第42話 選択する事

 ミランダにあの後も不意を突かれて抱きつかれる事で嫌な気絶をさせられて、まだ日が昇り始めた頃に目を覚ました俺。



 キュルルゥ



 音の発生源に目を向けると俺は腹に手を当ててため息を吐く。


「まさか、気絶して起こして貰えずに朝を迎えるとは……」


 起こしてくれなかった相棒のルナが隣のベッドで気持ち良さそうに寝ているのを怨念を送るように見つめる。


 携帯食しか食べてなかったので、正直、暖かくて美味しい物が恋しく思ってたのに、まさか夕飯を食いっぱれる状況に放置されるとは思ってなかった。


「うふふっ、もう、スープは入らないの……えっ? 新作のジャム? じゃあ、クラッカー1枚だけなの……」



 何が1枚だけなの、だ! 俺なんてな、1枚どころか水も飲んでないんだぞ!



 腹が減りすぎて、横で涎を垂らして気持ち良さそうに眠るこの馬鹿をどうしてくれようかと本気で危ない笑みを浮かべる奴がいた。


 まあ、俺なんですがね?


 ベッドから降りると両手を上げてワナワナと開いたり閉じたりしながら暗い笑みを浮かべる俺は口元をムニムニさせるルナに近づいていく。



 あれ? そういえば、ルナと俺だけじゃなくて……



 美紅の存在を思い出した俺は、あたりを見渡し始める。


 部屋がたまたま空いてたのが4人部屋だった事で最初に借りてから、ズルズルそのままになってた事が良かったらしく、美紅が寝る場所に困らずに済んだようだ。


 空いているベッド、俺の正面になる場所のベッドの脇には美紅が着ていたぼろい皮鎧が置かれており、そこが美紅が使ったベッドだと思われるがその主人がベッドにはいなかった。


 美紅が寝てたと思われるベッドは使用された形跡を綺麗に消されており、完璧なベッドメイキングがされていた。


「ルナと大違いだな。ルナなら蹴ったシーツをそのまま放置だからな」


 毛が生えた程度の違いしかない自分を棚に上げて、涎を垂らして眠るルナを鼻で笑うようにする俺だったが、ふと、思いついた事に首を傾げる。



 落ち着いて考えたら、美紅の性格を踏まえると俺と一緒の部屋で寝る事に抵抗を感じて大変だったんじゃないだろうか?


 だから、ここに今いないのかもしれないな。



 と徹は思っているが、徹が気絶している間に行われてた食事中に徹と一緒の部屋で寝る事に抵抗する美紅にルナとミランダによる『徹は紳士に見せかけたチキン説』を説かれてた事を知らない。


 ルナが着替え出したら何も言わずに部屋を後にするし、偶然、そういう場に出くわしても謝罪してサッサと出て行く事をルナは熱弁した。


 勿論、その場に徹がいれば全力で『ナイチチ非信望者』と力説しただろう。


 ミランダもそうだと分かっていたが、ルナがみんなで寝る事を楽しみにしてる事、今の理由などで徹は安全である事、そして、何より、美紅には人との触れ合いは優しいモノだと心身共に理解する必要があると判断した為であった。


 徹が寝てる間に封印されていた勇者とミランダにルナが話して、その背景と美紅を見て判断した。



 そうとは知らない俺は欠伸を噛み殺しながらドアノブを捻る。


「散歩でも行ってるのかな? 健康的だな、美紅は」


 俺は、あわよくば朝食の繋ぎを貰えないかと期待しながら食堂の方へと歩いていった。





 食堂に行くとカウンター内で楽しそうに調理するミランダと美紅の姿があった。


 美紅は必死の表情を浮かべながらジャガイモを包丁で剥こうとしているようで、ミランダは優しい笑みを浮かべて見守る。


 俺は脅かさないように声のボリュームを気にして声をかける。


「おはよう、美紅、ミランダ」

「あ、あっ、おはようございます。トオル君」

「おはよう、トール」


 気を付けたつもりだったが切ってる最中のジャガイモをお手玉する美紅を見て、もうちょっと待てば良かったかな? と苦笑を浮かべる。


 ミランダは徹の存在に気づいていたようで美紅の様子を見つめながら話しかけてくる。


「どうしたの? 普段ならまだ起きてこない……ああ、なるほどね」


 頬に手を添えながら俺のお腹の辺りを見て笑う。


 俺が腹を手で擦ってるのを見て、昨日の食事を食べ損ねたから腹を減らして起きて来たと見抜かれたようだ。


 首を傾げる美紅がミランダを見上げる。


 それに笑い返すミランダは俺に視線を向けるとカウンターに誘う。


「こっちにいらっしゃい。まだ朝食には早いから、これで凌いでね? すぐに飲み物を出すわ」


 席に着くとそう言うミランダが俺の前に小皿を置く。


 その上に載ってるモノを見て、俺は思わず笑ってしまう。



 おいおい、ここで出てきたよ!


 クラッカー!!


 ルナさんや、アンタ、予言者でも食っていけるかもよ?



 なんて馬鹿な事を考えて笑ってるとミランダと美紅が顔を見合わせるが、ミランダに「きっと気にするだけ時間の無駄なようなことよ、きっと」と言われて、はぁ、と頷く美紅。


 何をともあれ、これで飢えが凌げると喜び、リスのようにカリカリと食べているとミランダからコーヒーが差し出される。


「ありがとう! で、ミルクと砂糖は?」


 俺の言葉にニッコリと笑みで返事するミランダに同じように笑みを返して、同じ台詞をもう一度言うが更に完璧な笑みを返される。



 ふっふふ、コーヒーを出された時にこんなオチは見えてた。


 今日の俺はいつもの俺と違うトオルver1.01の違いを見せてやるぜぇ!



 自分の深い所でたいした差ないんじゃ……という突っ込みを飲み込み、輝く笑みを浮かべて言う。


「しゃーないな。それはそうとクラッカーに味がないのが寂しいから何かくれない?」

「でしたら、これを」


 そう言って後ろにあった赤いジャムのビンに手を伸ばす美紅を見つめてニヤリと笑う。


 俺はルナの寝言でクラッカーにジャムというキーワードから、こう言ったらきっとジャムを出してくると確信していた。



 ありがとう! ルナ、今度、食べたがってた串焼き買ってやるからなぁ!



 コーヒーにジャムを入れた事はないが、多分、悪くないだろうし、この際、苦さを軽減してくれるなら何でもええねん!!



 ジャムのビンを掴んだ美紅の手をミランダが掴んだのを見た瞬間、俺の笑みは固まった。


「美紅、クラッカーにはジャム以外にもいいものがあるのよ?」

「えっ、そうなんですか?」


 感心したようにミランダを見上げる美紅は何だろう? と期待した視線をミランダに向ける。



 な、なんやてぇ……



 凄まじい嫌な予感に襲われる俺は、額に汗が滲むのを感じる。



 ニヤリ



 今、ミランダがこっちをチラッと見て笑ったような?


 カウンターの奥の厨房に入ったと思ったらミランダが小皿に盛られたクリーム色のモノを持ってくる。


「お腹が減ってるのでしょ? こっちの方が腹持ちしていいわよ、男の子だものね?」

「ああ、なるほど、さすがミランダさんです! ついつい、自分を基準に考えちゃいました」


 ミランダに尊敬の眼差しを送る美紅。


 俺はきっと愉快な顔をしながら小皿を見つめているのだろう。ミランダがクスクスと笑う。


 小皿に盛られているモノは牛乳を発酵させた芳醇な香りを放つもの。


 確かに俺も好きではあるが……



 今、ちゃうねん!!



 目尻に涙を盛り上げながらクラッカーでソレを掬い上げ、口に放り込む。


「ん……うまい……」

「そう気に入って貰えて嬉しいわ。お手製なの、そのクリームチーズ」


 会心の笑みを浮かべるミランダを横目に飲むコーヒーはいつもと違って塩味が効いているような気がした。



 とりあえず、クラッカーでお腹を凌がせた俺は下拵えを手伝っていた美紅の仕事が一段落するまで見ていた。


 俺に見られて若干やりにくそうにはしていたが、根気良く皮むきを済ませる。


 終わったのを見計らった俺は話しかける。


「昨日、来たばかりなのにお手伝いか? 偉いな、美紅は」


 褒める俺の言葉に顔を赤くさせる美紅に「上で大口開けて寝てる奴に爪の垢を煎じてくれないか?」と冗談を言う。


 照れた顔を隠すように顔の前で両手をパタパタさせる美紅は捲くし立てるように言ってくる。


「いえいえ! ただ、これから生活、冒険者ですか? をしていこうと考えたらいろんな事ができたほうがいいと思い、ミランダさんに無理言って手伝わせてもらってるんです」

「冒険者か……」


 美紅の口から冒険者の言葉が出た事で、昨日、自分が誘って勧めた事であるが今更ながら気になる事ができ、直接、聞いてみる事にした。


「なぁ、美紅。確かに俺が冒険者に誘った訳だけど、本当に冒険者でいいのか? 俺が言ったような事を調べるつもりなら一番手っ取り早く確実性が高いように思う」


 組んだ両手をカウンターに置き、そこに顎を載せる俺が話すのを聞く美紅は俺が何を言おうとしてるのか、おおよそは理解できてるのか、静かな瞳で見つめてくる。


「色々、諦める必要はあるだろうけど、例えば、今のようにミランダの手伝いをするような仕事に就いて平穏な生活を送る選択肢もあるんだ」

「ええ、そうですね」


 そう言う俺を嬉しそうに目を細めて見つめる美紅に首を傾げずにはいられない俺はミランダを見るとミランダも同じような視線を俺に送っていた。


「俺は美紅に危険と釣り合わない事を強要してるかもしれない、と言ってるんだぞ?」


 笑みを浮かべ、困った様子も見せない美紅が、もしかしたらこちらの言いたい事を誤解してるのでは? と思い、言い含めるように言ってみるが逆に笑みを弾けさせる。


「トオル君が寝てる間に私の素性をミランダさんに打ち明けました」


 美紅の発言に俺は驚いてミランダを見ると澄ました顔で頷かれる。


「その時にミランダさんにも同じような事を言われました。そして、ルナさんには、『きっと、徹も同じような事を言ってくると思うの』と言われました。本当に言ってきた事にも驚きましたけど、こんなすぐに言われるとも思ってませんでした」



 そうか、ミランダも同じように考えたのか、当然だよな、なんだかんだで優しいミランダは心配するはずだったしな。


 しかし、ルナに俺の行動の先読みされるとは思ってなかったな。



 そんな思いが漏れたのか苦笑いする俺に申し訳なさそうな顔をして謝る美紅。


 どうやら、気を使ったのが無駄になったと落ち込んだと思われたようで、俺は手を振って違うと伝える。


「単純なルナに行動の先読みされたのが悔しかっただけだから」


 笑って伝えるとホッとした表情を浮かべた後、少し悔しそうな顔を見せる。


「どうした?」

「2人が分かり合ってるようで羨ましくて……」


 小さい肩を落とす美紅になんて声をかけたらいいか困っているとミランダがこちらにウィンクを送ってくる。


「美紅もこれからよ。トールの事もルナちゃんの事も知っていくのは。でも、知らない方が良かった事の方が多かったりして?」


 美紅の肩を抱き寄せるミランダは励まし、ちゃっかり最後にオチをつけてくる。


 俺と美紅を交互に見つめるミランダが不意に母さんを思い出すような優しい笑みを浮かべる。



 だよな、俺もこれから美紅の事を知っていけばいい。急ぐ事はない。



 俺はカウンター越しに美紅に手を差し出す。


「これから、俺の事を知っていってくれ。俺も美紅の事を知っていくよ」



 そう、急いで走るようではなく、歩くようにゆっくりと俺達は友達になっていけばいい。



 差し出された手を見つめて顔を赤くする美紅は戸惑いながらも掴んでくれる。


 握手する俺達の手の上から両手を載せる笑みを弾けさせるミランダ。


「私もみんなを知っていくわ。体当たりするようにね?」

「ミランダの抱き着きだけは遠慮させてください」


 間髪を入れずにお断りを入れると悲しくもない癖に泣き真似をするミランダが酷いと言ってくる。


 それを俺と美紅が声を上げて笑う。


 笑いが収まった美紅が俺を見つめてくる。


「トオル君、私は自分の意思で冒険者になります。だから、トオル君が胸を痛めないでください」

「そうか、よし! じゃ、朝一番に冒険者ギルドに行って、登録して貰いにいこうぜ!」

「そうね、そろそろ、朝食にもいい時間だから、トール、ルナちゃんを起こしてらっしゃい」


 そう言われて初めて時間がだいぶ過ぎている事に気づく。


 確かに、外はだいぶ明るくなっている。


 それと同時に空腹だった事も思い出し、腹も活性化して腹の虫が騒ぐのを2人に聞かれる。


 俺の腹の虫の音を聞いた2人は吹き出す。


 さすがに恥ずかしくなった俺はルナを起こす為に食堂から逃げるように出て行った。





 部屋に戻ると相変わらず幸せそうな顔をして可愛い寝息を立てるルナの姿がある。


 何故かイラッとした俺はそのルナの小鼻を摘んで鼻呼吸を封じる。


 すると、両手を虚空で彷徨わせるようにすると急に暴れだしたと思うと、「にゃぁぁ!!」と叫ぶと飛び起きる。


 飛び起きたルナが寝ぼけ眼で俺に視点を合わせると事情を察したようで両手を突き上げて怒ってくる。


「何をするの!? 起こすなら優しく起こすの!」


 俺を凝視しながら、仮想エアールナを想定しているのか肩を揺するような動作を見せながら「こうなの!」と力説してくる。


「おいおい、俺は優しいぞ? これから朝食だぞって言いに来たんだから」

「だから、起こし方に問題があるの!」


 フゥーフゥーと怒るルナにマアマアと手で落ち着かせる手を猫の手にした手で叩き落とされる。


「俺なんか起こされもせずに夕食逃したんだぜぇ?」

「顔を洗ってくるのぉ」


 手拭を肩に載せるとスキップして出て行く。


 ちなみに肩にかけた手拭は俺の手拭であった。


 そういえば、俺もまだだったと思い出したのでルナを追うように裏庭の井戸を目指して歩き出した。

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