23 報告会議
冒険者組合本部長を務めるルルナス・ロアの下には、世界各国で発生した事件の概要がメッセージバードによって逐一届けられる。それによってデスティネ王国王都アレスを魔人が襲撃した事件についてを知った彼は、冒険者組合アレス支部長を務めるジン・ロムローを本部へと召喚する運びとなった。
そして現在、冒険者組合本部上層の一室にて、ジンによる報告が行われている。
それを聞き届けているのは、ルルナスを除き、ルルナスの補佐を務めるマキバ・シルラハルという男と、クラウド公国の大都市サンドにて組合支部長を務めるアグニ・ロア――ラディウスの弟でラズールの叔父――という男の二人だけである。
これは公式のものではなく、親しい間柄にある彼ら四人が個人的な理由により集まったものだ。よって堅苦しい雰囲気はなく、しかし皆が真剣な表情でジンの報告へと耳を傾けていた。
「――して、仮面の剣士という謎の人物により、上位魔人は討伐されました。二体の中位魔人も三名の上位冒険者により討伐。その他複数の下位魔人も多くの衛兵や冒険者の手により討伐。……ここまでが、あらかじめ報告書により報告させていただいた事柄です」
そうやって前情報を大まかにまとめてみせると、ジンはあごひげへと手を添え、衆目の反応を待つ。
それに応えたのは最年長にして最も地位の高いルルナスだった。ジンのものとは違いすっかりと白くなった長いひげを指へと絡めつつ、彼は「ふむ」と頷いた。
「ご苦労じゃった。言わずともわかっておるだろうが、わしらが知りたいのは仮面の剣士についてじゃ。もちろん、それについての報告も携えておろう?」
そんなルルナスからの問いかけに、ジンは「もちろんです」と頷いた。
あらかじめメッセージバードにより届けられた報せは、今しがたジンが報告したものに加え、中位魔人を倒した三名の上位冒険者及び下位魔人を倒した者たちについてだけだった。
本来ならば、ここから先の報告はジンによる使者の手によって伝えられる。だが今回に限りジンが直接赴いたのには、それだけ重要な情報を得たからに他ならない。そこには『確実に情報を届けなければいけない』という理由以外に、『第三者には教えるべきではない』という理由もあるのだ。
「しかし、仮面の剣士については全て憶測の域を出ないと心得てください。そして彼――なのか彼女なのかはわかりませんが、彼についてを説明するにあたりまして、その他の人物についてのお話も交える必要がありますので、まとめてご報告させていただきます」
そんな前置きの後、ジンは神妙に話し始めた。
「まず、皆様は仮面の剣士を何者だとお考えでしょうか? 男? 女? 冒険者? それともそれ以外の誰か? ……もちろん断言することはできませんが、私は人間以外の何かだと考えます」
ジンの放った最後の一言に、聞いていた三人は一様にため息を吐いた。
彼の突拍子のない意見に呆れているわけではない。その一見突拍子のない意見に思えるものこそ、最も現実的な考えに他ならないと知っているからだ。
この集まりの中に、仮面の剣士が倒したという古代の龍王と上位魔人の強さを知る者はいない。対峙したことがないからだ。
だが書物に残るものや、伝聞からなら知っている。歴史上、いずれも敵対した際には人類史に残るほどの大きな損害を被っている。滅びた国でさえも一つや二つではない。それは、情報統制が必要になるくらいの脅威なのだ。
――それを一人の人間が葬った?
そんなこと、あり得るはずがない。だからこそジンの意見は真っ当だと言えるのだ。
誰もがそう考える中、代表して口を開いたのは色男のマキバだ。
「俺たちもそれは考えたぜ。だが、それでもピンとは来なかった。人間技じゃないから人間ではない。至極真っ当な推論だと思うが、ではいったい誰なのだ? となれば途端に答えは遠のく。お前さんはそこら辺をどう説明する?」
「……もちろん、私も人間以外の存在というものに心当たりがあるわけではありません。一応二つの可能性をこれから挙げさせていただきますが、あまりにも荒唐無稽なものにお聞こえでしょう。ですが、龍王と上位魔人の死体の調査結果を見れば、まだ人間がやったと言うよりは現実味があるのです」
「わかったわかった。何を言おうとバカになんてしないから、早く言ってくれよ」
「はい。では一つ目の推論から。――私は、仮面の剣士は上位魔人だと考えます」
ジンの力強い言葉に、その場にいた全員が息を飲んだ。
彼の言う通り、その可能性はあまりにも荒唐無稽なものに聞こえるのだろう。
確かに、過去に人間と友好関係を築こうとした魔人は皆無ではない。少数ながら存在はしたのだ。
だが、それだけで仮面の剣士の正体を上位魔人だと言うのは、些か乱暴すぎるのではないだろうか。
――誰もがそんなふうに考えつつも、まだ考慮しなければならない点がある。そう、ジンは調査結果を見ればそうとしか考えられない、と言ったのだ。
「……君たちは、奴らの死体に何を見たのじゃ」
「致命傷となった切断面です」
「切断面だぁ? そりゃあるだろうよ。なんせ仮面の“剣士”だ」
「最後までお聞きください。――我々が発見したものは、龍王の巨体を正面から縦に真っ二つにした太刀傷と、上位魔人を肉片へと変貌させるために同時に入れられたであろう八十六もの太刀傷です」
「…………は?」
そう一息に言い切ったジンは、この場を本当の意味での沈黙が覆うのを肌に感じた。
時間が止まったかのようである。頭の切れぬ者など存在しないこの場において、全員がジンの言葉の咀嚼に全神経を注いでなお、誰も何も言えないのだ。
彼らの気持ちは痛いほどに理解できる。ジン自身、部下から報告を受けた時には「何を言っている」と一笑に伏したものである。だが信頼できる者――自分自身で再度調査に赴いた際、今の彼らと同じような反応を示してしまった。
やがて時間にして五分ほどが経ち、誰かが小さく呻いた。それを合図にジンは言葉を続けた。
「皆様のお気持ちもわかります。そろそろご理解いただけましたでしょうか。龍王は正面から一刀の下に絶命させられておりました。矢傷や魔法痕なども付けられておりましたが、おそらくは仮面の剣士による偽装でしょう。我々の調査能力を以てすれば、それらが死後に付けられたものだということはすぐにわかります」
上位魔人に関しては言うまでもない。
上位魔人は圧倒的な再生能力を持つため、もし見受けられた八十六の太刀傷に少しでも時間差があれば、再生を開始した痕というものが残るはずである。それが一切――微塵たりとも確認できなかったのだから、それらは同時に与えられた太刀傷だと言えるのだ。
ルルナスが呻くように言う。
「……それに関して、その偽装に関して、その場にいた者たちは何と言っておったのだ。当然ながら尋ねたのじゃろう?」
「はい。ご存知の通り、そこにはラナーシャ・セルシス、グレイ・ナルクラウン、アルシェ・シスロードの三名が居合わせました。そして彼らに別々で話を聞いたところ、ラナーシャ・セルシスとアルシェ・シスロードの二名は『偽装などしていない。あれは戦闘の際に付いたものだ』という趣旨の証言をし、グレイ・ナルクラウンだけが『仮面の剣士に指示されてやった。そして誰にも言うなと脅された。だからあの二人は何も言わないと思う』といった趣旨の証言をしています」
「ふむ……」
それは、魔人が王都を襲った事件の終結後に、改めて龍王討伐についての尋問を行った時のことだ。龍王が討伐された直後は彼らがすぐに王都を去ったため、龍王の死体調査が済んだ頃にはすでに行方を眩ませていて尋問の時間が確保できなかった。
ただ、今から思えば、グレイ・ナルクラウンの証言には感嘆せざるを得ない。
他の二人とは違い、彼だけは自分たちの偽装が組合の調査能力を前にして通用しないことを承知していたのだ。だからこそ、仮面の剣士に指示されたという証言をした。
それが本当であっても嘘であっても、彼の一言によりその三人が追及から逃れたのは紛れもない事実なのだ。
もし三人共が白を切ろうものなら、それを嘘だと見抜いていた組合側は彼らを解放しなかっただろう。だが脅されているとの発言から、組合側は彼らを解放せざるを得なかった。もし彼らが長期に渡り拘束されていることに仮面の剣士が気付けば、口封じに動くのではという懸念があったからだ。
そして、偽装の有無は見抜けてもグレイの発言の真偽は見破れないのだから、それ以上こちらに彼らの行動を強制する力はない。
そこまでを読み切って動いていたと言うのなら、ナルクラウン家次期当主の知能指数はかなりのものと言える。冒険者組合としては頼もしい限りだが、ロア家の人間であるルルナスとアグニからすればその限りではないだろう。
ジンがそんなことを考えていると、それまでずっと黙っていたアグニが口を開いた。
「ジン殿、話を戻しましょう。……龍王と魔人の致命傷となった切断面から、仮面の剣士は人間ではないと断言できるとのことでしたよね? 確かに、それが人間によるものだと言うよりは、上位魔人が気紛れに人間の味方に付いたと考える方が現実的でしょう。その戦闘力はもちろん、彼らは個々に特殊な能力を持つと言います。ならば一見理解できないような現象を引き起こすことだって可能かもしれませんからね」
「ええ、その通りです。ですが、私は推論は二つあると言いました。そして個人的にはもう一つの説により大きな可能性を感じております」
「――なるほどのぉ」
仮面の剣士の正体は上位魔人だという可能性の他に、ジンが導き出したもう一つの可能性。
だがそれを言う前に、ルルナスの間延びした声がジンの言葉を遮った。
おそらくは彼も気付いたのだろう。さすがに鋭い男だ。
「お主もなかなかロマンチックな男じゃの」
まるでからかうかのように言うルルナスへと、ジンは微笑みかけた。
「はは、まあそう言わずにお聞きください。これは確かに先ほどの説よりも荒唐無稽に聞こえるかもしれません。ですが、この場で唯一現場を見た私の勘が告げるのです」
そしてジンは言う。
「――仮面の剣士の正体は、剣の女神なのではないでしょうか?」
仮面の剣士が行ったと言う、二つの偉業。――
二つの共通点は、
ジンの言葉の意味が理解できたのか、マキバが「あぁー」と口を開いた。
「なるほど。“
「ええ、さすがですマキバ殿。……どちらの事件にも、ラナーシャ・セルシスが偶然に居合わせています。そしておそらく、どちらの事件においても、仮面の剣士が現れなければ彼女は命を落としていたことでしょう。そこへタイミングよく、二度も現れた最強の剣士。――これこそが、私が仮面の剣士を剣の女神だと考える最大の根拠です」
この世界には神が実在すると言う。そして最下級の神々は人間の姿を持ち、武器と魔法スキルをそれぞれ司っているのだそうだ。
その姿を見た者は存在しない。正確には、見たと証明された者がいない。
だが、実際に神託が下りたのだ。剣の女神を祭る神殿へと、ラナーシャが七歳にして剣術レベル5のスキルを持つと証明されたその直後に。
「もちろん、これを信じろと言っても難しいでしょう。ですが、可能性の一つとして頭の片隅にでも置いておいてください」
ジンのそんな言葉により、その話題は終わりを迎えた。
その後も細かな報告を行い、やがてこの場は解散となる。
そして、いつしか各々が思い思いに散り始めたのを合図に、頭の整理を終えたマキバはルルナスの下へと歩み寄った。
「おやっさん。どう考えます?」
「……ジンのやつも、なかなか面白い発想ができるようになったの」
対し、ルルナスのそんな返答にマキバは朗らかに笑った。
「おいおい、ボケるには少し早ぇーぜ。どれだけ考えようと、仮面の剣士についての答えなんて得られないんだ。だったら考えるべきはこの後どうするか、だろ?」
「ほっほっ、シルラハルの人間もやはり同じように考えるかの?」
「ふっ、まあな」
ジンの言う通り、仮面の剣士が上位魔人であろうと、または剣の女神であろうと、冒険者組合のトップとトップ2が考えるのは、いかにしてその存在を己の側――人類の側に付かせるかである。もし敵対などしようものなら人類に勝機はないだろう。
そしてそれは、自分たちに近ければ近いほど好ましい。
特にそれは、一族としての矜持をナルクラウンの人間により穢されたロアの人間としては、なんとしても手に入れたいものである。
現在、世界が注目する三人の冒険者を挙げるとするならば、十六歳にしてA5級にまで到達したグレイ・ナルクラウンと、未だどのギルドにも所属しようとはしないラナーシャ・セルシス。そしてそんな二人と行動を共にし、なおかつラナーシャと共に中位魔人を討ってみせたアルシェ・シスロード。彼らである。
ロア一族が代々率いてきたギルド『王の砦』は、赫々卿率いる『
もしジョット・ナルクラウンが新たにギルドを設立したりなどせずに赫々卿の黎明国家に所属していたならば、今頃この順位は逆であっただろう。
この後がない状況を打破するには、王の砦の戦力を飛躍的に上げるしかない。
そこで目を付けるのが、ラナーシャとアルシェなのだ。アルシェはともかくラナーシャは入団直後から幹部を任せても構わないくらいの実力者であり、もしジンの言う通り仮面の剣士の正体が剣の女神なのだとすれば、ラナーシャを引き込むことによって神の力までをも手中にできる可能性があるのだ。
そんな思惑を今の会話だけで読み取ったマキバは、ルルナスへと別れを告げこの場を後にする。
そして早足で進みつつ、今後の動きを予想する。
(ただ、おやっさんは決してバカじゃねぇーし、言うほど欲深くもない。信用できる人間だ。当然
マキバの歩みがピタリと止まった。
彼の言うあれとは、ジンによる報告から見えてきた、ジョット・ナルクラウンの不可解な行動についてだ。
それは、中位魔人の死体を塵になるまで徹底的に焼き払ったというものだ。
そもそも、二体現れたという中位魔人だったが、死体が一体分しか見つからなかったのだそうだ。それがジンによる報告では、ラナーシャとアルシェにより討伐された中位魔人の死体をジョットが塵にしたと証言している、とあった。そして実際に、天高く昇る雷の火柱を見たという目撃証言も多く存在した。
彼が言うには、魔人には過去に妻と二十人の部下を奪われたため、怒りが抑えきれなかったらしい。
だが彼のことをよく知るマキバたちからすると、その行動は理解できないものだ。
そもそも、彼は激情に駆られてそのような行為に手を染める人物ではない。
もちろん断言はできない。彼の味わった苦しみはそれほどのものだったと言われればそれまでなのだが、マキバには彼が嘘を吐いているとしか思えなかった。――では、中位魔人の死体はどこに消えたのだろうか。
答えはわからないが、そこにジョットが絡んでいる限り、必ず何かが隠されているはずだ。例えば、死んだとされる中位魔人が今もまだ生きている場合など。
ふとそんな可能性に思い至り、マキバは思わず噴き出した。
(ははっ、さすがにそれはねぇーか)
それにしても、と考える。
(とんでもない三人が揃っちまったぜ。なぁ、ジョットよ)
マキバが思い馳せるのは、ラナーシャ、グレイ、アルシェの三人だ。
それはまるで、懐かしき日々の如く――。
ロアの人間が何を考えようが、おそらくその三人は共にギルドを設立するだろう。自らも冒険者の端くれとして生きてきたために、彼らの気持ちはよく理解できるのだ。彼らなら必ずそうするだろう。
確信できるような根拠はない。ラナーシャ以外の二人とは会ったことすらないのだから。だが、敢えてそう断言する。
彼らを見ているとどうしても思い出すのだ。
後に世界最強の冒険者と呼ばれることとなるジョット・ナルクラウンと、その存在を隣で支え続け、圧倒的なポテンシャルの高さと戦闘スタイルから“災禍”の二つ名を手にすることとなるロシュフォール・ベル。そしてジョットの妻となることを夢見て、自らもまた冒険者の高みであるA級へと到達してみせたカーラ・センチネル。
かつて、奇跡とまで言われたこの組み合わせ。後にA級冒険者となる三人共が同じ町で生まれ育ったのだから、確かに奇跡と言えるのかもしれない。
だが、マキバは思う。世界とは、時代とはそういうものだ。
時代毎に、その時代を彩る新たな才能というものは、実に色彩豊かな奇跡を演出してみせるのだ。
やがてカーラ・センチネルはナルクラウンの名を背負ったままこの世を去り、ラナーシャ・セルシス、グレイ・ナルクラウンといった新たな才能が花を咲かせた。
グレイはアルシェと出会い、やがて二人はラナーシャと出会い、そして今、彼らの前へと現れた仮面の剣士が世界の注目を一身に浴びている。
それらが、若かりし頃のジョットたちと重なって見える。まるで彼ら三人の再来だと言わんばかりに、マキバの心を躍らせるのだ。これを新時代の幕明けと言わず何と言おうか。
ジョットの思惑を読み解くのは困難だが、彼の願いならば容易に想像が付く。
彼は今、自らの時代を完結させ、後の世へと託そうとしているのだ。
シルラハルの人間として、一人の冒険者として、一人の人間として、ジョットの生き様には大いに魅せられてきた。そんな彼が、新たな時代の先駆けとして三人を選んだと言うのなら、マキバのやるべきことは一つだけだろう。
(少しくらい、世話焼いてやるか……)
マキバは小さく笑うと、やがて一歩を踏み出した。
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