4-1.魔女と無能者

 ランス市警が通報を受けたのは深夜を回ってからのことだった。バリア・ダットネルがリカルド・クラレッドに殺された――俺は上司のブロック警部の後を付いて行く様にして現場に向かったのだ。

 ダットネルの別荘は豪奢のわりに優美に見えた。

 牡鹿が俺の心を捉えたのかもしれない。

 まさか、ここに殺人事件の捜査で来ようとは夢にも思っていなかった。それも、友が友を殺した事件だ。


 俺は警部と共に直ぐにリカルドと引き合わされた。友は血に塗れて項垂れていた。

 血塗れのリカルドの燕尾服と靴は剥ぎ取られた。そのまま椅子に座らされたリカルドはブロック警部の事情聴取を受けた。

 警部はリカルドを犯人と決め付けて話を進める。彼の発言の多くを嘘だとして取り合おうとしなかった。

 犯人としてではなく、容疑者として尋問すべきだと提言しても貴族の雛がと顔を顰められて聞き入れてもらえなかった。


 正直、リカルドが犯人か否か、俺には分からない。俺の頭は不出来で、考えることは不得意だったからだ。

 だから、代わりの人間を立てた。


 書架塔の魔女、マルゴット・マリー。魔術に関して造詣が深く、思考も切れ者だと俺は評判を聞いていた。だから、無理を押して連れてきたのだ。

 これでリカルドが犯人だったら、俺は親父にも見捨てられるだろう。不出来な末っ子。父は俺のことなんか、これっぽちも信用していないのだから……。

 

 ●


 俺はリカルドが居る部屋から出ると、すぐさまマルゴット・マリーを問い詰める。

「あいつの話を聞いて、どうなんだ? あいつは犯人なのか?」

 もちろん、俺はリカルド・クラレッドが犯人なんて思ってもいない。けれど、俺はそれを証明するための頭脳を持ち合わせていないのだから、目の前の少女を頼る他ない。


「君、刑事だろう? 考えることは本来、君の仕事のはずなんだがね……」

 呆れた様子で銀髪を弄ぶマルゴットに俺は溜息を吐く。

「自分で解明できるなら、そうしてる」

 そうだろうなとマルゴットは呆れた顔を戻さない。

「君の家の権力なら、一人の人間の罪を問答無用で取り消せるのではないかい?」

「俺はそういうものが大嫌いだし、何より、親父は絶対にそれを許さない。クラレッド家との関係よりも、財界の首領であるダットネル家との関係を優先するからな」

 リップヴァン家とクラレッド家は古くから親交があるが、財界を成すダットネル家を軽視するほどのものではない。父は義なんて気にしない。


「なるほどね。で、どうして私なんだい?」

 その言葉を聞いて、痩躯の老人の顔を思い出す。俺は老人の名を口にした。

「リードから話を聞いていた」

 それに彼女は首を傾げた。「リード? 君と私の守衛にどういう関係が?」

「リードは元々、俺の家の使用人だった」

 坊ちゃんは頭が悪いですね――とかなんとか言って俺の勉強を見てくれたこともある。口は悪く、悪戯好きだが、根は優しいのだから悪魔みたいな天使である。

 そんなリードは使用人を止めて、書架塔の魔女に雇われたという話を別の使用人から聞いた。その理由は知らないが、リードは俺が顔を見せるたびにマルゴットについて面白そうに語ったのだった。


「世界は狭いね。それに彼はお喋りだ」と彼女はうへぇと言って項垂れた。

 しかし今はそんなことをしている暇じゃない。俺はもう一度、マルゴットに尋ねた。

「で、リカルドは犯人じゃないよな?」

 それにマルゴットは首を傾げて、どっちつかずの返答を寄越した。

「それはまだなんとも……。それにその考えは危険だよ。リカルド・クラレッドが犯人という線も頭に入れて捜査をしなくてはね」

 俺は彼女を睨みつける。

「お前、どっちの味方だよ」

 彼女は胸を張っていった。

「私は真実の味方だ」

 俺はその堂々たる物言いに溜息を吐いた。そこはリカルドの味方と言って欲しいものだ。


 俺は気を取り直して彼女に問い直す。

「これからどうする?」

「死体と遺留品の確認。出来れば参加者たちが着ていたものも見たいね。その後は、一人ずつ話を聞くよ」

「皆に聞くのか?」俺は顔を顰めた。

 すると彼女は笑って首を振る。


「いや、絞ってある。第一発見者のシルド・ダットネル、カート・ライト。バリアの不在にいち早く気付いたジョン・スタンリードゥー。リカルドの兄ユリアン・クラレッド。バリアと最後に話したであろうバトロの五人かな」

 俺はその言葉を聞いて安心した。事件当日に屋敷に居た人間は二十人余りに及ぶ。それを一人ずつ聞くのは昨日の晩だけで十分だった。


「人狼事件を解決しようじゃないか」とマルゴットは意気揚々と言った。

 それに俺はちくりと言葉を刺す。

「その言い方は止めろ」

「なぜ?」と彼女は不思議そうに俺を見た。

「俺はあいつのことを人狼と呼ぶ奴が嫌いだからだ」

 そう言うと、マルゴットはどこか嬉しそうにして、声を上げた。

「分かったよ。気をつける」

 そう言って、俺とマルゴット・マリーの捜査は始まった。


 ●


 ■ パーティー会場


 初めにマルゴットはパーティーが開かれていた会場に足を運んだ。本館の二階。一室丸々が宴会場だった。

 昨日の夜から片付けは為されていないのだろう。食器も食べ物も、全てテーブルの上に置いてある。

 俺たちは手分けして、入念に会場を調べたが、奇妙なものは何も無かった。


 気が付くとマルゴットが目に見えるところに居なかった。

「マルゴット!」と俺が名を呼ぶと、「ここだよ」と返事をする声が外から聞こえてきた。

 彼女はバルコニーに居た。そこから彼女は中庭を眺めている。

 中庭では何人かの捜査官たちがバリアの死体の周りをうろついていた。

「ここからでも、見えないことはないのだろう」そう呟いて、バルコニーの手摺の部分に置かれてあった蝋燭台を見た。

 蝋燭は変えられたばかりなのか、長さを保っている。


「なんで蝋燭が?」

「灯りを持って来れば、中庭を照らせるとでも思ったのではないかい? まあ、思い通りにはいかなかっただろうけど」

 そう言うとマルゴットは中へと戻って行った。

 そういうものかと、俺は蝋燭台を再び見た後に、中に戻った。


 ■ 中庭


 バルコニーから眺めたとおり、中庭では捜査官たちが死体の周りをうろちょろしている。死体には布が被せられて日光から守られていた。

「下を見たまえ、シーヴィス君」

 彼女にそう言われたので、何の気なしに下を見る。そこには無数の足跡が残されていた。

 けれどもそれがなんの役に立つのかと俺は疑問に思った。すでに踏み荒らされた後で、手掛かりになるようなものは何も無い。

 警部は犯人が割れているのだから、現場の保全は必要なしとして足跡の保全をしていなかった。


 マルゴットは半目になって俺をじとりと見た。

「役に立たないと思っているね。けれど君、良く見てみたまえよ。ここに二本の線が死体まで延びているだろう?」

 そう言われて、よく見てみると、確かに二本の線があった。しかし、それでも俺に閃きは降りてこなかった。


 マルゴットは呆れたように溜息を付くと、噴水の近くまで歩いて行った。

 説明は無いのかと思いながらも、俺は彼女の後に付いていく。

 噴水の側で屈みこみ、拳くらいの大きさをして石の破片を拾った。

「噴水がところどころ破壊されているみたいだけれど?」

「なんでも噴水には元々真珠が嵌っていたらしいが盗人それを奪うために破壊したのだと」

 俺がそう言うと、マルゴットは噴水の中を覗いた。女神像が持つ水瓶から勢い良く水が流れている。

「何か見つけたのか?」俺が訊くと、彼女は指を差した。

「噴水の中にも、破片が沈んでいるのだね」

 その指の先には石の破片が一つ沈んでいた。

「これくらいかな」そう呟いて、バリア・ダットネルの死体の方を振り向いた。


 死体の側に近づくと、そこで屈んでいた男が俺とマルゴットに気付いて、声を掛けてきた。


「よお、シーヴィス。お前が子供を連れてきてるって話は本当だったんだな」

 気さくに声を掛けてきたのは、検死官のボリックだった。

 俺の二倍の歳を重ねている男は立ち上がると、腰を手で摩った。

 俺はボリックに片手を挙げて挨拶をする。その直ぐ後にマルゴットが彼に尋ねた。

「君が検死をしているのかい?」

「まあ、そうだが……。俺が医者に見えるか? 伝統ある検死官の任を押し付けられた元捜査官さ」


 ランスター公国では伝統的に検死は検死官が行うことになっている。しかしこの国の検死官の役割は現場の死体の保全に、安置所までの移送くらいにしか役立てられていない。

 更に言えば、多くが法病理学の訓練を受けたものではなく、そういった専科の素人が任に付くことが多かった。また、検死官は組織の中の窓際と呼ばれていたりもする。


 そういった理由があって、ボリックは自虐気味に言うのだ。

 それにマルゴットは眉を顰めた。

「医学の見地がなくとも、やるべきことはやるべきだ」

 少女からそんなことを言われるのは想定外だったのだろう。ボリックは目を見開いて言った。

「ああ、当然だ。素人なりにも仕事はしてある。聞きたいことがあるなら、聞いてくれ。見たほうが早いかもだけれど」


 そう言うとマルゴットは被せられた布切れを取り払った。「死体の状況は?」彼女は尋ねた。

 ボリックは死体の近くに屈みこんで、頭部の部分を指差した。

「ご覧の通りさ。頭を何度も殴打されている。頭蓋と顎が砕かれ、眼窩に嵌った右目玉は潰れている。鼻も酷いぞ。頭部以外は無傷だ。頭部にだけ外傷が見られる」

 ボリックの言った通り、死体の状況は酷いものだった。口はだらりと開き、右目の眼窩周辺が陥没している。

 これが岩の様な顔をしたバリア・ダットネルとは思えなかった。見慣れない惨殺死体に湧き上がる吐き気を俺は抑えた。


「他の場所で殺されたとは考えられないかい?」

 マルゴットのその質問にボリックは首を振った。

「ここまでに血のあとが無いから、それはないだろう。別の場所で窒息させたと考えたとしても、顔に赤い染みが出来てないから、それもなしだな」

 そう言われて、マルゴットは鼻先まで死体の顔面に顔を近づけて、嘗め回すようにじっくりと見た。


「抵抗した様子は?」

「爪の間からは何も。無抵抗で殺されたというよりも、最初の一、二発でノックアウトだったんだろう」

 マルゴットはボリックの話を聞きながら、死体を眺めていた。

 彼女はあることに気付いたようだ。

「左側頭部に傷がある」

 それにボリックは頷いた。

「ああ、三回だ。三回、側頭部を殴打されている」


「素手でこれらの傷を作ることが出来ると思うかい?」

 そのマルゴットの質問に、ボリックは肯定的だった。

「酔っ払いが因縁つけて別の酔っ払いの頭蓋を素手でかち割ったていう事件に遭遇したことがある。それに素手で殴り殺すなんて珍しい話じゃないだろう?」

 酔っ払いの喧嘩にはけが人は付き物だった。鼻の骨に、肋骨、腕の骨を折った――、素手は原始的でもっとも身近な凶器の一つだとも言える。

 それに彼女は頷きながら言った。

「まあ、確かにね……」

 そう言ってマルゴットは死体から顔を離した。


「これで終わりか? そろそろ死体を移動させないといけないんだが……」

 窺うようにボリックが言うと、マルゴットは笑みを浮かべて彼に言う。

「ああ、ありがとう。君、きちんと仕事してるじゃないか」

 その言葉を聞いて嬉しそうに男は頬を掻いた。

「お褒め頂き光栄だよ。まあ、上はそうは思ってくれていない。そして、上がこの役職を重要と気付いたときは、俺が首になるときだな」

 そう力なく笑った次の瞬間に、ボリックは顔を引き締めて言う。

「じゃあな、お嬢さん。シーヴィスを頼むよ。こいつ本当に馬鹿だから」

「うるせえな!」俺は今まで黙っていたが、馬鹿と言われたら、言い返さねば気がすまない。

 それを見てボリックは少し出た腹を抱えて笑った。

 俺はそんなボリックを無視して、本館の中へと戻る。その後を追う様にして、マルゴットも付いてきた。

「君は彼と仲が良いのかい?」マルゴットは興味深そうに俺を見た。

 俺はそれに苦虫を噛み潰したような顔で答えた。

「まあな、同じ爪弾き者同士だからな……」

 元捜査官のボリックは一度の失敗で検死官に追いやられたという。俺はブロック警部の陰謀だと踏んでいるが、想像の域を出ないので誰にもその考えを明かしたことは無かった。

「いろいろあるのだね」

 いろいろあるんだよ――そう言おうかとも思ったが止めにする。今はリカルドを助けることに専念せねばならない。


 マルゴットは俺を見ながら、ふいに不敵に笑った。

「お次は、事情聴取といこうか、君」

 久しぶりの、級友たちとの再会である。

 俺は顔を顰めて、溜息を吐いた。

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