29 乱入者

 全身を雷魔法で覆ったグレイが縦横無尽に動き回り、知能の低い魔人を翻弄する。その人間離れした動きを前に、マキバの目に興奮の色が灯る。

 マキバは冒険者組合の上層にて事務系の仕事を担うため、十年ほど前に三十代の若さにして冒険者を引退した身だ。だがそんな今でも、若き冒険者たちの奮闘を目の当たりにすると心を震わせる何かに囚われてしまう。それは期待や称賛といったポジティブなものだけでなく、嫉妬や劣等感といったネガティブなものまで含まれる、とても複雑な感情だった。

 それらがぐちゃぐちゃに混ざった結果、マキバの頬が小さく緩んでいく。

 グレイ・ナルクラウンがA5級にまで昇級したという報告と共に彼の雷神化や不可視魔法についての詳細も聞いており、その戦い方に自分と同じような匂いを感じ取っていた。

 それは、ラナーシャやジョットのような超弩級のパワーを正面からぶつけるような戦い方を好まないというもの。

 現役時代のマキバは瞬神と謳われるほどにスピードに優れた冒険者であり、当然ながらそれを活かした戦いを繰り広げてきた。だが魔装自体はレベル4止まりであり、ラナーシャなどと比べると一段劣るのである。

 そんなマキバが他の冒険者を差し置き瞬神の二つ名を手にしたのには、性質変化を加えた魔法と魔力を足裏へと収束・解放し、最初の一歩の速さをひたすらに極めたという経緯があった。

 ――そんな自分と同じように、グレイも四大奥義の行使を始めとする様々な工夫の末にA級上位に相応しい戦闘力を実現しているのだろう、と。

 だがそんな期待がいい意味で裏切れることとなった。

 ――こいつはラナーシャやジョットに匹敵するだけの才能を持ちながら、決してそれに満足せず己を磨き続ける人間だ、と。

 これでまだ十七歳を迎えたばかりと言うのだから末恐ろしい。


(こいつはいつか、ジョットすらをも超える冒険者となるやもしれんな……)


 そして、誰よりもジョットの力を認めているマキバでさえそう考えてしまう理由は、決してそれだけではなかった。

 それは今のグレイの動きにあった。――あれは、マキバが使う高速移動術『瞬脚しゅんきゃく』と同じものだ。

 最初の一歩に魔法の力を加え、最速とする技術。それは言葉で言うほどに簡単な技術ではない。力加減や魔力量の調節・瞬発力、空中での姿勢制御、着地、着地後の連携、その他諸々の調整を奥義を駆使しつつ行わなければならない。身体能力や魔装の練度が高くなければ成立しないし、魔装の防御が乱れようものなら足首が消し飛んでしまう。尚且つ、高すぎても暴走の種となってしまうだろう。

 それを彼は、雷神化と併用して行っているのだ。

 これは、王都にてグレイについての詳細を聞かされた時にはなかった情報だ。マリノスほどの冒険者がその戦闘を見ていたのだから、グレイがこの技術を駆使していることに気が付かないはずがない。

 では、なぜ情報がなかったか。――簡単だ。その時のグレイは瞬脚を使っていなかった。そして同時に導き出される恐ろしき可能性があった。

 ――グレイは今、たった一回マキバの動きを見ただけで瞬脚を身に着けた。

 さすがにマキバのものと比べると荒々しさが目立つし、ブランクのある現在のマキバからしても真価を発揮しきれていないが、それでも彼が雷神化という不安定な状態でその技術を駆使しているのは紛れもない事実だ。


(ははっ、これは俺の出る幕じゃねーな)


 そしてそんなグレイと息を合わせ、危なげなく剣を振るう二人の美女。

 ラナーシャのみならずシグルーナというアマチュア冒険者までもがそれを実現しているという事実に、マキバは少し恐ろしいものを見ているような気分になっていた。

 現役を退いてからも体が鈍ってしまわないように最低限の調整は続けてきたつもりだったが、やはり戦闘勘の衰えというものは無視できないようだ。かつてはA2級の位に就いていたマキバだが、今では贔屓目に見てもA級下位程度が関の山だろう。彼らとの連携訓練を行っていないという現状もあり、無理に戦闘に参加しない方がよさそうだと判断する。

 ――その時。

 誰もが予想だにしていなかったことが起き、グレイの怒号が辺りへ響く。


「ラズール!」


 それは、魔人への注意を怠っていたラズールに対してのもの。グレイたちの攻撃から逃げるように離脱した魔人がラズールの下へと向かったにもかかわらず、彼は反応し切れていなかったのだ。

 グレイの声に反応したラズールは慌てて剣を翳したが、両腕は簡単に弾き上げられ、ふらふらと尻もちを突く。

 ――助からない。

 そんな考えがマキバの脳裏を過るが、それよりも早く体が動き出していた。

 己の再現し得る最速の瞬脚を駆使し、ラズールの下へと駆けつける。その後どうするのかなどは考えていない。だが、今は若者の命を守ることが最優先だ。結果として彼の身代わりとして大怪我を負うことになろうとも、レベル4の魔装を持つ自分ならばそう簡単に命を落としたりはしないはずだ。

 だが、そんなマキバの覚悟は無駄なものとなった。

 黒いローブで全身を覆い、仮面により顔面を隠す乱入者が現れたのだ。

 いつの間にそこにいたのか、その者は小さく地面を踏み込んだかと思うと、剣を一振りすることにより魔人の攻撃を弾いた。そして続けざまに剣をもう一振りすると、魔人は両手足首から血を吹き出し、その場に両膝を突いた。




 ◆◇




「……ちっ、ここまでか」


 力なく呟くグレイの視界に映るのは、自らの正体を悟られないために変装をしている一人の剣士――アルシェだ。

 その呟きはもっと戦っていたかったという思いから出たものだが、本心の大半を占めるのは他の感情だった。

 ――今のはかなり危なかった。

 グレイはその事実を認めると、素直に安堵から息を吐く。

 アルシェが控えているために誰も死ぬことはない。そんな前提の下に戦っていたのだが、それは形勢を見ての乱入を想定したものだった。今回のように魔人を前にして集中を切らし、なおかつ戦意を喪失する者が出るという想定などしていなかったのだ。実際、ラズールほどの実力者ならば仲間の援護が入るまでくらいなら魔人の攻撃と言えど凌げていただろう。


(俺の声とアルシェの判断、そのどちらかが少しでも遅れていたら死んでたな……)


 そうやって状況を思い返すと、安堵の次に訪れるのは怒りの感情だった。

 冒険者――それも上位冒険者たる者が戦闘中に集中を欠くとは何事か。それも半端に欠いたわけではない。先ほどのラズールには完全に敵が見えていなかった。状況の一切が見えていなかったのだ。

 そんな事実から思わずラズールを怒鳴り付けようとしたグレイだったが、それよりも早く言葉を発した者がいた。


「……立て」


 その声は、女性のものに聞こえるよう巧みに変えられたアルシェのものだった。

 変声や演技にも長けるアルシェに更なる訓練を施しただけあって違和感はない。グレイの指示により、普段のアルシェとは正反対の性格をした女性像がそこにはあった。

 そんな彼――彼女の声に反応を示した者はいない。突然現れた乱入者が一瞬にして魔人を地に伏せたのだから当然だろう。そのことを理解しているアルシェは再度言葉を紡ぐ。


「立てと言っている。ラズール・ロア」


 そんな険しい声の主に名指しされたラズールの背中がビクリと反応する。


「わ、私ですか……?」

「そうだ」

「なぜ……」

「這いつくばる姿が醜いからだ」

「――っ!」


 どこまでも冷たいそんな一言に、ラズールは弾かれるようにその場から腰を上げた。

 そんな一連の流れを見てグレイは思い至る。


(アルシェのやつ、相当怒ってやがるな)


 それも仕方がないかもしれない。知人が自分の命を諦める瞬間というのは見ていて気持ちの良いものではない。他人思いなアルシェなら尚更のことだろう。

 そしてもう一つ、平然を装ってはいるが、彼との付き合いが長いグレイには理解できた。

 ――あいつ、相当ハラハラしていやがる、と。

 だがそれも当然だろう。先ほどは本当に危なかったのだから。ギリギリ助けが間に合った事実に、未だアルシェの心拍は落ち着きを取り戻せていないに違いない。無愛想な仮面の奥では安堵から目が泳ぎまくっていると思うと、ラズールへの怒りも忘れて思わず笑ってしまいそうである。

 だが、暢気でいられるのもグレイだけだろう。乱入者の正体を知っているラナーシャとシグルーナでさえ、普段のアルシェとは大きく異なるその雰囲気に固唾を飲んでいる。ましてやその怒りの矛先に立つラズールの内心は穏やかではなかった。

 やがて、その場の全員が黙り込んだ。

 あるのは、傷が再生すると同時に改めて四肢の腱を断たれる魔人の呻き声だけである。

 先ほどまではこの場の誰よりも強く、圧倒的な存在だった上位魔人。そんな存在が成す術なく、まるで弄ばれるかのように地面へと転ばされ続けるその光景に、グレイだけを除き皆の顔が一様に青味を帯びる。


 そんな彼らを見渡したアルシェは、小さく息を吐いた。

 想定していた以上に速やかな介入となったため、アルシェはこのまま戦闘を終えても良いのかを思案していたのだ。今回の戦闘には訓練の意味合いも大きく、なおかつあのような無様な様相を呈してしまったラズールから名誉挽回の機会を奪うことになり兼ねない。少なくとも、アルシェやグレイが彼の立場なら、その機会を奪われることなど良しとしないだろう。

 だが、この現状から何かが変わるとは思えない。

 そう判断したアルシェは、心の中で「安らかにお眠りください」と呟くと、傷が再生した瞬間を見計らい魔人の心臓へと剣を突き立てた。

 そして小さな呻き声を最後に、魔人はその命に幕を下ろした。


(――さて、どうしたものか)


 不本意な展開だったとは言え、全員の無事と五体満足な魔人の亡骸の確保といった目的を果たしたアルシェは、次の行動へと思考を巡らせる。

 このまま何も言わないのも違和感があり、なおかつラズールへと説教をしておきたいという思いがある。

 アルシェは声を変えつつ、改めてラズールへと言葉を放つ。


「お前、なぜ命を諦めた」


 そう問いかけられ、ラズールは先ほどと同じようにビクリと背を震わせた。

 ラズールはマキバたちとは違い仮面の剣士の正体について心当たりはないはずだが、それでもその存在が尋常ならざるものであることだけは嫌というほど痛感出来ているようで、その正体を詮索しようとはしない。


「も、もうどうしようもないと、わかったから……です」

「ではなぜ、そうなる前に行動しなかった」


 そんな尤もな疑問に、ラズールは答えることができない。

 顔を伏せるラズールの姿を見届けると、アルシェは言葉を続ける。


「冒険者が死ぬということは、他の人間を殺してしまうことに他ならない。今回だってそうだ。お前の死により戦線が崩壊すれば、この場の全員が死んでいたかもしれない」


 これはジョットから教えられた言葉だ。守る側の人間は決して死んではいけない、と。


「私のラナーシャまでもが命を落としていたかもしれないんだ。それだけは絶対に許容できない」

「も、申し訳ありません……」

「ふん、お前、本当に冒険者なのか……?」


 そんな最後の問いかけに、ラズールはやはり答えることができなかった。

 事実だけを述べると彼は冒険者に違いないのだが、ラズールの中では様々な葛藤が存在するのだろう。

 少しだけその気持ちが理解できるアルシェだからこそ、彼の危機に一早く反応することができたのだ。

 少し残酷なようだが、この葛藤がもう少しだけ続くことをアルシェは願う。

 この機会に、ラズールは自分を見つめ直すべきなのだ。自らの弱さを克服してより立派な冒険者となるか、吹っ切れてしまい冒険者という肩書を手放すかは、彼の自由なのだから。


 そうやって自分なりに一段落を付けたアルシェへと、今度はマキバが話しかけてきた。


「詮索は致しません。ですが一つだけお聞かせください。あなたは先ほど『私のラナーシャ』とおっしゃいましたが、彼女はあなたにとっての何なのですか」


 そう言うマキバは仮面の剣士を剣の女神だと思っているはずだが、その声にへりくだるような色は感じられない。

 アルシェが言うのも変な話だが、やはり大したものである。全ての冒険者の上に立つ者に相応しいカリスマ性を感じさせる。

 そんなことを考えつつ、アルシェは彼の問いかけに答えた。


「ラナーシャ・セルシスを愛している。心から。それだけだ」

「……そうですか。この度の助力、感謝いたします」


 そう言って頭を下げるマキバへと「私のことを誰かに話そうものならお前たちを殺すぞ」とだけ言い残すと、アルシェは気持ちを改めた。

 これ以上の雑談はもう止めにしよう。あまり声は発するべきではないし、思わぬボロも出しかねない。

 それに、マキバほどの人物にこれ以上尊大な態度を取り続けるのは精神衛生上よろしくない。仮面の剣士は過去にアルシェたちを脅しているという設定のため、このような態度でいる必要があるのだ。本物の剣の女神に対しても申し訳ない気持ちでいっぱいだったりする。

 アルシェは疲れから小さく息を吐くと、ずっと黙っていたラナーシャの方へと顔を向け、あらかじめ仲間内で決めていたセリフを口にする。


「ラナーシャ・セルシス。あなたと話しがしたい。付き合ってはもらえぬか」


 そう言って手を差し出したアルシェに対し、ラナーシャは小さく狼狽えて見せる。

 そんな彼女へと助け船を出すかのようにグレイが口を挟んで来た。


「おい、その女は俺たちの仲間だ。二人きりにはさせられない」

「……ちっ、またお前か。もう一人はどうした?」

「アルなら留守番だよ」

「ふん、まあいい。二人以外はここを去れ」


 アルシェのそんな言葉に一瞬だけ迷いを見せるマキバたちだったが、ラナーシャの「先にマリノスたちと合流しておいてくれ」という言葉に後押しされ全員が了承した。

 やがて彼らは魔人の亡骸と共にこの場を去って行く。シグルーナをこの場に残さないのは、彼らがアルシェたちの動向を盗み見たりする心配を解消するためだ。

 そのまま余裕を持って三分ほどの時間を置くと、やがてアルシェはフードを取り仮面を外した。


「はぁー……。いや疲れた。ってか焦った。あれは本当にギリギリだった。内心バクバクしてそりゃもう……!」


 開口一番にそんなことを言うアルシェに対し、グレイとラナーシャは小さく笑った。


「ははっ、その割にはいい演技だったじゃねーか」

「全くだ。声が完全に女のものだったな。正直、今の今まで本当にアルシェ本人なのか不安だったぞ」

「いやいや、大袈裟ですよ。でもありがとうございます」

「いや、大袈裟じゃない。実際に少し怖かった。あと……演技でもあまり愛しているなどと言うな。……あれだ、恥ずかしいからな」

「はは、声と態度は演技でしたけど、言葉は全て本心ですよ」

「そうだよな。私も彼には少し怒りを抱いた」


 そんなあまりにも鈍感なラナーシャの発言を聞き流しつつ、グレイが「それよりも」と口を開いた。


「……悪かったな、アル。あれは少し想定外だった」


 そんな思いがけないグレイの言葉に、アルシェは驚き、やがて微笑んだ。


「気にするな」

「……気にしない、なんて選択肢があるのもお前のおかげだ。俺はお前と違い、何もわかってなかった」

「……仕方ないよ。彼の異変を察知できたのは、僕が彼と同じ思いを抱いているからだ。僕にとっての剣術と、彼にとってのロアの名は似てるんだと思う」

「…………そうか。だったら放っておけねーな」


 グレイは最後にぼそりと呟くと、そのまま黙ってそっぽを向いた。

 そんな彼の様子に、アルシェとラナーシャは小さく微笑む。彼がその性格とは裏腹に、とても優しい心を持ち合わせていることくらい理解できているからだ。

 ――ラズールのために何をすべきなのか。

 誰よりも頭の回る天才の思考回路も、この時ばかりは簡単に読み解くことができる気がした。


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