16 先制攻撃

 世界中に点在する神の塔は全てを合わせて十二基に及ぶ。

 剣の神塔、槍の神塔、弓の神塔、鎚の神塔、盾の神塔、鎧の神塔、火の神塔、水の神塔、土の神塔、雷の神塔、光の神塔。これら武器・魔法を司る十一の塔に加え、他とは一線を画す異質なものがあった。

 ――その名は

 デスティネ王国のナザリアという都市にそびえ立ち、他のものとは踏破難易度に圧倒的な差を持つこの神塔は、この世界に存在する全ての魔物を司ると言われている。

 そんな場所にて存在を確認されている、人と魔物の中間のような生物――それが魔人である。


 そんな魔人の一人であるギャドラは中位魔人と呼ばれる存在だ。

 下位魔人ですら数人が集まればドラゴン種といい勝負ができると言われるほどに強力であり、それを上回る中位魔人は単体でドラゴン種に相当すると言う。脆弱な人間の牙など到底届きようもない存在だ。

 だがそんなギャドラでも、曰く、警戒しなければいけない人間が少数存在するらしい。

 ――ジョット・ナルクラウン。

 確か、そんな名前を筆頭として挙げていた。かつて現世代の魔の神塔を侵しつつも生き延びた、三人の内の一人だそうだ。

 そしてそんな忠告と共に授かった任務。それを達成するための条件として、無関係の人間は決して殺すなと言われている。さすがのあの方でも彼らには目を付けられたくないようだ。

 ギャドラは改めてここへ来た目的を思い出しながら、王都の街を歩く。


 目的は一人の人間の抹殺。


 その標的は決して折れることのない剣を持つ、十六歳の少年。


 標的の髪は白くてよく目立つが、染料によって誤魔化している可能性もあるため当てにはできない。


 標的らしき人間を見つけても、そうだと確信するまでは決して殺してはいけない。


 だが、その少年を前にして躊躇することは命取りになる。


 なればこそ、それらしき存在に出会った時は、殺さずにその脅威を排除するしか方法はない。


 ――何があっても、決して




 ◆◇




 デスティネ王国王都アレスの外周住宅街を闊歩する、あまりにも異質な存在。

 悪魔という表現が最も似合うであろうそれを目にするのは、グレイにとって二度目のことだった。

 グレイがその生物――魔人を認識した瞬間、それは目にも止まらぬスピードで疾駆し、こちらの懐へと飛び込んでくる。


「くっ――」


 だが、完全に虚を突かれたグレイが慌てて視線を動かしたその行動は、あまりにも手遅れなものだった。

 飛び散った鮮血が宙を舞い、グレイの顔面を赤く濡らす。その視線の先では両手首を失ったアルシェが苦悶に顔を歪め、それを引き起こした魔人の二撃目によって下半身を薙ぎ払われていた。そして激しく回転しながら地を転がる。

 突然の出来事に反応することができなかった。

 だが少しずつ脳が状況を把握し始めるにつれ、グレイの全身を憤怒の炎が赤く染め上げていく。


「何してんだてめぇーッ!」


 先ほどまでアルシェが立っていた場所に入れ替わるように立ち尽くす魔人に向けて、グレイは極限まで威力を高めた雷魔法を放つ。それは周囲の者まで傷付けてしまわないように調整されたもので、確実に標的の体のみを貫く。


「ぐぅおぉぉぉぉッ――!」


 レベル5の雷撃に晒された魔人の苦痛に歪む声が辺りに響き、そこへクイナの火魔法が追い打ちをかける。それと同時に、ラナーシャとマリノスは吹き飛ばされたアルシェの下へと駆け寄っていく。

 だがその程度で殺せてしまうほど魔人という存在は甘くないようで、全身の硬直を強引に振り払うと後方へとその場を離脱した。

 全身から黒い煙を上げながら、魔人は魔装を纏うグレイを見据える。


「貴様ぁ、A級冒険者という奴かぁ」

「答えてやる義理はねぇーよ」


 グレイはそう返しながら努めて冷静さを取り戻すと、静かに思考を巡らせる。

 魔人の目的――それには心当たりがあった。父親から忠告されていた通り、アルシェの命を狙っているのだろう。

 そして先ほどアルシェの手首を切り飛ばし剣を握れなくしたことから、その剣術のことも理解していたと推測できる。それと同時に、アルシェの正体について確信があったわけではないことも判明した。アルシェのことをアルシェだと知っていたのなら、わざわざ手首を切り飛ばしたりなどせずに一撃で殺してしまえばいいのだから。これもジョットから聞かされたことだが、やはりアルシェ以外の人間はできるだけ殺したくないのだろう。

 だが、それももう関係なくなった。

 魔人はアルシェの下半身を――正確には腰に差してあった剣を蹴り付けることによって、その正体に確信を得たはずだから。

 アルシェの持つ剣――あれは、かつて“赫々卿”ハディール・ナルクラウンが剣の神塔を攻略した際、そこから持ち帰って来た神器であり、それは何があっても決して折れたりしないことで知られている。アルシェの剣術にこの世で唯一耐えられるものであり、グレイが勝手に外観を地味なものへ改造したことで実家を勘当されることとなった一振りだ。

 あの蹴りにはそれを試す目的があったに違いない。そうでなければ、魔装すら纏っていなかったアルシェの下半身は今頃胴体から離れていただろう。普通の剣なら折れるが、絶命するほどでもない――それくらいの力加減で放たれたと言うわけだ。

 アルシェの正体がバレた今、あの魔人は目的を遂行するためアルシェを殺そうとするだろう。

 それがわかっているからこそ、グレイは何があってもアルシェを守り抜くと心に誓う。




 ◆◇




 蹴りによって吹き飛ばされたアルシェの下へとしゃがみ込み、マリノスはそれを引き起こした存在へ恐れを抱く。

 誰も魔装すら間に合わなかったあの状況で、魔人の初撃を正確に認識することはできなかった。だが敵は武器のようなものは手にしていないため、爪か何かでアルシェの手首を切り飛ばしたのだろうと推測できる。

 そして二撃目の蹴りによってアルシェの両大腿骨は完全に砕けてしまっており、おそらくはその衝撃でだろう、完全に意識を持っていかれたようだ。


「おい、大丈夫なのか?」


 心配そうに潤んだ目を向けるラナーシャに対し、マリノスは力強く頷いた。


「大丈夫だ。私の魔法なら、即死でない限り治してやれる。欠損も手首くらいなら再生可能なはずだ」

「そ、そうか……」


 マリノスの言葉に安堵の表情を浮かべるラナーシャ。

 だが、実際はそんなに単純な話ではない。確かに一命を取り留めることはできるだろう。回復魔法を前にして絶命するほどの怪我ではない。だが、部位欠損をなかったことにできるかと聞かれれば、それはアルシェ次第としか言えない。回復量や回復の仕方は被術者によって異なるのが常識なのだ。さっきのは、この少年ならば期待に応えてくれると信じての発言に他ならない。

 その時、遥か後方から建物が崩壊するような轟音が辺りへと響き渡った。それと同時に人々の甲高い悲鳴と、助けを求めるような悲痛の声。

 ――魔人は一体だけではない。

 最悪の事態が訪れたとマリノスは確信する。

 先ほど現れた魔人と対峙するのは、グレイと試験受験者の合計六人。それらを頭の中で上手く組み合わせながら、“戦神”は戦場へと指示を下す。


「ルレット! 組合へ応援を頼む! グレイ含め五人は何があってもそいつを食い止めろ!」


 そしてマリノスは、ラナーシャの目を見据えた。


「たった一人だ。たった一人になるが……行ってくれるか?」


 後方へと現れたと思われる新たな魔人。その対処へ向かう人間を考えると、やはりラナーシャしか思いつかなかった。

 この場で最強なのは彼女だからだ。そして近接戦闘を得意とする彼女に対し中途半端な手助けは足手纏いにしかならないだろう。

 そんなマリノスの考えを悟ったのか、ラナーシャは力強く頷いてくれる。

 そして「アルシェのことは任せた」とだけ告げると、その全身を圧倒的な魔装で包み込み、驚くべき速度でこの場を後にした。

 マリノスはそれを見届けると、再度こちらの戦場へと視線を投げかける。


「根性見せろよお前ら! 死人なしで乗り切れたら全員の上位昇格を約束してやる!」


 ――だから、三十分だけ時間を稼ぐんだ。

 マリノスはそう言いかけて、言葉を飲み込んだ。

 アルシェを完治させるには三十分ほど必要だと思われる。ショック死してしまわない程度で治療を中断し自分も戦闘へ加わるという選択肢もあるが、時間が経てば経つほど手首の再生が絶望的になるという懸念があり、今の内に治してしまわなければいけないのだ。

 それになにより、アルシェは貴重な戦力だ。おそらくはマリノスを遥かに凌ぐ実力者であるため、敵が複数存在する状況で戦力外とするわけにはいかない。

 だが三十分という時間は、戦闘においてはあまりにも長すぎる。

 途中で組合からの応援が駆けつけるだろうが、そんなに都合よく戦力となるほどの人間が残っているとは考え難い。

 だからこそ、試験の結果がどうだとか、そんなものは関係なくなる。

 全員が上位冒険者に相応しい働きをすることが、この場を切り抜ける唯一の方法なのだから。

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