呪殺


 マリーは白のキャミソールにクリーム色をしたドロワを着せられていた。

 着慣れていないのか、もじもじしながらベッドから動こうとはしなかった。

「良くお似合いですよ、マルゴット様」

 ノアは屈託なく彼女にそう言うが、マリーはぷくっと頬を膨らませた。

「マルゴットは止してくれ、マリーがいい」

 恥かしそうに頬っぺたを紅くさせた彼女の言葉に、ノアは慈愛に満ちた表情でマリーに微笑んだ。

「それではマリー様、良くお似合いですよ」

 再びノアがそういうとマリーは枕に顔を埋めて体をクネクネさせて唸った。

 妹の率直な言葉に照れているのだろう。そういう少女らしさがあって俺は安心する。

 そこで俺はあることに気付いた。


「お前、最近体を洗ったのか?」

 その質問にムッと妹が表情をきつくした。

「お兄様、失礼ですよ」

「いや、お風呂嫌いだって言っただろ」と弁解する。

 先ほど抱きかかえたとき、彼女から悪臭が漂ってこなかった。何時もは二週間は身体を洗わないなんてことはザラなので、疑問符を浮かべる気持ちも分かって欲しい。彼女が身体を洗うときは大抵、外へ出掛けるときだった。


「まあね。さっきも言ったが、骨董市に行っていたんだ」とマリーは言う。

「ランスで骨董市なんて開かれていたか?」

「ランスではなく、ウルベスでさ」

 なるほど、ウルベスでの話か――。

 それは奇遇だった。

「なんだ、お前もウルベスに行っていたのか」

 俺がそう尋ねると、マリーも驚いたような表情を見せた。

「君もかい?」

 俺はその言葉に首を振った。

「いいや、シーヴィスが行っていたんだ」


 シーヴィス――シーヴィス・リップヴァン。大貴族リップヴァン家の末子にして、ランス市警の若き警部。どんな怪事件も彼は華麗に解決してみせると評判だった。その実、違うのだが……。


 マリーは翡翠色の瞳を綺羅と輝かせる。

「なるほど、君が何も私に草本を届けて、服を着せに来たわけで無いことが察せられたよ」

「そうだ。様子を見るついでに、シーヴィスの頼みごとも聞いてもらおうと思ってな」

 それに彼女は腕組みをして得意顔で言った。

「払うものを払ってもらえれば、お安い御用だよ」

 本当に安く済めば良いのだが、それはシーヴィスとマリーの間で話し合ってもらおう。

「そうか、シーヴィスも助かるだろう。頼みと言うのは、何時も通り事件の解決だ」

 つまり、シーヴィスは自分で事件を解決しているのではなく、マリーに頼んで解決してもらっているのだ。そしてその手柄を彼は頂いていると言う訳だ。


 兎も角、俺はシーヴィスから伝え聞いた話をマリーに話す。勿論、一言一句違わずに暗誦なんて真似はしていない。紙にまとめていたことを、彼女に語った。

 それは今から二日前の出来事だ。


 ■


 ウルベスに邸宅を構えるペンシル家の次男が、二日前の朝、ベッドの上で死んでいるのが発見された。第一発見者は二人居て、彼の母親と彼を看ていたランス大病院の医者だった。二人は次男を夜通し看病していて、朝目が覚めると、彼が亡くなっている事に気付いたんだ。


 次男は一ヶ月前から風を患い、その頃から医者に頼っていたそうだ。わざわざ部屋や食べ物も用意してね。しかし医者の診療も虚しく、日を追うごとにその症状がどんどん悪化していったそうだ。食べたものを吐き出し、咳き込むたびに血を吐いたという。医者もその症例に合うであろう薬を試したみたいだが、結局、痛み止めの飲み薬くらいしか処方出来なかった。ここまでの話を聞く限り、病死と判断するのが普通だ。しかし話は普通のままで終わらなかったのだ。


 ウルベスではその日の昼のうちに、ペンシル家の次男が病死したことが広まった。そしてその夜、ペンシル家の次男を殺したとして一人の男がウルベス市警に自首してきたんだ。


 男はウルベス郊外で牧場を営む男で人当たりの良い善良な人間だった。善良であるが故の自首。人殺しをするなんて考えられないほどの――そんな人物がなぜ次男を殺したかと言うと、以前に酷い侮蔑を受けたかららしい。学校にも通えず、字も読めないお前の人生は家畜と寝るのがお似合いだ。次男が彼を街で見つけるたびに大声で言ったそうだ。


 その侮蔑の辱めを動機に男は次男を殺した。

 しかしその方法が奇妙なもの――というよりも、到底信じられないものだった。

 男は木で次男を象った偶像を彫り、その腹の辺りに穴を開けて自分の爪や髪の毛を入れた。そして粘土でそれに蓋をして、水瓶の中に一ヶ月沈めた。そして次男が死んだという噂が流れるまで、呪詛を呟いたというものだった。


 つまり男はの類で、次男を殺したと言ったんだ。

 ウルベス市警はその話に顔を顰めたのは言うまでもない。毒物で殺したと言われた方が納得出来るというのに、妖術ときた。


 しかしウルベス市警の署長の脳裏に、ランスの方でこの手の怪事件を華麗に解決しているシーヴィス・リップヴァンの顔が掠めたらしい。そこで管轄は違えども、ランス市警からシーヴィスが応援に出ることになった。彼の部下であるオルカとベルカを連れて。


 そして一通り捜査を終えると、シーヴィスはお手上げだったので俺を介してお前に頼もうとしたのが昨日の夜の話だ。オルカとベルカが態々家まで訪ねに来てくれた。


 ■


 一通り話し終えると、先ず初めに口を開いたのはノアだった。彼女は伺い立てるようにマリーに言う。

「あの、妖術って本当に存在するのでしょうか?」

 その質問にマリーは肯定はせずとも、否定もしなかった。

「存在していたと言った方が良いのかもしれない」

「今はないのか?」と俺は言った。

 彼女は俺の質問に質問で返す。


「私が妖術を使って灰色鼠を殺したと言っても、君は信じやしないだろう?」

 それはもちろんだ。妖術なんてありはしない、というのが俺の今の考えである。

「ああ。餌のやり忘れで飢え死にさせた言い訳としか思えないな。信じられるか、信じられないかの話なのか?」

「『本当』に存在するか、しないかの話で言えばそうだ。つまりノア君は、超自然的力を行使して人に害を成すことが出来るのかと言いたいのだろう?」

「その通りです」とノアは頷いた。


 マリーは幾分か表情を引き締めて、静かに語る。

「妖術は存在していた。今はない。それは今と過去との違いにある。それは即ち、科学だよ。科学の進歩が人々の頭から迷信を追い払ったんだ。結果、妖術は『本当』に存在しえなくなった」

「誰も信じなくなったから、妖術は消えた……?」とノアは首を傾げた。

「そういう話でもないのだけれどね」とマリーは意味深に笑った。


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