Her Name is “Little Red Riding Hood”

葱間

本編

――Knock, knock.


「こんにちは、おばあさま」

森の奥、古びた小屋のなかに、乾いたノック音と少女の明るい声が響く。その音は森のなかにまで響いた。森は不思議と静まり返っていた。

ノックの音には返事がなかった。いつもなら祖母が出迎えるか、返答の声があるはずなのに、今日はそれがない。

少女は不思議そうな顔をして首をかしげた。それに合わせて、被った赤い頭巾が揺れた。

「あら。おばあさま、どうしたのかしら」

もう一度ノックをする。けれど、やはり返答はない。

少女は怪訝な表情を浮かべた。

「うーん……おばあさま、留守かしら」

だとしたらちょっと困ったことになる。赤ずきんは辺りを見回した。森は薄暗く、何処か不安になる。それにこの辺りには狼などの危険もあるため、外で待ちぼうけるのは出来ることなら避けたかった。

せめて家の中で待てればなぁ。少女は徐に扉のノブを掴んで回した。すると、その扉はあっさりと開く。鍵はかかっていなかった。そのことに彼女は戸惑った。

「あら、鍵がかかってないわ。留守ではないみたい。なら、何故……? 」

少女は祖母がおそらく不在ではないことを悟り、それを不思議に思った。

まさか、家を開けるというのに鍵をかけ忘れるほど、祖母も耄碌していまい。鍵が開いているということは、祖母は在宅だ。ならばどうして、何のリアクションもないのだろう。

少女はそこまで考えて、頭を振った。

「眠っていらっしゃるのかしら?」

少女はそう結論付けて、家のなかに足を踏み入れた。

まさか、考えすぎだろう。ただ単純に祖母は眠ってしまった、ただそれだけのことだ。寧ろ、窓を割らずに家の中に入れてよかった。赤ずきんはそう考えを閉じた。

ぎぃいいぃい。そんな音が部屋の中に響いて消える。家の中はやけに静かであった。

部屋の中は仄暗く、明かりなどはついていない。部屋の中はよく見えなかった。そして祖母の姿も見えなかった。

やはり眠っているのだろう。赤ずきんは確信づいた。

「おばあさまの寝室は……」

赤ずきんは呟きながら、リビングの奥に取り付けられた扉へと歩を進める。近づいて、扉のノブを掴んだところで、一つ止まった。

「ノックも無しに開けるのは不躾ね」

少女はノブから手を離し、扉を軽く叩いた。

「誰だい? 」

「……あら? おばあさま? 」

意外にも返答があり、少女は驚いた。

しかし返ってきた祖母の声は何処か掠れていて、少女には一瞬誰の声なのか分からなかったくらいであった。

(おばあさま、具合が悪いとは聞いていましたが、お声まで変わってしまったのね)

少女は、部屋の中の祖母に言葉を返した。

「おばあさま、赤ずきんです。お身体の具合が優れないとお聞きして、見舞いに参りました」

「おお、おお、赤ずきん。よく来てくれたね。さぁさ、お入り。ばぁばは少し具合が悪くて扉を開けてあげられないよ」

祖母の言葉に少女は頷いて、扉を開く。部屋のなかは暗く、見通しが悪かった。少女は目を凝らして部屋の奥のベッドにまで行き、側にあった椅子に腰かけた。ランプを探すが、何処にも見当たらず、偶々持ってきていたランタンに明かりを灯すことにした。

ぽぅ、っと、ランタンに明かりが灯る。すると、ベッドの上の祖母の姿がぼんやりと浮かび上がった。

少女は、その祖母の姿に何処か違和感を覚えた。

(おばあさま、何処か様子が……どうかなさったのでしょうか)

少女は怪訝に思い祖母に尋ねた。

「おばあさま? そのお顔……。そのお耳はどうされたのですか? 随分と大きいようですが」

少女の問いに、祖母はしゃがれた声で答えた。その声は、うなり声のようでもあった。

「これはね、お前の言葉がよく聞こえる様に、大きくしたのさ」

少女は祖母の答えに首をかしげながらも、質問を続けた。

「おばあさま? 目が大きくて、光っているみたいですが……何だか怖いですわ」

「おやおや、怖がる事はないよ。暗い森の中でも、可愛いお前をよく見えるようになっているのさ」

「なるほど」赤ずきんは続ける。

「おばあさま? そんなにも手が大きいのは何故ですか? おばあさまの手は、そんなに大きかったように思えないのですが」

「これはね、大きくなくては、成長していくお前を抱いてあげる事が出来ないから、大きくしたんだよ」

「へぇ……」赤ずきんは切り出す。

「おばあさま? 何と言っても、その大きなお口はどうされたのですか。おばあさまのお口があんまり大きいので、この赤ずきん、柄にもなく驚いているのですが」

「……それはね、大きくなくては、お前を」

「お前を? 」

「食べられないか――え? 」

勢いよく少女の祖母は。いや、少女の祖母のフリをした狼は布団から飛び出した。それは、そのまま赤ずきんを飲み込んでやるためであった。

しかし、その目には、おおよそ想像していなかった光景が写っている。

ランタンは、裂けそうなほどに三日月に開かれた赤ずきんの顔を映し出していた。おおよそ、被食者とは思えない表情である。そして、その手に握られていたのは、黒黒とした猟銃。

明確な殺意が、自分に向けられていることに狼は驚愕し、戦慄し、そして硬直した。

「おばあさま? そんなにお腹が空いていらっしゃったのですね? それならば、とりあえず鉛玉などはいかがです?」

そういって少女は躊躇いもなく引き金を引いた。カチャリ、と音を立ててギミックが動き、撃鉄が落ちる。


――Bang!!


破裂音と共に、その銃口から高速で鉛玉が飛び出た。殺意を纏ったソレは、音速の半分ほどの速度で狼に迫る。熱と風圧で少しずつ形を変えていく弾丸。空気の抵抗を受けて、次第にその形をシャープに尖らせていく。命を突き抜く形になったそれは、その勢いを存分に保ったまま、狼の眉間に迫る。亜音速の殺意を、狼は避けることが出来なかった。

ビチュ。

そんな水風船を針で割ったような音がした。銃弾は眉間から入り、容易に頭部を貫通し、脳漿を伴って後頭部から飛び出た。狼は、後ろに倒れこんだ。

少女は一つため息を吐いた。

「ふぅ……あら? 」

「グ、グウゥゥゥウルゥウウ」

狼は、眉間を撃ち抜かれて尚、息があった。力の入らない身体をなんとか起こそうとする。彼は、普通の狼とは異なる存在である。ヴェアヴォルフである彼は、鉛玉で頭を撃ち抜かれたところで即死などしない。致命傷にすらならない。動くことも可能であった。ただし、狼特有の鋭い動きとは打って変わって緩慢な動作ではあれど。

やっとのことで、身体を起こす狼。

けれど、そんな彼の眼前に迫るは鉈。

「えい」

「え? いや」

赤ずきんは、最早、虫の息となっている狼に向けて容赦なく鉈をふりおろした。その一撃で狼の頭蓋を叩き割る。嫌な音が鳴るが少女は気にせず、鉈をもう一度振り上げて降ろす。上げて降ろす。上げて降ろす。その繰り返しであった。上げて降ろす。

少女の一撃毎に、ベッドは赤くなり、脳漿だか何だかが辺りに飛び散る。それは少女にも例外ではなく、少女の被っていた頭巾は赤を通り越して真紅の色を成していた。

何度も何度も鉈を叩きつけられ、もう狼の頭が原型を留めていない。ベッドは大惨事と化していた。もうこれ以上叩き潰すところはなかった。赤ずきんは飽きたかのように、鉈をふりおろす手を止めた。

当然だが、狼は既に絶命していた。幾らヴェアヴォルフとはいえど、死ぬまで殴られれば死ぬのである。絶対的な殺意は、容赦などという手抜かりはしていなかった。

「あー……明日は筋肉痛でしょうか。憂鬱ですわ」

ぐるぐると腕を回しながら少女はため息を吐いた。その様子からは、狼を殺傷したことに対しての感情は何一つ伺えなかった。それは、少女にとってこの程度のことはさして気にもならないことであることを示す。実際、狼を一匹殺す程度、少女にとっては茶飯事であった。

「やはり銃などより白兵武器の方が、信頼がおけますわね」

そういって、鉈の腹を撫でる少女。赤くべったりとした血が付着していることなどは構わないようであった。

赤ずきんは、しばらく鉈を見つめ、うっとりとした表情をランタンの前に提示していた。しかし突然、何かを思い出したかのように表情を変えた。はっとして、狼であった物体の方を見やった。

「あぁ……おばあさま……」

姿の見えない祖母のことを思い出した少女は、おそらく祖母が出会ったであろう結末を思い浮かべて、吐息混じりに声を吐いた。

おそらく、祖母は既に狼の腹の中だろうことは簡単に推測できた。少女は、狼の死体まで近づくと、その腹を撫でた。

「おばあさま……せめて、この狭い棺桶からは、救いだしてみせますわ」

少女は十字をきって、鉈を構えた。頭上高くまで掲げられたソレを少女は、一切の戸惑いもなく、狼の腹目掛けてフリ下ろした。

鉈は、重力と少女の膂力によって、かなりの早さで振り下ろされた。そのまま、祖母ごと両断しかねない勢いで目標へと迫る。救うといいつつも少女は、祖母に二度目の死でも与えかねないほどの動作を行った。

けれど、その時であった。鉈が腹にめり込むその直前。狼の腹の中から腕が突き出て、フリ下ろされた鉈を少女の手をつかむことで止めたのは、その一瞬の出来事であった。

赤ずきんは大いに驚いて、ひっ、と小さく悲鳴をあげた。まさか中から腕が生えるとも思わなかったし、なにより少女にとっては、自分の決殺の一撃を片手で易々と止められたことが恐怖であった。予備動作含め、完全に自由な状態で、万全に放った一撃は、ヴェアヴォルフですら片手では受け止められないほどのものである。それを片手で、しかも力をロクに込められもしないような体勢で成されては、さしもの赤ずきんも恐怖を覚えるものらしかった。

そんな彼女を差し置いて、狼の中の何者かは、もう片方の手も突き出し、そのまま一気に横に開いた。狼の腹が裂け、腸が見える。とてつもなく肥大した胃袋から腕は突きだされていた。中の何者かは、そこから這いずり出ようともぞもぞと身体を蠢かしていた。

赤ずきんは呆然とその様子をみていた。少女の見ている前で、狼の胃袋が裂ける。中の何者かは胃の中から突き出した腕を、ベッドに押しあて、そのままグッと力を込める。グググと裂けた胃袋の中から身体を起こしていく。まず背中が見え、そして頭が出てくる。まるで脱皮のようだと少女は目の前の現実を捉えていた。

やがて、狼の身体の中に居た何者かは、狼の腹を目茶苦茶にしながら、外に出る。血塗れ、体液にまみれたその姿は、化け物と呼ぶに相応しかった。

化け物は、その手で顔についた体液を拭うと、はぁぁ、と一つため息を吐き、赤ずきんを見た。少女はビクリと身体を震わせる。蛇に睨まれた蛙のようになりながら、化け物の行動を注意深く見つめていた。何かアクションがあれば、反撃も辞さないつもりではあった。

そんな赤ずきんの姿を見て化け物は一つ頷くと、その口をニカリと開いて、声を発した。

「おお、おお、赤ずきん、よく来てくれたね」

 赤ずきんの祖母は、顔についていた臓物片やら血液やらを拭おうと顔を撫でまわしていた。赤ずきんは、恐る恐る近づいて、ハンカチを渡す。真っ白なハンカチは、あっという間に血塗れて、真っ赤になっていた。

「え、ええ、おばあさま。私、おばあさまのことが心配で参上したのですけれど……えぇと、息災そうですね? 」

 赤ずきんの顔は引きつっていた。それは、目の前で繰り広げられたスプラッタのためでもあったが、それよりももっと恐ろしい現実のためであった。

 祖母が生きていたという事実は今赤ずきんにとってはマイナスでしかない。

「ごめんねぇ。病気だとでも言わないと、私の可愛い赤ずきんは、会いに来てくれないから、おばあちゃん寂しくて寂しくて。嘘ついちゃったのさ。本当は病気なんて何にもない健康体さね」

 祖母はそういって、悪戯が成功したときの童のようにあどけない笑みを浮かべた。未だに見た目が若若しいだけに、本当に童のようであった。

 赤ずきんはそっと胸を撫で下ろした。どうやら、祖母は『気づいて』いないようであった。少女は、動揺を悟られないように、慎重に笑顔を取り繕った。

「もう、おばあさま。そんなことせずとも、この赤ずきんは参りますのに」

「さっきみたいに私を殺しにかい? 」

「…………えっと」

 赤ずきんは必死に笑顔を取り繕っていた。けれど、その内心の動揺は凄まじいものがあった。

 赤ずきんは先ほど、明確な殺意を以て、祖母を飲み込んだ狼の腹へ鉈を振り下ろした。完全に祖母を殺すつもりの攻撃であり、故に止められたのも、祖母がそもそも生きていたことも、赤ずきんにとってはマイナスでしかなかったのだ。

しかも、祖母がその殺意をしっかり認識していたことは、尚更質が悪かった。『あの』祖母に攻撃を行って、いわば敵対して、無事でいられたものは居ない。先代の赤ずきんにして、歴代最強の赤ずきんは恐ろしいだとかそういう次元の話ではなかった。

貼り付いたような笑みを浮かべる祖母の心底は見えない。けれど、その身から溢れ出す怒気は抑えられていなかった。

今回もまた失敗してしまった。赤ずきんは、自分の弱さと愚かさを憎んだ。まんまと祖母に騙された挙句、結局祖母を殺すことはできなかった。赤ずきんは自分が情けなく思えた。

「赤ずきん」

「は、はい」

「こちらに来なさいな」

 祖母は、笑顔を崩さぬまま、赤ずきんを手招きした。優しい声と表情は、まるで久々に会った孫を抱きしめたがっているかのようであった。

 その手に何やら木の板のようなものを握っていなければ、赤ずきんだってきっとそう思っていたはずであった。

 赤ずきんは、泣き出したい気分だった。

「おばあさま……? その手に持たれた木の板はなんでしょう? 赤ずきんこわい」

「いいからこちらに来なさいな、赤ずきん。大丈夫。流石の私も、孫を殲滅はしないから」

 そういって祖母が手招く。赤ずきんは直ぐにでも逃げ出したかったが、こうなってしまった以上、目の前の存在から逃げきることは叶いそうもない。

 ああ、断頭を待つ虜囚のようだ。赤ずきんは絶望的な気持で、祖母へと歩み寄った。

自らの祖母に腕を掴まれることが、狼に飛び掛かられることよりも怖いだなんて。赤ずきんは笑うしかなかった。



「やめてくださいまし! おばあさま? おばあさま‼ 」

 森の中、少女の叫び声だけが響く。

 猟師は、今日の森の平穏を悟った。

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