25 名指し依頼
シグルーナから理想とする男性像にアルシェが該当すると教えられた翌日、ラナーシャはそんなアルシェと共に冒険者組合へと足を運んでいた。
昨日まではシグルーナと二人で勉強がてら簡単な依頼を繰り返す日々を送っていたのだが、それも昨日を以て終わりを迎えたため、心機一転の意味も兼ねてアルシェと二人で街中を散策することになったのだ。――とは表向きの事情であり、本当は変に気を利かせたシグルーナが二人きりになる状況を作り上げてくれただけだ。
その結果、特に目的のなかった二人は気が付いたら組合にいたというわけだ。
冒険者組合の待合所は、いつもと同じ雰囲気を纏っている。決して荒々しさを感じさせない上品な喧騒に満ちた、あの雰囲気だ。
だが、いつもなら全く気にならないであろう冒険者たちの会話が、この日のラナーシャには少し気恥ずかしかった。
皆、ラナーシャとアルシェの姿を遠巻きに見据え、噂話をしている。
やれ二人は恋人関係にあるだとか。やれあの青年こそラナーシャに口説かれた男だとか。そのような会話だ。
きっかけは明白だった。
それはラナーシャがアルシェたちと初めて会った日に、彼に向かって「君をずっと見ていた」だとか、「君のことが気になる」だとか、そんな聞くからに甘い言葉を投げかけていたからに他ならない。その翌日から行動を共にし約半年が経った今でもその関係が継続しているのだから、噂となるのも無理はないだろう。
言うまでもなく、当時のその言葉に他意はなかった。冒険者としての彼に興味を抱いていたに過ぎない。
だが、昨日のシグルーナの一言により、変にアルシェのことを意識してしまう自分がいるのだ。
「……相変わらず、変な噂は尽きないな」
なるべく緊張していることを悟られないように、ラナーシャは隣に立つアルシェへと話しかけた。
「ええ、本当ですね。何だかラナーシャさんに申し訳ないです」
それに対し、いつも通りの調子でそう答えたアルシェ。
正直、アルシェとの恋愛など考えたこともなかった。彼とは七つも歳が離れているからだ。そのため当然ながら恋愛感情というものもない。
だが、こちらを控えめに見下ろしてくる彼を見ていると、子供だと思っていたこれまでの印象が覆されるような感覚を覚えてしまう。
女性としては長身なラナーシャよりも、アルシェの方が少しだけ背が高い。立派な冒険者なのだから当然と言えば当然だが、体付きもがっしりとした男らしいものだ。そして何より、整った綺麗な顔立ちがラナーシャの胸を僅かに弾ませる。今までは特に意識してこなかったが、グレイとは違う種類の男前だと言える。
――このままでは好きになってしまうのではないか?
上述した特徴の他に、唯一無二の剣術スキルを持つというその強さとミステリアスさが合わさるのだから、そう考えてしまうのも無理はなかった。
別に、好きになったとしても後ろめたいものがあるわけではない。だが、これまで恋愛どころではなかったために恋というものをしたことがないラナーシャは、少しだけその感情を抱くのが怖かった。
もし明確に好意を自覚してしまったら、今まで通り気負うことなく接することができないかもしれない。そして我慢ができなくなり想いを告げる日が来たとして、もし振られてしまおうものなら、アルシェ、グレイ、シグルーナと築いてきた今の心地よい関係を壊してしまう原因となるかもしれない。いや、無事に恋が実ったとしても関係崩壊の火種と化す可能性はある。それがこの上なく怖いのだ。
「……いや、お前が気にすることじゃない」
そんなふうに適当な返事をすると、ラナーシャは慌ててアルシェから視線を外した。
好きになるのが怖い。だからまだ好意を自覚したくはない。そのためには変に意識してしまわないのが一番だ。
そんな考えから咄嗟にとった行動だった。
そんな時、受付奥の扉から待合所へと出て来た一人の男性と目が合った。彼はラナーシャの存在に気付くと、右手を挙げて挨拶をしてくる。
色っぽく伸ばされた黒い癖毛が特徴的な、四十代半ばの男性。体格こそ一般的な冒険者とあまり相違ないが、その身に纏う武人としてのオーラは圧倒的だと言える。彼こそが名門シルラハル一族の現当主にして、冒険者組合ナンバー2の地位に収まる元A2級冒険者――マキバ・シルラハルである。現役時代は冒険者ランキング3位に収まっていた猛者だ。
そんな彼へと反射的に挨拶を返しつつ、なぜ彼のような大物がここにいるのかと考える。彼は冒険者組合の本部が置かれているクラウド公国に住んでいたはずだ。
誰ですか、と問いかけてくるアルシェへとマキバ・シルラハルの名を告げつつ、その行動を観察する。すると、彼はラナーシャたちの下へと歩み寄ってきた。
「よぉー、久しぶりだなラナーシャ」
「ええ、お久しぶりです。マキバ殿」
「はははっ、堅苦しい挨拶は抜きに行こうぜ。そっちはアルシェ君で合ってるか?」
「はい、C級冒険者のアルシェ・シスロードと言います。マキバ・シルラハル殿のお話はかねがね――」
「――そこまで! 堅苦しい挨拶は抜きって言ったろ? よろしくな、アルシェ君。はい、これでオッケー!」
以前会った時よりも少しハイテンションな彼はそんなふうに場を仕切ると、「突然で申し訳ないが」と前置きをし、いきなり本題へと突入した。
「俺から君たちへと名指しで依頼を出したいんだ。仕事はすでに用意ができているから早ければ早いほどいい。例えば、今すぐとかな。……引き受けてくれるよな?」
本当に突然すぎるそんな申し出に、ラナーシャたちはこう言うしかなかった。
「とりあえず仲間を連れてくるから、詳しい話を聞かせてほしい」
◆◇
その後グレイとシグルーナ、そして偶然宿屋を訪れていたラズールを伴い、五人は組合に設けられている個室の一つでマキバと向かい合っていた。
ここに来るまでにグレイへと組合での経緯を話すと、彼は「どんな依頼でも受けるつもりで行くが、警戒だけは怠るな」と言っていた。
彼の言う警戒とは、言うまでもなく仮面の剣士としての秘密を洩らさないためのものである。
驚くことに、グレイはそろそろ組合側の人間が接触してくることを予想していたと言う。それもアレス支部の人間などではなく、本部に身を置く超大物人物が直接出向いてくることすらも予想していたらしい。それが見事に的中したということだ。
その後、グレイはこう付け加えた。
――「俺の予想が正しければ、本部の人間は仮面の剣士の正体について、盛大に勘違いをしてくれているはずだ。例えば……剣の女神、とかな」と。
それを聞いたアルシェは、グレイがいつからここまでの思考を巡らせていたかに気付き、その思慮深さに思わず感嘆してしまった。
古代の龍王を倒した際に仮面の剣士という存在を作り上げたグレイを見て、当時のアルシェは適当なことを言って遊んでいるだけだと思った。だが、そうではなかったのだ。
この後もアルシェの剣術が必要になるような場面は訪れるだろう。そう考えた彼は仮面の剣士という架空の人物を作り上げ、アルシェの力の隠れ蓑として利用しようとしたのだ。
にもかかわらず龍王の亡骸に細工を施したのは、組合からの厳しい追及を逃れるために違いない。あえて細工を施したことが組合の人間にばれるように仕向け、後に「仮面の剣士に脅されてやった」などと発言することにより、組合側はアルシェたちの身の安全を確保するために身柄を解放せざるを得なくなる。いつまでも身柄を拘束していると、自らの情報が広まることを嫌い、仮面の剣士が脅迫内容を遂行するという可能性が出てくるのだから。
そしてそれ以前に、龍王事件の後にパーティを組もうと提案してきたラナーシャをすんなりと受け入れたのも、普段の彼からすると違和感があった。あれも今から思うと、常にラナーシャと行動を共にすることにより、仮面の剣士像についての印象操作を行うという魂胆があったのだろう。
仮面の剣士が現れた場所にはいつもラナーシャ・セルシスがいる。――そんな状況を作り上げることにより、仮面の剣士を剣の女神だと誤認させたかったのだろう。
そして今――グレイの予想では、その思惑通りに事が進んでいるというわけだ。
そんなことを考えていると、やがてマキバは話し始めた。
「改めて、突然で悪かったな。集まってくれたことに感謝するよ。それと……彼は……」
思わず語尾を濁すマキバの視線の先には、付いてくると言って退かなかったために仕方なく同席させているラズール・ロアがいた。
そんなマキバへとグレイが口を開いた。
「気にするな。こいつはロアの人間だが、俺たちの下を訪れたのはただの偶然だ。
堂々とそう言って見せたグレイに対し、マキバは驚いたように頷いた。
「そうか……。そう言えるということは、常に警戒していたんだな」
「当然だろ。ナルクラウン家次期当主である俺と、あらゆるギルドが欲しがっているほどの人材であるラナーシャが行動を共にしてるんだ。これ以上
「へぇー。想像通り、頭の良く回る奴だな」
「舐めるな。わかってるのはそれだけじゃねーぞ。……お前ら組合側の人間が気付いてることにだって気付いている。仮面の剣士……俺が思うに、その正体は剣の女神だろう」
「ほぅ、これは驚いた。そこまでわかっているのか」
飄々と捲し立てるグレイに対し、マキバは心の底から感心しているようだった。
ラズールは意味もわからずに首を傾げており、ラナーシャとシグルーナは何も言おうとはしない。そんな中、アルシェだけがグレイのあまりの豪胆さに呆れていた。
(何が、俺が思うに仮面の剣士は剣の女神だろう、だ……)
以前は勘違いしていたと言えるが、今回は断言できる。――こいつは今、適当なことを言って楽しんでいる、と。
それに気付く術を持たないマキバは、両手をパンッと叩くと、本題へと入った。
「君がそう言うのなら彼の同席を許そう。よし、じゃあ本題だ!」
やがて彼はこんなことを語ってくれた。
マキバは元々、アルシェたちと個人的な話がしたくて王都を訪れたこと。
そして王都で偶然にもある人物と出会ったため、今回のようにアルシェたちへと名指しで依頼することを決めたということ。
依頼内容は、巨人の森を超えた先に広がるノーストウッド山脈中腹にて、正体不明の魔物が出現した可能性があるため調査をして欲しいというもの。
依頼内容は危険性が極めて高いものと予想されるため、同行者を用意しているということ。
それらを聞き届けると、アルシェはマキバへと疑問を投げかけた。
「ちょっと待ってください。ノーストウッド山脈に正体不明の魔物って、ドラゴンのことじゃないんですか?」
それは尤もな疑問であった。
以前にアルシェたちが巨人の森で起きていた異変についてをドラゴンの仕業だと予想して見せたのと同じ理由で、その魔物はドラゴンだとしか思えない。
だが、マキバはかぶりを振った。
「いや、もちろん可能性はゼロではないが、我々はドラゴン種ではないと考えている。理由はいくつかあるが、最も大きな根拠はその情報をもたらした人物にある」
マキバがそう言い終わった瞬間、ドアをノックする音が個室へと響いた。
それに対しマキバは「いいタイミングだ」と呟くと、ノックの主へと入室を促した。
やがて姿を見せたのは、ギルド『黒三日月』ギルド長にして冒険者ランキング9位の大物、“戦神”マリノス・ラロであった。
「よぉ、また会ったな貴様ら」
およそ二か月ぶりに会うこととなる彼女は相変わらずな口調でそう言いつつ、ラズールの姿を確認すると「誰だお前?」と眉を顰める。
やがて「まあいいか」と軽い調子でマキバの隣へと腰掛けた。
そんな彼女へと各々が挨拶するのを見届けると、マキバが続ける。
「今言った情報主と言うのが彼女のことだ。まあ、正確に言えば少し違ぇーがな。説明してやってくれ、マリノス。正体不明の魔物情報を寄越した人間についてだ」
「ああ、わかった。情報を寄こしたのはジョット・ナルクラウンだ。正直、またあいつかって感じだよ」
「親父か……」
「ああそうだ。お前の偉大な親父殿だよ。……以前、彼が王都へと個人的な調査のために訪れたという話はしたよな?」
そんなマリノスの言葉に、シグルーナとラズール以外が頷いた。
それはアルシェたちが上位冒険者昇格試験を受ける際に組合内で聞かされた話だった。その時のアルシェは、ジョットが龍王事件についての調査を目的としているのだと予想していた。
「言うまでもなく、彼は龍王が討伐された件について調査をしていたらしいのだが、その具体的な内容は、死んだとされているデッドリア・ルーズベルトについてだったそうだ」
デッドリア・ルーズベルト。その名を知らぬ者などここにはいないだろう。
龍王が討伐される十日前から行方不明になっており、やがて龍王の寝床から彼のものとされるナイフが見つかったために死んだとされていた、一人の上位冒険者だ。
最終的な冒険者ランキングは12位であり、疾風迅雷の二つ名で知られていたベテランだ。
この業界でのベテランに対し、“年寄り”などと言う者はいない。皆が彼らのことを“生き残り”と言うのだ。そんな生き残りの一人であるデッドリアが命を落としたのだから、当時は話題をさらったものだ。
「それで、デッドリア殿について、ジョットはいったい何を調べていたんだ? 死因とか?」
そんなラナーシャの尤もな疑問に対し、マリノスは否定しつつ身を乗り出した。
「違う。
そんな言葉に反応を示したのは、ラナーシャとシグルーナだけだった。
二人は「まさか……」と顔を青ざめている。
そんな反応の理由がわからず、アルシェは思わず問いかける。
「……どうしたんですか?」
それに答えたのはマリノスだった。
「魔人っているだろ? あいつらはな、人型生物の亡骸から創られる存在なのだそうだ。ジョット曰くな」
黙って話を聞いているシグルーナの正体が中位魔人だということを知っている彼女は、シグルーナの方を一瞥した後に、改めて説明を続けた。
人型の魔物の亡骸からは下位魔人が創られ、人間そのものの亡骸からは中位魔人が創られる。そして、魔力の多い人間からは上位魔人が創られることなど。
その他にも、ジョットから聞かされたという様々な情報を明かしてくれた。シグルーナ――と何故かラナーシャも――はアルシェたちにだけわかるように、小さく頷く。
ここまで言われれば、彼らの持ち込んだ依頼とやら、そして正体不明の魔物とやらにも当たりが付けられる。
「……なるほど。今の話が本当だとすると、親父たちは
「ああ、その通りだ。正確には彼の死体が、だがな」
ここまでお膳立てされて、結論が理解できない者などこの場にはいない。
――結果は黒だった。
デッドリアという一流の冒険者の死体は、魔人として新たな命を得たということだ。
「殲滅卿の旦那は、龍王が魔人たちとかかわりを持っていると予想していたわけだ。魔人襲撃事件が起きる前に何故察知できたのか、なおかつ魔人の誕生方法について何故知っていたのかは不明だが、奴を理解するのは不可能だ。もう諦めた」
なげやり気味にそう言ったマリノスはわざとらしく溜め息を吐いた。
そんな彼女に代わり、マキバが改めて話を引き継いだ。
「そこでだが、我々が勝手に敵の等級についてと、今回の依頼難易度を推測してみた。――敵は中位魔人または上位魔人のどちらか。まあ、おそらくは上位魔人だろう。まだ生まれて間もないために覚醒しきっておらず、その実力は完全ではないと思われるが……。それを考慮しても、B級上位からA級下位の力を持つと思われる。よって依頼難易度はA3級相当だ」
そんな彼の宣言に、集まった者たちが揃って顔を顰めた。
その中にいて黙っていられないのはラズールだった。
「ちょ、ちょっと待っていただきたい! A3級相当の上位依頼って、それをこれだけの人数で遂行するってことでしょうか!? 不可能だッ!」
それは当然の理屈だった。
本来、A3級の依頼など滅多に出回らないし、もし出回ったとしても複数の優秀なギルドが協力して対処に当たるのが普通だ。それはかの有名な『王の砦』、『黎明国家』、『殲滅の旅団』を以てしても例外ではない。そしてそこまでの態勢を整えても死者なしで乗り切るのは困難。それがA級上位の依頼というものだ。
「……同行者を付けると言っただろう。俺とマリノスも共に戦うさ」
「いやいやいや! もちろんそれは心強いですが、それでも戦力不足だと思われます!」
そうやって変わらず主張を曲げないラズールだったが、彼の言葉をグレイが冷たく遮った。
「無理だと思うのなら来なければいい。本来、この依頼を受ける者の欄にお前の名はなかったんだからな」
「い、いや、それはそうだけど! お前たちを見殺しにするわけにはいかないだろ!」
「舐めるな。死にはしねぇーよ。それでも怖いなら剣の女神にでも祈ってな」
そこまで言うと、グレイは話は終わりとばかりに立ち上がった。
彼にはわかっていた。ジョットが何故そのような危険な依頼を自分たちの下へと持ち込んだのかを。
それは、ここにアルシェとシグルーナがいるからだろう。ラナーシャやグレイも大きな戦力だが、二人――特にアルシェと比べようものなら、途端に霞んでしまうのだ。
そしてジョットはグレイの思いを理解していた。—―早く彼らと並びたいというその渇きを。
だからこそ、グレイが欲していたもの—―死闘を繰り広げるに足る強敵の存在をプレゼントしてくれたのだ。生きるか死ぬかの戦い以上に、成長を促してくれる鍛錬など存在しないのだから。
「俺は受けるぜ。アルはどうする?」
「もちろん受けるよ。お前を一人で行かせるわけにはいかないだろ」
「はは、言ってろ」
そう言って軽く笑い合う二人の姿を前に、ラズールは困惑する。
A3級という言葉に臆することのない彼らは、いったい何者なのか。ただのバカか、ただの死にたがりか、それとも――。
もちろん、この身が張り裂けそうなほどに怖い。だがラズールは渦巻く疑問に答えを得たい一心で、手を挙げた。
「俺も……行きます」
それは、彼が初めて冒険者として命賭けの覚悟を決めた瞬間だった。
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