The Fatal Encounter
01 二人の少年
子供の頃は、冒険者という職業――冒険者組合と呼ばれる仕事斡旋所に仕事を紹介してもらい、主に魔物退治を生業とする戦闘のプロ――に魅力を感じることはなかった。
実家が冒険者御用達の酒場を経営していたために、アルシェ・シスロードにとってその存在はあまりにも身近なものだった。だからこそ、地元の人間や親族に驚かれ、果ては尊敬の念を抱かれるような職に就きたいと考えていた彼にとっては、冒険者になるという将来は避けて通るべきものだとさえ思えていた。
だが、アルシェが八歳を迎えて数日が経とうとしていた時のこと。一人の少年が店を訪れたことにより、彼の考えは大きく変わった。少年の名は“グレイ・ナルクラウン”。父親の背後に付き従うように入店した彼は、アルシェと同い年にして既に冒険者――アマチュアではあるが――として利益を得ていたそうだ。
そんな、何故だか終始仏頂面を浮かべており、何故だか終始偉そうな態度を取っていたグレイに、どうして冒険者なんて仕事をしているのかとアルシェは尋ねた。
すると彼は、おかしなものでも見るかのように笑い、こう言った。
――『同性愛の女神なんてものが存在するくらいだ。冒険者をしていれば、いつかもっと面白いものに出会えるはずだろ』と……。
同性愛というものがどういうものなのかはいまいちわからなかったが、最も世界を旅することが出来て、なおかつ最も自由に生きられる職業こそが冒険者なのだと、アルシェはこの時の会話で初めて知ることとなった。
当然その一日だけでアルシェの価値観が変わることはなく、では何が己を変えたのかと問われても上手く答えられる自信など生憎と持ち合わせてはいないのだが、それでも、アルシェが後に冒険者を志したその根底には、グレイ・ナルクラウンとの出会いが大きく関係していることは言うまでもない。
◆◇
「おい、アル。なに惚けた顔してんだ?」
「え、いや……、少し昔のことを思い出してた。僕らが初めて出会った時のこと……八年前? だったかな」
隣を歩くグレイの声に我に返ったアルシェは、小さく頬を掻きながらそう答えた。
それに対し問いかけた本人であるグレイは、返答になど興味ないとでも言わんばかりに「そうか」とだけ呟くと、視線を前方へと戻した。
彼らしい素っ気ない態度に苦笑いを浮かべつつ、アルシェは空を見上げる。
森に囲まれた道を往きつつも、突き抜けるような青空がはっきりと伺える。土の匂いを含んだ湿った空気を肌に感じるが、ここ最近では断トツでいい天気だと言えるだろう。
皮肉なものだ。アルシェとグレイの二人は現在、デスティネ王国の都――王都アレスを目指し長旅の最中なのだが、終盤に差し掛かり幾日目かの今日、初めてはっきりと太陽の姿を確認できたように思う。
身体を見下ろせば、薄手の黒シャツは雨によって――または汗によって――肌に張り付いており、グレイへと視線を向ければ、彼の特徴とも言える輝かしい金髪に本来の手触りが伴っていないであろうことは一目瞭然だ。
久しぶりの長旅を襲った不運に辟易としつつ、アルシェは額に浮かぶ汗を拭った。
「八年前は冒険者を軽んじてたお前が今では冒険者として生計を立ててるんだから、人間は面白いな」
どうやら先ほどの話の続きのようだ。
アルシェは腰に差された剣へと手を当てながら、再び過去の記憶へと意識を巡らせる。
「そうだね。あの時は……そう、騎士とか、そんな厳粛で誉れ高い職に就きたいと思っていた」
「……で、今はどうなんだ? 今でも騎士になりたいと思うことはあるのか?」
「いやいや、今ではその厳粛さが気に入らないから。冒険者くらいの気楽な生き方が性に合ってる。……まあ、お前みたいな奴と共に生きてきたせいなんだけど」
「ははっ、そこは感謝するところだろ」
――感謝、か……。
困ったな、とアルシェは再び苦笑する。
グレイの家系であるナルクラウン家は、先代の当主でありグレイの祖父に当たる人物がたった一人で財を成し、冒険者として初めて国王から爵位を賜った由緒正しき家系である。それ故にグレイは冒険者になるべくして育て上げられた、言うなればエリート冒険者だ。
九歳からプロとして活動を始めた彼の実力には疑う余地がなく、そんな天才と比べられてしまうこの世界へは、できれば入り込みたくはなかった。だからこそ、冒険者へと憧れを抱く原因を作ったグレイにはあまり感謝する気にはなれなかった。
要は男なら誰でも感じるであろうただの劣等感なのだが……。
「それで、王都に着いてからの当てはあるのか?」
少しだけ後ろめたい感情なために話を切り替えたアルシェに対し、グレイは首を横に振った。
思わず溜め息が漏れる。
「あのな……。お前のそういうとこ、直した方がいいよ。と言うか、本当に直してくれ」
「気にすんな、死にはしねーよ」
そもそも二人が王都アレスを目指し旅に出たのは、グレイの提案によるものだった。
アルシェとグレイは、共に冒険者となるための厳しい審査基準を突破したプロの冒険者なのだが、これまでの活動範囲は、基本的にはアルシェの地元である中小都市――ナザリア近郊に限ったものだった。九歳でプロとなったグレイはともかく、十六歳という若輩さも相まってアルシェにとってはそれでも十分仕事に対してのやりがいを見出すことができていたのだ。
だが、いつまでもそこで燻っているつもりはアルシェにもなく、いつかは活動拠点を王都などの大都市へと移すつもりでいたのは確かだ。
だからこそグレイによる突然の提案にも飛びついたのだが……。
「そういう問題じゃないって……。それで? お金はもうないんだろ?」
「ああ、そいつがあまりにも高すぎた」
しれっと自らの金欠事情を暴露しつつ、グレイは背後を後ろ手に指差した。
わざわざ見なくともわかる。グレイの言う『そいつ』とは、彼が長旅用に購入した荷馬車のことだ。グレイに手綱を引かれ二人の後を付き従う『そいつ』には主に荷物運びを担ってもらっているのだが、乗ってみたところでスピード自体はあまり変わらず、屋根こそあるものの荷物を雨から守るので精いっぱいの申し訳程度なもので、二人が雨を凌ぐことは叶わなかった。
だったら馬の負担も考慮しつつ、歩いた方が体力向上にも繋がるという結論の下、毎日雨風に晒されながらも歩き続けたという訳だ。
つまり、全財産を使い果たした割には大して役に立っていないということだ。
グレイは冒険者としての資質だけではなく頭もかなり良いのだが、何故だかこういう細かいところでいつもバカを見ることになる。
「……まあでも、僕に文句を言う資格はないのかもね。全部君のお金だから」
そうなのだ。
どれだけ咎められるべき浅慮さを披露されようと、彼が全てを自分の貯蓄から捻出していることは変わらない事実なのだから。ちなみに日々の生活で精一杯のアルシェは、自らの旅準備だけでなけなしの貯金は底をついた。
「だから、気にするなって言ってるだろ」
いつもと変わらない態度でそう言い放つグレイに、アルシェは小さく頷いた。
ナルクラウン家ほどの家系に生まれておきながら、グレイが金欠なのには理由がある。彼が家を勘当されたからだ。そしてそうなった原因にアルシェも少なからず関係しているため、あまり強くは言えない。
そんな会話を最後に、二人は炎天下の中を黙って歩き続けた。
やがて数時間が経とうとした頃だ。二人の眼下にその光景は広がった。
都市全体を守護するものと、国の重鎮を守護するもの。そんな巨大な二重城壁に囲まれ、堂々とそびえ立つは白亜の王城。そして川や森までもが取り込まれた城下町からは、かなりの距離を以てしても、人々の営みが生み出す活気を肌に感じることができた。
――デスティネ王国、王都アレス。
長旅の目的地を崖上から臨むアルシェとグレイの表情から、途端に疲労の色が消え失せたのも頷ける。それほどの大都市がそこにはあった。
「ようやく着いた。――さあ、まずは今夜の宿代を稼ごうか」
◆◇
――見つけたんだ。
――とうとう見つけてしまったんだ。
ここ、冒険者組合のアレス支部は、世界各国に存在する他の支部と比べ、高貴な格式と巨大なロビー、そして多くの冒険者を抱えることで有名な場所だ。スタッフの人数と設備の充実さを除けば、クラウド公国に置かれた冒険者組合本部にさえ匹敵するとまで言われている。
そんなロビーに設けられた休憩所の端で優雅に紅茶を愉しむ彼女の姿を、彼らはとうとう見つけるに至ったのである。
「――とまあ、やっぱり、纏ってるオーラというか……雑魚とは違うな」
「ああ、聞いていた以上の美しさでもある」
彼ら――冒険者であるスザクとマルクスの男二人は、口ぐちに一人の女性を褒め称えた。
「……ああ、恋人関係になりたいもんだ」
そう言ったのはマルクスである。
彼の発言を――自らも満更ではなさそうにだが――スザクは「止せよ」と諌めた。
「お前じゃ釣り合わねーよ。なんたって彼女は人類最強の一角を誇る人物なんだからな。いや、俺は彼女こそが最強そのものだとさえ思ってる。見た目だけならまだしも、お前とは実績すらも天と地ほどの差があるんだよ」
「うっ……。それはわかってるけどよ、半年待ってようやくこうやって巡り会えたんだぞ? 限りなくゼロに近くとも俺は可能性にかけてみたいね」
スザクとマルクスはクラウド公国出身の二十四歳で、半年前にプロライセンスを取得したばかりの若手冒険者だ。そんな彼らが公国ではなく王国を活動拠点としている理由の一つが、二人の言う女性にあった。
「彼女に会いたいがためにここまで来たんだ。今更何も行動せずに終われるかよ。それに心なしか、さっきからチラチラと俺の方を見てる気がするしな」
「いやいや、ここまで来た理由はそれだけじゃないだろ。デッドさんに聞かれたら殺されるぞお前」
「そうは言っても全然会いに来ないじゃねーかよー。ったく、自分から呼び出しておいて遠征にでも行ってんのか? まあ、どっちにしろ声はかけないとな」
そう意気込んだマルクスは、紅茶を愉しむ女性――“剣の女神に愛されし者”ラナーシャ・セルシスを求め席を立った。
◆◇
「おい、聞いたか? あの女、どうやらラナーシャ・セルシスらしいぜ」
「ああ、しっかり聞こえてたよ。こんな簡単に有名人に会えるなんて凄いね。さすがは王都だ」
そう話すのは、ここ王都までの長旅を終え、スザクとマルクスの背後に位置するテーブルで身体を休めていたアルシェとグレイだ。
二人はしばらく前からスザクとマルクスの会話を聞いていた――自然と聞こえてきた――のだが、マルクスとやらの行動にも得心がいく。ラナーシャという女性の名は世界各国へと知れ渡っており、あのような連中も少なくないのだ。
“剣の女神に愛されし者”ラナーシャ・セルシス――幼き頃から剣術スキルレベル5を有す、最強の剣士だ。そしてその肩書きはただの比喩には納まらず、実際に神託が下ったとかなんとか。
冒険者として、なおかつ剣を振るう者としては他に類を見ない長さの赤髪に、透き通るような白い肌は、その人気に拍車をかける。
「けど人類最強は言い過ぎだよな」
そんな彼女なのだが、一切興味なさそうに吐き捨てる相変わらずなグレイに、アルシェは「だね」と微笑んだ。
「僕もそう思うよ。彼女の強さを直接見たわけじゃないけど、一人の女性が君のあの怖い祖父を打ち負かす場面なんて想像できないし」
そう言って茶化すように笑うアルシェに、グレイは不機嫌そうに眉を顰めた。
「別にじじいを例に出す必要はないだろ」
そこそこ付き合いの長いアルシェには、グレイの言わんとすることはわかっていた。要は、『あんな女より俺の方が強い』と言いたいのだ。
「じじいじゃなくとも、俺の方が強いからな」
と、全く予想通りの彼の発言に、アルシェは満足そうに水(無料でもらえる)を煽った。もはや才能とでも言うべきグレイの相変わらずな自信には、劣等感はありながらも、友としての喜びが大きいのだ。
――やっぱ、こいつは凄いな。
「まあどっちにしろこのご時世だ。グレイに限らず、とんでもない強者はたくさんいるさ」
「……まあな」
そんなアルシェの発言にはグレイも納得のようだった。
“剣の女神に愛されし者”以外にも、名前負けしない肩書きを持つ者は多く聞く。代表的なところでは“赫々卿”や“殲滅卿”、“戦神”、“魔法帝”、“孤高の双壁”に“災禍”などだろうか。もちろん、それ以外にも肩書きを持たずして強い人間は大勢存在する。活躍の場は違えど、いずれも人類を代表する強者ばかりだ。
ただグレイにしても、“ナルクラウン一族”という、彼らと並べても遜色ないのでは、と言いたくなるほど大きな名を持って生まれてきたのだが。
ちなみに“赫々卿”がグレイの祖父で、“殲滅卿”がグレイの父親を指す。全く、さすがはナルクラウン一族だとでも言ってやりたいところだ。
アルシェはそんなやるせない思いを抱きながらも、それを心の内に押し止めた。
「でもまあ、ラナーシャさんも剣士としては人類最強だろう」
そうやって話題を戻したアルシェの発言に対し、グレイは思うところがあったのか、真っ直ぐとアルシェの目を見つめ「アル、おまえなぁ……」と続けた。
「いつも言ってるが、俺は――」
そう何かを言おうとしたグレイだったが、突然アルシェの背後へと視線を移したかと思うと、怪訝な表情と共に口を閉ざしてしまった。
――誰かが来たのだろうか。
不思議に思ったアルシェは、グレイの視線の先――自らの背後を振り返る。やがて視界に映ったのは比較的長身な人物だった。剣を差した細い腰と女性の象徴とでも言うべき双丘、そして伸ばされた赤髪……。
「まさかとは思うが、お前たちがグレイ・ナルクラウンとアルシェ・シスロードか?」
――まさかはこっちのセリフだ。
などと心の内で呟きながら、アルシェはゆっくりとその人物を見上げる。
「そうですけど……」と反射的に返答しつつ、そのあまりにも小さく可愛らしい顔を視界に捉えた。遠くから眺めるより、噂に聞くより、なるほど確かに綺麗で他者を惹きつける顔をしているではないか。
何故だか突然話しかけてきた女性――ラナーシャ・セルシスの想像以上の凛々しい顔立ちに、アルシェは緊張と恐れ多さから固まってしまった。
そんなアルシェの様子に気付いているのか気付いていないのかは不明だが、あろうことか彼女は自らを見上げるアルシェの顔を覗き込んできた。
「うん、こっちがアルシェ・シスロードかな?」
そんな一言をアルシェへと放ったラナーシャが、今度は向かいのグレイへと視線を移す。
「ナルクラウン家の人間は代々目つきが悪いと聞くしな」
まるでおちょくるかのように言い放つラナーシャだが、グレイのふてぶてしさはアルシェの知る限り世界一だ。
初対面の贔屓目なしにも失礼な態度をとるラナーシャだったが、グレイは表情を変えずにデフォルトで憎まれ口を叩き返す。
「おいお前、いきなりやって来て失礼じゃないのか? 決闘の申し込みなら受けて立つぞ? 今すぐに女神様の下へと送ってやるから、遠慮するな」
「ああ、それはすまないな。他意はなかったんだ。だからそんな怖いことを言わないでくれ」
そう言いながら、ラナーシャは本当に申し訳なさそうな表情を見せた。
そんな彼女に思わず拍子抜けするグレイを尻目に、ラナーシャは再びアルシェへと視線を戻した。
「アルシェ・シスロード……。話に聞く通りの二人組を見つけた時から、ずっと君のことを見てた」
そう言ってニッコリと可愛らしい笑顔を浮かべたラナーシャの顔を、アルシェは直視することが出来なかった。
意味もわからず目を逸らした視線の先で、どよめきながらこちらを眺める複数の視線と目が合う。
そんな中で、彼女は言った。
「――君のことが気になるんだ」
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