17 雷の神

 剣を持った十六歳の少年。が二人歩いていた。

 その内の一人を攻撃することで、運よく標的を割り出すことができた。あの蹴りを受けて形を一変もさせない剣など神器以外には存在しないからだ。だが、その一方で不測の事態にも遭遇してしまった。

 すぅっと音を立てて、ギャドラの表情から余裕が消える。

 見据えるは、雷を自在に操る金髪の少年。あの者はそうだ。ギャドラに対し牙の届き得る人間。レベル5のスキルとやらを持つ人間に違いない。

 魔法に対し高い耐性を持つギャドラだが、それは肉体を侵しにくいというものであり、決して何も感じなくなるわけではないのだ。あれほどのレベルの魔法に晒されると激痛が走るし、一定のレベルを超えれば魔法耐性の壁をも突破される恐れがある。

 間違いなく、一対一での戦いならばとっくに勝敗は決しているだろう。だが向こうには決して弱くない仲間が四人もおり、なおかつ全員が役割を分けそれぞれの分担にのみ心血を注いでいる状況だ。

 人間側にも、こちら側にも仲間は存在する。このまま時間だけが過ぎて行けば、果たしてどちらの勢力が有利になるのだろうか。

 ギャドラはそこまで考えてから、そんな考えを即刻棄却する。

 ――魔人が人間を相手に遅れなど取るわけにはいかないのだ、と。




 ◆◇




 クイナとシンが魔法で牽制をかけ、ギュンターが盾でグレイを守る。そしてサジウスが剣で迎え撃ってくれるため、グレイは自らの防御については一切心配せず攻撃することができていた。

 魔装が覆うのは可能な限り両目だけに止める。これによって視力や動体視力が上がり、先ほどは捉え切れなかった魔人の動きも追うことができた。そして何より、普段なら他を覆うはずの魔装を可能な限り両目へと集めることにより、その機能は目に限りレベル3相当の魔装を纏っている状態に匹敵するのだ。

 グレイは上昇した動体視力で魔人の動きを捉えると、持ち前の戦闘センスで行動を予測し、そこへ雷魔法を放つ。

 他の属性ならいざ知らず、雷の初速はたとえ魔人と言えど見切れはしない。

 そうやって次々と攻撃を当てていくグレイだったが、魔人の体にダメージが蓄積されていく様子はなかった。まるでラナーシャレベルの魔装を彷彿とさせる魔法耐性の高さに、だがそれでもグレイの表情に苦悶は見受けられない。


(総戦闘力ではこちらが上回っている……が、やっぱ決め手には欠けるか)


 幼き頃からの友人を傷付けられた怒りを必死に抑えつつ、グレイは冷静に作戦の変更を決意する。

 そんなグレイに対し、自らもまた決め手に欠けている魔人はグレイへと言葉を投げかけてきた。


「金の髪をした少年よ。貴様、本当に強いな」

「そうか。そう言ってくれるお前に一つ忠告しておいてやるよ。お前らとは違い、人間ってのは簡単に死んでしまうんだ。……例えばの話だが、両手首を切断して下半身を砕かれるなんざ、普通に致命傷なんだよ」


 そんなグレイの言葉に、魔人の表情がピクリと動いた。


「……そうか。殺す気がなかったことを知っているのか」

「ああ。だが先ほどまでとは違い、今では殺す気満々だってことも知ってるぜ」

「……そうか。そうかそうか。……なるほど、貴様っ、グレイ・ナルクラウンか!」

「ああ、そうだ」


 二人は互いに軽い笑い声を上げる。愉悦の一切含まれない不気味な笑い声だ。

 受験者四人の困惑が伝わってくる。グレイたちの会話はもちろん、魔人の存在自体が秘匿されているこの世界では戦いながらも彼らの中から疑問が消え去ることはないのだろう。

 グレイはそれを敢えて無視し続ける。あるのは一雫ほどの罪悪感だ。

 ――悪いが、面目を潰させてもらう。

 その思いは、『死人なしで乗り切れたら全員が上位昇格だ』と確約したマリノスに対してのもの。

 おそらくは、全員が上位冒険者に匹敵する人間でなければ達成できないと判断しての発言だったのだろう。だが事が過ぎれば、彼女はその言葉を撤回する羽目になるのだ。

 やがて、一瞬たりとも緩むことのない緊張を纏う受験者たちを押し退け、グレイは彼らの前へと躍り出た。

 その場の全員が困惑の表情を浮かべる中、グレイは言う。


「――ここからは俺が一人で戦う」

「なっ! それはいくら何でも無茶です!」

「そうですよ! それに何故そんなことを!?」


 あまりにも突飛な発言に非難の声が飛ぶが、グレイはそれらを片手を翳すことで遮った。そんな彼の様子に面食らい、思わず皆が押し黙る。……やがてグレイの望むがままに後退することを決めた。

 だがそれが気に食わないのは魔人の方だった。


「貴様ぁ、私を舐めているのかぁッ!」


 先ほどまでの談笑染みたやり取りが嘘だったかのように、それは聞く者全てを戦慄させる咆哮のような声。

 だが当のグレイは少し俯き、自虐気味に小さく頬を緩めた。

 ――舐めるだって? 冗談だろ?


「……魔人には母さんを殺されたんだ。舐めたりなどするもんか」


 それは、誰にも聞こえないように呟かれたグレイの本音だった。それにそもそも、アルシェの命を背負っている現状で油断などするはずもない。

 魔人は怒りに顔を歪め、両目に光る赤き灯火を強くした。


「よかろう……! ならばさっさと貴様を殺し、目的を果たさせてもらうッ!」


 そんな混じりっ気なしの宣言と共に、魔人は地面を蹴り上げた。

 圧倒的な脚力により石畳の地面は小さく爆ぜ、一瞬にして両者の距離は縮められる。だがそんな緊迫感に反して、グレイの頬は緩んだままだ。

 総戦闘力を数値として表せたのなら、先ほどまでのように五人で連携を取っている状態の方がずっと上だろう。だがそんな中でグレイが下した判断は、とても単純であり、他の四人からすればあまりにも無慈悲なものだった。それは――

 ――



 思い出すのは、かつて父から聞かされた言葉だ。


 ――『グレイ。お前は天賦の才を持って生まれてきた』

 ――『そんなお前が誰よりも己に厳しくなれば、お前は、若くして俺を超えて行くだろう』

 ――『あのなグレイ。お前は、俺から見ても雲上人うんじょうびとなんだよ』


 そしてグレイの眼前へと迫った魔人は、突如として空中――何もない場所にてその身を硬直させた。


「お前、中位魔人とか言う奴だろ? でも悪いけど、中位魔人お前程度じゃ俺には勝てねぇーよ」


 やがて始まるのは、一方的な虐殺劇だった




 ◆◇




 上位冒険者昇格試験の受験者の一人――クイナ・メリーは愕然とする。目の前で起きた現象がまるで理解できなかったのだ。

 ――なぜ、敵は空中でダメージを受けたのか。

 そしてそれは魔人も同様だったようで、硬直の後にかけられる追い打ちから必死に逃れると、再度グレイから距離を取った。その様子には驚愕と――少しばかりの動揺が見て取れる。


「貴様! いったい何をした!」

「それを敵に訊いてどうする。魔人とは言っても、体が丈夫なだけで戦闘に関しちゃてんで素人なんだな。ほら、うだうだ言ってねぇーでかかって来いよ」


「格の違いを教えてやる」と続けるグレイの態度に、魔人と呼ばれた敵は屈辱の炎を瞳に灯す。そして再度グレイとの距離を詰める。

 だが、そうやって挑発に乗りつつも、魔人とやらはバカではないらしい。先ほどの正体不明な攻撃を警戒して一直線には動こうとはしない。

 だが――


「ぐぅぁぁあああああ――」


 ――今度は一歩を踏み出してすぐ、その身を硬直――おそらくは雷魔法によるダメージ――させた。

 当のグレイに変わった様子はない。魔法発動の際には魔力が体から放たれ敵はそれを回避の目安とするのだが、グレイをずっと見ていたクイナには、彼から魔力が放たれる様子を確認することができなかった。――そこまで考えてから、クイナの脳裏にとある推論が浮かび上がった。

 まさか、という思い。だが理論上は不可能じゃないはず。


(――魔法のを……!?)


 スキルによって推し量れるおおよその力量とは別に、魔法使いとしての強さを決定付けると言われている技術がいくつか存在する。クイナが得意とする多重発動もその内の一つだ。

 そして中でも、戦闘において最も効果を発揮すると言われている技術が四つあり、それらを時に“四大奥義”と呼んだりもする。その四つとは――


『性質変化』――魔力・魔法の性質を操り、様々な能力を付与、または剥奪する技術。

『形式変化』――魔力・魔法の形式を操り、様々な形へと変化させる技術。

『効果遅延』――魔法の発動を一部遅らせる技術。

『効果付与』――発動した魔法を肉体や道具へと付与する技術。


 奥義と呼ばれるからと言って、習得難易度が極めて高いというわけではない。戦闘への活用力が極めて高いのだ。だが、当然ながらこれらをかなりの練度で再現したり、複数を組み合わせて使用したりするとなると、求められる技能の高さはどこまででも上がり続けるだろう。

 効果遅延と効果付与を組み合わせた攻撃方法をかの殲滅卿が得意とするのは有名な話だ。発動を遅らせた魔法の効果を矢へと付与し、敵陣へと放つのだそうだ。

 そして今回、グレイが使用したと思われる魔法――

 それは性質変化と形式変化を組み合わせ、自らの雷魔法を見えなく、そして聞こえなくしたというもの。

 そう、理論上では可能なのだ。――あくまでも理論上では。


(だけど、ここまで完璧に再現するなんて……あり得ない)


 思い出すのは、かつて王国宮廷魔術師として研究に没頭していた時の、“魔法帝”と呼ばれていた師匠のことだった。

 門扉の狭さならプロの冒険者すらも寄せ付けないのが、宮廷魔術師と呼ばれる職業だ。レベル4の魔法スキルを所有するクイナですら、そこでは下っ端とされる身分だった。

 そんな魔法の天才たちが集まる場所にて、歴代でも五指に入る天才と言われていた“魔法帝”ジルロッド・ベルニウスが、一度だけクイナに不可視化の技術を見せてくれたことがあった。

 だが不可視化とは言っても、グレイによる此度の魔法とは似ても似つかないものだ。

 まず、ジルロッドが不可視化に成功したのは、魔法を発動する際に放たれる最初の魔力だけだった。もちろんそれだけでも回避の難易度を跳ね上げるため、敵からすればかなりやっかいなことには変わりない。だがグレイのように、発動された魔法自体を不可視化することはできなかったのだ。


 ――「そんなことを、同じ人間にできるとは到底思えないね」


 それが魔法帝の言葉だった。

 それがクイナの常識だった。

 それがこの世の常識だった。

 そして――その常識は一人の天才によって完膚なきまでに打ち砕かれた。


 そうやって驚愕するクイナの内心など知らずに、グレイは不可視と可視の攻撃を組み合わせ、先ほどまでの強敵を圧倒し続けている。

 見える雷魔法で牽制しつつ、見えない雷魔法で確実にダメージを与えていく。

 不可視化した魔法は放つ度にかなりの集中力を必要とするため、おそらくは狙いを定めるだけの余裕がないのだと思われる。だからこそ彼は、不可視の魔法を放つ際には多少狙いを外してもいいようにかなり大きな雷を生み出しているのだろう。きっと、それがクイナたちを退かせた理由だ。そうしなければ巻き込んでしまうから。

 だが、圧倒している現状にもかかわらず、相変わらず魔人へのダメージは大きくないようだ。

 ほとんど無傷の魔人は全身の筋肉を膨張させ、吠えるように吐き捨てる。


「貴様ぁぁああ、絶対に許さねぇぞぉぉぉッ!」

「……こっちのセリフだろ、それ」


 そうやって冷静に返すグレイだが、その額を一滴の汗が流れ落ちたのをクイナは見逃さない。

 ――やはり、疲労は決して小さくない。

 それは正解なのだろう。だが、彼の様子に焦燥が見受けられないのもまた事実だった。


「だけどまあ、魔人ってのは大した硬さだな。――リスクを負わずに勝てないのは理解した。だからこそ、今から始まるのはリスクを負った“本気の攻め”だ。……集中しろよ。今度はちゃんと死ねるぜ」


 そんな宣言の後、グレイはずっと仕舞われていた剣を抜いた。

 ――まさか、それで戦うつもりなのか。

 クイナの背筋を一筋の汗が流れ落ちる。

 確かに、魔法ではダメージが通っているようには見えない。それに対して、先ほどまでサジウスが振るっていた剣には魔人もかなりの注意を払っているようだった。おそらくは魔法に対する耐性のようなものを持つだけで、物理攻撃に対してはそうでもないのだろう。

 だが、グレイの剣術スキルが高いなどという話は聞いたことがないし、何よりもあれほどの身体能力を持つ敵に対して近接戦闘を仕掛けるのはあまりにもリスクを負い過ぎではないのか。

 だが次の瞬間――そんなクイナの心配は杞憂なのだと思い知らされた。


「なっ……!」


 その光景に、その場にいる全ての人間が言葉を失った。

 彼は――グレイは自らの全身を自らの雷魔法で覆った。正確には、自らの肉体へと雷魔法を流し込んだのだ。

 痛むのか、苦悶に引き攣る表情。静電気により逆立つ金髪。全身を流れる雷魔法がバチィと音を立てる度に屈折する体。

 そして――


「おらぁ――ッ!」


 ――先ほどまでの魔人とほとんど変わらぬ速度で、グレイは両者の距離を詰める。

 魔法使いとは到底思えないほどの速度。想像すらもできなかったその展開に不意を突かれ、魔人は続けざまに振るわれる剣を避け切ることができなかった。


「ぐっ!」


 辛うじて急所を守った魔人だったが、斬られた左腕には決して浅くない太刀傷が残る。やはり魔法以外での攻撃は有効なようだ。

 そんな光景を眺めつつ、クイナは無意識の内にグレイの魔法を分析し始めた。

 突如として身体能力を底上げした技の正体は、魔法の不可視化と同じで、複数の奥義を信じられないレベルで組み合わせたものだろう。

 魔法とは本来、自らの肉体には一切作用しないものだ。

 自分の魔法には触れもしないし感じることもできない。それがデフォルトだ。だからこそ、魔法使いは時と場合によっては『性質変化』の初歩的な技術を使い、自らにも作用するよう改良する。自分の魔法で灯した焚き火で体を温めることができるのは、性質変化にてそのような魔法へと改良しているからだ。何もしなければ、その焚き火から温度を感じることはできない。

 それと同じことをグレイは行い、自らにも雷魔法の効果が作用するようにした。

 そしてその雷魔法の性質を更に変化させ、身体能力を上昇させるものへと改良したのだ。詳しいことはわからないが、おそらくは自らの肉体へと負荷をかけ、潜在能力を無理矢理に引き出しているのだろう。

 前者はともかく、後者は初めて耳にする技だ。きっと、魔法の不可視化を遥かに凌駕するほど高度な技能に違いない。


 そこからは早かった。

 時には流れるようとも、時にはぎこちないとも取れる動きで、グレイは魔人の体へとダメージを与え続けた。

 戦闘に関しては素人、という彼の言葉が思い出される。身体能力が拮抗し始めた途端、不可視化されているわけでもないグレイの攻撃を魔人は喰らい続ける。

 そしてその時は来た。

 全身の生傷に体力を奪われた魔人がぐらりと体勢を崩した時、グレイは魔人の胴を足場に、後方へと大きく飛びずさった。


「――とっておきだ。一秒も維持できないほどにな」


 そんな言葉と同時に、グレイの体を霞のような違和感が包み込み、やがて彼の全身を消し去った。

 ――全身の不可視化。

 体内を流れる全ての魔力と、全身を覆う全ての魔法へと不可視化を作用させ、肉体自体を蜃気楼のように捉え辛くする技術なのだろう。圧倒的な魔力量を併せ持つ彼だからこそ可能な技だ。

 刹那――


「がっ……はッ……」


 ――次に彼が姿を見せた時、その剣は魔人の心臓を完全に貫いていた。

 魔人の目は輝きを失い、グレイが剣を抜くことによりその場に崩れ落ちた。絶命している。子供にも理解できるほどに、その姿は如実に死を物語っている。

 やがて先ほどまでの戦闘が嘘であるかのように、この場を沈黙が支配する。だからこそ、思わず呟かれたクイナの言葉は、不思議なほどによく通った。


「……雷神」


 次第にその呟きは隣の仲間たちへと伝播していく。


「雷の、神……」

「すげぇ! 雷神だ!」

「ああ、“雷神”グレイ・ナルクラウン! 英雄の誕生だ!」


 冷め止まぬ興奮を発散させるかのように、上位冒険者の卵たちは歓声を上げ続ける。

 そんな彼らを黙って振り返ったグレイは、つぅっと流れ落ちた一筋の鼻血を拭うと、その場へ膝からゆっくりと崩れ落ちた。

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