27 作戦行動
十人の冒険者は日の出と共に活動を再開する。
その日の朝はとても気持ちの良いものだった。燦々と降り注ぐ朝日が木立の間を射抜き、気が立つ冒険者一行へと平穏を届けてくれるかのようである。
これから魔人という強力な魔物との戦闘を控えているなど嘘のように、アルシェは呑気に欠伸をした。
そんなアルシェから少し遅れる形で、女性用のテントから三人の女性が出てきた。その内の一人と目が合い、アルシェは笑顔を向ける。
「おはようございます、ラナーシャさん」
それは毎日交わすいつも通りの挨拶なのだが、しかしラナーシャから返ってきたのはいつもと少し違う反応だった。
「……おはよう」
もじもじとした凛としない雰囲気で、覇気のない挨拶がぼそりと呟かれた。目線もアルシェの顔を捉えていない。
そんな彼女の様子が心配になり、顔を覗き込む。
「大丈夫ですか?」
「な、何がだ」
「いや、何かいつもと違うから……」
「……そんなことは、ない」
やがて、ラナーシャは逃げるようにアルシェの下から去って行った。その際に見せた彼女の表情にアルシェの表情が曇る。
――不味いかもしれない。
ラナーシャの頬は上気しており、ほんのりと赤みを帯びていたのだ。
今の不自然な様子と、体表に現れたその現象。導き出される答えは一つだろう。
アルシェは大急ぎでマリノスを捕まえると、場が混乱してしまわないように小声で告げた。
「マリノスさん、大変です。ラナーシャさんが体調を崩していると思われます」
ラナーシャは体調を崩し、おそらくは発熱もしている。それがアルシェの導き出した答えだった。
上位魔人との戦闘を控えている今、彼女ほどの人物が万全でないという現状ははっきり言って絶望的だ。人目に付くためシグルーナが本気で戦うわけにもいかず、アルシェもおいそれと剣を抜くわけにはいかない。そのことを考えると、現役のA2級冒険者であるラナーシャは最も大きな戦力だと言えるのだ。
そして、病に回復魔法は効かないという現実がある。回復魔法が治し得るのは外傷や疲労の類に限られているのだ。体力を回復させることができるため意味はあるのだが、それでも直接的な治療とは言えない。
だが、それをわかっているはずのマリノスは呆れたように息を吐いた。
「……そうか。それはあれだ。お前と見つめ合ってる時にだけ発症する病だ」
「は? 何ですか、それ。いったい何の話ですか」
「いざという時にはちゃんと戦えるから気にするなって話だ」
「は、はぁ……」
正直マリノスの言葉は意味不明だが、彼女がそう言うのなら大丈夫なのだろう。
思い出してみても、去って行く時のラナーシャの足取りはいつも通り軽やかなものに思えた。風邪などは軽いものでもふらついたりするのが普通なので、彼女のそれはアルシェが考える以上に軽度なものなのかもしれない。レベル5の魔装を持つ彼女からすればそれはあってないようなものなのだろう。
そんなふうに無理矢理な解釈で自らを納得させたアルシェは、シグルーナと共にテントを畳むラナーシャを一瞥すると、彼女の身に何かあれば何としてでも守ってあげようと心に誓った。
そんなアルシェへと、マリノスが告げる。
「まあ、そんなのはどうだっていい。それよりも、今のうちに話しておきたいことがある」
◆◇
二日目も日の出から三時間ほどが経ち、ラズールはマリノスの放った一言に動揺を露にした。
「別行動? いったいなぜ……」
発端は、グレイと二人で一つの地図を覗き込んでいたマリノスが突如パーティを二つに分けると言い出したことに起因する。
彼女曰く、三人の下位冒険者にはそろそろパーティを離脱してもらいたいとのことで、その護衛としてマリノスとアルシェが付いていくと言うのだ。
そんなマリノスは、動揺を見せる者たちへと鋭い視線を投げかける。
「上位魔人と遭遇した際、下位冒険者である三人が生き残れるかどうかは完全な運なんだよ。もし出会い頭に目を付けられたらそれだけでお陀仏。要は足手纏いってことだ」
そう前置きをしつつ、マリノスは更に自らの考えを説明した。
下位冒険者には道中や野営などの安全確保に尽力してもらったが、さすがに上位魔人との戦場にまで連れて行くわけにはいかないということ。
そして上位魔人との戦闘において足手纏いとなるのは魔装を苦手とするアルシェやマリノスも例外ではないため、二人も共にパーティを離脱すべきだということ。
「一度も覚醒していないとは言え、敵は上位魔人だ。B8級のお前でギリギリ即死を免れるって感じじゃね?」
「いや、感じじゃね? って言われましても。……確かにC級に上がりたてのアルシェは危険でも、あなたの回復魔法は戦いに必要でしょう」
だが、そう言うラズールに対し、マリノスの返答は冷たいものだった。
「――は? 何で?」
「な、何でとは……」
「お前な、魔人の超速再生じゃねーんだぞ。レベル5とは言え、回復魔法で怪我を治すには時間がかかる。まさか上位魔人との戦闘中に後ろでこそこそ治療をするなんて言わないよな? そもそも、誰かが戦線を離脱した時点で勝ち目はなくなると知れ」
「っ……はい」
確かにその通りだ、とラズールは痛感する。
マリノスは卓越した戦術眼とリーダーシップ、そして回復魔法レベル5を用い多くの功績を上げてきた個人ランキング9位の超大物だ。だが、その戦闘力評価はB10級に止まっており、ラズールよりも劣っていることを意味する。なおかつ、格上との戦闘には必要不可欠だと言われている魔装のスキルを苦手とするのだ。その性別と相まって、身体能力は決して高いわけではない。
そんな彼女に対し、自分はいったい何に期待していたと言うのか。――それは言うまでもなく、回復魔法を持つという“事実”にだろう。
戦闘の最中に治療など原則不可能と知りつつも、回復魔法レベル5がある、という事実を心の拠り所とし、現実逃避をしていたのだ。
それにそもそも、貴重な回復魔法所持者だからこそ、マリノスは戦闘に参加すべきではないと言える。そんなことは言うまでもなく理解できていたはずなのに、それすらも見失ってしまうほどに先ほどまでの自分は盲目だったのか。
冒険者らしくないな、とラズールは自嘲する。
幼き頃から見てきた父親の背中や、先輩たちの気概。そして幼馴染が両目に灯す燃え滾るような闘志。自らのものとはあまりにも乖離したそれらが本来冒険者にあるべきものなのだとすれば、自分は本当に上位冒険者を名乗れるだけの男なのだろうか。ロアの名を名乗る資格があるのだろうか。
そんなことを考えながら顔を伏せたラズールへと、マリノスは言葉を続ける。
「とは言え、何もしてやれないわけじゃない。遭遇予測地点の近くに拠点を構えておくから、戦闘が終わってからが私の出番だ。どんな怪我でも治してやるよ。――それに、決して逃げ腰になってるわけじゃない。敵が敵だけに、何としてでもこちらが先に目標を視認する必要があるのは言うまでもないだろう。そのためにも人数は少ない方がいいし、何事もなく仕事を終えるために最善を尽くした結果だ」
そうやってマリノスが話を終えると、それが癖なのか、黙って聞いていたマキバが場を仕切り直すように両手を打ち合わせた。
「それぞれ思うところはあるだろうが、マリノスがそう言うのならそうするのが最善なんだろう。――さっ! 気を取り直して先を進もうぜ!」
そんなマキバの言葉により、少しだけ不満そうにしていた下位冒険者の三人も納得したように頷いた。
◆◇
マリノスによりパーティを分けるという発表がされてから五分ほど進んだところで、彼女の判断により実際にそれを行動に移すことになった。
マリノスが地図を広げ、それを全員で覗き込みながら改めてこれからの行動を確認する。そしてマリノス、アルシェ、三人の下位冒険者による待機班と、マキバ、ラナーシャ、グレイ、シグルーナ、ラズールによる討伐班に分かれ、その場を後にする。
アルシェは別れ際にグレイたちと視線を交わし、頷き合った。――大丈夫、間違えない、と。
先ほどマリノスは何だかんだと理由付けをしていたが、こうやって分かれたのには別の意味があったのだ。それを知るのはマリノス以外にアルシェ、グレイ、ラナーシャ、シグルーナの四人だけだ。ただ、内容の理解は別としつつも、マキバはマリノスが何かを企んでいることには気付いている様子だった。
そうやってアルシェたち待機班が拠点を構える地点へと歩を進めていると、隣を歩くマリノスがおもむろに話しかけてきた。
「おい、アルシェ・シスロード。……恥を忍んで、お前に頼みがあるんだ」
「頼み? 何でしょう」
「……これもジョットが言ってたことなんだが、魔人の覚醒とは、奴らが元となった肉体を魔のものへと変貌させていく段階の境目のようなものらしい。亡骸が魔人として動き出した時、それは人間の体に魔人の魂が無理やり割り込んでいるような状況なのだと。それが一度目の覚醒により完全に新たな肉体へと変貌し、魔人の魂が安定する。二度目の覚醒はより魔人に適した肉体へと進化するらしいが……まあそれはどうだっていい。……何を言ってるのかよくわからないと思うし、殲滅卿の旦那が何故こんなことを知ってるのかも理解できないが――」
マリノスは一旦言葉を区切ると、小さく溜め息を吐きつつこちらを見た。そして思案気に眉根を寄せると、頭を抱えるように自らの額へと手のひらを当てる。
――よっぽど話しにくいことなのだろう。
そう理解したアルシェは、気長に彼女の言葉を待つことにした。
やがてマリノスは声を潜めつつ、「要は――」と改めて口を開く。
「――シグルーナやギャドラとか言う奴の肉体は既に奴らのものに違いないのだろうが、もし今回の上位魔人が一度も覚醒していない個体なら、その肉体は他ならぬデッドリア・ルーズベルトのままだということだ。おそらく姿形も変わらないだろう」
そうやって語るマリノスの言葉に、アルシェは彼女の言わんとすることが理解できた。
「――だから、弔いも間に合うはずなんだ」
事の発端は、デッドリア・ルーズベルトとマリノス・ラロの関係にあった。
そもそもデッドリアとは、冒険者となる前には傭兵団の団長をしていた男だ。そしてその傭兵団こそがギルド『黒三日月』の前身であり、後にマリノスが彼から引き継ぐこととなったものである。
彼らが元は師弟の関係にあったことはこの業界では有名な話だ。
恥を忍んで、とまで前置きをしつつ告げられたお願いの内容に、アルシェは頬を緩めつつ頷いた。
「わかりました。その時は、しっかりと五体満足に」
アルシェがそう言うと、マリノスは少し気恥ずかしそうに微笑み、アルシェの背中を力強くど突いた。
思わず呻くアルシェに対し、彼女は楽しそうに続ける。
「やっぱ、なかなか見所のある男だ、お前は」
「いやいや、だからって叩かなくても……。それに、約束はできませんよ。彼らが負けると決まったわけではないですから」
「わかってる。その時が来たらで構わない。お前にだけ話したのは、あいつらの集中を乱したくないからだ」
マリノスは最後に「あんなジジイのことなんてどうだっていいがな」と締め括った。
面白いくらいに素直じゃないそんな彼女の様子に、アルシェは少しだけ気分が良かった。少なくとも、強面なマリノスの照れるような笑顔はなかなか見れるものではないだろう。
そうやって並んで歩き続けること一分、一行は地図上にて先ほどマリノスが指していた地点へと辿り着いた。小さな泉が木々に遮られるように存在する崖の麓で、ここで討伐班のメンバーを待つこととなるのだ。
そして、到着したのを合図に彼らの
「あ、しまった。……おいアルシェ。ラナーシャとグレイに伝え忘れてたことがあるんだが、伝言を頼めるか?」
「ん、大丈夫ですけど」
「そうか、助かる」
そう言うと、マリノスがアルシェの耳元でごにょごにょと口を動かす。
やがてマリノスが口を閉ざすと、アルシェは適当に頭を掻いたりしつつ、三人の下位冒険者へと向き直った。
「すみません、ちょっと仕事を頼まれたので、少しだけここを離れます。直ぐに帰ってくるので心配しないでください」
そしてそれだけを告げると、彼らの返事を聞き届け、来た道を駆け足で引き返し始めた。
やがて一分ほど走り続けたアルシェは、周囲に誰もいないことを入念に確認した後、自嘲気味に小さく息を吐く。
マリノスからの伝言など何もない。全ては今朝に計画しておいた通りの行動なのだ。
――大丈夫、間違えないから。
アルシェは小さく呟きつつ、フードを被ると、愛用の弓矢を木の陰へと隠すように立て掛ける。
――
そして最後に自らの懐から取り出したのっぺらぼうの仮面を一瞥すると、それを己の顔面へと重ねた。
「マリノスさん。五体満足の、綺麗な亡骸をお届けします」
そう呟くアルシェの眼光が、仮面の奥で鈍い光を放つ。
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