峙し、ライバルだと思っていたグレイの強さを痛感し、冒険者とは何たるかを同年代の彼らにまざまざと見せつけられ、そして悟った。
――自分は
その時の絶望はどれだけのものだったのだろうか。それを想像するだけで思わず胸を締め付けられるような苦しさを覚える。
生まれつき何か大きなものを背負わされた人間というのは、それと上手く付き合っていくことを義務付けられる。レベル6の剣術を持って生まれてきたアルシェもそうだ。
ただ、アルシェはラズールとは違いその全てを背負うことはなかった。アルシェが生まれた同時刻にラナーシャがスキル鑑定を受けていたため、不本意ながらもその責務を彼女へとなすり付けることとなったからだ。
それでも様々な苦労を強いられているアルシェだからこそ断言できる。――逃げるにしても向き合うにしても、付き合い方を間違えれば必ず我が身を滅ぼすことになる、と。
だからこそアルシェ――仮面の剣士はラズールを追い込み、これを機に思う存分思い悩んでもらおうとした。
そんなことを考えていると、何を思ったのか、怪我の治療を終えたラズールがその場に立ち上がり、グレイに対してこんなことを言った。
「――お願いがあるんだ。俺と一対一で戦ってくれないか?」
◆◇
将来なりたいものと、本当になるもの。
今思えば、それらが自分の中で結び付いたことなどなかった。
世界中で冒険者を排出し続けるロア一族の直系で、現当主の長男として生まれたその日から、自分はずっと冒険者だった。
試験に受かる前は、資格を持たない冒険者。試験に受かってからは資格を持つ冒険者。そこに大した違いはない。ロアという名に絶大な誇りを抱いていたからだ。資格があろうとなかろうと、強かろうと弱かろうと、自分がロアの人間である事実が覆ることはないのだ。
そんな思い上がりがあったから、ナルクラウン一族の次期当主であるグレイと初めて出会った時、年下である彼に力の差を見せつけられても焦りはなかった。ロアの関係者からナルクラウンとの確執を教えられた時も、何も思わなかった。
グレイという天才が存在しようと、ナルクラウンがどれだけの力を持とうと、やはり自分がロア一族であるという事実は覆らないのだから。ロアの名と共に生きられれば、それだけで満足だった。
それからしばらくして、アルシェという少年と出会った。彼は自らの将来を憂い、そして悩む少年だった。それが酷く新鮮で、どこか不思議に感じられた。
その時に初めて知ったのだと思う。将来なりたいものと本当になるものは、密接に繋がっているのだと。一般人は将来なりたいものに本当になろうとするのだと。
やがてアルシェは冒険者になりたいと言った。それを聞き、自分は漠然とケーキ職人になりたいと思った。なりたいものになれるのなら、絶対にケーキを作る職人になるのだと。甘いものが大好きだったが故の単純な思考だ。
だがやはり、当時の自分にとって将来なりたいものと本当になるものは別物であり、なりたかったケーキ職人に本当になるなどということは考えもしなかった。
ロア一族は冒険者の家系だから、必ず冒険者になる。ロアの名と共に生きられれば満足だという考えが覆ることはない。
そんな考えは昨日の今日まで続いていた。だが先ほど、それは終わりを告げた。
――自分は冒険者の器などではない。
自分はグレイやラナーシャのようにはなれないし、いずれはアルシェにだって抜かされる。
自分よりも強い敵と対峙するだけで簡単に命を諦めてしまうくせに、他人のために命を懸けられる人間ではない。
本当はもっと前からわかっていたはずだ。
グレイに負けても悔しくない時点で、自分はロアの名を継ぐに値する冒険者ではないのだと。
思っていた以上に強くなっていたアルシェに対して抱いた悔しさは、彼が高貴な家系の人間でもないくせに自分よりもずっと冒険者らしいと感じられたからだ。そこにあったのはロアの名に縋り付く自らの醜さであり、冒険者としての矜持などではなかった。
――自分は冒険者として生きられない。
そう理解できたものの、冒険者という肩書を捨てる決心が付かない。
なぜなら、冒険者でなくなるということは、ロアの名と共に生きることを許されないということだからだ。
ロアの次期当主は弟が引き継ぎ、兄である自分は父にとっての汚点とさえもなり兼ねない。
だからこそ、自分の未来を他人に委ねることにした。
最後まで情けないなとは思うが、きっと彼は快く引き受けてくれるだろう。
やがてラズールはその場に立ち上がると、目的の人物―—グレイを見据え、口を開いた。
「お願いがあるんだ。俺と一対一で戦ってくれないか?」
そんな突然の申し出に対し、グレイは一瞬だけ驚いた表情を浮かべつつも、やがて頷いてくれた。
「容赦はしねぇーぞ」
「ああ、望むところだ!」
勝ったらどうだとか、負けたらどうだとかではない。いや、いくら彼が雷神化によって体力を奪われていると言えど、十中八九負けてしまうだろう。それでも、ただグレイと戦ってみたい。
そうやって言葉を交わしつつ、ラズールは治ったばかりの右手で剣を抜き放つ。それを見たグレイはアルシェの肩から体を離すと、その場で魔力を練り始める。
そんな二人に対し、マリノスが呆れたように口を開いた。
「グレイは万全じゃないし、お前の得物は真剣だ。あまり無茶はするんじゃねーぞ」
「……はい」
てっきり怒鳴られるかと思ったがそうではないらしい。
ラズールは彼女の気遣いに心の中で感謝を述べると、最後にグレイと頷き合い、そして地面を蹴り上げた。
「行くぞぉぉお!」
レベル3の魔装を纏ったラズールの全力の斬り下ろしが凄まじい速度でグレイを襲う。
無茶はするな、というマリノスの言葉など意に介さない本気の一撃だ。当たろうものなら確実に絶命してしまうだろう。
だがグレイには当たらないだろう。彼の力を認めているからこその行動でもある。
予想通り半身を引くことにより紙一重で回避したグレイに対し、ラズールは攻撃を続ける。
斬り上げや袈裟斬り、土魔法を使用しての連続攻撃。だがそれら全てを回避してみせたグレイは、最後の剣突により伸ばされた剣へと小さな雷魔法を触れさせた。——その瞬間、剣を伝った雷がラズールの魔装を貫き、激痛と共に硬直をもたらした。
「がぁぁぁッ——!」
たった十数センチほどの小さな雷魔法だった。にもかかわらずその威力は想像を絶するもので、油断すればラズールの意識など簡単に刈り取られてしまうだろう。
だが、意識の喪失に必死に抗うラズールへと、グレイの回し蹴りが放たれる。それはラズールの一瞬の硬直を狙ったものであり、避けられるほど甘いものではなかった。
「ぐっッ!」
辛うじて肘でガードしたラズールだったが、ただの回し蹴りでさえラズールの想像を絶する威力を秘めており、思わず地面へと叩きつけられる。
——これがA級冒険者。
レベル2の魔装と、後遺症の残る体。そんな状態で放たれる蹴りが自らのものよりも鋭いというジレンマ。
あり得ないという思いが湧き上がり、直後にグレイならばと腑に落ちる。
(それでこそA級冒険者。それでこそグレイ・ナルクラウンだ!)
せっかく尊敬しているんだ。強ければ強いほどいい。
そんなことを思い、ラズールの頬が無意識に緩む。そして反撃に出ようと即座に立ち上がるとグレイを振り返り――
「なっ……」
――彼が消えていることに気が付いた。
「終わりだ」
そして背後からかけられるグレイの声。
あまりにも想定外の展開にラズールは混乱する。
(速すぎる! 蹴りを放った直後に背後に回ったのか!?)
いくらなんでもあり得ないだろうと心の中で吐き捨てる。
だが、負けを悟り剣を捨てたラズールの耳へと聞き覚えのある音が届き、全てに答えを得た。――それは雷が弾けるあの鋭い音だ。
「……ああ、そうか。雷神化まで使ってくれたんだな」
「言っただろ、容赦はしないと」
「そうだったな」
「ああ」
「最後に一つ聞かせてくれ。お前は何を見て、俺の攻撃を避けてたんだ」
「……お前はまだまだ未熟だから、剣を強く握れば魔装が揺らぐ。それでタイミングを見計らえば、あとは魔装を目へと集めるだけで十分避け切れる。アルだって使う技術だ」
「……そうか」
グレイは簡単に言うが、当然ながら誰にでも真似できる芸当じゃない。
――やはり、レベルが違う。
もちろん、全て理解している。
そもそもグレイが本気になれば、ラズールは攻撃などする暇もなくやられていただろう。
グレイは本気で戦うとは言わなかった。ただ
――グレイは最も残酷な勝ち方を選んだのだ。
敢えて先制のチャンスをラズールへと譲り攻撃を完璧に見切ると、魔法を喰らわせた後に筋力の差を見せ付け、最後はスピードの差をわからせるためだけに背後を取った。
これ以上ないほどの大敗。それを喫して尚、ラズールが悔しさを感じることはない。
(ははっ、全然悔しくないなぁ。なるほど。これが答えだわ……)
――自分はロア一族の器などではない。
それを痛感させられ、ラズールの目に涙が浮かぶ。やがてそれが頬を伝うと、情けなさや寂しさが波のように押し寄せ、ラズールの口から飛び出した。
「だが、俺はラズール・ロアだ! そうだろ!? どうするのが正解だったんだ! ふざけるなッ!」
ただの癇癪だと理解している。
十九にもなってあまりにも情けないことだとは理解しているが、それでも吐き出さずには言られなかった。
「わかってんじゃねーか」
だが、そんなラズールへとかけられたグレイの言葉は、想像していたものとは大きく違った。
「わかって、る? いったい、何が……」
「お前、ラズール・ロアなんだろ?」
「だから、いったい何の話だ!」
「……ふん、ロアである前にラズールだって話だよ。このバカ野郎が」
そう言うと、グレイは知らんぷりを決め込むかのようにそっぽを向いてしまった。
それは吐き捨てるかのような言葉だった。だが、その一言がラズールの心を少しずつ晴らしていく。
「ロアである前にラズール……だから、ラズール・ロア……ははっ、ただの言葉遊びじゃねーか」
グレイのその言葉を噛み締めるように反芻する。
ただの言葉遊びに変わりはない。だが、それが妙に核心を突いているような気がしてならなかった。
(なんだ、こんなに簡単なことだったのか……)
ラズールは頬を伝う涙を拭い去ると、改めて考えてみる。
自分は今までロアの人間として冒険者をしてきた。では、ラズールとしてはどうだろう。いや、それ以前に、もしロア以外の家に生まれていても冒険者になっただろうか。
答えは否だ。冒険者となったのはロアの人間だからであり、それ以上でもそれ以下でもない。
では、その時はいったい何になっていたのだろうか。
(……もし俺がロアの人間じゃなければ、きっと冒険者なんかじゃなく、なりたいものになってた)
将来なりたいものと、本当になるもの。
それは本来、密接に繋がっているもの。
そんな思考に辿り着いた時、グレイがそっぽを向いたままぼそりと呟いた。
「……とりあえず、ケーキは美味いもんだと証明できたら認めてやるよ」
そんなグレイの呟きに対しアルシェが笑う。
「ははっ、ケーキ好きじゃないからね、お前は」
「だから、あんなパサパサしたもんの何が美味いんだよ」
「公国のケーキはしっとりしてて美味しいらしいよ?」
「だったらそれを証明して見せろって言ってんだよ。なあ、ラズール」
そうやって名を呼ばれた時、初めてラズールは自分がすべきことを悟った気がした。
「はぁ、あのな、甘味後進国のケーキと一緒にしてんじゃねーよ」
大望を見たわけではない。ただ、とりあえず今何をしたいかと問われれば、これしかないだろう。
「ケーキをバカにする奴は許さない。必ず美味いって言わせてやるよ」
――まずはこの国の人間にケーキの美味しさを知らしめてやる。
それはラズールがロアの名を捨てるという宣言に他ならなかった。
だが、体を酷使しすぎたグレイが急にその場へ倒れてしまったため、彼がそれを聞き届けたかどうかは不明なままである。
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