19 覚醒の剣

「頭が痛ぇー」

「すぐに治しますので、もう少し我慢してください」

「うぅー、あ……また鼻血だ。拭いてくれ」

「はいはい」


 などと言い合いながら、クイナに支えられたグレイがマリノスの下へと歩み寄って来た。

 他の冒険者はすでにマリノスの指示により別の場所へと活躍の場を求め去って行ったので、ここにいるのはアルシェを含めて四人だけだ。

 そんな中、マリノスはいい意味で頭を抱えていた。

 ――なんて強さなんだ、この男は。

 それは先ほどの戦闘を見た彼女の素直な感想だった。はっきり言って、グレイの強さはA10級という肩書きですら物足りないほどだ。この事件が落ち着いたら、きっと彼の等級とギルドランキングは一気に跳ね上がることだろう。

 やがてマリノスの下へと辿り着いたグレイは、ゆっくりとアルシェの側に腰を下ろした。


「おい、回復魔法をかけてやるからもう少し近付け」


 グレイに対しそう言うと、彼は首を横に振りつつクイナを指差した。


「いや、こいつので十分だ。それよりも早くアルを治してやってくれ」

「心配しなくていい。もういつ目覚めてもいいくらいだ。手首もちゃんと再生してくれた。だから今はお前だ」


 マリノスのその言葉に嘘はなく、あとは大腿骨の粉砕を治せば大まかな治療は終了となる。

 だからそれ以上に、今はグレイの治療を優先すべきなのだ。グレイが先ほど見せた雷魔法を自らの体へと流し込む技は、かなり負担が強いようで、まともに立っていることすら難しそうに見える。おそらくは全身の筋繊維がズタボロにちぎれているのだろう。常人なら泣き喚くほどの痛みを伴っているはずで、考えようによっては今のアルシェよりも重傷と言えるかもしれない。

 そして何より、グレイにはさっさと怪我を治してもらい、周囲の警戒に当たってもらいたいのだ。

 そんなことを説明すると、彼はしぶしぶ治療を受け入れてくれた。マリノスは左手をアルシェの大腿部へ、右手をグレイの全身へと向けると、二人の治療を再開する。

 それから二、三分ほどそうしていると、突如として地響きのような轟音が王都の町中を駆け巡った。ハッとしたマリノスたちは音の方向へと目を向けた。

 そこにあったのは、天高く上る雷魔法の奔流だった。


「……魔法?」

「親父だ」


 答えたのはグレイだ。


「あれは親父の魔法だ。本当に来てたんだな」

「そ、そうか。……相変わらず派手な魔法だな」

「ああ。たぶん、あと三回以上は同じのが続くぜ」


 だが、そんなグレイの言葉に反して、雷魔法による轟音は二回だけに収まった。それも二回目の魔法は一回目のに比べかなり短かいものだった。だが、マリノスを含めそのことを気にする者はいない。

 そして更に三分ほどが経ち、グレイの治療を終えようとする頃に、凄まじい速度でこの場所を目指す二人の男性が視界へと映り込んで来た。

 一人は二十代半ばの茶髪男性。その正体には心当たりがある。確か、ルーデンベルクとかいう名前だったはずだ。若くして『殲滅の旅団』に在籍するB級の上位冒険者だ。

 そしてもう一人はマリノスもよく知る人物だった。黒い髪は相変わらず綺麗に整えられており、その几帳面な性格を如実に表している。確か、歳は四十だったと記憶している。――彼の名はロシュフォール・ベル。“殲滅卿”ジョット・ナルクラウンの幼馴染であり、殲滅の旅団の副ギルド長を務める男だ。冒険者ランキングでもジョットに次ぐ5位に収まっており、数少ないA級冒険者の一人として世界へとその名を轟かせている。

 そんな二人はこの場へ辿り着くと、アルシェを一瞥した後、最後にマリノスへと向き直った。


「マリノス殿。挨拶も抜きに申し訳ないが、状況を説明してもらえるか」


 そんなロシュフォールの言葉に、マリノスは神妙に頷いた。


「もちろんだ“災禍さいか”殿。……とは言え、教えられることなど限られているがな」


 そんな前置きの後、マリノスはここで何が起きたのかを説明した。

 上位冒険者昇格試験の後――正確には道中――に突如として一体の魔人から襲撃を受け、不意打ちだったために為す術なくアルシェが無力化されたこと。ラナーシャが別の戦場にいること。魔人をグレイがほぼ一人で倒したこと。他の受験者には街中を警戒させていること。そして現在、アルシェの治療も終盤に差し掛かったこと。

 それを聞き、ロシュフォールは「ふむ……」と頷いた。

 対し、ルーデンベルクは嬉しそうにグレイへと話しかけていた。


「ほうほう、さすがだなぁグレイ坊は」

「おい、その呼び方は止めろって言っただろ」

「はははっ、止めるくらいなら死んだ方がマシだぜ」

「なら早急に死ね」

「おーおぅ、久しぶりに会うのに相変わらずでぇ」

「お互い様だろ、このぼけルード」


 ルーデンベルクはそんなやり取りにひとしきり笑うと、すぐに表情を神妙なものへと変え、アルシェの下へと膝を突いた。


「それで、マリノスさんともあろうお方に治療されているということは、後遺症なんかも心配いらないんですよね?」

「ああ、心配いらねぇー」

「そうですかい。……ふぅ、よかった」


 そんなやり取りの後、彼ら二人に遅れる形で、マリノスの部下であるシュナが数人の冒険者たちを引き連れて姿を現した。

 彼女はグレイの姿を見てビクリと体を震わせたが、慌てて怯えの感情を隠すとマリノスへと向き直った。


「マ、マリノスさん。遅れてごめんなさい。二人が速過ぎて……」


 そうやって健気に表情を窺うシュナへと、マリノスは「構わない」と微笑んだ。マリノスはその性格とは裏腹に自らの仲間に対してはかなり優しい一面を持つのだが、それを差し引いてもシュナに落ち度はないと言える。ロシュフォールとルーデンベルクの身体能力が上位冒険者の中でもかなり上位に位置するのは周知の事実だ。


(四、五、六……ちょうど十人か)


 マリノスはシュナの連れて来た冒険者を数えながら、彼女へと問いかける。


「それで、ラナーシャの方へは殲滅卿の旦那が向かったのか?」

「あ、はい。ルレットさんが言ってたもう一つの戦場ですよね? そちらへは確かにジョット・ナルクラウン様が」

「そうか。ご苦労」


 どうやら先ほどの轟音は、グレイの言う通り確かにジョットによるものだったらしい。そんなことを改めて確認すると、引き続きシュナの知ることを全て教えてもらった。

 まず、現れた魔人の数は不明とのこと。こことラナーシャのいる場所以外にも数体の魔人が現れたそうで、組合へと寄せられた情報では、王都の衛兵と別の冒険者たちが対応に追われているらしい。そして不明瞭な噂ではあるが、国王直属の王下戦士団が団長を含め治安維持に努めているという目撃情報があったそうだ。もしそれが本当なら直に騒動は終息を迎えることだろう。

 シュナはその他にも、殲滅の旅団の構成員で王都にいるのはジョットを含め三人だけだということや、それ以外の上位冒険者が偶然組合に二人居合わせたこと、今のところ死者が出たという話は聞かないことなど、様々なことを教えてくれた。

 ――とりあえず、思っていた以上に事態は悪くなさそうだ。

 そんなことを頭の片隅に置きつつ、マリノスはロシュフォールの顔を見上げた。


「それで、あなた方は戦場へと向かってくれるのだろうな」


 当然のことだと言わんばかりに問いかけたマリノスに対し、返って来たのは意外な答えだった。


「いや、我々はここを動かない」

「は、はぁ? いや動けよ。これだけの戦力を一か所に留めておく理由などないだろう!」


 ――彼は何を言っているのか。

 そんな疑念から、思わずマリノスの語気に熱が入る。

 だが当の彼らはアルシェを一瞥すると、何かを知っているかのような素振りで言葉を続けた。


「……何かが起こるとしたら、おそらくここだろう。少なくともアルシェが目覚めるまではここを離れるわけにはいかない」

「……くそっ。またか。お前らはいったい何を隠しているんだ」


 それは、ラナーシャとグレイをも含めた、一連のアルシェへの疑念に対してのもの。

 アルシェはレベル5の剣術スキルを持っている。――マリノスが導き出したそんな解答も、彼らの態度を見ていれば全く的外れなものとしか思えなかった。そもそもそれくらいのことならば隠す必要もないし、彼らがこの場に頑として残り続ける理由としても説明がつかない。

 そんなマリノスの疑念を知ってか知らずか、突如としてルーデンベルクが何かを思い出したかのように小さく笑い出した。


「くっくくっ、それにしても仮面の剣士かぁ……。ふはは、どうせグレイ坊の悪ふざけなんだろうな」


 ――仮面の剣士。

 思わぬところで核心を突く単語が飛び出し、マリノスは目を見開いた。


「おいっ、仮面の剣士のことを知ってるのか!?」

「知ってるも何も……。まあ、そこらへんはグレイ坊に説明してもらってくだせぇ」


 ルーデンベルクはそんな風にマリノスをあしらうと、再び肩を震わせ始めた。

 名指しされたグレイは面白くなさそうに顔を背けるだけで、何かを教えてくれそうにはとても思えない。

 マリノスはルーデンベルク本人にも聞こえるほどに大きな舌打ちをすると、飄々とふざけ続ける彼へと不満を隠す様子もなく詰め寄った。


「ふざけてんじゃねぇーぞ若造が。状況を理解してるのか? 王都の罪なき人々が危険に晒されてるんだ! ここを動く気がないなら、せめてその理由だけでも説明しやがれッ!」

「あ、いや……。そうは言われやしてもね……ははっ」


 そうやって引く気を見せないマリノスの気迫に圧されたのか、ルーデンベルクは困ったようにロシュフォールとグレイの顔を順に見やった。

 だが視線を向けられた二人に助け舟を出してやる様子は見当たらず、ルーデンベルクは目に見えて狼狽し始める。

 それでも頑なに口を割ろうとしないルーデンベルクに苛立ちを募らせていたその時、頭上からロシュフォールの神妙な声が届けられた。


「ほら、やはりここへ来た……」


 ハッとして、マリノスは背後を振り返った。

 ロシュフォールの視線の先にいたのは――魔人。

 だが先ほどグレイが倒した魔人とは明らかに様子が違った。

 まず、その体躯。先ほどの魔人は成人男性とほとんど変わらぬ体格をしていたが、此度の個体はこの距離を以てしてもわかるほどの巨体をしている。おそらくは二メートルを優に超しているだろう。

 次にその様相。これも先ほどの魔人とは異なる。具体的にはより禍々しさが増しているのだ。果たして魔人と言ってもいいのかさえ疑問なほどだ。確かに二足歩行で近寄って来るが、その邪悪な雰囲気が見る者の認識を誤らせてしまう。


 ――まるでのよう。


 それが、マリノスの抱いたピッタリな表現だった。


「うわぁ、あれはやべぇですね……。中位魔人……いや……」

「ああ、おそらくは上位魔人だな」


 まだまだ距離はあるが、明らかに不穏な雰囲気は殲滅の旅団の主力二人にも感じられたようで、その表情を険しいものへと変えていく。

 彼らの背後では冒険者たちが一様に体を震わせており、各々の武具がカタカタと音を立てていた。シュナは顔を青ざめており、唯一グレイだけが表情を変えることなく魔人を見据えている。


「マリノス殿。低く見積もって、あの敵はA級冒険者十人に匹敵すると思われる。全員で立ち向かっても勝てないだろう。我々が殿を務める間にグレイたちを連れて逃げ出すように。ジョット、グレイ、ラナーシャの三人が合流できれば、勝ちの目はゼロじゃなくなる」


 それはロシュフォールの言葉だ。彼の言う我々とは、ロシュフォールとルーデンベルクを指すのだろう。隣で剣を抜いたルーデンベルクは歩み寄って来る魔人から目を逸らすことなく、力強く頷いている。

 ――二人とも、ここで死ぬつもりだ。

 そうあることが当然とでも言うかのように、二人の表情には一切の迷いが見受けられなかった。

 ――本物の上位冒険者。

 マリノスの脳裏にそんな言葉が浮かんだ。先ほど若造と罵ったルーデンベルクも、やはり殲滅の旅団という巨大なギルドに所属する一人の上位冒険者なのだと思い知る。


「さあ、マリノスさん! 早く行ってくだせぇ!」


 だが、そうやって急かすように声を張り上げたルーデンベルクへと、一つの声がかけられた。


「違うぜ、ルード。お前らの仕事は殿なんかじゃねぇ。人払いだ」


 それは、変わらず立ち上がろうともしないグレイからの言葉だった。

 マリノスにはその言葉が理解できなかった。だがロシュフォールとルーデンベルクは違ったようで、彼らは次の言葉によって、その表情に理解の色を灯すこととなる。


「――どうやら、アルが目を覚ましたようだからな」




 ◆◇




 アルシェが目を覚ましたのとマリノスが彼の怪我を完治させたのは、ほとんど同時のことだった。

 当のアルシェは周囲の状況から瞬時に状況を理解したようで、余計なことは何も言おうとしなかった。「すみません、迷惑をおかけしました」とだけ呟くと、その表情を神妙なものへと変えていく。それを確認したロシュフォールにより、集まった冒険者たちに対し退避という名の人払いが行われた。受験者であるクイナには彼らの逃走ほう助という任務が与えられ、最終的にこの場へ残ったのはアルシェ、グレイ、マリノス、シュナ、ロシュフォール、ルーデンベルクの六人だけとなった。

 そして、自らを治療してくれたマリノスと、一人で魔人と戦ってくれたグレイへと心からの感謝を告げると、アルシェは静かにその場へと立ち上がる。

 まるでアルシェ一人を戦場へと送り出すかのような雰囲気だ。だがロシュフォールたちに変わった様子はなく、さも当然とばかりに立ち尽くしているだけだ。

 そんな彼らの様子に先ほどまでずっと文句を言っていたマリノスが、とうとう諦めたとばかりにかぶりを振った。


「シュナ……視るんだ」


 そしてそんな風に紡がれる言葉。

 思わずきょとんとしてしまうシュナへと、今度ははっきりと指示が出される。


「視るんだよ! アルシェ・シスロードのスキルを鑑定するんだ!」

「えっ……あ、はい」


 それはいつも気丈で堂々とした彼女らしくない、吐き捨てるような言葉だった。そんなマリノスの様子に少し怖れを抱きつつ、シュナは慌てて返事をした。

 ふと、反射的にグレイの方を一瞥してしまう。そして彼に制止の意思が見受けられないことを確認すると、シュナはアルシェの横顔を覗き込んだ。

 鑑定には、最後に鑑定を中止した人物の再鑑定の際、中止する前の状態からリスタートすることが可能という特徴がある。つまりシュナの場合、今回のアルシェの鑑定では、剣術スキルに限り以前の鑑定時間を引き継げるというわけだ。マリノスはそれを知っているため、この状況にもかかわらずシュナへとアルシェの鑑定を命じたのだ。

 そして――時間にして五秒ほどが経ち、シュナの表情に陰りが差し始めた。


「な、なんだ? どうしたシュナ!?」


 思わず心配になるマリノスだったが、その言葉に彼女からの返事はない。だがそれは明らかに異常な反応だった。手足は小刻みに震え呼吸のリズムさえ乱れているにもかかわらず、目だけが異様なほどに座っているのだ。

 鑑定士が鑑定の際に何をどのように知覚するのかは、彼ら鑑定持ちにしかわからないことである。以前その様子をシュナに尋ねた時、彼女は真剣に悩んだ挙句、「言葉では上手く説明できない」との答えを返している。

 だからこそ彼女がアルシェの中に何を視たのかは、マリノスには想像すらもつかないのだ。だが、やがてふらふらと背後へ尻もちを突いたシュナは、彼女なりの精一杯の言葉で、それを教えてくれた。


「彼は……人間じゃない、です」


 ――と。

 やがて、“戦神”マリノス・ラロは、その言葉の真意を目の当たりにすることとなる。

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