02 出会い
アルシェ・シスロード。
ラナーシャがその名前を最初に聞いたのは、殲滅卿という二つ名で知られるジョット・ナルクラウンの口からだった。
二年前のある日、ジョットから珍しくも名指しで冒険の協力を依頼された際、その仕事後にラナーシャは彼の優秀な仲間たちとの酒盛りに半ば強制的に参加させられ、酒に酔った男たちが始めた『この国の未来について』などという談義にも付き合わされた。
その流れで、未来の冒険者を牽引していくであろう人物は誰か、という話が出てきた。
酒に酔った男たちは口々にグレイ・ナルクラウンの名を出した。それは父親の前だからという気遣いなどでは決してなく、実力に裏打ちされた正当な評価だと言える。その意見にはラナーシャも同意したほどだ。
だが、話を振られたジョットはそこにもう一人の名前を付け加えた。
――『グレイだけじゃないさ。あの子の隣には、アルシェ・シスロードがいる』と。
彼がその人物についてそれ以上を語ることはなかったが、何故かラナーシャの記憶に残り続けたアルシェとやらの名前は、酔い潰れ二日酔いの状態で目を覚ました翌日でさえ、はっきりと覚えていた。
興味があると言えば嘘だったが、発言の主はかの殲滅卿であるからして、興味がないと言えばそれもまた嘘だ。覚えていたということは何かの縁だろうと、ラナーシャはアルシェという人物について簡単に調べてみることにした。
調べるとは言っても、目に付いた人物にアルシェと言う名を聞いたことがあるか尋ねる程度のものだった。だが、その名を知る者はすぐに見つかった。
聞いたところによると、デスティネ王国の中小都市カムイという町で冒険者試験をパスしたばかりの、十代半ばほどの少年だそうだ。その歳でプロライセンスを取得するだけのことはあるが、ただそれだけ。一つだけ特筆すべき点があるとすれば、殲滅卿のご子息であるグレイ・ナルクラウンと旧知の仲にあるということくらいか、だそうだ。――その話を聞いて以来、元々大して関心があったわけでもないこともあり、ラナーシャはアルシェという少年に対して一切の興味を失っていた。
そんなラナーシャが次にアルシェの名前を目にしたのは、それから数か月が経った、今から一年ほど前のことだった――。
冒険者はA級、B級、C級と格付けされ、その三つからさらに若い番号を高位としてそれぞれ十段階――全三十段階――に分けられるのだが、そのランクを与えられるのは上位に位置する者だけに限られる。多くはランクなし冒険者として活動をしており、ランクを与えられること自体が上位冒険者、通称『ランクあり』と呼ばれ、冒険者たちの憧れの的となっている。
そんな中で、最も若くしてランクを与えられた冒険者が現在A10級冒険者のグレイ・ナルクラウンであり、同時に最も若くしてA級に到達した、という記録を打ち立てた。それ以前までC1級だった彼をA級へと一気に昇格させたきっかけは、父親であるジョット・ナルクラウンと共に戦闘訓練をしていた際、B2級相当の魔物と旅先でたまたま遭遇し、殲滅卿と共にこれの撃退に成功したからだと聞いた。
B級相当の魔物をたった二人で撃退したナルクラウン親子の武勇は世界各国にまで広がり、グレイの実力は若くしてジョットやラナーシャたちと並び世界最強クラスなのではないか、という噂は世間の目をこれでもかと強く惹きつけた。
だが、その話はそれだけでは終わらなかった。
実は、彼らと共に戦った人間がもう一人いたらしい。その者はランクなしの新米冒険者で、ナルクラウン親子と比べるとあまりにも脆弱な存在。二人の足を引っ張らないように逃げ回るので精一杯だったと本人が証言していることもあり、組合側もその人物の評価にはあまり大きく手を加えなかった。広がった噂には名前すらも出てこなかった人物。その者の名が――
――アルシェ・シスロード。
その名を聞いた瞬間、ラナーシャは思わず身震いをした。
――逃げ回るので精一杯だった? だから組合も評価しなかった?
バカを言ってはいけない。
みんな何もわかっていない。
B級相当――それもかなり上位であるB2級相当の魔物と対峙して、逃げ回れる時点でそれは常人ではない。ランクなし冒険者ならば臆した瞬間に命を失う、それくらいの圧倒的強者だ。
A級の冒険者はA級相当の魔物に勝てるからA級を名乗れるのではない。
B級の冒険者はB級相当の魔物に勝てるからB級を名乗れるのではない。
C級の冒険者はC級相当の魔物に勝てるからC級を名乗れるのではない。
A級の冒険者はA級相当の魔物に、B級の冒険者はB級相当の魔物に、C級の冒険者はC級相当の魔物にそれぞれ遭遇した際、瞬殺されないという理由でそのランクを名乗ることを許される。――これはラナーシャたち上位冒険者の間では共通の認識となっており、世間はどうあれ本人たちはそう信じている。彼らは人類最強クラスと崇められる自らの弱さを自覚しているのだ。
だからこそ、ラナーシャの中ではアルシェという少年の評価が数段階上げられた。そして同時に、何故彼の強さを知るはずの殲滅卿がアルシェの名を世間に広めようとしないのかがわからなかった。アルシェ・シスロードとはいったい何者なのか、その正体不明の不気味さが、彼女にはとてつもなく強大なものに感じられた。
まるで自らを、まるで全ての冒険者を、全ての強者を、遥か高みから見下ろしているかのような――。
根拠はB級相当の魔物と対峙し生還したということと、ジョットが期待しているということだけ。にもかかわらず、ラナーシャはアルシェ・シスロードという少年に対してそのようなイメージを抱いていた。
それから一年――。
長期の依頼を終え身体を休めていたラナーシャが何気なく組合内を見渡した時、ズブ濡れのまま楽しそうに話す二人組の少年を視界に捉えた。
もしやという予感。
ラナーシャは慌てて手にした紅茶を飲み干すと、歳相応のあどけなさを残す彼らを見据え席を立ち――。
◆◇
「き、気になる? ですか?」
突然話しかけてきた有名すぎる美女に対し、アルシェは自らが如何に間抜けな顔をしているかを悟る。緊張で固まった表情はそう簡単にはほぐれてくれなかった。
そんなアルシェの問いかけに対し、美女――ラナーシャ・セルシスは笑顔を浮かべたまま首肯した。
周囲の視線を全身に感じる。スザクだかマルクスだかの顔にはおそらく形容し難い感情が張り付いていることだろう。
アルシェは意を決して、ラナーシャの目を見ようとして――そして再び逸らす。
ダメだ。美人過ぎる。とてもではないが、彼女ほどの初対面美女とこの距離で目を見つめ合えるほどの度胸など持ち合わせてはいない。それにただ声をかけられたわけではない。気になるだとか、ずっと見ていただとか言われたのだ。
「いや、あの……ちょっと意味が……」
弱々しい声を出しながら、アルシェはグレイへと視線を向ける。「た・す・け・て」と。
その様子からアルシェの心中を悟ったのだろうグレイは、まるで面白いものを見るかのように小さく笑うと、やがて仕方がないとばかりに席を立った。
「ほら、そろそろ行くぞ、アル」
そう言いながら、グレイはラナーシャへと続ける。
「悪いけどこれから今夜の宿代を稼ぎに行くんだ。……ナンパならまたの機会にどーぞ」
相変わらず生意気で飄々とした態度に今回ばかりは心強さを感じずにはいられない。
アルシェは心の中で感謝の言葉を紡ぎながら、歩き出したパートナーの背中を追った。だがそんな二人を引き留めるかのように、ラナーシャの声が届く。
「……A級冒険者だろ? ランクありなら無料で泊めてくれる宿屋くらい、探せばいくらでもあるじゃないか」
「一人くらいならランクなしの仲間がいても許してくれるはずだぞ」と続けるラナーシャに、グレイはわざとらしく溜め息を吐いた。
「……田舎者で悪かったな」
背後を振り返りながら発せられたその声は、低くドスの効いた不快そうなものだった。
ランクありを無料で泊めてくれる宿屋、なんてものの存在はアルシェもグレイも知らなかった。もしかしたら王都のような大都市ではあって当たり前のものなのだろうか。もしそうなのだとしたら、グレイは公衆の面前で自らの無知を披露したことになる。彼はそのような、プライドを傷つけられることを大いに嫌う。
彼の眉間の皺が怒りや屈辱から生じたものだと知ってか知らずか、ラナーシャはさらに続ける。
「なんだ、知らなかったのか? じゃあやったじゃないか。これで一つ賢くなれた」
――この人は天然で他人の神経を逆なでするタイプの人間なのだろうか。
そう疑わざるを得ないラナーシャの発言にグレイはイラつきから肩をプルプルと震わせるが、意外にも落ち着きを取り戻すことに成功したようだった。
「……行くぞアル。どっちにしろ今日はもう休もう」
それだけを言い残すと、グレイは冒険者組合の受付カウンターへと歩を進める。
アルシェも背後のラナーシャに軽く頭を下げると、そのままグレイの後に続いた。
冒険者組合は冒険者へと仕事を斡旋する以外にも、様々なサービスを提供してくれる。
旅先で発見した何かの遺物を鑑定業者へと手数料・鑑定料負担で取り次いでくれたり、依頼を終えた際に難易度設定が不適切だと指摘すると、依頼主を交え示談の仲介人を務めてくれることもあり、また調査が必要な際には組合が抱える優秀な専門スタッフが動いたりもする。提携宿屋の紹介も例外ではない。
冒険者組合アレス支部の受付カウンターは全部で四つ。グレイが向かったのは唯一空いていた一番右端のカウンターだった。
「A10級のグレイ・ナルクラウンだ。ランクありを無料で泊めてくれる宿屋を紹介してもらいたい」
「あ、はい……えっと……」
グレイに話しかけられた受付スタッフは若い女性だった。
何故か彼女は釈然としない態度で、グレイの背後――おそらくラナーシャを――をチラチラと伺いだした。
そして心から申し訳なさそうに告げた。
「申し訳ございません。提携関係にある宿屋にそのようなサービスを提供しているものはございません。……と言うより、そのような宿屋は、その……聞いたことが……」
女性の言いたいことは理解した。要は『あなたはラナーシャ様に騙されたのですよ』ということだ。受付の女性が頭を下げるのと同時に、二人の話を聞いていた者たちの笑いを堪える声が漏れ聞こえて来る。
――マズい。
思わずアルシェは息を飲む。
グレイは周囲の者たちには何も言わず、ゆっくりとラナーシャを振り返った。
「いや、すまない。ナンパとか言われたから少しからかってやろうと思ってな。だがまさか信じるとは――」
だが当のラナーシャは大して悪びれる様子もなく、まるでイタズラが成功した時の子供のように清々しい笑顔を浮かべている。
グレイは小さく片手を挙げ、そんな彼女の発言を遮った。
「いい度胸だ――」
そしてそのまま出入り口の方へと指をスライドさせると、低く冷たい声で一言。
「――表へ出やがれ、このクソ女……ッ」
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