その是非

 マリーは生徒に教える先生の様に、教鞭を振るった。

「昔――キリストが死ぬ前よりも昔、妖術師は邪眼を持って一睨みで人々を殺したという話がある。また偶像を燃やしたり、串刺しにしたりして人々を離れた場所から殺すことが出来たとも言われた。手を下さずに、儀式的遣り取りを通じて生命を死に至らしめることが出来たんだ。だから古代において妖術師は畏れられていた」


 パルプ誌にでも載っていそうな信憑性もない話をされても、何も響いてこない。

「そんなの全て作り話だろう」と私はバッサリと切り捨てる。

 けれどもマリーは首を横に振った。


「そうとも言い切れない。現に今回の事件だって、時代が時代なら妖術の類で殺されたと思われても仕方が無い。なんせ犯人は離れた場所から儀式的遣り取りで被害者を殺したのだから」

 その言葉に俺は驚きを隠せなかった。

「男の話を信じるのか?」

 しかしその言葉も、首を振って否定された。


「そうとは言っていない。私も彼が妖術で殺したなんて思ってないよ。でも大昔の人々は違う。自然と信仰がもっと身近な存在であり、世界の全てが超自然的存在に支配されていると考えていた人々だ。そんな彼らが超自然的力を用いて、死に至らしめているように見える妖術を信じても仕方が無い」


 何か引っ掛かる物言いだなと俺は顔を顰めた。

「歯切れの悪い言い方だな」

 その直ぐ後にノアが嬉しそうに声を挙げた。

「私、分かりました! つまり、妖術師は超自然的力を使って人を殺しているように見せかけていたってことですよね?」

 妹のその答えにマリーは満足した様子で、笑みを浮かべた。

「ノア君は筋が良いな。君も見習いたまえよ、弟子一号」

「弟子って呼ぶな」と俺は零す。


「話の続きを。私の言いたいことはズバリ、ノア君に言ってくれたことそのままだ。つまり妖術の成立は客観的認識に基づくものではなく、主観的認識に基づくものということだ。人々が主観的に見て、それを妖術と認識すれば、妖術は存在し得るという話さ。その実、実行犯は別にいたり、毒物で殺したりしていたとしても――」


 確かに、偶像を燃やしたら、標的の住居に火でも放って焼殺すればいい話であるし、串刺しにすれば刺客を放って刺殺を狙えばいい――そう考えると逆に納得できない。

「詐欺じゃないか」と俺は言ってみせる。

 それを聞いてマリーは子供っぽく笑った。

「人が超自然的力を使える訳ないだろう。それが可能なら、先の大戦もあんな酷いことにはなりはしなかったはずだ」

 元も子もない言葉に俺は口をへの字に曲げた。

 そこでノアが口を開いた。


「あの、今までの話と、今回の事件は何か繋がりがあるのでしょうか?」

 その言葉にマリーは頷いた。繋がりが無ければ今までの会話は全て茶番ということになってしまうので俺は安心する。

 そしてマリーは口を開いた。


「妖術の成立が主観的認識に基づくものだと言っただろう? それは何も対象者やそれを見ていたものだけでなく、術者にも当て嵌まることなんだ」

「つまり……、どういうことだ?」と俺は首を捻る。


「つまり、自首してきた男は妖術を使って殺したと思い込んでいるだけなのだよ。ペンシル家での次男が亡くなったのは自分の妖術のせいだと」


 マリーが言いたいのは、全て男の妄想――ということだった。

 それはそうだ。妖術なんてあるわけない。

「なら男の話を真に受ける必要は無いわけだ。病死と片付けて良いのか?」

 しかし俺の言葉にマリーは顔を歪めた。


「いいや、病死と判断するのはまだ早い。男が学校にも通えず、字も読めなかったということは確かなのか?」

 俺はこくりと頷いた。男の詳細もオルカとベルカが伝えてくれていた。

「男は子供のころから農場で家畜の世話をしていて、学校には通えなかったそうだ。文字は簡単なものは読めるらしいが、書物を最初から読むほどの識字には至ってない」

 その言葉を聞いてマリーは益々顔を難しく歪ませた。

「妙だな……」と彼女は呟く。

 そして二、三度唸った挙句に、彼女はこう言った。


「犯人がいるとしたら、それは男に妖術を教えた人物かもしれない」


「教えた人、ですか?」とノアは言った。

 俺も疑問符を浮かべる。今までの話で男が妖術を習ったと何処で推理できるのか分からなかったからだ。

 俺たちの様子には無頓着で、マリーは顎に手を当てて言った。


「彼は字が読めない。そんな男が自力で人を呪い殺す妖術を取得できるとは思えない。呪詛を唱えたとも言っていただろう。それに彼が用いた妖術の方法は少し特殊だ。なぜなら、彼は対象者を象った偶像の他に、自分の爪や髪の毛を使っているのだから」

 それが特殊だと言われても、俺もノアもなるほどとは思えなかった。まるで妖術のことなんて知らないのだから。

 それに俺は以前、マリーから髪の毛を使う呪術の話を少しだけ聞いたことがある。


「自分の爪や髪の毛を使うことが特殊なのか? 髪の毛一本でもあれば人を呪う事も出来ると言っていなかった?」

 俺の髪の毛を引き抜いて嬉々として語っていた少女を思い出してしまい、げんなりする。

 マリーは俺の言葉に頷いて見せた。


「そんな話をしたかもしれないが、それは対象者の物を使った場合のことだ。自分のものは使わない。それが可能なら、妖術師は毛根尽きるまで人を殺すことが出来ただろう。古代の人々は散髪した髪の毛や切った後の爪の処理を十分すぎるほど行っていた。誰かの手にそれが渡って、呪われないためにね」


 つまり自分の髪の毛や爪は妖術に用いるものでなく、用いられないように守るものということらしい。

 ならばと俺はこう言った。

「男が用いた妖術は有り得ないものなのか?」

 それにマリーは「いいや」と言って否定した。


「有り得なくはない。妖術の対象者を定めるために、偶像が用いられている。では彼が使った自分の爪や髪の毛は何のためのものか? そう考えたとき、それは偶像を燃やすための火であり、刺すための針であると言えるだろう」


 その言葉を聞いて、合点がいったようにノアが言う。

「ご自分の爪や髪の毛を武器にしたのですね」

 マリーはノアを見ながら、満足そうに笑みを浮かべる。


「そうだ。爪や髪の毛は身体から切り離されると、途端に魔のものの棲家になると信じられてきた。正しく処理をしなければ、魔のものに脅かされるとね。男の使った妖術はこの解釈から出来たものかもしれない。つまり、魔のものの棲家を偶像の中に埋め込むことで、対象者の体内に魔のものの影響を及ぼすというものだ」


 そこで俺は、髪の毛や爪が偶像の腹の辺りに埋め込まれていたことを思い出した。

「食べ物を吐き、吐血もしていた状況と符合しそうだな」

 けれどとマリーは眉間に皺を作る。

「教養の無い男がそれを発想したとはとても思えない。彼に妖術を吹き込んだものが居ると思う方が納得できる」


 なるほど。なら、俺が伝えるべきことははっきりしたみたいだ。

「シーヴィスには、男が誰から妖術を教わったか聞くように伝えておくよ」

 そう言うとマリーは小さくこくりと頷いた。


 一件落着とまではいかないが、事件は幾分か進展するだろう。少なくとも男が犯人でないと分かったのだから、死因は病死としても後味は悪くないわけだ。

 けれどもマリーの翡翠色の瞳の輝きは、まだ失われていなかった。

 彼女はまだ、考えていた。


 マリーは静かに口を開いた。

「私の想像なのだけれどね。犯人はもしかすると、次男を看ていた医者かもしれない」

 突然の言葉に俺は目を点にする。


「それはなぜですか?」とノアがいち早く尋ねていた。

 彼女は難しい顔を一切緩めずに言葉を紡ぐ。

「その医者が薬を処方していたわけだろう。彼は薬ではなく、毒物を飲ませていたとしたら?」

 それを言ってしまえば、誰だって犯人になってしまう。俺は彼女の想像と留意しながらも、こう言わずにはいられなかった。


「根拠はあるのか?」


 それに彼女は首を振る。根拠なし――ならばここで終わる話なのだが、不思議と俺は彼女の言葉に耳を貸していた。


「根拠は無いが、毒物を飲ませることが出来るのはその人物しか居ないと思ってね。内臓系を破壊するのなら、毒物の経口摂取が手っ取り早いし」

 痛み止めの飲み薬を思い出す。確かに医者は経口摂取するものを次男に処方している。

「仮に毒殺だとして、毒物は何を使ったんだ?」

 遅効性の毒といえども、一ヶ月もの時間を掛けて蝕む毒物なんて聞いたことが無かった。


「オルカ君とベルカ君が私にくれたあの草本はウルベスで見つけたものだろう?」

 マリーは質問に質問を返していた。一度で答えが返ってきて欲しいものだが、俺は素直に彼女に質問に答える。

「そうだ。ウルベス周辺になっていたものを二人が摘んで、それを俺が受け取りお前に渡した。まさか――」

 答えているうちに、なんとなくマリーが言いたいことが分かった。

 その予想通りの答えをマリーは言った。

「あれが毒物だよ」


 マリーがどうしてあれに興味を示していたのか、理由が分かった。毒草を持っていれば誰だって気になるものだ。無駄に博識な彼女のことだから、あの草は何かの魔術的儀式に使うことの出来るものなのかもしれない。

 しかしそれが本当だとすると、ウルベスでは誰でも簡単に毒を手に入れられるということになってしまう。俺はそれに顔を歪めて、彼女に言う。

「あそこ周辺は毒物の宝庫と言うのか?」

 安心し給えと彼女は優しく微笑んだ。


「何も手を加えなければただの禍々しい草本さ。でもあの草本に成る実がアルコール抽出を経ると、忽ち毒物に変わる。けれどもその処理をしたとしても粗毒で、致死量を得るのは難しい。少し体調を悪くさせるくらいで、滅多に死に至らる毒にはならない。腹痛、下痢や吐き気、痺れ、この軽い症状が出るだけだ」


 軽い症状――そうは言っても、マリーの話によればその粗毒をペンシル家の次男は一ヶ月も飲み続けたわけだ。

「長く飲ませ続ければ、あるいは――」

 そこまで言って俺は口を噤んでしまった。信頼すべき医者から毒物を盛られ続けたという想像に俺は顔を青くさせてしまったのだ。それが想像に終わらなければ、一体何を信じればいい?

 マリーは噤んでしまった俺の言葉を、代わりに継いだ。うろたえる俺を幾分か宥めようとして、彼女は語気を少し明るくさせた。


「その通り。でも、普通は自分の身に起こっている異常に気が付く。そうじゃなくても医者が気付く。でも気付かなかった。それは何故か? 医者が飲ませていたからだ」


 隣で聞いていたノアは、ひゃ――と小さく悲鳴を挙げる。

 一応、俺はマリーに念を押しておく。

「でも、お前の想像なんだろう?」

 こくりと愉快そうに彼女は頷いた。まるで怪談話に成功したみたいに、表情を輝かせている。

「うん。だから今の話はシーヴィス君にしなくて構わないよ。君は男が誰から妖術を教わったか聞いてもらうように言ってくれ。それで誰も居ない様なら、病死で片付ければいい」


 俺はそう言われると首を縦に振って了承した。

 根拠のない部分は伝えるな――それが彼女の信条であり、捜査に対して素人であるマリーの現場に対する気遣いなのだろう。余計な混乱を招く発言を彼女は慎んでいた。

「分かった。伝えるよ」


 そう言って事件の話は終わり。ぐるりと思考を切り替える。

 後は汚れた部屋を片付けてやるだけだった。

 それにはノアも手伝ってくれた。我が妹は器量も良く働き者で素晴らしい。目に入れても痛くない。

 一方、家主のマリーは手伝わない。ベッドの上に寝転がって、近くにある書物を読み耽る。この女は一体、今までどのようにして生きていたのか――俺の疑問は尽きなかった。

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