28 A級冒険者

 待機班の面々と別れた後、討伐班は新たに陣形を組み直して道を進んでいた。

 魔法で全体をカバーできるグレイが中央を歩き、そんなグレイに付き従うようにシグルーナが続く。後方警戒のためにラズールが最後尾を行き、先頭には高レベルの魔装を持つマキバとラナーシャが魔装により五感を高めつつ、交代で索敵に当たる。


 全部で二度ある覚醒を一度も経験していない個体とは言え、敵はまぎれもない上位魔人だ。それはシグルーナ曰く、二度の覚醒を経た中位魔人よりも強いとのこと。

 そんな強敵と戦うに当たり、グレイ、アルシェ、ラナーシャ、シグルーナの四人はあらかじめ一つの決め事をしていた。

 それは――誰も死なせないということ。

 当然の心掛けにしか思えないだろうが、グレイたちにとってのそれは決して精神面に限った話ではない。要は、誰かが死んでしまう前にアルシェが剣を抜くというわけだ。それだけでその決め事は必ず実現されるものになるため、グレイたちの目標はアルシェの剣に頼ることなく可能な限り上位魔人を追い詰めることであり、結果として倒してしまえればそれが至上なのだ。

 そしてそれは、王都を発つ前にアルシェたちと話し合っていたことであり、今朝にはマリノスも加え大まかな段取りも立てている。

 そんなことを頭の中で確かめつつ、グレイは後ろを歩くシグルーナを振り返った。


「……わかってるな」

「ええ、もちろんよ」


 そうやって即答してみせたシグルーナに対し、グレイは小さく「よし」と呟いた。

 アルシェの剣術についてのみだった以前までとは違い、今ではシグルーナの正体という新たな秘密までをも抱えてしまっている。そのため、あらかじめ身内同士で相談しておくべき事柄は決して少なくない。

 それは当然ながら今回も例外ではなく、シグルーナにはあらかじめ、絶対に目立つ怪我だけはするなと忠告してあった。中位魔人である彼女は超速再生を有しており、もし外傷を負ってしまおうものなら一瞬で傷口が塞がる様を衆目にさらす羽目になるからだ。

 ただ、一見当たり前に思えるそんな結論も、実は熟考した末に導き出したものだった。


(やっぱ、俺自身が信用できると判断してからにすべきか……)


 それは、マリノスから告げられたジョットの言葉に端を発している。

 正体不明の魔物――上位魔人だと推測される今回の仕事についてをジョットから託された際、マリノスは王都にマキバが滞在していることをジョットへと告げたのだが、その時ジョットはマキバについて「彼は信頼できる男だ」と漏らしたという。

 そして、たった一言だが、その情報は結果としてグレイの優秀な頭脳を悩ませる火種となった。

 ――マキバ・シルラハルに対し、シグルーナの正体を明かすべきか否か。

 アルシェの剣術という特大の秘密を明かすのはさすがにリスクが大き過ぎるが、隠し難い秘密というものは信頼できる人物へと秘匿の協力を申し出ておくべきだとも言える。

 アルシェの剣術を秘匿するに当たり、ジョットやマリノスの発言力に大きく助けられているのは言うまでもない。要はシグルーナの正体秘匿に対して、マキバともそのような関係を構築したいと考えているのだ。

 もしマキバとも良好な関係を築くことができたなら、もたらされる恩恵はかなり大きいと言える。ジョットやマリノスも冒険者ランキングで一桁にランクインする大物だが、マキバのそれは一味違う。なんせ冒険者組合のナンバー2なのだから。だが、それが同時にリスクの大きさを意味するのは言うまでもないだろう。

 そんなメリットとリスクを天秤にかけた結果、とりあえず保留にするという安全策を取ることにしたのだ。


「ふん。まあ、気を付けて戦うくらいしかできることはないけどな」


 秘密が増えたことにより、頭脳担当とも言えるグレイの負担は増すばかりだ。そんなことを実感していると、二人の会話を聞いていたラナーシャがニコニコと微笑んでいることに気付いた。

 グレイは面倒くさそうに表情を歪める。


「なに笑ってんだよ。気持ち悪いな」

「いやいや、改めて念を押す辺り、優しいんだなって思ってな」

「……ちっ、別に普通じゃねーか」

「ふふ、お前が普通の優しさを見せるから微笑ましいんだろ」


 そう言い、ラナーシャはまた小さく微笑んだ。

 ……これはあれか。悪い人間がたまに良いことをすると途端に印象が良くなる現象のことを言っているのだろうか。

 どちらにしろ不快だと、グレイはラナーシャから視線を逸らした。

 すると逸らした視線の先でシグルーナまでもが微笑みながら顔を伏せていることに気付き、グレイは辟易としつつ小さく息を吐いた。

 ――その時。


「動いたな」


 突如として、先頭で索敵を担当していたマキバが緊張の声を上げた。

 その意味はすぐさま一行にも伝わり、ピリピリとした空気がこの場に張り詰める。各々が愛用する武器を手に取り、グレイもまた魔力を練りつつマキバへと問いかけた。


「どこだ」

「前方だが、詳しくはわからない。かなり遠くで草木を踏み分けるような音がした」

「私が探そう」


 索敵を引き継ぐと申し出たラナーシャがマキバの前に立ち、レベル5の魔装を胸よりも上――耳を目掛け――に集中させる。それはマキバと交代で辺りを警戒していた時とは違い、レベル5の魔装を惜しみなく全開で駆使したものだ。グレイの隣では、シグルーナもまた特殊能力『六感強化』と人間離れした聴覚を駆使し、密かに敵を探している。

 ラナーシャの魔装を初めて目にするラズールが感嘆の声を漏らし、それをグレイが静かにするようにとジェスチャーでたしなめる。

 やがて五秒ほどが経ち、ラナーシャが閉じていた目を見開いた。


「――まずい、気付かれた! すぐそこまで来てるぞ!」


 そんな焦りを含んだラナーシャの怒号に、全員の視線が彼女の見据える先へと固定される。

 木々が立ち並び、まるで空間を仕切るかのように草木が足元に生い茂る一角。

 そして――開戦はあまりにも突然であり、大気を揺るがすほどの圧倒的な熱量に満ちたものだった。

 体長は目測でおよそ百八十センチ程。一見すると人間と見分けが付かないような容姿を持ったそれ・・は、まるで放たれた大砲のように辺りの草木を巻き散らしながら一行へと襲い掛かってきた。

 それに最初に反応したのはラナーシャと、そんな彼女と共に索敵を行っていたシグルーナの二人だった。ほぼ同時に前へと出た二人は剣を構えると、突進してくる敵にカウンターを合わせる。


「はぁッ――!」


“剣の女神に愛されし者”という二つ名に名前負けしないレベル5の剣術を、同じくレベル5である魔装により更なる高みへと昇華させた圧倒的なまでの一太刀――それが、乱入者の腹部へと吸い込まれるように放たれた。

 その衝撃に乱入者の態勢が乱れるが、その刃が深く身を斬り裂くことはなく、突進のエネルギーに押し負けるような形で体の側面を撫でるに止まる。

 そこへ追い打ちをかけるようにシグルーナの膂力に任せた一撃が入り、ついに乱入者の突進が止まった。だが苦し紛れに振り払われた右腕に反応が追い付かず、その先にいたマキバの体がふわりと持ち上がったかと思うと、弾かれるように後方へと吹き飛ばされた。

 辛うじてガードが間に合ったことと、彼がレベル4の魔装を纏っていたことにより、幸いにもマキバに大きなダメージが入った様子はない。

 そんな中、乱入者の標的が攻撃直後のラナーシャへと切り替わった。先ほどは押し負けたこともあり大きく態勢を崩しているため、絶体絶命だと言える。

 だが、その空間を敵にだけ作用する巨大な雷が覆ったために、ラナーシャは事なきを得た。


「――ったく、優秀な後輩たちだぜ!」


 そして雷魔法により硬直する乱入者へと、先ほど吹き飛ばされたはずのマキバが剣を突き立てていた。

 そのあまりにも早い切り替えと踏み込みを見て、彼の現役時代の二つ名がグレイの脳裏を過る。

 ――“瞬神しゅんしん”マキバ・シルラハル。

 だがそんな彼の突きを以てしても、致命傷となるような大きなダメージを与えるに至らなかったようだ。マキバは小さく舌打ちをしつつ後方へと飛びずさり、ラナーシャとシグルーナもその場を離脱する。

 ――そんな息も吐かせぬ一瞬の攻防を経て、グレイたちは初めて乱入者の姿を克明に捉えた。

 齢は五十近く。深く刻まれた皺と真っ白な髪が老いを感じさせるが、筋骨隆々な肉体は若い冒険者以上の壮健さを纏っているようである。

 そんな人間と変わらぬ容姿を持つその者の目は酷く充血し、魔力の揺らめきが魔装とはまた違う形で全身を覆っている。どこかチグハグな印象を抱かせるその様相は、まるで魔力と人体を無理矢理に融合させている途中のようにも見えた。

 グレイはその正体に確信を得る。――上位魔人だ、と。

 ラナーシャ、シグルーナ、グレイ、マキバの攻撃を立て続けに受けても致命傷となり得ないその耐久力と、ラナーシャの索敵範囲の限界近くからもこちらの存在に気付いた五感の鋭さ。そして安定しない態勢のまま出鱈目に振るわれた右腕で、人間一人の体を大きく浮かせるだけの腕力。

 普通ならば戦意を喪失してしまいそうなその相手に対し、グレイの頬は緩んでいく。


(これが未覚醒の上位魔人か。これならまだ戦える)


 以前にアルシェが倒した上位魔人が相手だったなら、おそらく今の攻防だけで一人か二人は命を落としていたことだろう。それくらい今の不意打ち気味な遭遇は危険なものだった。

 だがそんな現状において新たな不安が生じた。ラズールについてだ。

 弱冠十九歳にして剣術レベル4、土魔法レベル4、魔装レベル3を持つB級冒険者である彼だが、唯一今の攻防に反応することができていなかったのだ。

 ステータスだけを見ると殲滅の旅団に在籍するルーデンベルクよりも優れているようだが、おそらくは恐怖や経験不足な面から体が固まってしまっているのだろう。

 ――危険だな。

 初めからそのつもりではあったのだが、これは速攻を掛け一刻も早く決着をつける必要がある。ラズールの様子からそう判断したグレイは、全身の魔力へと雷のイメージを投影しつつ、ゆっくりと剣を抜いた。




 ◆◇




 ゾンビのように力なく上体を揺らす魔人だが、その眼光はどんな獣のものよりも鋭く見え、ラズールの全身に鳥肌を立てる。

 これがデッドリア・ルーズベルトの体なのだろうか。一度も会ったことがないラズールには見分けが付かないが、彼がその容姿に反して人間とは程遠い存在であることは嫌でも理解できた。

 魔人は言葉にならない言葉を呻き続け、絶妙な間隔を持って自らを取り囲む五人の冒険者を順に見据えている。

 知性の有無すら不明で、生物としてあまりにも不安定な印象を抱かせるその存在を前に、ラズールの構える剣が微かに震える。

 そんな時、隣に立つグレイの方からバチバチと何かが弾けるような音が聞こえてきた。更に剣を鞘から抜き放つ音も伴う。

 ――まさか、もうそんなリスクを負うのか。

 初めて王都にて雷迅卿という言葉を聞いた時から、その技の噂は聞いていた。なんでも性質変化を施した雷魔法を全身に纏うことにより、大きなリスクと共に急激に身体能力を上昇させるものだとか。

 ――その技の名は『雷神化』という。

 ラズールはグレイを見やり、その姿に思わず息を呑む。


「ラナーシャ、シグルーナ。俺に合わせろよ」

「ああ、了解だ」

「わかったわ」


 そうやって普段のパーティメンバー同士でコミュニケーションを取ると、グレイは迷いなど微塵も見せることなく魔人へと迫った。

 一歩を踏み締める度に雷魔法の残滓が弾け、グレイの動きをなぞるかのように火花が踊る。


(これが……人間の動きなのか!?)


 どのように形容すればいいのだろうか。

 まるで雷と踊る妖精のような神々しさと、鬼神が如き荒々しさが共存するその姿にただただ畏れを抱く。そして気付いた。

 ――そうか、だから雷神化・・・なのか……。

 このような状況にもかかわらずどこか魅せられていることを自覚したラズールは、ようやくその言葉の意味を理解し、思わず呟く。


「すげぇ……」


 全ての動きが速いというよりは、動きに緩急が存在するといったイメージである。

 ただ緩急と言っても、それは尋常ならざるものだ。雷の弾けるような音が聞こえたかと思うと、まるで瞬間移動したかのように移動を終えているのである。

 そして剣を振るい、方向を変え、また移動する。かと思えば、移動の途中で突然立ち止まり、また動きを変える。

 ――これがA級上位に位置する冒険者の戦闘なのか。

 ラズール自身もB級の上位冒険者でありながら、彼我の差は歴然だった。

 そしてそんなグレイの常識外れの動きに、ラナーシャとシグルーナまでもがピッタリと息を合わせ、魔人の全身に傷を付けていく。

 ラナーシャ・セルシスはともかく、シグルーナという女性は何者なのだろう。アマチュア冒険者だから名が知られていないだけで、その実力はラナーシャやグレイに匹敵するのではないだろうか。

 敵味方共に自らの常識を超越した存在であるために、最早ラズールに悔しさのような感情はなかった。ただ、全身の力が抜けていくような感覚を抱く。それは無力感だった。

 未だ戦闘に参加できていないという事実。

 次元が違うと言わざるを得ないグレイたちの攻撃でもまだ致命傷と言えるだけのダメージを与えきれておらず、小さな斬り傷くらいならすぐに再生してしまうという事実。

 そんな現状で、自分なんかがいったい何の役に立てると言うのか。足手纏いとなる未来しか想像できない。

 ――「誰かが戦線を離脱した時点で勝ち目はなくなると知れ」

 そんなマリノスの言葉が脳裏を過り、ラズールは思わず笑ってしまう。

 そんな時だった。


「ラズール!」


 突然向けられたグレイからの怒号に、ラズールはハッとして我に返る。――だが気付くのが少し遅かった。


「なっ……」


 眼前には魔人が迫り、ラズールの命を刈り取ろうと腕を振りかぶっていた。

 自分如きがこんな仕事を受けたことや、戦闘中にもかかわらず集中力を欠いてしまったこと。様々な後悔の念が走馬灯のように頭を巡っては消えていく。

 やがて振るわれた魔人の腕に、無意識の内に剣をかざす。

 次の瞬間、ガキィッっという鈍い音が辺りに響き、剣と共にラズールの両腕を大きく跳ね上がらせた。

 腰が引けていたことが幸いしたのか、ラズールは一撃目を防ぐことに成功し、そのまま体勢を崩しながら背後へと尻もちを突く。

 そうやって命拾いしたラズールだったが、心は完全に折れていた。たった一撃である。たった一撃にもかかわらず、レベル3の魔装越しでも骨の芯まで衝撃を響かせるその圧倒的な暴力を前に、ラズールの戦意は完全に消え失せたのだ。

 そんなラズールへと、無慈悲なる二撃目が振り下ろされる。

 他の冒険者による助けなど間に合わない。戦闘中に危機に陥ったのならともかく、集中力を欠いていたところを攻撃され、挙句の果てには戦意を投げ出したのだ。誰も予期しなかったであろう展開なのだから、完全なる自業自得だと言える。

 やがてラズールは目を閉じ――


「……ちっ、ここまでか」


 ――グレイの諦めたような声を聞き届けた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る