第5話 アルファでありオメガ
「変なこと聞いていい?」
俺はTPOのことは忘れて、興味の奔流に身を委ねた。
「何?」
「さっき、人体にインストールするとき、って言ったよな?」
「言ったけど」
「人体の定義は何だ?だって、例えば左腕だけ機械で、サイボーグ化して、そこにインストールするなら、人体にインストールしてるとはいえないだろ? そうやって、簡単に裁判所の規制はすり抜けられちゃうんじゃないのか?」
「変なこと聞くねえ」
まあ、それは自分でも思う。
「人体の定義は、人体の枢要部が人体細胞の発生過程で作られた細胞により構成されていること」
ん?
「つまり、金属とかプラスチックの人形じゃだめなのよ。あと、動物の細胞を無理やり人型に発生させてもダメ。もとが人間の細胞である必要があるわ」
「もうちょっと簡単に言ってくれないかな」
「何言ってんの。例えば、あんたはお父さんとお母さんの生殖細胞からずんずん細胞が分裂して、8兆個くらいになって、今のあんたの体になってるわけでしょ? それを医学の発達にあわせて、生殖細胞以外でも、あらゆるヒト細胞由来の細胞に拡張しただけよ」
「は、はあ」
簡単そうで、簡単じゃないな。
「なんか、耳とかできるやつ?」
「まあ、昔はそんな感じだったみたいね」
「え、じゃあ、いわゆるクローンってことか?」
「まあ、そう言ってもいいけど、好きに呼べば?」
お前の由来のことを話してるんだぞ。
「だって、そんなのどうだっていいじゃない。生物的な発生がそうだとして、それがどれだけのもんだか。例えばさ、旧式の携帯に聞いてみなよ。その子の金は南アフリカから、タングステンはコンゴ民主主義国から、マニュファクチュアは台湾で、設計は韓国で、販売は日本だとして、あんた何人?って聞いて、どう答えるかしらね。きっと、何の郷愁もいだいていないわ」
うう。まあ、グローバル…市場主義…の話だからかな。難しいな。
俺はちょっと昔の愛機が懐かしくなってきた。結構使い勝手よかったよな。何処行っちまったんだろう、あいつ。
「でも、お前の顔かたち、声質やスタイルってのは、その元の細胞の遺伝子の産物だろ?それがいいか、どうか、って大事な話じゃないか」
「大事ってか、そうなるようにブレンドされたわけじゃん」
ブレンドって、お前はスタバのコーヒー豆みたいに遺伝子を語るなよ。
「私は、人類を材料にして作られたあなたの携帯なのよ」
**
外気温とはまるで反対に、俺の身体は冷える一方だった。
「それじゃまるで、人類が遺伝子を編み出す機械みたいじゃないか?」
「まさか。人間様にそんな言い方してないよ」
牛丼についてくる紅生姜みたいに、とってつけたような「様」だった。
「でも確かに、蚕に繭を吐かせて絹織物を作るように、人間の遺伝子を織り合わせて
「何で…何で、機械じゃだめだったのかな」
「それはこっちの台詞よ」
まあ、そうだが。
「でも、人間が四六時中
いや、俺としては昨日までそうだったのよ。
「目を見て、人と話す方が自然で、感情的に受け入れやすかったんじゃないかしら」
そういうものかなあ…
「端末なんて、所詮人間とのインターフェースに過ぎない。だから、受け入れやすいものが勝つの。人間が使いやすければ、それでいい。それが全て。アルファでありオメガ。そして、その選択の連続がこの世界。……色々話した後に申し訳ないけど、こうやって難しく考えることが君の幸せにつながるとは思えないな。いつの時代も、考えすぎる人は皆不幸よ。考え過ぎないのも問題だけど」
サンは笑みを返した。その笑顔は、夏の日差しに照らされ、明るく光っていた。
俺は、これまでの会話など忘れて、ただこの可愛さにブヒブヒ
コンビニに入ると、過剰な冷気に身震いした。早々に立ち去りたい。
雑誌コーナーで男女カップルが立ち読みしている。家電雑誌を覗き込んで、仲睦まじい様子だ。でも、もしかしたらあの女も携帯かも…と思う。どこかで生産され、インストールされ、人格を携帯に乗っ取られた女。
いや、むしろ女が所有者で、男が携帯という可能性も捨てきれない。
また店の奥では、ガラス棚に向かい、女子中学生がペットボトル飲料を選んでいた。緑色のリュックサックを背負っている。もしかしたら、あのリュックに携帯がインストールされていて、あの女子中学生と絶賛通信中なのかも知れなかった。ガラス戸を眺めつつ、各飲料の評判をネット検索しているのか。はたまた、さっきの俺のように、脳内スクリーンが起動しているのかも。アイドル動画を見ているかもしれないし、ボーイズラブ小説を読んでいるのかも知れない。
現在進行形で俺は不幸になりつつあった。別に考えたいわけじゃないけれど、蟻地獄のように思考が吸い込まれる。
俺は鳥肌をこすりつつ、店内を足早に移動した。紙パックの麦茶とカップラーメンを3つ手に取る。少し迷った後、プリンを1個追加して(脳への栄養補給だ)、レジで精算する。
「586円ンなりぁーす」
店員が言い終わると、サンがレジ端末に手をかざした。シャリーンと小気味のよい電子音に、あやゃしたー、と店員が返す。
…。
…。わかってるよ。おサイフ機能だろ?
驚くべきことだけど、驚くことでもない。俺は段々とわかってきたのだ。最初はスマホが美少女になってて、肝を潰した。でも実は、機能として突飛なことが何かあるわけじゃない。動画再生、メッセージの送受信、時計機能、おサイフケータイ。なんてことはない。ただの携帯じゃないか。今は、機種変した直後、ちょっと使い方に慣れていないだけだ。
「行こう」
家に帰って、もうちょっと使い込んでみよう、と俺は思った。
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