第44話 鼻の頭で耐える

 俺はルナと顔を見合わせて呼吸もバッチリのタイミングで首を傾げ合う。


「なんか、3日ぶりに大きい方が快調だったみたいな流れで、冒険者引退ってダンさんが言ったような気がしたけど、聞き間違えだよな?」

「徹もそう聞こえた? 何でもいいけど、もうちょっと綺麗な例えで言って欲しいの?」


 俺の例えに眉を寄せるルナに軽い感じで謝る。


 今も笑っているダンさんに目を向ける俺は、タハハと笑いながら頭を掻き尋ね返す。


「ごめん、爺ちゃんに会ってきたばかりで色々、混乱してるみたいで聞き間違ったみたいなんだ。もう1度頼める?」

「いや、あんちゃんは聞き間違ってねぇよ? 本当に冒険者を引退すると言ったんだ」


 迷いも感じさせない静かな笑みに変わるダンさんは腰に両手を当てて、素材買い取りカウンター、ペイさんがいる方向を見つめる。


「俺はAランクと名乗ってはいるが、ここ最近、Aランクの仕事はしてない。もう俺にはそれだけの力がないと自分でも自覚出来てる」


 ダンさんは寄る年には勝てない、と何かを思い出すように遠くを見つめながら楽しそうに笑う。


 その様子を見た俺はダンさんが本気である事に気付き、ダンさんの袖を掴む。


「何もAランクの仕事をするだけがAランクの冒険者に求められた事じゃないだろ? 後進を育てる仕事だって……俺はもっとダンさんに教えて欲しい、困った時に相談したい時がきっと一杯あるはず」


 俺の言葉にルナもウンウンと頷き、両拳を握り胸元で祈るようにして目端に涙を溜める。


 そんな俺達を嬉しそうに見つめるダンさんは俺とルナの肩をバンバンと叩いてくる。


「教える事も相談も辞めてもいくらでも聞いてやるさ。そういう意味じゃ、あんちゃん達が俺が冒険者として最後に世話したヤツになりそうだな……」



 ダンさんが冒険者を辞めるのはイヤだ。


 ああ、俺の我儘だってちゃんと分かってる。


 冒険者ギルドに来たら見なれた使いこまれた皮鎧を着る後ろ姿を捜せないのは嫌なだけという子供じみた話。


 俺が冒険者として、もっと慣れたら一緒にダンさんと依頼を受けて、「あんちゃん、やるなぁ~」と褒められたり、噴水の縁で座っていじけてた、とか馬鹿にされる事をひっそりと夢想してた。



 歯を食い縛って下を向く俺に参ったな、と呟くダンさんがゆっくりとしたテンポで話しかけてくる。


「聞いてくれ、確かに、BないしCランクの仕事を続けるのなら後10年は続けられると思う。力の衰えで怖くなったという気持ちも否定しない。だけど、今回、今年で辞めると決めた理由を聞いてくれないか? 俺は、あんちゃん達に祝福して欲しいと思ってる」


 俺とルナを覗き込むようにして笑うダンさんは自分のお腹の前で弧を描くようにする。


「実はな、ペイに俺の子ができたらしい」


 目を見開いてパチクリする俺は油の切れたロボットのように買い取りカウンターの方に顔を向けると俺とダンさんが話してるのに気付いてたペイさんが少し恥ずかしそうはにかむ姿が見えた。


 ルナはあわわ、と口をパクパクさせながら顔を赤らめ、隣にいた美紅と顔を見合わせると伝染したように美紅も釣られて右往左往し始める。


「マジで!?」

「大マジだ」


 真顔で聞く俺に笑みを大きくして歯ぐきまで見える嬉しそうな笑みをダンさんが見せてくる。


 そう聞いた俺は何故か凄く疲れた気がしてしゃがみ込みたくなるが、ルナは逆に元気になり飛び跳ねる。


「ダンさん、おめでとうなの!」

「おう、ありがとうな、ルナちゃん」


 ダンさんの言葉に頷いたルナはすぐに買い取りカウンターにいるペイさんを目指して飛び出していく。


 美紅もルナを追って行くのを見送った俺はダンさんに顔を向ける。


「あんちゃんは祝ってくれないのか?」

「あ、ごめん、おめでとう、ダンさん。でも、びっくりしたよ」


 まだ驚きから戻ってきてない俺は、ああ、そうなんだ? と何度も繰り返す。


 そんな俺に忍び笑いをするダンさんが肩を竦める。


「あんちゃん、俺も親父になるには遅い年だぜ? 既に2~3人は子供がいてもいい年だ」

「そうなんだろうけど、なんとなくダンさんって独身貴族って感じがしてたからイメージできなくて」


 弱った顔をする俺に「独身貴族って何だよ?」と笑われる。


 笑いを収めたダンさんが俺に言ってくる。


「まあ、冒険者にも多少は未練はあるが、子供の為に街の仕事をしようかな? ってな。それなりに稼いでるから商売も始められるし、何より、ペイには今まで色々迷惑、心配をかけてきたからな……」


 そう言って再び、ルナ達に話しかけられて笑みを輝かすペイさんを見つめるダンさんを横で見つめる。



 ああ、無理だ。


 俺の我儘なんて介入する余地なんて1mmもないや……



 鼻がツーンとしてくるのを俺は鼻の頭の方に意識を向けて踏ん張る。


「そっか、残念だけど、それが理由なら何も言えないや。ダンさん、多分、子供が生まれるぐらいまでだろうけど、よろしくね?」

「おう、引退しても相談ならいつでも聞くから遠慮するなよ?」


 俺の肩に手を廻して首を絞めるようにするダンさんに俺は必死に笑って見せた。


 すぐじゃない、それは分かってる。だが、終わりが見えるとどうしても俺は終わりを意識してしまう。


「じゃ、ペイさんにも、おめでとうって言ってこようっと!」


 ダンさんの腕から抜けると元気良く走って行く。


 ペイさんに祝福して、色々話す内にデリカシーに欠ける事を言った俺を殴るルナの拳で涙目にされて怒られる。


 普段ならやり返すようにしてじゃれる俺達であるが俺が普通に「ごめんな?」と謝り、心でルナに感謝する。


 この状況であれば、少しぐらい涙を流してもおかしくない。


 だから、俺は笑いながら涙を流して、年の離れた兄貴分の門出を祝った。

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