03 王都の夜に
「ったく、本当に勘弁してくれ」
外は既に真っ暗だ。
夜の帳が完全に王都の町並みを包み込み、窓の向こうでは昼間の活気とはまた違った趣を窺い知ることができる。
そんな一日の終わりに、アルシェは溜まった心労を排出するかのように大きく息を吐いた。
今日は長旅の末にようやくここアレスへと辿り着いたばかりなのにもかかわらず、出向いた冒険者組合アレス支部でかのラナーシャ・セルシスとひと悶着を起こしかけたのだ。肉体的にも精神的にもかなり参っているのは仕方ないと言える。
「ああ、悪かったよ」
そのひと悶着を起こしかけた張本人――グレイは、大して悪いと思ってなさそうに、形だけの謝罪を返した。それも手に持ったリンゴを齧り、窓枠に肘を預け外の景色を眺めながらだ。
その相変わらずな態度にはあきれるばかりだ。一瞬でも頼もしいと思ってしまった自分が恥ずかしくさえ感じる。
「……明日、ちゃんとラナーシャさんにも謝ってくれよ。彼女の発言はからかっただけで済むけど、お前の宣戦布告は立派な犯罪なんだ。それにあの人のは天然での発言だ……たぶん。何だかんだで誠意は示してくれたし」
二人は現在、王都にある立派な宿屋の一室にいるのだが、ここを手配してくれたのが他でもないラナーシャ・セルシスだ。
彼女は確かにグレイをからかったが、何故グレイがあそこまで怒りをあらわにしていたのかは本気でわからなかったようだ。怒ったグレイを見ると、頭の上にクエスチョンマークを浮かべながら首を傾げていた。だがからかったのがいけなかったということは理解できたようなので、お詫びに自分が贔屓にしている宿屋を紹介する、とのことだった。一泊の値段がランクなし依頼一つ分の報酬のおおよそ半分という、組合提携にしては驚くほど高額な宿泊料も彼女が負担してくれたのだ。
貴族を連想する豪華な屋敷をそのまま小さくしたような二階建てのこの宿屋には、三十を超す客室以外にも大浴場や鍛錬所までもが設けられている。なんと、宿泊料さえ払ってしまえば全てが無料で利用できるのだ。各部屋では、高価な蝋燭を惜しげもなく使用されたランプの灯りが、暖かな雰囲気と共に明瞭な視界を提供してくれもする。
ここまでされてはもう、グレイが百パーセント悪いと思う。
「わかってるって。相変わらずアルは真面目だな。実は性格悪い癖に」
「お前が不真面目すぎるんだよ。それに性格悪いってなんだ」
「性格に問題がなけりゃ俺とまともな付き合いなんて無理だ」
「あのなぁ……」
言いたいことはあるが、取り敢えずグレイにはひねくれてる自覚があるようだ。
「……まあ、その話をもういいだろ。そんなことよりも、お前は気付いたか?」
「はあ?」
突然話を切り替えたグレイに対しアルシェは不満の声を上げるが、窓の外へと向けていた視線をアルシェへと戻した彼に気付き、真剣な話が始まることを悟る。
「……どうしたんだ?」
グレイは一呼吸を置くと、続けて口を開いた。
「……俺がラナーシャに表へ出ろと言った時、あいつは左足を半歩だけ後ろに引いたんだ。間抜けな顔で首を傾げながら……おそらくは無意識の内にな」
「ん、それって……」
「そうだ。あの瞬間、あいつは俺を自らの攻撃圏内に入れやがったんだ。ギリギリ剣先が届く範囲にな。……あーあ、くそっ、もしあそこで俺が何かしようものなら、あの体勢からでも余裕で後の先を取られてた」
そう言い本気で悔しそうに頭を掻きむしるグレイに、アルシェは驚きを隠せなかった。
グレイは自らの強さに自信を持っており、そこから生じるプライドの高さは他に類を見ないほどだ。そんな彼がおそらくは最も意地を張りたい相手――幼馴染であるアルシェに対し自らそんな話を切り出したということは、よほどラナーシャの強さを評価しているということだろう。
おそらくは無意識の内に取ったであろう行動でグレイに自らを認めさせた彼女は、やはり只者ではない。
「す、凄いな……」
「ああ、最初からある程度の距離がないと百パーセント勝てないね、あれは。近接武器のレベル5は接近戦において無敵だ。あの女で見たのが初めてだが、そう確信した。重圧が半端じゃねーよ」
「……まあでも、それと同じように、魔法スキルのレベル5は中遠距離戦では無敵だろうね」
「まあな」
グレイを含め、ナルクラウン一族は代々雷魔法を得意としてきた。そしてグレイは未だ十代にして、既に雷魔法レベル5のスキルを習得している。
“剣の女神に愛されし者”ラナーシャ・セルシスが近接戦闘の天才ならば、ここにいるグレイもまた中遠距離戦闘の天才――雷魔法は他の攻撃魔法に比べ遠距離攻撃を苦手とするが――なのだ。
ちなみにだが、同じレベル5のスキルであろうとその中にも優劣は存在する。ラナーシャはライバルだと言われ続けた剣術スキルレベル5を持つ男に、王国で四年に一度開催される剣術闘技大会の決勝において圧勝しているし、グレイは同じ雷魔法でも祖父や父には遠く及ばないと発言している。
「本当に凄いな。次元が違うよ」
「……何言ってやがる」
そう呟いたグレイが再び窓の外へと視線を向けた時、コンコンと部屋の扉をノックする音が室内に響いた。
全くもって興味なさそうに――聞こえてなかったかのように――清々しい程の無視を決め込むグレイを尻目に、アルシェは「どうぞ」とノックの主に声をかけた。
大丈夫だと確信しつつも、アルシェは壁に立てかけてあった剣へと手を伸ばす。旅先の宿で突然の来訪者があった場合、警戒するのは冒険者としての常識だ。外の景色から目を離さないグレイでさえ、いつでも魔法を放てるように心の準備をしている……はずだ。
そんなアルシェの心配はどうあれ、ノックの主が扉を開けて姿を現した。
「やあ、部屋は気に入ってくれたかな?」
「え? ラナーシャさん!?」
驚いたことに、来訪者の正体はラナーシャ・セルシスだった。
だが考えてみれば、彼女は普段からこの宿屋に泊っているわけで、部屋にやって来るかどうかはさておき存在すること自体はおかしなことではない。
むしろ問題――問題だと感じているのはアルシェだけのようだが――は、彼女の格好にあった。
白い薄手のワンピースは、おそらく寝間着だろうか。スカート部から伸びる陶磁器のような脚は艶やかな光沢を帯びており、視線を上げると服の上からでもスタイルの良さが窺える。
左手には鞘に納められた剣を提げているが、冒険者とは思えないほどの細腕が奇妙なチグハグ感を生んでおり、昼間に組合内で見た彼女とは全く別の印象を受けた。
「またナンパかよ」というグレイの発言に、アルシェは耳が熱くなるのを感じる。
「ナンパとは何だナンパとは。少し話があるだけだ」
「話……ですか?」
「ああ。言っただろう? 私は君のことが気になるんだ、と。いつ町を離れるかわからないから、今の内に良い関係を築いておきたいと思ってな」
「よ、良い関係……」
ラナーシャの着飾らない言葉に、アルシェはますます顔が熱くなるのを感じる。
「やっぱりナンパじゃねーか」というグレイの発言は敢えて聞き流し、アルシェは未だ入り口前に突っ立っているラナーシャへと入室を進める。だが、ラナーシャは優し気な微笑と共に片手を振った。
「いや、すぐに出て行くからこのままでも構わない」
「そうですか、残念です。……それで話とは?」
「ああ、近日中……私はいつでも構わないが、ここにいる三人でいくつか依頼をこなさないか? 望むのなら私の方から名指しの協力依頼を出してもいい。足を引っ張らない自信くらいならあるし、この三人ならランク付きの依頼にだっていくつか挑戦できそうだ」
そんなラナーシャの発言に、たった三人でランク付き依頼は危険だろうと思いつつも、アルシェは悪い提案ではないと思った。
危険ではありつつも、レベル5のスキルを持つ人物が二人もいればC級くらいなら不可能ではない。それに二人ともがA級冒険者なのだということもある。
ランク付き依頼の報酬はかなりの高額であり、もしこの人数で完遂できたのなら一人当たりの配当は凄いことになるだろう。現在の金欠事情も一発で解決だ。
アルシェはそんな様々な損得勘定の後、口を開いた。
「協力については前向きに検討させていただきます。ただ、少し考えさせてください」
「もちろんだ。返事ならいつでもいい。それまでは基本的にこの宿からは出ないようにする。……じゃあ、私はもう失礼するよ。またな、アルシェ・シスロード」
ラナーシャはそう言い残すと、そそくさと部屋を後にした。
最後に自らの名前だけを呼ばれたアルシェは、再び顔面に熱が昇って来るのを感じる。
――いったい何なのだろうか。
アルシェは己の心をかき乱す女性について、考える。
突然冒険者組合で話しかけられたと思えば、臆することなく意味深な発言を浴びせて来た。そして寝間着で宿泊部屋を訪れたかと思うと、そこでも意味深な発言をし、最後にはグレイの存在など眼中にないとでも言いた気な言葉を――。
そこまで考えてから、アルシェは思考を中断する。
ダメだ。余計に心をかき乱される。そう悟ったアルシェは、気を紛らわせるようにグレイへと向き直った。
「と、ところで、ラナーシャさんにはああ言ったけど、グレイはどう考えてる」
「んあー、俺はあんま乗り気じゃねえけど、考えてやらなくもない」
「そっか、ありがとうグレイ」
意外と好感触なグレイの返事に安心しながら、アルシェはふと考えた。
そうだ、昼間の彼女は何を思って僕たちに接触してきたのだろう、と。
グレイは頼れる仲間だ。ならば彼の意見を仰ぐべきだろう。そうだ、いちいち心を乱されたりせず、最初からそうしておけばよかった。
「なあ、グレイ。ラナーシャさんはいったい何を考えてると思う? その、気になるって発言の意味とか……」
「ああ、たぶん……」
グレイは小さく欠伸をすると、眠たそうに右手で目の辺りをこする。
「たぶんあれは、ランクも持たないアルが俺といつも一緒にいるから不思議に思ってるんだろう。ほら、俺って普段からお前以外のやつと組むこともねーし。たまーに親父と仕事するくらいかな? アル以外と組むと言えば」
そんなグレイの言葉に、アルシェは思わず拍子抜けした気分だった。
いや、別に何かを期待していたわけではない。……はずだ。
だがそれでもアルシェは聞かずにはいられなかった。
「そ、それって間違いないのか? 他にも例えば、彼女が僕に好意を寄せているとか……」
そこまで言ってから、アルシェは自分の言っていることの気持ち悪さに気が付いた。
――どれだけ自意識過剰なことを言ってるんだ、僕は。
そんなアルシェへと、グレイが怪訝な表情を向けて来る。
「いや、なくもないだろう……。と言うより、さっきのは俺の勘であって、客観的に見ればその可能性の方が……。って、ははっ、マジかよお前」
そう語るグレイの表情は怪訝なものから始まり、やがて少しずつ呆れ顔へと変わると、最後には微笑ましい友を見るものへと行き着いた。
そんな表情の変化から彼の導き出した答えを悟ったアルシェは、ようやく自らの気持ちに気が付いた。
(た、確かに彼女は綺麗で、大人の色気も持ち合わせていて、凛々しくて強くて、それでいて可愛らしい笑顔を向けて来る理想的な女性だけど、けどっ、まだ二回しか会ってないんだぞ? いやでも、あんな人にあんな意味深なことを言われたら誰だって……)
――いや。
アルシェは必死に言い訳をする心の声を飲み込むと、グレイの目を真っ直ぐと見据えた。
――もう、認めてしまおう。
ある意味諦めとも取れる決意を胸に、アルシェは自分の気持ちへとしっかり目を向け、バクバクとうるさい心臓の高鳴りを意識しつつ、口を開く。
「グレイ……、僕は、ラナーシャさんに惚れてしまったのかも知れない」
そんな告白を聞かされたグレイに驚いた様子はもはやない。
やれやれ、とでも言いたげに短く息を吐いた彼は、手に持ったリンゴの最後の一欠片を口へと放り込むと、先ほどラナーシャが出て行ったばかりの扉へと視線を投げかける。
そして楽しげに言ってみせた。
「取りあえず、
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