3.魔女と人狼

「人狼なんて、君の渾名は小洒落ているね」

 銀髪の長髪を肩から下げる少女は俺を見てそう言った。本当に洒落ていると思っているのだろう、蟠りのない笑みを俺に向けていた。

 けれども俺はそれに納得はいかない。

 「俺は認めていない」仏頂面でそう言うと、彼女も少しの間、口を閉じた。


 俺は事情聴取の真っ最中だった。しかし目の前の少女が誉あるランス市警の警部ではない。

 ランス市警の警部――ブロック警部とは昨日の夜から明け方までずっと顔を合わせて事情聴取をした。聴取といっても、現場を見れば俺が犯人なのは自明のようなので、俺が犯人ありきで話が進む。俺が本当のことを話しているのに、首を絞められた件は捜査を混乱させようとしているとして叱られた。


 このまま俺は犯人になって、絞首台の上に立たされるのだろう――そんなことを考えている折に、警部の部下であるシーヴィス・リップヴァンが重要参考として目の前の少女を連れてきたのだ。


 彼女の何が重要参考人かと問われれば、友人は顔に汗を浮かべながら、魔術の専門家ですと答えていた。魔術の専門家がどうして殺人事件の重要参考人になるのか、疑問だったが、警部はそれを良しとした。

 警部としてはシーヴィスが失敗でもしてくれたほうが面白いのだろう。リップヴァン家といえども、公的機関の捜査に対して不備を働いたとあれば、免職にできるのかもしれないのだから……。


 そんな裏の事情を垣間見ながら、俺はシーヴィスが連れてきた少女――マルゴット・マリーに昨晩の出来事を話していたのだ。

「これが昨日、俺の身に起きた出来事だ」

 俺はバリアを殺していない――。けれどもあの血塗れの両手と、過去の出来事が、俺を犯人だと言って嗤っていた。

「どうして君は人狼なんて呼ばれたんだい?」

 少女は大きな瞳をくりくりさせながら首を捻った。

 今、そこが重要なことなのか? 俺はそのことを顔に出す。俺は顔を酷く歪ませた。

「そんな顔をしなくてもいいじゃないか……」そう言って少女は小さな頬を膨らませて、唇を尖らせた。

 俺は溜息を吐いて、彼女に言う。

「バリアを殴っている姿が、狼男にでも見えたんじゃないか?」

「人々の目には君が毛むくじゃらに見えたっていうのかい?」彼女は俺の顔をまじまじと見ながら言う。


「ものの例えだろ」俺は不快感を露にする。ただでさえ掘り返されたくないことなのに、状況が状況なのだから俺の心中は穏やかでいられない。

「ものの例えなら、初めにその言葉を口にした人間は、君を侮蔑した訳ではないのだろう」

「はあ?」と俺は少女に向かって言った。少女は翡翠色の瞳を静かに輝かせている。

 人狼という言葉が侮蔑以外の何だというのか――。

 先ほどから俺は顔を厳めてばかりいる。

「その人間は素直な感想を述べたわけだ。君の豹変ぶりにね」

 銀髪の少女は翡翠色の瞳をきらりと輝かせて、饒舌に語る。


 「人狼を端的に言えば、普段なら考えられない変貌を遂げた人間、ということになる。中世では狂犬病患者や精神疾患を抱える患者など、以前と性格が著しく変化し、凶暴になったものを人狼と呼んでいたわけだ」


 急に始まった少女の薀蓄に俺は閉口する。

 それは部屋の中に居た者たちも同様だった。ブロック警部にシーヴィス。俺を監視する巡査。皆が彼女の言葉に首を傾げた。

 それでも、彼女は漂う空気を知らん振りして楽しそうにお喋りをした。

「中世ではそんな彼らは魔女とされて火刑に処されたわけだけれど、今の時代はそうじゃない」


「絞首台だ」割って入るように俺は吐き捨てた。目の前の少女は俺に何が言いたいのか――。

 俺の言葉に心外だと、少女は首を振った。

「君が絞首台に連れて行かれるのは人狼だからではない。バリアを殺した犯人とされたからだ」

 俺は少女を睨んだ。「俺にとってはどちらも同じだ。俺はやってない」目の前の彼女に言っても仕様がないのにと内心で悪態を吐く。

 しかし目の前の少女は平然とそれに答えた。

「それを客観的且つ論理的に実証しなければならない。もし駄目だったとしても、私を恨まないでくれ」


 恨みはしないだろう。なぜなら、目の前の少女に何が出来るというのだろう。風変わりな少女であることは見て取れる。けれども、変わり者の少女が俺を無罪と証明できるのか?

 神様に祈りを捧げた方がましだと俺は思った。シーヴィスがなぜ彼女を連れてきたのか、俺には理解できなかった。


「人狼といえば、こんな話もある。人狼症候群リカントロピアなる病が存在するのは知っているかい?」徐に少女が言った。

 あまりにもゆっくりと耳に届いた声に、思わず俺は首を振って答えていた。

「これは自分が狼だと思い込む精神病の一つなんだ。この疾病で人間は夜を歩き、獣と交わり、生肉を貪る――なんて言われているし、実際にそういう症例があるようだ。中世の人狼の正体はこの病の罹患者だったとも言われているね」

 俺は言った。「俺がその人狼症候群リカントロピアだと?」

 それに少女は首を振る。

「いいや、君は至ってまともだ。君の話を掻い摘んでみても、君が酷い癇癪持ちだということくらいしか分からない。その癇癪のせいで、君は人狼なんて言われたのだろう」

 彼女の翡翠色の瞳が私の目を見た。その眼差しは強く、けれども寂しげに俺をあてられ、彼女ははっきりと言ったのだ。

「君は人狼じゃない」


 そう言うと、彼女は俺に命令するように口を開いた。

「手を出してくれ」

 その言葉を聞いて、俺は彼女の目の前に両手を差し出した。

 彼女はそれを小さな手でペタペタと触り、異常が無いかを確認しているようだった。念入りに押したり、抓ったりしているが、異常は無い。触らずとも、俺の両手に傷一つ無いのだから……。

 俺は彼女の行動を怪しがりながらも、抵抗は一切しなかった。

「頬の辺りが少し赤い」マルゴットがじっと俺の顔を見た。

 少女はもう十分と判断したのだろう。俺の顔から目線を外した。


「昨晩、君が着ていた物は?」少女は次にそう言った。

 だから俺は後ろに掛けられていた俺の礼服を顎で示した。

「あそこに掛けられている」

 そう言うと彼女は立ち上がり、礼服の方へと歩いた。

 黒の燕尾服には赤黒い血の滴りの痕が見て取れる。可笑しな点はそれ以外考えられなかった。


 少女はその裏表も確認するが、興味はその下に置かれていた革靴へと移っていった。

「君の靴かい? 綺麗だね。踵も削られていない」そう少女が尋ねるので俺は答えた。「新しく用意したものだからな」

 彼女は小さく頷いた。「……なるほど」


 そこで部屋の隅で俺と少女を見ていたブロック警部が声を上げた。

「それぐらいでどうだね? 魔術専門家さん」

 彼は欠けた鼻先を撫でながら、少女を睨みつける。

 少女はその眼孔を気にも留めずに、ぺこりと頭を下げた。

「うん。これくらいでいいだろう。ありがとう、警部殿」

 彼はそれに表情を緩めない。

「……占いで犯人でも当てる気か?」嫌味を多分に含んで警部は少女に言った。

 その物言いを彼女は鼻で笑った。

「生憎、私は魔術の専門家だけれど、魔術師じゃない。もちろん、犯人は自分の頭を振り絞って考え出すさ」

 それに警部は青筋を立てる。「遊びじゃないんだぞ」

 少女は何度も何度も頷いて見せた。

「私が小娘だから、あなたはそう見えるのだろうけれど、私は真剣そのものさ。そうだ、警部殿、中庭に血に濡れた布切れかなんかを探した方が良い」

 血に塗れた布切れ。その彼女の提言に警部は顔をくしゃりと歪ませる。

「なんだと?」

 それに彼女は言葉を続けた。


「それが見つからなければ、彼は白だよ」


 その発言の意味が分からなかったのか、警部は首を傾げる。隣に立つシーヴィスも分かっていないのだろう。疑問符が顔から噴出していた。

 もちろん、俺にも意味が分からない。

 少女は頭を混乱させる俺に、説明も無く頭を下げた。

「私の話に付き合ってくれてありがとう。私はこれから、君が犯人じゃないことを証明するために働かなくちゃいけないからね。これで失礼するよ」

 今の発言はなんだったのか……、その解説も無いまま、マルゴット・マリーという少女は部屋を出て行ってしまった。


 俺はシーヴィスを見た。彼も顔を顰めている。それがどうにも面白く思えたのだが、笑う気にはなれなかった。

 シーヴィスが俺を見た。待っていろ――そう言っているように見えたのには、あまりにも都合が良すぎると俺は思った。

 俺は縋っているのだろう。彼に、そして彼女に。

 俺は暫くの間、待つことに決めた。

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