26 初日の夜

 マキバ・シルラハルとマリノス・ラロから名指しで依頼を受けた直後、仕事の準備を済ませてすぐに王都を発つことになった。

 メンバーはアルシェ、グレイ、ラナーシャ、シグルーナ、ラズール、マリノス、マキバ、そして冒険者組合本部長補佐という地位に就く要人であるマキバのために、彼の警護を担当しているという三人の下位冒険者の総勢十人だ。

 戦力にならないからとグレイは下位冒険者の同行を拒んだが、人間の犯罪者などから襲撃を受けた時のことを考えると、要人警護という分野においては多くの上位冒険者よりも上だと自負する彼らの力と経験、知識は頼りになるだろう。それにとっくに現役を引退しているマキバが戦いに赴くという現状で、彼の身近な人物が誰も同行しないというのはあり得ない話だと、グレイの主張は退けられた。

 そんな彼ら警護員があらかじめ安全を確保していたルートを通りながら、一行はノーストウッド山脈を目指し歩を進めていた。

 やがて、以前にも訪れたことのある巨人の森に差し掛かる。

 時刻は正午を過ぎたくらいで、天候も良い。季節は真夏なため旅路は楽なものではないが、彼ら冒険者にとってこの程度の移動は日常茶飯事であり、長旅の内には入らない。三名の未成年者と三名の女性、三名の下位冒険者、そして一名のOBというチグハグなメンバーで構成された一行だったが、未だその足取りに疲れは見られない。

 そうやって変わらず進み続けていると、後ろを歩いていたラズールがアルシェへと話しかけてきた。


「おい、アルシェ。もし敵が本当に上位魔人だった場合は、すぐに逃げろよ」


 それは本心からの忠告なのだろうが、アルシェの身を案じてのものではなさそうだった。ただ話すきっかけを作りたかっただけなのだろう。

 アルシェはそんなラズールへと微笑んだ。


「本当に上位魔人だったら、そもそも逃げられませんよ」

「い、いや、それはそうなのかもしれないが……」

「それに、上位魔人を相手にするには、僕はおろかB級のあなたですら力不足です。A級でも中途半端な実力者ならいる意味などないでしょう」


 ラズールのものに対し、アルシェは本気で彼の生存確率を上げるために自らの見たままの強さを伝える。

 そんなアルシェへと怪訝な視線が突き刺さる。


「……お前、上位魔人の強さについて詳しいんだな。まるで実際に対峙したことがあるかのようだ」

「……対峙したことはないですけど、見たことはありますよ。仮面の剣士と戦ってるところ」

「ああ、そういやそうだったな」

「はい。……戦いを見ていた感想ですが、もし覚醒し切っているならば、このメンバーでも勝ち目はないでしょう。生まれて間もないため覚醒はまだ、というマキバさんの言葉を信じましょう」


 シグルーナやマリノス(正確にはジョット)曰く、魔人には覚醒という進化にも似た現象が存在するらしい。

 この覚醒には二段階あり、一つは生まれてから一年ほどの期間を経てもたらされる。この一つ目の覚醒前は、たとえ中位以上の魔人であろうと知能が低く、知性ですら乏しいらしい。

 そして二つ目の覚醒は一部の魔人にのみ訪れるものである。期間はまばらだが、生まれてからおよそ十年から三十年ほどでもたらされるらしい。

 二回目の覚醒を経た魔人は覚醒前に比べてかなり強力な個体となり、知性なども大幅に強化されるとのこと。

 シグルーナは完全覚醒済みの魔人であり、ギャドラは二度目の覚醒を待つ身だったそうだ。

 そして今回相手にする予定の上位魔人は、一度目の覚醒前だと思われるためにギリギリ相手取ることが可能なのだ。二度目はおろか、もし一度でも覚醒を経験している個体ならば例え討伐に成功したとしても半数以上が命を落としてしまうだろう。

 そんなことを考えるアルシェに対し、ラズールは恐怖に身が締まる思いだった。

 アルシェは覚醒済みの個体ならばこのメンバーでも勝ち目はないと言った。

 ――このメンバーでも勝てない?

 この場にいるのは元A2級のマキバと、現A2級のラナーシャ。そしてA5級のグレイにB8級のラズール、回復担当にB10級のマリノスだ。それでも勝てないと言うのか。

 そして何より、冒険者にとっての“勝てない”とは、命の危機を指す言葉に他ならない。それに逃げるのならともかく、戦った上で敗北するというのなら十中八九死んでしまうだろう。

 ラズールの全身がぶるりと震えた。

 それに対し、隣を歩くアルシェに気負った様子はない。いつも通りの涼しい表情で前方を見据えている。

 そんな彼もまた、ラズールからすれば恐怖の対象だった。

 覚醒の有無が自らの明暗を分ける――つまり、生きるか死ぬかは運で決まると言っても過言ではないわけだ。それを自覚していて尚、どうしてそのように余裕を持っていられるのか。

 そしてそのことは、他に上位魔人の力を目の当たりにしたグレイやラナーシャにも理解できているはずだ。にもかかわらず、彼らの様子にも変な気負いは見受けられない。

 なるようになれとでも思っているのだろうか。それとも死ぬことが怖くないのだろうか。そこにどのような理由があるにせよ、ラズールは狂気を感じずにはいられなかった。




 ◆◇




 ノーストウッド山脈の麓に到着した一行は、日が沈む前に早めに行動を終えることにした。

 目的の魔物――魔人との戦闘前に疲れをとっておきたいという思いと、このまま捜索を続けていれば敵との戦闘中に日が暮れてしまうという恐れがあったからだ。

 各々が持参した食料を平らげ、野営用のテントを設置する。女性用のものと男性用のもの、そして交代で夜番をすると申し出てくれた下位冒険者用のもの、合計三つのテントが山脈麓の原っぱに並んだ。

 そして焚き火を囲っての直前会議が終了し、十人の冒険者はそれぞれのテントへと身を引っ込めた。

 この季節は日の出が早い。つまりは明日の活動再開も早いものになるということで、ラナーシャは早く眠ってしまおうと薄い布団を被った。

 そんな彼女へと、隣へと寝転がったマリノスから声がかけられる。


「……お前、もう寝るのか?」


 ふと目を開けると、目の前にマリノスの顔があった。その表情は少し怪訝なものだ。


「眠らないと明日が辛いだろう」

「そういうことじゃねーよ。いつの間にかすんなりと眠れるようになったんだなって話だ。昔は野営の度にビクついてたろ」

「あら、暗いのが怖かったの?」


 マリノスの発言に、反対側に寝転ぶシグルーナから慈愛の籠った言葉がかけられた。夜闇を怖がる妹を優しくからかうかのような、そんな声だ。

 それをラナーシャが笑って否定した。


「いやいや、マリノスが言うのはそういうことじゃない。私は子供の頃に一人で村を飛び出して王都まで歩いたことがあるんだが、一人で魔物や野盗の影に怯えながら過ごす夜が酷く怖くてな。その時のトラウマに苦しんでた時期があったんだ。だから怖いのは暗闇ではなく、外で眠ることだ」


 かつて大好きだった親から逃げるように村を飛び出したという背景があるため、当時の精神状態は今から思っても酷いものだった。そんな状況で一か月以上も孤独な夜を過ごしたのだから、トラウマとなるのも仕方がないだろう。

 そして冒険者となり四年ほどが過ぎた頃、同じテントで寝ていた他の冒険者に夜這いを受けるという事件があった。幸いにもラナーシャの身体能力が高かったために未遂に終わったのだが、その一件でトラウマはより強大なものとなってしまった。

 そんなことを説明すると、シグルーナがラナーシャの肩へと腕を回し、体を寄せてきた。


「そうだったのね……。ごめんね、嫌なこと説明させて」

「気にするな。もう昔のことだ」


 そんなラナーシャの言葉に、マリノスは「それだよ」と続けた。


「当時のお前を知ってるからこそ、今の様子が不思議でならない。あれをよく克服できたな」


 マリノスがラナーシャと初めて仕事を共にした日の夜、まだ子供だったラナーシャは野営テントの中で一晩中体を震わせていたのだ。その様子があまりにも悲痛だったため、柄にもなく彼女の弱々しい肩を抱き締めてあげた。それで初めて安心したように寝息を立て始めたのだ。

 ――あれは、成長や慣れで克服できる代物ではないように思う。


「……まだ克服できたわけではない、と思う。ただ確実に軽くはなった。トラウマとなった夜も、元々は両親との確執が原因で経験したものだから、親子の関係を修復できた今では苦痛も半減だ。それに……」

「それに、何だ?」

「それに、仲間が増える度に怖くなくなっていくんだ」


 少し気恥ずかしそうにそう言ったラナーシャに対し、マリノスは「ほぅ」と目を見開いた。


「それはあの少年二人も例外じゃないのか? 一応あいつらも男だぞ」


 そんなふうに問い質すマリノスだったが、ラナーシャは「何を言ってるんだ?」とでも言いた気な表情を浮かべた。


「何を言ってるんだ?」


 しまいには言いやがった。


「あの二人は大丈夫に決まってるだろう」

「……へぇー、随分と信頼してるんだな」

「もちろんだ。それに大丈夫どころか、あの二人がいてくれるおかげで凄く安心できるんだよ。特にアルシェだな。あいつがいてくれるだけで、お前に抱きしめられた時以上に安心できる。あいつの剣なら、どんな敵からでも守ってくれるだろうから」


 そう語るラナーシャは嬉しそうに頬を染めていた。

 マリノスは驚き、シグルーナへと視線を向けた。ラナーシャ越しに目が合った彼女は、マリノスの視線に気付くとその心中を悟ったかのように微笑んだ。


「そうか……。お前もとうとう、男を知ったのか」

「は、はぁ? 何言ってるんだお前は」

「いや、そういうことだろう? 関係を持ったんじゃないのか?」

「いやいや、だから何の話だ! 関係? 関係って肉体関係のことか? いったい誰と?」

「あれ、違うのか?」


 ふと改めてシグルーナへと視線を投げかける。すると彼女は申し訳なさそうに苦笑した。

 どうやら、先ほどはアイコンタクトの意味を履き違えてしまったようだ。まだ二人がどうこうなったというわけではないらしい。


「違うに決まってるだろ。私にそういう経験はない」

「なんだ、面白くないな」

「そういう問題じゃない」

「けど、好きなんだろう? アルシェのことが」


 マリノスが核心を突くと、ラナーシャは目を伏せて激しく首を横に振った。

 そんな彼女の様子に、マリノスは困惑する思いだった。

 ――こいつ、こんな女だったっけ?

 マリノスはどこの乙女だ、と心の中で毒づく。いくら処女とは言えさすがにこじらせ過ぎだろう。


「いやいや、好きなんだろ? お前が言ってた理想の男性像とやらにピッタリじゃねーか」

「んーもう! 昨日のシグルーナと同じことを言わないでくれ!」


 彼女はそう吐き捨てると、とうとう恥ずかしそうに頭から布団を被った。


「……怖いんだ」


 布団越しにそう呟くラナーシャ。


「好きになるのが怖いんだ。今の関係が壊れてしまいそうで、だから……」


 そんな彼女の弱々しい独白を、マリノスはつまらなそうに鼻で笑った。

 布団越しにラナーシャの身動ぎを感じる。


「わからないこともない。女の冒険者が一つのパーティに留まってると、男女関係で問題が起きるのは珍しいことじゃないからな」

「そ、そうだよな。そもそも私は、あの二人がまだ子供だから大丈夫だろうと思ってパーティを組んだんだ。それが……こんなことになるなんて」

「……お前バカだろ?」

「ば、バカとは何だ!」

「いやバカだろ。確かに関係が壊れるのが怖いってのはわかるが、そんなのに一々びびってどうすんだ。だいたい、お前は自分より強い男がいいんだろ? にもかかわらず今まで同年代の冒険者を避けて生きてきたって……。いや本当、バカだな」


 言い返す言葉が見つからないのか、布団の中でラナーシャが呻く。

 そんな彼女の様子をシグルーナが心配そうに見ているが、そんなことは関係ないとばかりにマリノスは続けた。


「お前の夢は理想の相手と結ばれることだろ? なら一回よく考えてみろ。お前らの仲が多少ギクシャクするのと、それに怯えるあまり一生その夢が叶わないこと。どっちの方が怖いんだ?」


 マリノスからのそんな問いかけに、ラナーシャは布団から頭を出し「確かに……」と呟いた。

 どうやらその可能性については盲点だったらしい。天然な彼女らしい見落としで、逆に愛らしいとさえ思えてしまう。

 マリノスはそんなラナーシャを更に追い詰める。


「まあ、お前がアルシェに興味ないと言うなら私にとっては願ったり叶ったりだ。私もあいつに興味が出てきたからな」

「な……」

「だってそうだろ? 上位魔人を一撃で倒せる男なんて他にいないし、性格だって悪くない。なかなか見所のある奴だ」


 そしてマリノスは上体を起こし、こちらを見やるラナーシャへと微笑んだ。


「じゃ、ちょっとあのガキ抱いてくるわ」

「――ま、待て! お前はバカか!」


 ラナーシャは立ち上がろうとしたマリノスの腕を掴み、慌てたように制止する。

 そんな彼女の様子に、マリノスは呆れたように息を吐く。


「バカはお前だ。冗談に決まってんだろ」

「ほ、本当か?」

「当然だ。そんなことより、お前のその反応はなんだ? それが答えなんじゃねーのか?」


 ラナーシャの動きがピタリと止まる。

 濡れた瞳に朱色の頬、ふるふると震える長いまつ毛。怯えたようにこちらを見つめる彼女はとても煽情的で、とても可愛らしいと言えた。

 同じ女として思わず嫉妬してしまうほどに魅力的な彼女は、意を決したように小さく頷いた。


「……私があの少年を誘惑したら嫌か?」


 ラナーシャはこくりと頷く。


「あの少年が他の女になびくのは嫌か?」


 頷く。


「……じゃあ、お前はあの少年が好きか?」


 最後にそう問いかけると、ラナーシャは下唇を軽く嚙み締めた。

 そしてこちらを窺うように見上げると、やがて弱々しく頷いた。


「……たぶん、好きだ」


 そしてとうとう引き出したそんな言葉。

 無理矢理に言わせたわけではない。それがラナーシャの本心なのだ。

 ――ようやく認めたか。

 そんな思いがマリノスとシグルーナの間を漂う。

 そんな様子にマリノスは満足そうに笑うと、尊敬するようにこちらを見やるシグルーナへとドヤ顔で告げた。


「これが年上の女だ」


 恥ずかしそうに俯いているラナーシャを他所に、シグルーナは少し悔しそうな表情をしていた。

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