第17話 屋台の食べ物はみなしょっぱい
夏の太陽も傾き、西日がみすゞ舘の庭に差し込む夕方。談話室にて、女性陣から歓喜の声が上がる。
「ウロちゃん可愛いー!」
満足そうに手を合わせて三鈴がまず喜ぶ。
「三鈴さんの手縫いだってよ。器用だねぃ」
その隣りで藤子が唸り、ウロの髪を結っていた。
「ありがとう。わざわざこんなにしてくれて……。でも、皆は一緒に祭には行かないんだよな? いいのか?」
「いいよー。ウチら、近くのビアガーデン予約してるから。二人だけで楽しんで来なよ」
片手で団扇を仰ぎ、由美がケラケラと笑う。
「大人はただ人混みで花火を見るより、お酒が一番。それよりーーはい、祭ではお財布は首から下げた方が両手が空いていいのよ?」
縮緬製のガマ口財布をウロの首に下げ、ありさはおっとりと言った。
皆の気遣いがこそばゆくて、ウロは恥ずかしそうに頬を掻く。
「……なんか、貰ってばかりで悪いな」
「皆、好きだからやってるの。気にしないでいいさ、ねぇ鉄?」
上から朝来の声が降って来る。見上げると、階段の踊り場に鉄を引き連れた朝来がにんまりと手摺に頬杖ついて立っていた。
「何だ。鉄は浴衣に着替えた訳じゃないんだな」
「動きにくくになるだろ」
答えながら鉄はウロから目を逸した。何故、ウロの支度が終わるまで一階から隔離された理由が分かったからだ。
それは五十分前の事である。
「ウロが着替えるから」と、自室に閉じ込められた鉄。着替えを覗く趣味は当然持ち合わせていないのだが、その隔離の裏にみすゞ舘の企みがあるとは思ってはいたが、まさかこんなサプライズがあるとは予想していなかった。
鉄は、浴衣に身を包んだウロをなかなか直視する事が出来ずにいた。
柔らかい白地に赤い金魚。幼い柄なのに淡い黄色の帯を合わせて、どこか色っぽさすら感じる艶やかな浴衣姿。おまけに、薄化粧をあしらっているから元々の素材が何割にも増している。しかも狙い定めたかのように、髪を上に結わえたうなじの強調。
鉄の目には、ウロが可愛いすぎて仕方がない。
「可愛いわね、鉄?」
息子の動揺を見透かしてます。そう言ったしたり顔で、いやらしく笑う朝来。鉄はそんな朝来からも顔を逸し、赤くなり、緩む口を隠す。
「馬子にも衣装じゃねぇの?」
「悪かったな」
褒めてくれない鉄に、不機嫌で頬を膨らませるウロ。
「やだ、ベタな照れ隠し」
「今夜は大砲が火を噴くよっ」
「やめろ、そこの下ネタ女」
青臭いやり取りを朝来と藤子に揶揄われ、鉄は照れ隠しが仇となったと知る。素直に褒めていた方がまだマシだと気付く。
周囲の生暖かい視線が……痛い。
「そうだ、鉄。これを肩に下げなさい」
はい、と朝来が鉄の首に下げたのは幅広のしっかりとしたベルト付きの袋状の布。バッグとは違う、アジアン風の花柄に繻子織りの布地は一見するとバッグだが、底浅で収納力はない。
「何だ、コレ」
「特製ベビースリング。三鈴ちゃんが作ったの」
「は? ベビー?」
何の事だかと間抜けに垂れる布を、これまた鉄が間抜けな顔で見つめる。
用途不明の布。
「簡単に言えば、赤ちゃん抱っこする時に使うやつよ。ホラ、スーパーで子連れする人とか見掛けない?」
「あー、アレか」
首を傾げる鉄に、朝来は親切に使い方を教えてあげる。その説明に納得しながら鉄は再び首を傾げる。
「で、コレを今からどうする訳」
みすゞ舘に赤子はいない。これから祭に行こうという時に何の関連性があるのか見当もつかない。
「アンタ、馬鹿ぁ?」
察しの悪い息子を朝来は鼻で笑い、鉄の手を引き、ウロと向い合わせて立たせた。
「ウロ、スリング、抱く、祭行く、OK?」
「何で片言!? つか、はぁっ!?」
寝耳に水の提案。
しかし戸惑うより早く、朝来がウロを抱き上げて鉄のキャリーに乗せる。その手際はさすが介護のプロ、白衣の天使だと感心すら覚えた。
「これなら横抱っこ可能。かつ、祭を楽しむ両手も空くでしょ?」
「でしょ? じゃねぇ! 見せ物だろ! 車椅子あるじゃねぇか!」
「神社の地獄階段を車椅子は不便よ」
「あ~、確かにあそこはアンチバリアフリーだなぁ」
今朝の散歩で見た景色を思い出しているのだろう。ウロが鉄の胸元で頷く。
「……お前はいいのかよ、これで」
恥ずかしい仕打ちに鉄が困り顔で尋ねるが、ウロはニコニコと微笑む。
「ハンモックみたいで気持いいぞ?」
当の本人が恥ずかしいと思わない。
けれど鉄にとって、普段よりウロと距離が近いのは生き地獄。
肩にかかるウロの体重。決して重いとは思わないが、背負うのとは違う。視線を落とせばウロの顔がそこにあるのだ。
鉄はウロが好きで、ウロはそれを拒む関係。生き地獄の他に何と言えばよいのか。
けれど、それでも鉄にとってはウロが喜んでくれればいい訳で、不毛だと思いつつも最初から答えは決まっていた訳で。
「いいよな、お前は呑気で……」
諦め気味に溜息。
「行くよ。このまま運んでやる」
「おう! それじゃ早速行こう」
急かすウロ。
鉄はふわりと甘い香りを振り撒くウロに勘弁してくれと嘆きたい気持を抑え、重い足取りで家を出た。
「「いってらっしゃ~い」」
五重にダブる女性の声に見送られ、二人は外に出た。長い影が重なり、山の神社へと向かう。
祭の囃子が風と共に流れている。
夕方の涼しい風。
そよりと鉄の鼻をウロの芳香がくすぐる。もしかせずともこれが鉄とウロの初デートなのかと思うと、子持ちパパみたいな自分が切なくなった。
目的地に向かえば向かう程、人は増えていく。
家族連れに恋人同士が楽しそうに語らい笑う道。
ああ、楽しいだろうよ。首から女ぶら下げてる男を見れば興味が湧くさ!
鉄はウロを胸に抱き上げながら、声を大にして叫びたかったが何とか堪える。
「……何か、見られてないか?」
「見られてるよ、見られるに決まってんだろうがっ」
赤ちゃん用のキャリーに浴衣美少女を抱っこしていれば、そりゃあ誰だって何事かと指差すだろう。
奇異の目を振り払い、鉄は神社に続く階段を上り始める。祭りの会場はその先。勿論、上に近付く毎に人の数も増えていく。増殖する視線に鉄は針のムシロ状態。その視線をモノともしていないウロの神経を鉄は疑った。
「お前さ、普通おんぶだけでも恥ずかしいのに、こう……前に抱かれて恥ずかしくならないのかよ?」
「恥ずかしい?」
思い切って尋ねた。
普段のおんぶと違い、見上げるウロの目線が近い。時々ウロの髪が鉄の顎を掠める距離を何とも思わないのだろうか。
ウロは少しうんと唸って、鉄を見上げた。
「鉄は別に、かな?」
「俺は、か?」
ドキッとした。自分は特別だと言われた気がした。
「あ、ナガノブで慣れているからか」
「そこかよっ」
僅かな期待はすぐに打ち砕かれたのだが。もし、ウロの保護者的ポジションに据えられているのだとしたら、好きなだけに痛い。
少し、寿喜に同情を覚える。
「……婚約者にされても恥ずかしいか?」
「成宮さん?」
またウロは悩み始める。
本当はあまり話題に出したくなかったが、何となく試すように口が動いていた。
「やはり、照れると思う。でも、何故そこで成宮さんが出るんだ?」
困惑するウロに、とても気持を確認したかったなどと言えず、「さぁ?」笑って誤魔化していた。
このままこの話題を続けたら尊穏ならどうなのかと問いかねなず、これ以上は気まずい思いをする事もない。朝ではっきりとフラれているのだから。
胸が重い。
「鉄?」
表情の固い鉄にウロが気付く。
一度落ちた穴からはまだ這い上がれない。
「階段、キツいな……」
全部長い階段の所為にした。
こんなに体が重いのも、胸が苦しいのも、全部、階段の所為にした。
「やっ。楽しそうな事してるじゃないの、鉄ちゃん」
「うわぁっ」
背後から突然肩を叩かれ、素頓狂な声を上げた。危うく足が階段から落ちる所だった。
「か、奏っ!? 危ねぇな、階段から落ちたらどうすんだ!?」
「花ぐらい供えるよ」
肩を叩いた本人は、飄々と笑った。今日も見事な奔放さを見せる奏である。そして、そのまま何事もなかったかのように話を続けるのが彼の凄い所だ。
「みすゞ舘まで誘いに行ったらさ、帰って来たウロちゃん連れて祭に行ったとか言うから探しに来たよ」
「そっか、連絡しなかったもんな」
話しながら鉄は奏の後ろで気まずそうに佇む響と目が合った。
「響ちゃん」
ウロが嬉しそうに手を伸ばす。
「久しぶり」
ウロと手を握りながら、無理した響の笑顔。明らかに鉄とウロの状態が気になるようで、二人を交互に凝視している。
「さっき、鉄達を見た子達が近付きがたいって言ってたけど……どうしたの?」
言いたい事はごもっともと鉄は頭を垂れる。
「車椅子でこの階段は上れないからこうなった」
「ベビーキャリーに入るぐらいウロちゃん小さいんだねぇ」
「……一応、特注だから。ベビーサイズじゃないから」
下手なフォローを入れつつ、ウロと奏が和やかに話す傍ら、響は不機嫌そうに冷ややかな視線。
「ウロちゃん、可愛い浴衣。鉄、私も浴衣なんだけど……どうかな?」
「あ、うん、いいんじゃないか?」
響に聞かれて改めて鉄は響の浴衣に気付いた。否、多分初めから知ってはいたが意識がなかったのだろう。
青地に桔梗の浴衣。赤い帯には華やかな鈴の帯飾りを差している。普段とは違う姿なのに、鉄にはウロ程の感動は湧かない。
それが答えだと言っていた。
ちくりと鉄は胃の辺りに痛みを覚える。
当然のように、長い階段を上る仲間は増えていた。幼馴染みの双子の兄は、ウロと歴代の戦隊ものヒーローについて熱く語り、双子の妹はそっと鉄の服の裾を握って歩いていた。
この道程、沢山の人に見られてきたが、その中で響の視線が一番痛い。
日もすっかり落ちた祭会場は、普段閑散とした境内とは違い賑やかだ。屋台の売り子の掛け声にゲームではしゃぐ子供の声、酒が入って騒ぐ大人。それから食べ物の香ばしい匂いと甘い匂いとが入り交じった熱気。
祭の空気が全身を覆っていた。……おもにウロの。
「うわーうわーうわー! 祭って凄いなっ」
人が溢れる光景に、ウロは拳を強く握り高揚させる。
「ウロちゃん、何食べる?」
「え?」
「おごるよ?」と良い笑みを見せる奏に、ウロがピクっと反応して周囲の屋台を見回した。
「お好み焼き! 焼そばとか、タコ焼きにたいやき……ああぁ~焼鳥も捨て難いし焼きトウモロコシ、焼きイカもホットドッグ……ピザもある!!」
指を折り、屋台ののぼりを指差し数えウロは候補をのきつらに並べる。
食べたい物が決まらない。
悩みに悩み、質問を投げ掛けた奏をウロは困ったように見つめた。
「全部、食べてみたい……!」
きらきら訴えかけるような姿はまるでハムスターかチワワ。奏の胸がキュンっと鷲掴みされる。
「全部だね! よっしゃ、お兄ちゃんが買って来てあげるよっ」
「は!? おい奏っ」
だっと駆け出す奏を鉄は呼び止めようとするが、小柄な彼はすぐに人混みに消えてしまった。
「全部買うって、どう持つ気だよ……」
その疑問さえ奏は解決してしまいそうなのだが……と、鉄は振り上げた手を静かに下げた。
「お前も、小食のくせに全部とか頼むか? 普通……」
「とりあえず一口ずつ食べて、残った分はお前が食べればいい話じゃないか。とゆうか、響ちゃんもいるし、皆で食べれば、な?」
「……そだね」
ウロが笑い掛ける側に響。
気付いたら、鉄、ウロ、響と嫌な三人だけが残された形になっている。
気まずい。
そう思って響の方を見たら、目が合った。
「鉄。とりあえず、いつもの場所に行かない? 奏なら何も言わないでもそこに来る筈だから」
「あ、そうだな」
頷く前に響が鉄の手を引いて歩き出す。
変な感じだ。
胸にはウロをぶら下げて、左手は響に繋がれて。両手に花と言えば聞こえはいいが、気まずいトリオなのは間違いない。
「鉄、場所取りって?」
「ああ……毎年三人で花火見る穴場があるんだよ。そこにまずは行くんだ」
歩きながらウロに話す。それを響が恨めしそうに見つめていたが、鉄は気付かないふりをした。
「あ、鉄ストップ」
何を思ったか、ウロが突然手綱を引くように肩紐を引いて鉄を制した。
「アレ、先に買ってくれ」
ウロがねだったのは赤い虹色の光沢を放つ林檎飴。
「奏が来るの待てよ」
「今、アレが欲しい」
「?」
普段から子供っぽい我が儘はよく言うが、物をそんな風にねだる事のないウロが珍しかったので、とりあえず鉄は言われるまま飴を買う。手渡された飴を、ウロは嬉しそうに林檎を包む飴色を光に透かして微笑んだ。
「飴で俺の服汚すなよ」
ウロが喜ぶなら別にそれも悪くないんだけど。とりあえず一言だけ添えて、三人は再び人込みの奥へと進んだ。
こっそりとウロが響の裾を引き、意味ありげに淋しそうに微笑った事に、鉄は気付かなかったが。
やがて人の数は減り、三人は乾いた枝を踏みながら、雑木林の中を歩いていた。祭の音を背後で聞きながら、ぽっかり空いた広場に出る。古いお堂と、しめ縄の巻かれた古木がぽつんと並ぶ開けた場所。この辺りは薮が大口を開けて鹿魚の海と町を一望出来るように木々を広げていたので、薄暗くはなかった。
「此処、昔は聖地とか言われて立ち入り禁止の穴場。海から上がる花火がよく見えるんだ」
「ほぉ」
静かな夜景に見惚れるウロを下ろし、鉄はお堂の階段に座らせる。落ち着いた所でウロはフィルムの包みを外し、林檎飴を取り出した。
「鉄、行って来い」
そして、唐突に鉄を追い払う仕草を見せる。
「は?」
訝しがる鉄を、ウロは呆れて溜息ついて飴を一回舐める。
「……鈍いなお前。祭の夜、浴衣美少女、響ちゃんが話をしたがっているのに気付かなかったのか?」
ウロが飴を差す先には、複雑そうに微笑う響。
「野暮な事は言わん。帰る時間になったら迎えに来い」
そう言うと、ウロはそっぽを向いたまま鉄を見向こうともしなかった。
取り残された鉄。
「まぁ、そういう訳だから……」
ウロの気遣いを遠慮なく受け取り、響は鉄の手を引いてこの場から遠ざかろうとする。鉄は見えなくなるまでずっとウロの横顔を見つめた。
ウロは鉄を好きにはならない。
そんな事は分かっている。
だから響を選べとか言うのだろうか。そんな残酷な気遣いに文句が言いたかった。
だから、睨む。悲しくて、見つめる。
覚悟を、決めるしかないのだろうか。
鉄は響に手を引かれながら、更に雑木林の奥へと入った。
祭の熱気も、ウロの香りも遠く薄れて行く――……。
* * * * *
奏と響とは、鉄が鹿魚に越して来た六歳からの付き合いだ。
老舗の和菓子屋を営む玉浦家に、引越しの挨拶の品を朝来と買いに来たのがきっかけだ。
その当時から鉄は同年代よりしっかりしていた。だから、少し変わり者の兄の奏とはウマが合ったのだろう。自然と一緒に遊ぶようになっていた。
いつからかは分からない。けれど、早いうちから響は鉄の事は好きだった。
小さい時は何も深く考えず、ただ純粋に好きだった。鉄が喜んで、笑って、ふざけた言い合いをするのが好きだった。たまに鉄と共謀して奏に悪戯を企てた事もあった。
春も、夏も、秋も、冬も。いつも鉄との思い出で一杯だ。
それなのに、いつからだろう。自分が好きでいるだけでは物足りなくなってしまっていた。
いつからだろう。鉄にも求めて貰わないと嫌で仕方なくなっていた。
だから鉄の気を引く為に高校進学に女子高を選んだりもした。なのに予想以上に鈍かった鉄に効き目はなかった。
仕方ないから不格好だけど不意打ちの告白をして、どさくさにキスを交わした。響の気持さえ通したら、きっと鉄は馴染みの付き合いの深い自分を選んでくれると、信じていたから。
過信していたのである。
鉄は、響を選ぶ前にウロと出会ってしまった。
その想いは、音より光より早い速度で鉄と響が長い時間をかけて築き上げたモノを作り上げた。
本当は、少し前から気付いていた。
鉄の気持。
少し謎めいたヒトに向けた気持。
もう、鉄が響を選ばない事も。
ウロが熱を出したと言った日。学校で鉄に会った時に確信してしまった。振り返らない鉄が、自分を見てくれる訳ないと。
あの時は、卑怯な手を使ってウロの内緒話を打ち明けたけど、無駄な足掻きだというのは知っていた。だけど、この恋が叶わないのなら、二人の恋も終わればいいと思った。
早く鉄の恋火が消えてしまえばいいのにと。
それからすぐにチャンスは巡る。
ウロが鉄の家を出て行った。ウロには婚約者がいた。始まる筈のない二人の恋。響は十年も想い続けたのだから、熱が冷めるのを待とうとした。けど、遠巻きで見たウロを失った鉄は、響の恋した鉄ではなかった。
もう、二度とは響を見てくれない鉄なのだ。
鉄の心に住む、少女のような女性は泡にならない。
叶わないし敵わない。
たった短期間で病的に鈍い鉄を撃ち落としたウロには、敵わないと思った。
だから、悲しいけれどこの言葉を貴方に紡ぐ。
「貴方がずっと好きでした……」
祭の囃子が小さく聞こえる杜の中。微かな灯の下、静かに響を見据える鉄に伝えた。
響は泣きそうになるのを必死に堪えて鉄を見つめる。鉄は、情けないくらい申し訳なさそうな顔をしていた。
これから口に出す言葉が響を傷つけると悔いているのだろう。
「――俺は、響の気持には応えられない……」
謝罪の言葉が何の意味もなさないと鉄は知っていて、それでもこの言葉しか選べないことを憎々しそうにしてくれるだけで響の心は少し救われた。
たとえ、その痛みが響の気持に応えてあげられない鉄自身の痛みでもかまわなかった。自分の為に好きな人が卑怯になってくれるのも、また誇りに思えた。
奏の言う通りだったな。
響は小さく笑った。
鉄への恋心を確信した頃、奏は言ったのだ。
「響は、鉄にとっては自分と比べられない親友で、その二人のどちらかを特別に選ぶような真似が出来ないよ」
そう言われても響は納得出来なかった。だって鉄は男で、奏も男で、自分は女だ。それが不平等だと言われても素直に頷けない。
頷けないけど、今は頷くしかなかった。
ウロの前だと鉄は響の知らない男だと知らされたから。
響の知る鉄の顔は、親友で兄で弟だったのだ。
自分は親友で姉で妹だった。それが分かった。
その事実に気付いた時はとてつもなく悲しかったが、それでもフラれる勇気を振り絞った響に対して同じくらいの勇気で向かい合う鉄は自分だけの知る顔だと思いたい。
苦しそうに響を見つめる鉄は何処か艶っぽくて、少し満更でもない。
「だから、ゴメン」
鉄がただこの一言をずっと避けていた為に、響を長い間苦しめた。でも、答えを聞けた事にちょっとだけほっとした。
鉄はもう一度頭を深く下げる。
「ゴメン――」
顔も上げられない。目も合わせられない。
そんな風にうなだれる鉄に、響は静かに吹き出す。
「……ウロさんが、そんなに好き?」
響の質問に、ようやく顔を上げた鉄が力なく微笑み頷いた。
「婚約者がいるよ?」
「知ってる。けど、人を好きになると馬鹿になるみたいでさ……」
「そうだね。馬鹿になるね」
笑って言ってやった。鉄と恋バナをするなんて夢にも思わなかった響は本気で笑った。
「私みたいに諦められない?」
「……みたいだ」
困ると頭を掻く鉄。その癖は昔から変わらない。でも、ウロを想う困った顔は響の知らない鉄。
ちくりと傷は疼く。
「……そろそろ戻らないか?」
残したウロが気になるのだろう。帰りを促す鉄に、響は首を振って断った。
「今年はあの場所譲ったげる。奏にも、伝えとくから。あ、変な遠慮しないでね。したら一生恨むから。うちの敷居跨がせないから!」
「そう……か。悪い」
じゃあねと響が手を振れば、鉄は僅かに逡巡するが、すぐに納得して走って戻ってしまった。
その背中を見送りながら、悔しく思う気持ち。出来れば、別の人の元へと走る後ろ姿はまだ見たくなかった。
「あーあ」
緊張の糸が切れたとばかりに涙が頬を伝う。
意地を張った。
鉄を困らせぬように笑って恋を終わらせた。
頑張った。
勇気を振り絞り頑張った。
だから、その分沢山泣いてもいいのだと自分に言う。
「――う……ぅえ、えぇぇん……」
小さな子供のように泣く。
一杯、目一杯泣く。
泣けるだけ泣いて、泣きたいだけ泣こう。
一生懸命着飾った。華美にならないくらいの初めての化粧は涙で目も当てられないだろう。
「ねぇ、そこのブス。ハンカチも持たずに何泣いてんの」
遠慮なく手の甲で涙を拭い、擦っていると聞き慣れた声に響は鼻水を啜る。そこには自分によく似た顔の兄が呆れて見つめている。しかし響も呆れ返して奏を見た。
お好み焼きに焼そばとか、タコ焼きにたいやき、焼鳥も捨て難いし焼きトウモロコシ、焼きイカもホットドッグにピザ。恐らく注文分取り揃えただろ品々を段ボール箱に収めて抱えていれば涙も引っ込む。
「ハンカチ、バッグに入ってるから勝手に取りなよ」
両手が塞がってる彼は肩を回して、示唆する。響はハンカチを取るよりも段ボール箱の中の焼き鳥に手を伸ばして頬張った。
筋のある安い肉なのに、量販店のタレ味なのに炭の匂いと祭囃子の音で不思議と美味しい祭の屋台の焼き鳥。
胃が満たされていくと、一瞬引っ込んだ涙がまた出て来る。
「……僕に黙って抜け駆けするから失敗したんだよ、馬鹿」
奏の毒舌を無言で小突き返す事で反論する響は、次にたこ焼きに手を伸ばす。塩味がちょっと効くけど食べれない事はない。
泣きながら食べ続けていると、不意に奏が響の背中に手を回して優しく撫でた。その優しさに響は余計に泣いた。
泣いて、食べて泣いて、涙が上がる頃には、また元の友達に戻れるように想いの分だけ涙を流し続けた。いつか、惜しい事をしたと鉄に言わせるくらい強くなるように。
そんな新たな目標を持てば、明日からは立ち上がれる気がした。
強くなれる気がした。
頑張れる気がした。
この痛みはきっと忘れる事なく、輝きをくれると、響は信じた。
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