07 神の剣
日が昇ると同時に目覚めたアルシェ、グレイ、ラナーシャの三人は手早く荷物を片付けると、最後にそれぞれの武器を手に取り拠点を後にした。
五分ほどで森林入口へと到着すると、昨日と同じルートで奥へと進んでいく。
やがてトロールと遭遇した地点へと辿り着くと、彼らは気持ちの最終チェックをするかのようにそれぞれの顔を見渡した。
「確認だ。今回の事態にはいくつかの原因が考えられるが、もしも強力な魔物によって生態系が荒らされているのだとしたら、相当な危険が待っているだろう。正面から戦ってたら勝てないような個体がいる可能性もある」
「ええ。その時は打ち合わせ通り、ラナーシャさんの判断に従います」
「同じく」
「よし、それでいい」
未だ二十三歳ながら冒険者歴十三年を誇るラナーシャの下、三人は昨夜に話し合った内容を再度確認し合う。
その中でも重要なのは、それぞれの戦闘に関する所持スキルについてだった。
アルシェは『弓術レベル3』『火魔法レベル2』『魔装レベル2』『土魔法レベル1』の四つ。
グレイは『雷魔法レベル5』『剣術レベル2』『魔装レベル2』『水魔法レベル1』『土魔法レベル1』の五つ。
ラナーシャは『剣術レベル5』『魔装レベル5』『火魔法レベル1』『弓術レベル1』の四つ。
同じギルドに所属するでもなくここまで互いの情報を開示するのは、冒険者としてはなかなか珍しいことと言える。これは丸一日行動を共にしたことによって最低限の信頼関係が築かれたというのはもちろん、これから待っている危険に対しての警戒心の表れだろう。
そこから考えられる基本的な戦闘方法は既にそれぞれの頭に入っている。
そんな最終確認を終えた三人は、昨日トロールが現れた方角を向き街道を外れ進む。
巨人の森は大きな森林なのだが、巨人が闊歩出来るだけのスペースが十分すぎるほどに確保されており鬱蒼としたものではない。そんな中を出来るだけトロールの足跡を追うように進み続け、三十分程が経過した時だった。
巨人の森がサバイバルに適していると言われる根拠の一つなのだろう。幅十メートルほどの美しい泉が三人の前に広がっていた。水は透き通るように綺麗で、一見しただけでは水棲生物の類は見受けられない。
三人は簡単な水分補給を済ませると、休憩を取ることもなく歩き始めた。
その後も前進を続けていると、洞窟や実のなる木のような生息に適する環境が見受けられたが、オーガやトロールといった魔物やウサギのような動物と遭遇することはなかった。
昨日はあれほど遭遇率の高さに首を傾げたというのに、森の奥地へと足を踏み入れたこの日に限っては、不気味なほどの静けさが森林内を支配している。
三人の間を不穏な雰囲気が漂う。
たまらなくなり、グレイが口を開いた。
「……この感じ、どうも魔物の仕業っぽいな」
「うん。さっき調べた洞窟内にも何かが住んでいた形跡があった。にもかかわらず肝心の生き物には全く遭遇しない。まるで全てを放棄して逃げ出したみたいだ」
「……だが、トロール程度の魔物ではこうはならない。トロールを遥かに凌ぎ、なおかつトロールまでもが逃げ出すような事態となると……」
「はい。昨日のトロールとの遭遇がただの偶然であることを祈りましょう」
そう答えたアルシェだったが、ふと何かに気付いたかのように考え込む仕草をした。
問いかけたのはラナーシャだ。
「どうかしたか?」
「いや、まだそうと決まったわけではないんですが……この先って……」
そこまで言って黙り込むアルシェの様子を見て、ラナーシャにも彼の言わんとしていることが理解できた。
ラナーシャは慌てて頭の中に王国の周辺地図を広げると、自らの考えが間違っていることを祈りながら情報を精査する。
巨人の森は王都アレスから北上した先にある大森林である。辺りをノーストウッド山脈に囲まれ、西や東から遠回りする以外には、その先へ進むために必ず通らなければならない場所でもある。そしてその先には小動物が住んでいるだけの広大な土地――カルト平原が広がっており、魔物の目撃情報はこの先ずっと存在しない。そしてこのノーストウッド山脈にも、トロールより強大な魔物の目撃情報はない。
そこまで思考してから、自らの考えが間違っていないことを確信したラナーシャは思わず目を閉じた。
そんな二人に代わって口を開いたのはグレイだ。
「……もし強力な魔物が原因なのだとしたら、その正体はドラゴンかもしれないわけだ」
その通りだ。
外部から入り込んだ魔物が原因だとしても、そもそもこの付近にはノーストウッド山脈や巨人の森の生態系を脅かすほどの魔物は存在しないのだ。可能性としては、考えていた以上に遠くからの魔物が侵入した場合なのだが、カルト平原を越えるほどの大移動をする魔物など、ドラゴンしか考えられない。翼を持つ魔物や動きの速い魔物は他にも存在するが、これほどの規模を移動するような習性はないからだ。
そしてドラゴン種は最低でもB級以上の討伐難易度を誇る。A級冒険者が二人いようとも、たった三人で勝てるような相手ではない。かつてジョット、アルシェ、グレイの三人が力を合わせ、B2級相当のドラゴンを討伐するという偉業を成し遂げたが、ラナーシャでは殲滅卿の代わりなど務まらないことを自覚している。
ここにいる二人が当時よりも成長していようと、不可能なのは間違いないだろう。
「だとしたら、余計に放っておくのは危険ですね。王都の眼前にドラゴンが居座ってるなんて、冗談抜きでこの国の危機ですよ、今」
「……ああ。存在を確認次第、早急に報せないとな」
三人の判断は変わらない。
まだドラゴンが原因だと決まったわけではないが、この調査の重要度は先ほどまでとは段違いなまでに上昇した。より警戒心を高めながら、三人は森林の奥地へと踏み出す。
そして、意外にも早くその時はやって来た。
ノーストウッド山脈の麓が見える、森林内の開けた原っぱに到着した時だ。切り立った断崖の更に先――上空に突き出る奇妙な地形をした岸壁を中心に、巨大な翼を広げ飛び回る影があった。
「なっ……」
この世に存在する魔物の中で最高クラスの巨体を誇りつつも、常識外れな筋力を備える大きな翼は、その身体をなんなく上空へと引き上げる。そして太陽光を反射し燦々と輝くは、鉄よりも固いと言われる漆黒の鱗だ。
距離はかなりあるが、その姿を見間違うことはない。あれこそが天空の王――
その漆黒の巨体からは圧倒的なまでの威圧を感じ、飛んでいる姿を見ているだけで呪われそうなほどの寒気を覚えた。
ラナーシャはそれ以上その姿を見ていることが出来ず、肩を抱えるように木の陰へと身体を引っ込める。
「あ、あれはヤバい。A級でも上位に入るほどの相手だ。……早く、早くここから立ち去ろう」
あれだけ警戒していたにもかかわらず、実際に現れたのはそれよりも遥かに凶悪な魔物だった。思わず震える声を、ラナーシャは必死に抑え込んだ。
もしドラゴンがいたならば大規模な討伐隊が編成されるだろうな、などと考えていたラナーシャだったが、古代の龍王が相手ならば話は違ってくる。冒険者だけでは間に合わず、王国軍の精鋭までもが討伐に駆り出されるだろう。世界各地の冒険者へと緊急依頼が発布され、殲滅卿や赫々卿、そして彼らが率いる世界最強の冒険者ギルドまでもが王都に集結するかもしれない。
それがA級上位の魔物――災害判定のドラゴンだ。
だが不幸中の幸いにも、三人は存在に気付かれることなくその姿を確認することができた。とりあえずは上出来だ。そうやって無理矢理にプラス思考を展開し、ラナーシャはその場を離れようとした。
だが、アルシェとグレイの二人は空を見上げたまま動かない。
「ど、どうしたんだ二人とも。早くここから離れよう。ドラゴン相手にこの程度の距離はあってないようなものだ。いずれ気付かれるぞ」
そうやって必死に二人を諭すが、彼らは返事をしない。
「おい、聞いているのか! 私の判断に従うと約束しただろう! 早くここから離れるべきだと言っている!」
思わず声がうわずり、言葉に力が入る。
その様子に、グレイはラナーシャを振り返ると小さく笑った。
「お前の判断に従うって……正確には、勝てないような敵がいた場合には、だろ」
――何を言っている……?
ラナーシャには、グレイの言葉の意味が本気で理解できなかった。
それならば、と対象をアルシェ一人に絞り再度声を絞り出す。
「アルシェ、早く逃げよう。グレイを説得するんだ。あの敵は本当にダメだ」
「……すみません、ラナーシャさん」
だが、返って来たのはそんな言葉と、人当たりの良い爽やかな笑顔だけだった。
二人とも、その声色に焦りや不安といった感情は見受けられない。
そして呆気に取られるラナーシャから目を離したアルシェは、腰に差した剣に左手を添えながら、木々の陰から外へと歩み出た。
「悪いな、アル。結局お前に頼ることになった」
「気にするな。僕たちの仲だろ」
目の前の光景に訳がわからなくなったラナーシャは、何も言えずにアルシェの後ろ姿を見ていた。
本能が彼を止めようと、無意識に右手を伸ばす。そんなラナーシャの手をグレイが掴んだ。
「ここからはトップシークレットだ。誰かに話そうものなら、俺がお前を殺すぜ」
そう告げたグレイからは冗談を言っているような気配が感じられなかった。
その間にアルシェの全身が魔装に包まれる。レベル2の、ラナーシャからすればまだまだ未熟な魔装だ。……そして静かに、その右手が鞘から剣を抜き放つ。
殺気でも感じ取ったのだろうか。遥か彼方を飛び回っていたドラゴンが空中で停止し、こちらへと首を動かした。
思い出したかのように、ラナーシャの頭に警鐘が鳴り響く。
もう手遅れだ。そう頭を過るが、それでもラナーシャは魔装を纏おうと全身の魔力を練り上げた。だが、まるでアルシェの邪魔をするなとでも言うかのように、グレイが掴んだ腕から雷魔法を流し込んで来た。威力はほぼ皆無だが、集中を乱され練り上げた魔力は魔装となる前に霧散する。
もう――何もする気になれなかった。
そうやって死を覚悟したラナーシャへと、グレイが視線を向けることなく語り出した。
「七歳の少女が剣術レベル5のスキルを発現させ、同時に神託が下りたから、剣の女神に愛されし者なんて呼ばれ始めたんだよな。……だが残念ながら、本物はその程度じゃない」
こちらの姿を凝視していたドラゴンは突如方向を変えると、剣を抜いたアルシェを目がけ飛び出して来る。スピードこそ未だゆったりとしているが、その迫力は圧倒的であり、全ての者に死を与える死神にさえ見える。
「お前がスキル鑑定を受けた日と、あの神託が下りた日――そしてアルが生まれた日は全て同じ日だったんだ。わかるか? つまりあの神託は、アルの生まれた日にもたらされたものなんだ」
迫り来る死の権化に対し、アルシェは抜いた剣を両手で構え、頭上へと掲げる。
そんなことをしてもドラゴンは止まらない。だが当のアルシェは気負った様子を見せることなく、グレイの言葉を引き継いだ。
「グレイには以前言ったことがあります。それをあなたにも聞いてもらいたい。――僕はこの力が嫌いでした。才能に恵まれたあなたやグレイでさえ、その強さは努力の上に成り立っていると言うのに、僕のものに至っては完全に他者から与えられた力だから」
あれほどあったドラゴンとの距離が嘘のように縮まっている。
やがてドラゴンはスピードを上げると、大きな口を開いてアルシェへと飛びかかった。近くで見るとより圧倒的なその体躯、漆黒の鱗、突き出る大牙、全てがアルシェの命を奪い取るためだけに迫り来るのだ。
そんな相手にアルシェは一歩を踏み出し、そして剣を振り下ろす。
「これがスキルレベル6――神の剣です」
――そして、
それをやってのけた当のアルシェは、剣に付いた血を振り払うとこう続ける。
「――そして僕が、“剣の女神に愛されし者”です」
◆◇
一刀の下に斬り裂かれたドラゴンはアルシェの身体を避けるように真っ二つに割れると、余った勢いのまま木々をなぎ倒し大地を転がった。そして思い出したかのようにその断面から血を流し始める。
死を覚悟したからか力なくその場に膝を突くラナーシャだったが、その目はアルシェの後ろ姿から離せないでいた。
――理解できない。
アルシェの持つ剣の長さは一メートルにも満たない。にもかかわらず、全長二十メートルはあろうかという巨大なドラゴンを真っ二つに斬り裂いたのだ。物理法則を完全に無視したその剣技はラナーシャの常識が及ぶ範囲に収まらない。いや、長さの問題だけではない。あれほど巨大な筋肉の塊が目にも止まらぬ速さで迫って来たのだ。ぶつかった時の衝撃は想像に難いが、確実に言えるのは、それが一人の人間に耐えられるだけのものではないということだ。だがアルシェはその場を一歩も動かず――そして微塵も体勢を乱すことなく斬り伏せたのだ。
――いったい何が起きた?
そうやって唖然とするラナーシャとは違い、いつもと変わらないテンションでグレイがアルシェへと歩み寄って行く。
「さすがだな、アル。ちゃんと真っ二つにして軌道を逸らしてくれる辺りお前らしい」
「いやいや、そうしないとどっちにしろ僕たち全滅してただろ」
そうやって軽口を叩き合う二人が、ラナーシャには生きる次元の違う存在にさえ見えてきた。
そんな高次元の存在の一角であるアルシェが、剣を鞘に仕舞いながらこちらを一瞥すると、バツの悪そうな表情を浮かべ引き返して来た。
「すみませんラナーシャさん。よくよく考えたら、さっきは死ぬ覚悟をさせる羽目になりましたね。先に言っておけばよかった……」
「あ、いや……」
頭の整理が付かず、ついつい曖昧な返事をしてしまう。
だがそんなラナーシャに対し、アルシェは「それでも僕たちを置いて逃げようとはしなかったんですね」としてお礼を告げると、深々と頭を下げた。
そんな良くできた少年を前に、ラナーシャの頭の中も少しずつ整理が付き始める。
グレイとアルシェの言葉。そして実際に見た光景――。
やがて彼らの言っていた言葉の意味が理解できたラナーシャは、アルシェを見上げ震える唇を必死に動かした。
「そう、だったのか……。お前が本物の、剣の女神に愛されし者……」
彼は自らの剣を神の剣と言った。それがレベル6なのだとも言った。
スキルレベルの上限は“5”までだ。――そんな常識に塗り固められた情報を頭の中で反芻すると、それを即座に否定した。
スキルレベルの上限が5なのではない。人間の限界がそこであるだけだ。だからこそアルシェは自らの力を神の剣だと表現し、人間であるラナーシャには理解できない現象を引き起こしたのだ。
思わず、ラナーシャの口から感謝の言葉がこぼれる。
「……ありがとう」
「え……?」
突然お礼を返されたアルシェは、その言葉の意味がわからず首を傾げた。そんな彼に対し改めて「ありがとう」とラナーシャは呟いた。
彼女の頭に浮かぶのは、剣術スキルの鑑定を終えてからの生活のことだった。
王国の兵士はあらゆる装備を完全に統一した軍隊なのだが、稀にいる特定の才能が突出した人間を集め構成された、装備や性別の入り混じった精鋭団が存在する。そこへの入団を勧められたラナーシャが両親と離れ離れになりたくない一心で泣きじゃくり拒否したにもかかわらず、彼女の両親は娘の願いを聞き入れようとはしなかった。
最終的には嘆願が功を奏し入団を見送りにしてもらえたラナーシャだったが、後に彼女を待ち受けていたのは壮絶な訓練生活だった。
かつてはあれほど優しかった両親が、人格が変わったかのように自らに厳しく接する毎日。
毎日十六時間は剣術と魔装の訓練を強制されていた気がする。剣の女神様を同性愛者だと言わせないようにという理由で、ラナーシャは男のような言動を義務付けられ、可愛らしいと褒められていたそのルックスでさえも、その日以来彼らにとってはマイナスの評価に繋がっていたようだ。
それらの日常はあまりにも過酷であり、ラナーシャはあれほど離れたくなかった両親から逃げるように村を出た。冒険者になったのは、ただお金を稼ぐために仕方なくという理由からだった。その後は両親への反発と、自らの中に眠る少女である自分のために、髪の毛を伸ばし誰よりも女らしくあろうとしたくらいだ。
――そんな過去と現在が今、いい意味で否定されたような気がしたのだ。
「ふふ……私じゃなかったんだ。よかった」
とうとう溢れ出した涙を外套の袖で拭い去る。
ふと、目の前にアルシェがいることを思い出し、泣き顔を隠すように両手で顔面を覆った。
やがてどれくらいの時間が経っただろうか。
しばらくの間そうしていると無事に涙が止まり、ラナーシャは心の鎮静を自覚する。少しだけ申し訳なくなり顔を上げると、そこには泣き止むまで何も言わずに待っていてくれたアルシェの顔があった。自らを捉える視線に気付いた彼は、相変わらず人当たりの良い笑顔でその視線を受け入れてくれる。
「……さあ、行きましょうか」
見れば、文句を言うことなく待っていてくれたのは、アルシェだけではないようだった。小さな岩に腰をかけ虚空を見つめるグレイへと心の中で礼を告げると、ラナーシャは差し出されたアルシェの手を取った。
「うん……行こう!」
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