第9話 赤いジャムとバターと魔法

 歯を磨き終えた俺は勝手口から中に入り、食堂へと歩いていく。


 すると、カウンター席で足をブラブラさせながら、怒れる猫、ルナが俺に向かって両手を突き上げて怒っていた。


「徹、遅いの! お腹が減って大変なの!」

「遅い、と言われてもな……ルナが顔を洗い終わって、たいして時間経ってないだろ? 待てないなら先に食べてたらいいだろ?」


 そういう俺に、ご飯は一人では美味しくない談義を始めようとしたが、『くぅぅ~』と可愛らしい音が鳴ると顔を真っ赤にして厨房にいるミランダを呼ぶ。


「ミランダ! 徹が来たから朝ご飯出して欲しいのぉ!」

「はい、はい、ちょっと待ってねぇ」


 そう言われたルナはカウンターに突っ伏して隣に座った俺を顔だけ向けて恨めしそうに見つめてくる。


「うぅぅ!!」

「腹の音を鳴らしたのは俺のせいじゃないだろ?」


 そう言うと、ルナは両手を上げて爪を立てる猫のように襲いかかろうとしてくる。



 コイツ、腹減り過ぎてネコ化してやがるっ!!



 ヤバいと身を守ろうとしたタイミングで女男神ミランダが現れる。


「はーい、お待たせぇ」


 バスケットに山になるように積まれたロールパンと赤いジャムとオレンジのジャムとバターと思われるモノが置かれる。


 バスケットに盛られたロールパンから上がる焼き立ての香りに我を取り戻したルナが俺を無視して前を向く。


 美少女がしてはいけない5つの法則の1つの涎かもしれないものが口から垂れていた。



 あぶねぇ、もうちょっとで捕食されるかと思った……



「沢山、食べてね? 朝はしっかりと食べないと駄目よ?」

「はーい! 私は赤いのから食べるのぉ~」


 そう言うとルナは赤いジャムを取るとロールパンを熱そうにして取って割る。割った面にたっぷりと赤いジャムを塗りたくる。


 いただきまーす、と嬉しそうに言うと齧り出す。


 それを見ていた俺は思う。


 通常モードのルナはウサギっぽいが、怒れるモードになるとネコっぽい。つまり、ウサギの皮を被ったネコ……イメージがハマってしまって、俺は腹を抱える。


 その俺の様子に気付いたルナが、俺が赤いジャムが欲しいと勘違いしたようである。


「ごめんなの、赤いジャム、徹も欲しかったんだよね?」


 独占したと思って悲しそうな顔をしてくるルナは赤いジャムを俺に渡そうとしてくる。


「いやいや、ジャムが嫌い、という訳ではないけど、欲しいとは思ってなかったから。ただ、旨そうに食うなぁ、と思ってた」


 俺がそう言って笑うと顔を真っ赤にしたルナが、赤いジャムを手元に引き戻す。


「欲しいと言っても徹にあげないの!」


 全部使ってやるとばかりに塗りたくる。


 それを見ていたミランダが、頬に手を当てながら少しも困った顔をせずに言ってくる。


「あらまあ、ルナちゃん一人で全部食べちゃ駄目よ?」

「徹になんかにあげないの!」


 そう言うルナから俺に視線を切替えてミランダはクスクスと笑う。


 返礼とばかりに俺は肩を竦める。


 ルナの意図は分かるが、正直ダメージなどない。ジャムが嫌いじゃないというのは本当で、つまり好きでもない訳である。


 俺は子供の頃からバター派である。


 小学生の頃の給食ですすんでバターを選ぶ事から、当時の俺のあだ名は、



   『バター徹』



 である。


 待て、今から考えたら、俺って……



 イジメにあってねぇ?



 うわぁ、小3の時から言われてたから、9年越しの真実に辿り着いたよ……


 伏せる場所次第では超危険よ?



   『バター○』



 知らずにいたから良かった事実が今、ここにかもしれない。


 過去を振り返ってイジメられてた事実なんかない、と結論付けた。だから、俺はちっともショックなんか受けてない。


「あら、トール、食事が全く進んでないわよ?」



  ……ごめん、嘘吐いた。ちょっとダメージを受けてます。



 こういう時はヤケ食いしなない!


 そう開き直った俺はルナに負けないぐらいバターを塗りたくって食べまくった。




 そう結果、俺とルナはカウンターで突っ伏していた。


「もう! 2人共止めても止めないんだから」


 俺達はミランダに止められてもルナはジャムを使い切り、俺もバターを塗りたくって食べた。


 そして、当然のように俺達は胸ヤケを起こした。


 嘆息したミランダが俺達に牛乳を出してくれる。



 知ってたか? 胸ヤケした時はお茶や特に牛乳はいいんだぞ?



 受け取った俺達はチビチビと牛乳を飲み始める。


 ふと、ルナに頼もうとしてた事を思い出す。


「なあ、ルナ、頼みがあるんだが?」

「んん? どうしたの?」

「俺に魔法を教えてくれないか?」


 そう、俺はルナに魔法を教えて貰いたいと思っていた。


 昨日、俺はお風呂に入れない事を不満に思ってたら、魔法で綺麗になれると言うルナ。

 俺に手を翳して「クリーナー」と唱えると汗を掻いてた感じも汚れがあった服まで綺麗になってた。


 ルナは色々な魔法が使えそうだから使えない俺は教わりたかったのである。


 頼む、と見つめる俺は手を合わせる。


 そんな俺の反応にルナは申し訳なさそうにして見てくる。


「ごめんなの。私は色々、魔法は使えるけどイマイチどうやって使ってるか分からないの。なんとなく使ってるから」


 そう言えば、ルナは記憶喪失の可能性があったな、と俺は思い出す。


 いきなりアテが外れた俺は困ったと唸っているとコップを磨いていたミランダが俺に話しかけてくる。


「トール、私で良ければ、魔法入門程度なら教えてあげるわよ?」

「マジかっ!」


 そう身を乗り出す俺にミランダは、人差し指でリズムを取りながら、マジよ、と揺らし、最後の「よ」で俺の鼻を押さえる。


 ミランダはこういう所がないと本当に良い人なんだけどな……と諦めの溜息を零す。


「夜の仕込み前で良ければ時間を取れるわよ」


 そう言われて、魔法が使えるかもしれないと喜びを前面に出しているとミランダが首を傾げていってくる。


「ところで仕事の時間はいいの?」


 そう言われた俺達はガタッという音を鳴らして立ち上がる。


「ヤバァ、遅れるかも!」

「ザックさんが待ってるの!」


 慌てて飛び出そうとする俺達にミランダは「いってらっしゃい」と言ってくれる。


「帰ったら、絶対に教えてくれよっ!」


 俺達は苦笑するミランダに見送られてザックさんの商会を目指して走り出した。

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