04 天才と共に
夜が明け、太陽もまだ完全には昇り切っていない早朝。アルシェとグレイの二人は、宿屋の中庭にて井戸水で顔を洗っていた。
二人のシャツが汗で張り付いているのは、先ほどまで鍛錬所にて日課である鍛錬を行っていたからである。
アルシェは設置されている藁人形へと矢を射て、グレイは黙々と剣を振る。そしてそれ以外の時間は二人で揃っての筋力トレーニング。単純ながら最も効果的なこれらの鍛錬は、二人が冒険者として活動を開始した当初から続けられているものである。
「ふぅ、さっぱりした」
冷水の気持ちよさに満足したアルシェは、ぐっと背伸びをして全身の筋肉を伸ばすと、仕切られることなく隣り合っている鍛錬所へと目を向けた。
先ほど聞いた話では、ここの鍛錬所は冒険者専用のものであり、スタッフへと冒険者ライセンスを提示すれば宿泊客以外でも無料で使用できるのだそうだ。元冒険者であるオーナーのはからいだと言っていたが、この宿屋の宿泊料は一般的な冒険者の収入に見合っていないため、そうでもしない限り利用者を確保できずかなり寂しい光景でも広がっていたのだろう。
そんな冒険者であろう者たちで早朝から賑わっている鍛錬所に、ラナーシャの姿を見つける。
アルシェたちと同じくらい朝早くから剣を振っていた彼女は、息を切らしながら壁際に座り込んでいた。壁に背を預け額の汗を拭う彼女は、相変わらず綺麗だ。
ふと、そんなラナーシャと目が合った。アルシェの視線に気付いた彼女は、ニコリと人当たりのいい可愛らしい笑顔を浮かべると、こちらへと手を振って来た。
心臓の高鳴りを感じつつ、アルシェも手を振り返す。
「ありゃ脈ありだな」
「おい、適当なこと言うな」
そのやり取りを見ていたグレイのからかいの言葉に文句を返すが、その実どこか嬉しそうなのはご愛嬌だ。
アルシェは努めてそんな弛んだ頬を引き締めると、井戸水を汲んだ桶を持ち、ラナーシャの下へと向かう。
ラナーシャの持ちかけた仕事の協力については、朝の挨拶と共に既に引き受ける意思を伝えていた。
アルシェの気持ちはどうあれ、今回の申し出は二人からしてもありがたいものだった。アルシェとグレイはたった二人で活動をしているため、いくら片方がA級冒険者だとしても高難度の仕事には手を出せないでいたのだが、そこにあと一人が加わるだけで戦術の幅は大きく広がるためだ。
冒険者は本来、五人から六人ほどのパーティで戦術を組み、初めて人間よりも遥かに強靭で強大な魔物へと対峙できるものだ。それは誰ともパーティを組んでいないラナーシャも例外ではなく、彼女が仕事をする際は他の冒険者パーティに一時的に雇われる形で活動をしていると言う。そんな不自由な活動スタイルには彼女の性別が関係しているようで、曰く、どうしてもトラブルの素になってしまうとかなんとか。
だがそんなラナーシャとは違い、アルシェとグレイが誰とも手を組まないのは、単純にグレイが他所からの協力を断り続けているからに他ならない。これには彼の性格が関係しているようで、曰く、どうしてもトラブルの素になってしまうとかなんとか。……笑えない。
そんなこんなで、だからこそ、アルシェとグレイにとって今回のラナーシャの提案はありがたいものだった。
他人と手を組むとは言えその相手はたった一人で、しかもその一人が十分過ぎるほどの戦力になってくれる。こんな理想的な巡り会いはそうそうあるものではないだろう。
とは言え、まだまだお互い知らないことばかりだ。何をするにしても、彼女と信頼関係を築くことは必須だろう。
「お疲れ様です。これ、どうぞ使ってください」
そのきっかけになればとも思い、アルシェはラナーシャへと水入りの桶を渡すと彼女の隣へと腰を下ろした。
ちなみにだが、グレイもアルシェの気持ちを汲んでくれたのか、ふてぶてしくはあったものの組合でのことを彼女へと謝罪してくれた。
「おお、ありがとう。優しいんだな君は」
礼を言ったラナーシャは、顔の火照りを鎮めようとその水を顔へと浴びせる。
そんな彼女へと、追いついて来たグレイが口を開いた。
「で、朝飯だけ済ませたらすぐにでも出るつもりか?」
グレイが言うのは、ラナーシャたち三人と先ほど決めたばかりの街道警備のことについてだ。
ゆくゆくはこの三人で――それが可能ならば――ランク付きの依頼にでも挑戦しようと考えているのだが、当然ながらいきなりランク付きを受けるにはリスクが高すぎる。アルシェとグレイはラナーシャの、ラナーシャはアルシェとグレイの強さを、互いに伝聞でしか知らない。これでは連携も満足に取れないばかりか、そもそも本当にランク付き依頼に挑戦できるだけの戦力なのか、という不安が残るからだ。
そこでラナーシャから提案されたのが街道警備だった。
冒険者は魔物を倒した際、冒険者組合へと討伐証明となる部位――魔物ごとに指定された部位がある――と、自らが冒険者であることを示すライセンスを提出・提示することで、魔物に応じた討伐報酬を手に入れることができる。これは依頼外での討伐にも適用されるため、多くの冒険者が依頼とは別の小遣い稼ぎとして利用しているシステムであり、それを都市と都市とを繋ぐ街道に沿って行うことを、文字通りの街道警備と言う。
これならば依頼を受けずに済み依頼主の都合に合わせる必要もなくなるし、あまり街道沿いから踏み込み過ぎない限りは危険も少ない。アルシェたちの現状にはぴったりの仕事で、全員が最初の仕事として合意したのだ。
やがて満足したのか、顔を洗っていたラナーシャが眼前に立つグレイを見上げた。
「ああ。二人の好きにして構わない。私はいつでも動けるぞ」
お前も構わないな、と問いかけてくるグレイの視線に、アルシェも同意を示す。
「よし、決まりだ。さっきも言ってたが、俺たちの戦力を正確に測るためにも、普通より少しだけ危険地帯へ入り込む。期間は二日だが、それ以上になる可能性だってある」
「うん、わかってるよ。A級二人の実力なんて普通じゃ測れないからね」
「ふふ、私は君の強さもA級に匹敵するんじゃないかと思っているのだが」
「え……」
茶化すような笑顔でアルシェの顔を覗き込みながら、ラナーシャはそんなことを言い出した。
アルシェはそんな彼女へと何かを言い返そうとするが、それよりも早くグレイが口を開いた。
「アルの強さがA級? そりゃねーよ」
「……そうですよ。僕のメイン武器は弓で、弓術スキルはレベル3です。A級どころか、ランクを貰える条件すら満たしていません」
「そうなのか? だがその歳でレベル3は凄いではないか」
「いやいや、ラナーシャさんに言われても……」
アルシェは思わず苦笑いを返す。
確かに十六歳でレベル3のスキルを習得しているというのはかなり非凡なことなのだが、冒険者全体として見た時にはそれほど大した戦力とは言えない。平均よりもずっと上とは言え、ランクを持つ冒険者たちからすれば、アルシェなどその他大勢のランクなし冒険者の一人にしか映らないだろう。
それにランクを持たずしてC級冒険者ほどの強さを持つ者はいる。例えばレベル3のスキルを複数所持する者などがそうだ。ランクありへと昇格するための試験を受けるにはレベル4以上のスキルを持っていないといけないため、彼らはランクなしに留まっているのだ。アルシェなどその者たちの影に隠れてしまっている。
グレイという超弩級の天才を友に持つアルシェが、超弩級の天才であるラナーシャにそのようなことを言われても、皮肉にしか聞こえなかった。
「……私は私の勘を信じるぞ」
だからこそ、ボソッと呟かれたラナーシャの言葉はアルシェには届かなかった。
「え? 何か言いましたか?」
「いや、何でもない。それよりも、さっきのが嫌味に聞こえたのなら謝る。だが凄いと思う気持ちは嘘ではないぞ。才能など関係ないんだ。そのスキルは君の努力の証だからな」
「……ありがとうございます。僕は師に恵まれましたから」
「ほう、それは少し気になるな」
「――俺の親父だよ」
答えたのはグレイだった。
「こいつは俺の親父に弓を習ったんだ。俺がプロでアルがまだアマだった頃だな。俺は親父のパーティに混ざって経験を積んでたんだが、その間ずっとアルはマンツーマンレッスンだ」
「そ、そうだったのか……」
それを聞かされたラナーシャの顔からは、二種類の感情が見て取れた。
一つは純粋な驚き。
グレイの父親――“殲滅卿”ジョット・ナルクラウンと言えば、知らぬ者などいない冒険者のカリスマ的存在だ。彼は雷魔法の使い手として世間に名を馳せているが、同時に弓の天才としても知られている。彼は雷魔法スキルと弓術スキル共にレベル5という、王国内で二人しか存在しないと言われている
アルシェとジョットの関係にも得心がいった。
そしてもう一つの感情が――
「……可愛そうに」
――同情だった。
「わ、わかってくれますか……? 確かに、先生がいなかったら僕は冒険者試験すらパスできなかったかも知れません。でもあれは、あまりにも……うぅっ……」
ラナーシャは、何かを思い出し吐き気を堪えるように下を向いたアルシェの肩へと、手を乗せた。
「ああ、わかるさ。私も彼が自らの部下を鍛えている場面を目にしたことがある。心が痛むと同時に、もう二度と見たくないと思った。大の大人――それもランクありの男たちの涙などな」
「ラナーシャ、さん……」
「君はきっと、辛い少年時代を過ごしたのだろう。私もそうだったからよくわかる。甘えてもいいんだぞ」
そう言い、ラナーシャはアルシェの頭を抱きかかえた。
アルシェはされるがままに身を委ねた。彼女の白い肌が視界いっぱいに広がり、香りが鼻腔をくすぐる。華奢でありながらも女性らしい柔らかい肌は、アルシェの心までをも包み込むようだった。
そんなアルシェは、この状況をもたらしてくれた己の師匠へと密かに心の中で礼を告げた。
「お前のそういうところが性格悪いって言ってんだよ。それも強かな悪さ加減だ」
「あ……」
心中を悟ったグレイからの言葉に正気を取り戻したアルシェは、自らの大胆さと卑しさに気付き、慌ててラナーシャの腕から身を引いた。
僕のキャラじゃないのにな、などと考えながらも、ドキドキが止まらなかった。
◆◇
朝食を食べ終えた三人は、旅の準備を整えると宿屋を後にした。
完全に姿を現した太陽は未だ低く、朝霞の涼しげな雰囲気が肌に気持ちいい。まだ早朝にもかかわらず行き交う人々で活気を帯び始めたその町並みは、大都市とは無縁だったアルシェにとって相変わらずな新鮮さを孕んでいた。
植えられた花や塗装された壁で色彩豊かな住宅街、脇を流れる水路、不規則に並べられた石畳に川へと続く下り坂。アルシェとグレイにラナーシャを加えた一行は、昨日通ったルートを戻りながらアレスの外を目指し歩を進める。
やがて辿り着いた外壁門を潜る。
外へ出た三人の視界に映るのは、橋状の砦だ。通路として真っ直ぐに延び、左右には偵察用の小さな塔が合計で四つ設けられている。前方の二つでは現在も衛兵らしき者が仕事に励んでいた。そしてそこを抜ければ、さらに石畳によって雑に舗装された街道が一キロメートルほど延びている。その先には砦がもう一つ。
デスティネ王国王都アレスは小さな森と巨大な山脈――ノーストウッド山脈に囲まれている。そのため、しばらくの間は街道も山脈に沿って広がっており、そこから魔物が下りて来ることも多いそうだ。
三人が目指すのは、そんな街道を七キロメートルほど進んだ先にある巨人の森という森林だ。
巨人の森はノーストウッド山脈を頭上に構える巨大な森林であり、湖や数ある洞窟などサバイバルに適した土地として知られている。その生活環境の良さから、本来なら山脈に住処を構えるトロールが山を下りてまで住み始めるとか。
トロールは魔法や魔装が使えるために本当に存在した場合は少々厄介だが、今回の標的は森林の名前の由来にもなっているオーガだ。弱すぎず強すぎず、特殊な能力を持たないその魔物は三人にとって丁度いい。
そんな情報を頭の中で反芻すると、アルシェは一行の先頭を歩き始めた。
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