10 絶対の絆
村長宅へと招かれたアルシェとグレイに付きまとっていた少女――シルヴィアと名乗った――が「冒険者が来たってお父さんとお母さんに知らせて来る!」と飛び出して行って、およそ三時間後のこと。
アルシェとグレイが外へと出ると、それまで別行動を取っていたラナーシャが二人の下へと帰って来た。……何故かシルヴィアと手を繋いで。
「……いつの間にか仲良くなったみたいですね」
アルシェがそんなふうに問いかけると、ラナーシャはおどけたように微笑んだ。
「どうやら、妹ができたようでな」
「確かに姉妹に見えますね。外見もどこか似てますし」
「いや……そうじゃなくてだな、本当に妹ができたんだよ」
「……?」
首を傾げるアルシェへと、ラナーシャはシルヴィアのことを説明した。
シルヴィアはラナーシャが村を出た一年後に生まれた、正真正銘の妹だということ。ラナーシャは自らに妹がいること自体知らなかったこと。シルヴィアは自分の姉がラナーシャだとは知っていたが、面識がなかったためついさっきまで気付かなかったことなど。
そんな説明を聞かされたアルシェは、珍しいこともあるんだなと感心した。同時に、こうやって巡り会えたことに対する感動と。
そんな中、グレイが話題を変え問いかけた。
「それで、両親とはもういいのか?」
「ああ、お前たちのおかげで前へと進めそうだ。礼を言う」
「そうか。アルがずっと心配してたからな」
「そうだったのか。ありがとうアルシェ。相変わらず優しいんだな」
「いや……。ったく、余計なこと言わなくていいんだよグレイ」
そんなことを言って笑い合っていると、それまでずっと遠慮していた一人の少年がラナーシャの前へと歩み出た。三人がこの村に辿り着いた時、村長を引き連れて現れた黒髪の少年だ。
「さっきアルシェさんとグレイさんから聞きました。あなたがラナーシャ・セルシスなんですよね?」
「そうだ」
「凄い……。俺、ずっとあなたに会いたかったんです!」
「そ、そうか……。ありがとう」
先ほどシルヴィアから向けられたものと同じくらい熱狂的なその視線に面喰っていると、グレイがその少年の肩へと手を乗せた。
「こいつ、面白いんだぜ。なあアル?」
「うん、なかなか個性的だよね」
「ほぅ……?」
グレイがそんなことを言うなんて珍しいな、とラナーシャは訝しむ。
「おい、お前の名前なんていったっけ? ほら、もの凄く個性的でいい名前だったよな?」
「え、そんないい名前でしたか?」
「ああそうだ。まるで物語に出てくる主人公のような、どこに行っても映えるカッコいい名前だったはずだ。もう一度教えてくれ」
「はい……。えっと、メルト・モノレリィですけど」
「……なんだ普通じゃねーか」
「いやいや自分でハードル上げたくせに勝手にがっかりしないでくださいよ!」
「……やる気あんのかよ?」
「やる気で名前が変わるか!」
まるで漫談のようなそんなやり取りを終えると、グレイは満足したようにくつくつと笑った。
――なんだこの茶番は……。
傍若無人なグレイの振る舞いはある意味でいつも通りだが、そんな彼に対しメルトと名乗った少年は間髪を入れずにツッコんでいた。
“漫才”と呼ばれる漫談劇ではよくあるやり取りなのだが、現実の会話でそれを見せられても奇妙としか言いようがなかった。なるほど、メルトとやらは確かにアルシェの言う通り個性的な人間のようだ。
見ると、意外なことにアルシェまで小さく笑っていた。
「なあ、面白いだろ? 俺が思うに、こいつは“頭の回転が速いバカ”だ」
「あ、ああ。そうなのか」
「アルも気に入ったみたいだし。よし……飼うか」
「ええ! ペット扱いですか!? 酷いですよ!」
「そうだよグレイ。ペット扱いは彼に失礼だ。……ごめんね君。ちゃんとお金は支払うから」
「いやそれ『飼う』が『買う』になっただけじゃないですか! ってかそれ奴隷だよね? ペット扱いより酷いよね!?」
「いやいや。……あはは」
「笑って誤魔化すなぁ!」
そうやってアルシェとグレイが再び笑う。メルトも憧れの冒険者に弄られるのが嬉しいのか、楽しそうに頬を染めていた。
それに対し、ラナーシャは二人の意外な一面を見たようで、彼らとは少し違う意味で楽しい気分になっていた。
公には絶対に明かせられない秘密を持ったアルシェと、ナルクラウン家の次期当主――本人曰く勘当されたそうだが――として生まれた天才のグレイも、やはりまだまだ子供なのだ。それが少し微笑ましい。
そんなことを考えながら、ラナーシャは楽しそうな彼らへと口を開いた。
「さあ、もういいだろう。……それよりも、妹から私たち三人に言いたいことがあるそうなんだ。聞いてやってくれないか?」
「へえ、奇遇だな。メルトからも俺たちに言いたいことがあるそうだぞ。お前が帰ってきたら話すって言ってた」
そうやって話を振られたシルヴィアとメルトは、お互い顔を合わせ頷き合った。
最初に口を開いたのはシルヴィアだ。
「あの、きっとメルトの方も同じ用件だと思うんですけど……。もしよければ、私たちも旅に同行させてくれませんか?」
「彼女の言う通り、俺も同じ考えです。ずっと冒険者になるのが夢でした。……ラナーシャさんだけでなく、グレイさんのことも名前くらいなら知ってます。そんなお二人に修業をつけてもらいたいんです」
そう言って二人は頭を下げた。
それは三人にとっては、ある意味で予想通りの願い出だった。
確かにこの村の若者は冒険者に憧れる者が多いし、実際に冒険者となる者だっている。だが決して多くはない。おそらく、最近ではラナーシャが最後に冒険者となった人間だろう。
なぜなら現実的ではないからだ。
まず、この辺りで冒険者試験を受けることができる最寄りの都市は王都アレスなのだが、そこまでの旅路は徒歩なら一カ月弱はかかる。それに道中の村や町も多くなく、どれだけ頑張って歩こうとも旅路の半分以上は野宿をして夜を明かす必要があり危険なのだ。道中で護衛の冒険者を雇おうにも、およそ一カ月の雇用費用となると決してバカにはできない。そして、試験に落ちるかも知れないことを考えると、帰り道の雇用費用だって確保しておかなければならないのだ。
第二に、冒険者がいないこの村では、プロの冒険者に師事することができないということが挙げられる。
いくら村人全体が力を合わせ自分たちの自衛力を上げていようと、やはり本格的な指導をしてもらっている者からすれば内容は薄い。そんな中で十代の内に冒険者になろうとするのは、それこそかつてのラナーシャが強制されていたくらい濃密な訓練生活を送る必要があるだろう。
そんな事情があり、冒険者への夢を諦める者が多いのだ。そんな中、三人もの冒険者――それも内二人はA級――が村を訪れるという今回の事態だ。アルシェとグレイは「師事を願い出て来る者がいるはずだ」との予想を、ここまでの道中でラナーシャから聞かされていたのだ。
「――ダメだ。断る」
だからこそ、グレイは間髪を入れずにそう言った
「俺たちに何のメリットもない。ギルドを持たない俺たちもまた、出世に貪欲にならないといけない立場なんだ。……才能のないやつに構ってやる余裕なんてないし、中途半端にやってもお前たちの命を危険に晒すだけだ」
そんな歯に衣着せぬ言葉に、シルヴィアとメルトの表情に暗雲がかかる。
そんな二人へと追い討ちをかけるかのようにグレイは続けた。
「まず、冒険者になる人間の多くは二十代前半だ。才能のあるやつは十代後半に、そして天才と呼ばれるような人種が十代前半にプロとなる。……俺とラナーシャが三番目に当たる。だがお前らはどうだ? 天才か? 天才ならまだしも、やはり戦力になるのにまだまだ時間がかかるような人間を身近に置いておくわけにはいかない」
「そ、そんな……」
そんな言葉にみるみる内に陰り出す二人の表情。だがアルシェだけは、ここにいる者の中で唯一異なる感想を抱いていた。
――やっぱ、なんだかんだで優しい奴だな、と。
グレイの言葉は夢見る少年少女の胸へと深く突き刺さっていることだろう。あまりにも率直で遠慮のない言い方は少し残酷だが、裏を返せば、それだけグレイは彼らに対して真摯に、そして正直に向き合っていると言えた。
だからこそ――付き合いの長いアルシェには、彼が何を言おうとしているのかが想像できた。
「さあ、話をまとめよう。……俺が今言ったのは『俺たちのようなまだまだ落ち着いた立場にない若者が、戦力になるのに時間のかかるお前たちを身近には置いておけない。そして何よりメリットがない』というものだ。だが裏を返せばこうなる。――もし巨大なギルドを持ち時間的・金銭的にも余裕がある人間がお前たちの育成を担当し、同時に俺たちのメリットに繋がるのならば考えてやらなくもない、と」
「確かに……そうかもしれません」
「少し話を戻そうか。俺はさっき、十代前半でプロになるやつは天才だと言った。だがこれは正確ではない。……なぜなら、ここにいるアルは決して天才じゃないにもかかわらず、十四歳でプロになったからだ」
グレイがそう言うと、未来ある若者の羨望の眼差しがアルシェへと突き刺さった。
同時にその表情には、グレイの言わんとしていることがわからない、といった疑問が張り付いている。
そんな彼らに構わずグレイは続ける。
「……だからこそ、お前たちもアルと同じ道を辿れば、すぐにでも冒険者になれるだろう。遅くとも二年だ」
「……ああ、そういうことか」
どうやらアルシェだけでなく、ラナーシャにも彼の言いたいことが理解できたのだろう。
納得した声を出しつつも、その表情は残酷なものでも見ているかのように顰められている。
「……ラナーシャにも理解できたようだな。要はこういうことだ。――さっき提示した、時間的・金銭的な余裕を持つという条件を満たし、アルを育て上げただけの指導力を持つ人間が存在する。……近い内にお前たちが俺たちにとってのメリット――つまり戦力になれると言うのなら、紹介してやってもいい」
「そんな人がいるんでしょうか」
「もしいるのなら願ってもない提案です」と続けるシルヴィアとメルトに対し、グレイは意地の悪い笑みを浮かべた。
「俺たちは一年後にギルドを結成する。それまで、お前たちの成長を待とう」
そして二人の肩を叩くと、最後にこう言った。
「――冒険者として生きるために、殲滅卿に殺されて来い」
◆◇
「いい友を持ったな」
グレイの話が終わると、ラナーシャはアルシェにだけ聞こえるようにそんなことを言った。
それに対しアルシェは頷きながら微笑んだ。
「あいつは昔からこういうやつなんですよ。……プライドが高く下に見られたくない。負けず嫌いで無愛想。気に入った人間としかまともに話そうとはせず、頭は切れるのに理知的とは正反対の性格で、周囲との揉め事も多い。……ですが、凄く優しい人間です」
「ふふっ、ようやく私にもそのことが理解できたよ。あと、お前が彼を尊敬しているということもな」
「……はい」
その通りだった。
アルシェはグレイのことを尊敬している。
アルシェが“殲滅卿”ジョット・ナルクラウンの弟子になったのは、十二歳と半年ほどが過ぎた頃だった。そこから冒険者となるまでの一年半を訓練に費やした。
冒険者としてだけでなく指導者としても天才的なジョットが考え出した教育プログラムを、彼とマンツーマン――彼の仲間も協力していたが指導者はジョットだけ――で行う日々。それはそれまでぬくぬくと大切に育てられてきたアルシェの世界を確実に変えて行った。
まず、訓練は三日間ぶっ続けで行われる。身体の疲労は『回復魔法レベル4』のスキルを持つジョットの仲間が、八時間おきに――負傷時にも――必ず取り除いてくれた。そうすることで三日間もの間睡眠を取らずに動き続けることができたのだ。
だが精神が持たず、同時に、身体の疲労は取れているはずなのに何故か脳が働かなくなってくることがあった。それがだいたい三日おきで、その度に八時間の睡眠時間を設けられた。
三日間動いて、八時間寝る。また起きて三日間動き、そして寝る。
実戦形式の訓練では、一週間に三・四本くらいのペースで骨を折った。その際はその場で回復魔法をかけられ、訓練を継続する。だがレベル4の回復魔法と言えど骨折ほどの重傷が一瞬で治るはずもなく、だいたい骨折一本を治すのに三十分の時間を要した。その三十分は地獄の苦しさで、このまま訓練を継続すれば近い内にまた同じ苦痛を経験しなければならないという思いが新たな絶望を運んでくる。何度も心が折れかけた。だが、アルシェには最後までやり遂げなければいけないという強い思いがあった。
それは親友――グレイが、これと同じ訓練をわずか七歳の時に行っていたという事実からだった。グレイがやり遂げたのだから、という思いが、アルシェの心を支え続けたのだ。
毎日のように泣き叫び、地へと這いつくばる日々。それが一年ほど続いたある日、当時すでにプロの冒険者だったグレイが、父親の下を去り独立したいと言い出した。そのためにもう一度俺を鍛え直してくれ、と。
そこに、執念染みた覚悟の強さを感じた。
そしてアルシェに混じって、残りの半年間の訓練にグレイも加わった。
グレイはアルシェと違い、一度も泣き叫んだりはしなかった。骨を折り回復魔法をかけられている間も苦痛に顔を歪めつつ、だが二度とそんな顔を周囲に見せたくないという思いから、絶望するどころか重傷を負う度に訓練へと身を入れる精神の強さ。
それが同い年の親友――そんなもの、尊敬するなと言う方が無茶な話だ。
アルシェは本気で信じている。――グレイは紛れもない天才だが、それと同時に、世界で一番自分に厳しい人間なのだと。
そんな話を聞かせると、ラナーシャは感動したように、こんなことを言いだした。
「……実は、ここに来る途中で、グレイに聞いたことがあるんだ。アルシェとの馴れ初めはどんなものだったんだ、と。結局それについては話してくれなかったが、その話の延長で今の話をしてくれたよ」
「そう、だったんですね。……なんだ、じゃあ今ので聞くのは二回目ですか」
「ああ。だが、アルシェと行動を共にする理由を聞いた時、彼はこんなことも言っていたよ」
そんな切り口で、ラナーシャは語った。
「――『アルは剣術レベル6という唯一無二で、最強の武器を持って生まれてきた。何の努力もせずに英雄になれるだけの力だ。普通ならそれを振りかざし、周囲に畏れられ生きて行くだろう。だがあいつはその道を選ばなかった。親父による地獄の特訓に毎日泣き叫び、弱音を吐いていたくせに、最後までその道へ逃げようとはしなかったんだ。これがどれだけ凄いことか、当時のアルを見ていた俺には理解できる。あいつは、俺とは比べものにならないくらい強い人間だよ。……俺はアルを、心の底から尊敬している』……とな。完璧には再現できていないだろうが、こういうことを言っていたよ」
ラナーシャから聞かされた、そんな言葉。
あのグレイがアルシェを尊敬している。そんな考えもしなかった思いを彼が持っていたと聞かされ、アルシェは苦しみにも似た感動を覚えた。
「……ありがとうございます。とても、いいことを聞きました」
そうやって礼を言うアルシェに、ラナーシャは微笑んだ。
「やはり、お前たちは互いにいい友を持ったな。……あ、そうだ。今の話、グレイに口止めされてたから絶対に言うなよ?」
最後にそう付け加えおどけて見せるラナーシャに、アルシェも微笑み返した。
「はは、わかってますよ」
果たして、ラナーシャは気付いているだろうか。
グレイが、そうやって自らの内面へと踏み込んだ話をするということの異質さに。
いや、きっと彼女は気付いていない。グレイがとっくにラナーシャのことを認め、仲間として接しているということに。
「――あ、さっき俺、自分のことを十代前半でプロになった天才って言ったが、実際には九歳でプロになったんだった」
「す、凄すぎるっ!」
自分に隠れアルシェとラナーシャがそんな話をしているなどとは知らずに、グレイは後輩に対してそんなことを言っていた。
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