4-2.魔女と無能者

「じ、事情聴取? は、犯人はリカルドじゃないのかい?」

 おどおどとした様子のシルド・ダットネルの印象は、昔と変わらず、挙動不審で自信の欠片も感じない。

「あらゆる可能性を模索して、調査するのが捜査の基本だ。別に、警部に語ったことをもう一度話してくれればいいだけだ」

「で、でも、シーヴィス――」


「刑事だ」と俺は自分の名を呼ぶ友を諌めた。これは仕事だ。私情は挟まない。まあ、隣にいるマルゴットは私情ゆえに居てくれるのだが、気にしない。リカルドは別だ。

「刑事、さん。り、リカルド以外考えられない。ぼ、僕は見たんだ。彼が兄さんに、お、覆いかぶさっているのを……」

 そう言うとシルドは顔を青くさせて、瞳を左右上下に回した。


「落ち着け、シルド……」

「彼はいつも、この調子なのかい?」マルゴットは俺に尋ねた。訝しげに目を細らせる彼女に俺は頷いた。

「シルドは何時もこんな感じだ。おどおどきょどきょど。素振りから裏を取ろうとするなよ」

「ならば早く喋らせてくれ」

 マルゴットは不愉快そうにシルドを見ていた。


「シルド。もう一度聞く。事件当日、何をしていたんだ? 警部に語ってくれたことを話してくれ」

 シルドは言葉に窮して、室内のあちらこちらを見る。そこでマルゴットと目が合ってしまったのかもしれない。彼は肩を竦めて、小さく語り始めた。


 ■ シルド・ダットネルの証言


 僕はずっと会場に居たよ。それを証明してくれるのはジョンだ。ジョン・スタンリードゥー。た、ただ、彼は少しの間、お手洗いに行っていた時間があったから、か、完璧にとまではいかないけれど……。


 え、えと、僕が兄とリカルドをみ、見つけるまでの話もだよね。僕は、ジョンがあ、兄が居ないと声を挙げたとき、何となく中庭に向かったんだ。み、皆が、し、室内を探すものだからね。も、しかすると兄は、た、だ外に出てのぼせた頭を、ひ、冷やしていたのかもと思ったのも、理由の一つさ。


 それで、僕は見つけたんだ。ただ、最初は暗がりで良く分からなかった。な、何かとても大きな黒い塊があると思ったんだ。それで近づいてよく見ていると、あ、頭から血を流している兄と、それに覆いかぶさるようにして倒れこんでいる、り、リカルドだって、気付いた。ふ、二人とも、血塗れだった……。


 真っ先に悲鳴を上げたよ。そ、そして誰かって叫んだ。

 ぼ、僕はその時、必死になって兄からリカルドを引き離そうとしたんだけれど、リカルドは重くて……。だ、だから、呼んだんだ。

 その後にカートがやって来た。ち、血塗れの二人と、僕の姿を見て、彼は急いで僕のて、手伝いをしてくれた。


 ふ、噴水の方にリカルドをやって、僕はずっと、兄の側にいた。あ、あの、惨状。おお、思い出しただけで、うぅっ――。


 大丈夫、大丈夫。か、カートの後には、ユリアンがやってきて、ぞろぞろと人が集り出すと、最後にジョンがやって来た。

 警察への通報は、バトロがやってくれた。

 これが、警部さんにお話したことだ。も、もう、いいかな?


 ■


「ああ、ありがとう、シルド。他に言い残したことは?」

 俺がそう尋ねると、シルドは首を振った。

「いいや、ぼ、僕からは何も……」

 そこでマルゴットが口を開いた。彼女はじっとシルドを見つめて言う。


「私から聞きたいことが幾つか。リカルド・クラレッドの燕尾服の背面は泥で汚れていなかったかい?」

 その質問を聞いて、シルドは顔を顰めさせて思い出そうとした。けれどすぐに項垂れてしまう。

「いいや、よ、汚れていなかったかな。く、暗闇だけれど、黒色の礼服の汚れぐらいは分かるよ」

「それは前面も?」とマルゴットは追い討ちを掛ける。

 それにはシルドは首を捻った。

「前面までは……。ち、血では汚れていたかな? あ、あの、それが何か?」

 そのシルドの質問にマルゴットは鼻で笑う。

「気にしなくていいよ。汚れていないのなら、問題ない。あと、足跡は見たかい?」

「い、いや……。そもそも暗闇だったからね。あ、灯りは本館の電灯くらいで、良く見えなかったかな……」


「リカルドがバリア・ダットネルを殺す理由に心当たりは?」

 シルドは暫く考えた後に、静かにこう言った。

「……、怨恨かな? 昔、二人は喧嘩して、そ、それで……。で、でも、一番は、兄さんがな、何か不味いことを言って、怒らせたんじゃ、ないかな? 怒ると、り、リカルドは怖いから……」


 そのシルドの発言に俺はキッとシルドを睨み付けそうになったが、抑える。

 ふと、マルゴットを見ると、彼女はベッドの上に脱いで置かれている燕尾服とスラックスを眺めていた。そのスラックスに興味があるのか、お尻辺りについた土ぼこりを凝視している。

 マルゴットはうむぅ――と唸ったあと、口を開いた。

「ありがとう。私からは以上だ」そう言って彼女が席を立つので、俺はシルドに礼を言って、部屋から出て行った。


 ●


 俺とマルゴットはカートが滞在している部屋に向かった。

 ノックの後に部屋の中に入ると、目元まで前髪を伸ばした男がそこにいた。雰囲気が変わったなと俺は口にしない。カートとは分かるからだ。

「よお、シーヴィス。お前が刑事とはなあ」と気さくに声を掛けるので、俺はムッとして威厳を保とうとする。

「そうだ、刑事だ。だから今から、お前を事情聴取する」

 キッパリと言って見せるが、カートは気にしない。俺の隣に立つマルゴットが気になるようだ。

「そこの淑女がしてくれるのかい?」

 顔をニヤつかせながらカートは言う。真面目によった色欲男というのが俺のカートに対する人物評だ。

 マルゴットはカートに対して興味なさそうにしている。

「まあ、話が終われば幾つか質問させてもらうよ」

 それを聞いてカートは微笑んだ。

「お手柔らかに頼むよ」

 そしてカートは事件当日の話をしてくれた。


 ■ カート・ライトの証言


 俺は事件当日、ずっと会場に居たぜ。それを保障してくれるのは会場の婦女子方にユリアンがいる。ユリアンと一緒に片端から声を掛けて回っていた。ユリアンと一緒だと良く女が釣れる。家柄のお陰か、あいつの小気味良い軽口のお陰か……。


 家柄に関しちゃあ、俺の嫉妬かな。俺は庶民代表だ。家柄は高貴じゃない。時計職人と機織の息子さ。正直、俺がこの場にいるのは不似合いなんだが、シルドやユリアンはそれを気にしなかった。バリアには時々馬鹿にもされたが、今じゃあいつも立派な――……ああ、すまない。話が逸れてた。


 続きだな。確か、あのいけ好かないジョンって奴が、バリアが居ないと言ったんだ。それに取り合ったのは給仕のバトロさんだ。彼はバリアがお手洗いに行っているといったが、ジョンはお手洗いには居なかったぞと言って返した。困り顔のバトロさんを見かねて、ユリアンが皆でバリアを探そうと言った。俺は一階の部屋を片っ端から当たっていたよ。みんなが皆、大声でバリアー、バリアーって呼んでいた。それでも返事なしだ。


 でその時だ。悲鳴が聞えてきた。甲高いが、確かに男の声だと分かった。そして次に声が聞こえてきた。誰か、来てくれーって。

 声を聞いた瞬間にシルドだと分かった。俺は急いで声のした方に走った。中庭の噴水の側にシルドが居て、リカルドを持ち上げようとしていた。


 夜で見え難かったが、リカルドは血塗れで、バリアは頭から血を流して倒れていることが、近づいて分かった。俺はそれに気付くと、すぐにシルドを手伝ったよ。

 俺とシルドはあいつを噴水の側まで持ち上げて運んだ。それが済むとバリアの様子を確認したが、そのときには死んでいた。顔面を砕かれて、血で真っ赤に染まってな。


 その後に皆が集ってきた。泣き出すものも居たはずだ。通報はバトロさんがしてくれたらしい。

 リカルドを揺り起こしたのはユリアンだ。あいつは何度もリカルドに問いかけていた。お前がやったのかって。


 俺も信じられないが、状況が状況だしな……。

 俺からはこれくらいだ。


 ■


「ありがとよ。他に何か気になったことはないか?」証言を終えたカートに俺は尋ねる。

 カートは難しく皺を作った後に、一言こう呟いた。

「思いつかないな」

 それを聞けば、俺からは何も言うことは無い。あとはマルゴットの手番だ。

 彼女はカートの瞳を見た。カートもまた、じっとマルゴットの目を見る。


「私から聞きたいことが。まず、リカルド君の礼服は汚れていたかな?」

 カートは首を捻った。眉間に皺を寄せて、記憶を遡っているのだろう。

「礼服か? 特に気になる汚れはなかったぞ。血に塗れるよりも気を取られることがあればの話だが」

「そうか。次に、足跡についてはどうかな? 同じ足跡が往復しているだとか、引き摺った後が見えるだとか、何か思い当たることは?」

 それには直ぐに首を横に振った。

「いいや、ないな。夜だから気付かなかったのかもしれない。すまない、力になれなくて……」

 カートはそう眉を下げるが、マルゴットは小さく笑った。

「気にしなくていいよ。では、リカルド・クラレッドは確かに気絶をしていたのかい?」

 その言葉にカートは強く肯定して見せた。

「あいつは役者じゃないぜ。それにあいつを抱えたときの重みは、間違いなく意識を失った人間の重さだった。その質問だったらユリアンにもすればいい。あいつも間違いなく、同じことを言うはずだ」


「最後に、リカルドがバリアを殺した理由に心当たりはあるかい?」

 カートはゆっくりと首を振る。彼はマルゴットの目を見て、神様に告白するような真剣な表情を浮かべて、言った。


「心当たりは無い。リカルドは遺恨を嫌うから、相手を恨むことを止める。まあ、あの時はあいつがやり過ぎたんだが……。今回も、昔と同じようなことが起きたと言ってる奴も居るが、俺はそうは思えない。あいつも昔のままじゃないからな。ああ、つまり動機は分からない、だ」


 真面目に寄るから、カート・ライトという男は煙たがられることも嫌われることも無い。こいつは友人を何より大切にしていた。


 その言葉を聞いたマルゴットは優しげに笑う。

「貴重な意見をありがとう」そう言ってマルゴットは席を立ち、俺たちはカートの部屋を出た。


 ●


 カートの聴取を終えた俺とマルゴットは、ジョン・スタンリードゥーという男の部屋を訪ねた。

 彼はバリアの不在を騒ぎ立てた張本人とも言え、重要参考人の一人と呼べるだろう。

 ジョンは爽やかな微笑を称えて、俺に言う。

「お初にお目に掛かります。ジョン・スタンリードゥーです。シルドからお話は聞いています。リップヴァン家なのに刑事になられたとか」

 その物言いには何か引っ掛かるところがあるが、俺は気にも留めずに愛想を浮かべた。

「シーヴィスだ。シルドの友人か? 寄宿学校では見かけたことがないな……」

「シルドと交友を深めたのは、卒業してからですので」

 そういってジョンは口元をニヤリとさせて不敵に笑った。

 つかめない奴――なんて人物評は後回しにして、俺は彼から事件当日のことを聞く。

 「お役に立てるのなら、私はなんだって話しますよ」

 

 ■ ジョン・スタンリードゥーの証言


 私は事件のあった時間、大体会場の方に居ましたよ。シルドがそれを証明してくれるはずです。ですが、途中でお手洗いに抜けてしまったので完全なアリバイの証明は出来ませんがね。


 私がお手洗いに戻ると、ふとバリアが居ないことに気付いたのです。だって、バリアは白いタキシードと派手な格好をしていましたからね。

 そんな華美を着衣する彼は主賓だ。主賓が居ないとなるとその行方が気になってしまう。なので給仕に方にお話を窺ったのですよ。すると彼はお手洗いに行っていると言った。


 しかしそれは可笑しい。なぜなら私はつい先ほどまでお手洗いに行っていたのですから、彼と鉢合わせするのが道理のはずだ。けれど道理でなかった。彼はお手洗いに居なかったのですからね。


 私がそれを伝えると、給仕は答えを窮しました。彼自身も何処に言ったか見当がつかなったのでしょう。そんな折に、ユリアン・クラレッドがバリアを探してみようと言ってくれたのです。


 その言葉でほとんどの者が会場を出ました。

 私は逆にバルコニーを見ようと思ったのです。もしかすると、バルコニーで冬の風に当たっているだけなのかもしれませんので。

 私は蝋燭を片手にバルコニーに出ました。まあ、そこには彼の姿はありませんでしたけどね。


 ただ、中庭の方で黒い影が動いたのを見た気がしたのです。その影は噴水の裏の方まで回ると、甲高い叫び声を挙げました。そして誰か、来てくれーと言ったはずです。


 その声は間違いなく、シルドのものでした。私は蝋燭を置いて中へと戻り、そのまま中庭へと走っていきました。


 リカルドはすでに噴水に背を預け、ユリアンに揺り起こされている最中でした。確か、現場に到着したのは私が最後のはずです。戻っていくものも、見ていません。

 私にお話できることはこのくらいでしょうか?


 ■


 「君の証言は、バルコニーにあった蝋燭を見ると本当のようだね」

  マルゴットが詰まらなそうにジョンに言う。

  あの蝋燭はジョンが立てたものらしい。先ほどのマルゴットの言う通り、その目的には蝋燭の火は非力だったようだ。

  ジョンはと言うとマルゴットの様子に少し困惑していた。

 「まだ、片付けられていなかったのですね」

 「兎に角、証言をありがとう」俺はジョンに言った。


  するとマルゴットが口を挿む。「私の質問がまだだ」そう言って彼女は頬を膨らませた。

 「どうぞ」とジョンはその様子に苦笑いを浮かべる。


 「まず、バルコニーからバリアの死体と倒れたリカルドは確認できたかい?」

 「いいえ。動くものなら何となくは分かりますが、じっとされると茂みか岩かと勘違いしてしまうでしょう。夜も更けていましたし」ジョンは首を振りながら言った。

  マルゴットは質問を続ける。


 「君は足跡を確認したかい? 引き摺った後や、何度も往復している同じ足跡なんか、見覚えはないだろうか?」

  ジョンは首を捻ってうーむと唸る。

 「暗がりに足元を確認することは当然ですが、足跡を気にしたことはありませんでした。急いでいましたから」


 「君とバリア・ダットネルとの関係は?」

 「昨日、シルドに紹介してもらったくらいで、付き合いはありませんでした」

  ジョンはそうあっさりと答えた。

  それにマルゴットはこくりと頷く。


 「なるほど、私からは以上だ」そう言ってマルゴットは席を立った。

 「ありがとう。協力に感謝する」俺はジョンに礼をすると、彼はニッコリと微笑んで見せた。

 「いいえ、力になれたのなら、幸いです」

  その言葉を聞いて、俺はジョンの部屋から出て行った。

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