The Brave with a Loa's Fate
21 小さな葛藤
懐かしい景色がそこにはあった。
場所はオーソドックスな酒場の一角だ。知らない冒険者たちの乾杯を見る幼き日の俺を、第三者の立場から俯瞰する。
当時のことはしっかりと覚えている。向かって右側に座る男が左隣の男のものへと杯をぶつけ、中に満ちている白い泡が豪快に揺れる。
その直後だった。酒場の扉が外から開け放たれ、現れた人物が慌てた様子で俺の右腕を引っ張ったんだ。
「おっとぉ、どうしたんでぇ」
俺の話し相手になってくれていたルーデンベルクがそう問いかける。
だがそいつはルードのことを無視したまま、俺の目を真っすぐに見つめてきた。
「あの人たちは!? あの人たちはどこへ行ったの!?」
あの人たち、という言葉が誰を指しているのかはわかる。
だから俺は冷静に答えた。
「大事な仕事があるって言ってただろ? ようやく今朝になってその仕事に出かけたんだよ」
「……それってまさか、
あそこ、という言葉が何を指しているのかも当然わかっている。
「ああ、あそこに行ったんだよ」
「……くっ、あそこには近付くなって言っただろ!」
「はぁ? それは俺に対して言ったんだろ?」
「一緒だ! 君が行こうとあの人たちが行こうと、あそこはダメなんだ!」
唾を飛ばしつつ、必死になって力説してくる。
俺と同い年の子供が、父さんたちの何を知っていると言うのか。そんな思いから、この時の俺は少しカチンと来たんだ。
「言ってろ。彼らはそんなにやわじゃない」
そして、とうとう突き放すようにそう言った俺。
そいつは悲しそうに目を伏せた。
「……この、わからずや」
そして俺の腕を引っ張ると、酒場の外へと連れ出した。
全て覚えている。
背後からかけられた「あまり遠くへ行くなよ」というルードの声。
燦々と照り付ける太陽の熱。
前を走るそいつから流れるように飛んでくる涙の欠片。
やがてそこへたどり着いたかと思うと、そいつはいつも身に着けていた子供用の剣を抜いた。
その剣が前触れもなく砕けたと同時に、二人の警備兵が足でもぶつけたかのように揃って膝を突いた。
その隙に塔の入口へと飛び込んだ。
薄い膜のようなものを突き破る感覚を経て、眼前に広がる光景。
――累々と積み重なる大量の死体。
――散乱する誰かの手足や内臓。
――視界を埋め尽くす複数の悪魔。
転がる死体の多くに見覚えがあった。
だが、無事に立っているのはたった一人だけだ。
「父さん……」
俺は思わずそう呟いた。
俺たちの存在に気付き、振り返った親父。
そして驚愕に目を見開く親父の向こうに、俺は
大量の血の海に横たわる、大好きな人。
内臓がこぼれないように、その右手は腹部を押さえ続けている。
「グレイ……」
目が合い、彼女が呟くように俺の名を呼んだ時、俺の中で何かが弾けた。
悲鳴なのか、怒号なのか、何かの言葉なのかはわからないが、幼き日の俺は俯瞰する俺の前で、言葉にならない何かを叫び続けている。
喉が千切れそうなほどに絶叫する俺。
苦渋に歪む親父の表情。
眼前の光景に涙と鼻水で顔面をぐちゃぐちゃに汚しつつも、落ちていた剣を拾い上げる小さな影。
「アルシェ君……?」
そして、名を呼ぶ親父を無視しつつ、そいつは剣を振るった。
◆◇
魔人の集団が王都を襲撃した事件から丁度一か月が経つこの日、王都ではすっかりと馴染みになってしまった高級宿の一室でグレイは目覚めた。
風邪でも引いてしまったのか、それともさっき見た夢のせいなのか、少し頭痛がする。だが問題はない。酷くなるようなら回復魔法の使い手でも探せばいいだろう。
グレイはそんなことを考えつつ、窓から差し込む太陽の光を確認すると小さく舌打ちをした。
「……くそ、寝過ごした」
いつもなら日が昇りきる前から体を動かしているのに、今日は二時間以上も寝過ごしたと思われる。
ふと隣のベッドへと視線を向ける。だがそこには誰もいない。どうやらアルシェは寝過ごすグレイを起こしたりはせず、一人で部屋を出て行ったようだ。
冒険者らしくもない自らの気の抜けように改めて舌打ちをしつつ、グレイはベッドから降りる。そして薄着のまま剣だけを手に取ると部屋を後にした。
やがて宿屋併設の鍛錬所についたグレイを出迎えたのは、これでもかと言うほどに激しく息を切らしているアルシェだった。
「ぐ、グレイ、おは、よう……。寝過ごす、なんて、珍しいね」
「ああ、悪いな。今度同じようなことがあれば起こしてくれ」
「はぁ、はぁ、わかったよ……」
適当にそんなやり取りを交わすと、グレイはアルシェの息切れを招いた元凶であろう鉄の塊へと手を伸ばした。
アルシェの足元に転がっていたのは大きなバーベルだ。両端に鉄塊の付いた鉄棒型のトレーニング器具で、そのサイズからアルシェが下半身、またはクリーン系の全身運動をしていたと推測できる。それならば彼の疲れようにも納得だ。大きな筋肉へと大きな負荷をかけた直後というのは、吐き気を催すほどに体力を消耗するのだ。
グレイはバーベルが片手では持ち上がらないことを確認すると、今度は全身に魔装を纏わせてから力を加える。重たいことには変わりないが、体勢が悪いにもかかわらず今度は持ち上がった。
わかりきっていることだが、やはり魔装の力は絶大だ。レベル2でもこれなのだから、レベル5を自在に操るラナーシャとの間にはいったいどれだけの差が存在するのだろうか。
グレイの表情が悔しさに歪む。
雷魔法に性質変化を加えて身体能力を底上げするオリジナルの技――グレイの戦闘を見ていた者が勝手に『雷神化』と命名していた――を使った場合、おそらくグレイの身体能力はレベル5の魔装を纏っている状態に匹敵するだろう。
だがグレイの見立てでは、レベル5の中でも下位レベルだ。“赫々卿”ハディール・ナルクラウンに魔装の極致とまで言わしめたラナーシャのものには大きく劣ると自覚している。そして何より、あれは術後のリスクがあまりにも大き過ぎる。
もしグレイとラナーシャが一騎打ちをしても、グレイに勝ち目はない。
魔装を極めたラナーシャには攻守において隙がないのだ。
例え不可視の雷魔法を当てたとしても、彼女の魔装越しに大きなダメージを与えるのは至難だろう。ではどうするか。中位魔人と戦った時と同様、魔法が有効でない相手。ならば魔法以外の攻撃でダメージを与えるしかない。
だが、ラナーシャの身体能力はリスクを度外視したグレイの技を以てしてまで、遥か上を行く。いや、もしそれが拮抗したものであったとしても、剣術レベル5を持つ彼女に対し近接戦闘で勝てる見込みなどはない。
では、全身の不可視化を用いて戦うか? ――否。あの技は一秒の維持が限界であり、使用中は別のことに集中力を割くことができないため、剣を突き立てるくらいの攻撃が精一杯だ。距離を取られようものなら、ただ体力と魔力を大量に消費するだけだ。
――どうあがいても、俺はラナーシャには勝てない。
グレイの鋭い洞察力が導き出す、そんな結論
そして、そんなラナーシャをも圧倒して見せた存在が身近にいる。
グレイは持ち上げたままのバーベルを地面へと転がすと、アルシェを残したまま鍛錬所を後にした。
そして談話室とでも言うべき休憩スペースにて、その存在を見つけた。
彼女はラナーシャと隣り合って椅子に座り、真剣に本の中を覗き込んでいる。長旅用のローブでボディラインを隠している銀髪の彼女こそが、ラナーシャを遥かに凌ぐ圧倒的強者だ。
――魔人シグルーナ。
一か月前、アルシェの命を狙って王都へとやって来た魔人の一人だ。
だが、ラナーシャとジョットが彼女の保護を決めたため、今ではグレイたちと極秘で行動を共にしている。
シグルーナは人間が好きなのだそうだ。実際、王都襲撃の際には住人の避難を促すために家屋を破壊したりしたそうだが、人間には配下の下位魔人を含め襲い掛かることはなかった。
過去に人間の味方をした魔人が皆無ではないことと、ジョットが様々な尋問の末に安全だと判断したことで今に至る。ちなみにだが、彼女をアルシェと引き離さなかったのは、シグルーナ本人がジョットとの行動を激しく拒んだこと、そしてジョットとアルシェがアルシェへの同行を認めたからだという経緯があった。
ジョット・ナルクラウンが安全だと判断したのなら、彼女の同行に異論はない。当然ながら当初は警戒もしたが、もし彼女の目的がアルシェの暗殺にあるのならとっくに実行しているだろう。そうならなかったのだがら信頼はできる。
だが、依然としてグレイの胸中では負の感情が波を打っていた。――本来なら敵であるはずの者に対し、武力で劣っているということに。だからこそあんな夢を見てしまったのだろう。
「ラナーシャ。今日はどうするつもりだ」
そうやって声をかけられたことで、ラナーシャとシグルーナは本から顔を上げた。
「おお、珍しく遅かったなグレイ」
「余計なお世話だよ」
「ふふ、まあそう言うな。今日も勉強がてら収集系の依頼でも探そうと思ってる」
「そうか」
見ると、二人が読んでいた本の表紙には植物図鑑と書いてある。冒険者組合が発行している冒険者御用達の本で、薬草や毒草といった冒険者に必須の知識を得ることができるものだ。グレイも小さな頃に暗記させられたし、今でも何かを採取する仕事を受けた時には念のために持ち歩いている。
ラナーシャが言う勉強とは、冒険者としての知識に疎いシグルーナのためのものだ。冒険者としての仕事を手伝いたいと言っている彼女には、基本的なノウハウを学んでもらう必要がある。
プロの冒険者と共に依頼をこなす現在の彼女はアマチュア冒険者の身分に収まっている。プロライセンスを持っていないためシグルーナ自身が依頼を受注することはできないが、プロが受注した仕事を手伝うことはできるのだ。
ちなみにだが、組合を通さずに個人で依頼を見つけて受注する者のことを冒険
「それで、もうそろそろ冒険者として仕上がったか?」
「いやいや、まだまだこれからだ。先は長い」
「ちっ、遅ぇーな」
「……お前基準で考えてどうする」
不満気な表情で二人の向かいへと腰かけたグレイへと、それまで黙っていたシグルーナが申し訳なさそうに口を開いた。
「ごめんなさいね。これでも必死なんだけど」
そんな素直な彼女の態度が、グレイにとっては複雑だった。
「……なら構わねぇー」
どっちにしろ、寝坊によって日課をサボってしまった自分にはこれ以上文句を言う資格はないだろう。そんな思いから口を閉ざすと、グレイは顔を背けた。
そして一か月前の事件について思考を巡らせる。
あの事件の終結後、グレイたちはジョットへと「今回のことについて詳しく話してほしい」と詰め寄った。元々ジョットからは、『魔人がアルシェの命を奪いに来るかもしれない』ということと、『おそらくアルシェ以外の人間は殺そうとしないはずだ』ということしか聞かされていなかったのだ。
だが、今回も彼が詳しいことについて説明することはなかった。しばらくの間は襲撃の心配はないということを仄めかした後に、一言を付け加えただけだ。
――「詳しいことを知りたければ、剣の神塔を攻略するんだ」
剣の神塔はかつてグレイの祖父であるハディール・ナルクラウンが攻略した塔であり、七年前にジョットも登頂を果たしている。すでに財宝は残っておらず、神器も今やアルシェの手元にあるのだ。今更どんな理由があって攻略しろと言うのか、グレイたちにはわからなかった。
だが、他でもないジョットがそう言うのだから、そこには何かがあるのだろう。だからこそ今は戦力の増強が必要だ。魔の神塔ほどではないが、剣の神塔も踏破難易度は高い。今のままでは少し危険だと思われる。
そのためグレイとアルシェは、この一ヶ月間は依頼をこなしたりせずにひたすら鍛錬に励んできた。魔人のような強力な敵と戦えるのならまだしも、グレイたちのレベルにまでなると実戦というのは少し効率が悪いのだ。それならば身内同士で仕合をする方がずっといい。
一日を丸々フィジカルトレーニングに充てて、夜は仲間との連携を確認した後、武器や魔法の基礎を黙々と繰り返し最後の一滴まで体力を使い果たす。ラナーシャとシグルーナは、宿代以外の生活費稼ぎ兼勉強のために簡単な依頼をこなしているのだが、都合よく目当ての依頼が見つからない日には仕合相手として付き合ってもらっている。
そんな毎日を送り続け、少しずつ強くなっているのを実感していた。あと二、三か月ほど今のような生活を続ければ次のステップ――C1級~C5級依頼の連続受注――に移ってもいいだろう。
そんなことを考えながら三分ほどが経ち、やがて朝の鍛錬を終えたアルシェが三人の下へ合流した。
そして四人で朝食を済ませた後、いつもと同じ一日が始まるのだ。
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