第3話 部屋と塊と嵐
押し入れ。
そこは多様な住人が居着く先。
例えば未来から来た猫型ロボットだったり、或いは死神の力を失った美少女だったり、または語尾が「アル」の酢昆布大好き大食娘だったり、はたまた金髪縦ロールのミステリアス美少女などだ。
かく言うみすゞ舘の塚本さん宅の息子さんの部屋の押し入れにも、身元不明の見た目は少女が住んでいる。
昨日から。
「ウロ、下で飯にすっけど開けていいか? 運んでやるぞ」
木目のシンプルな襖をノックして鉄が呼び掛けると、程なくしてウロが中からひょっこり顔を出す。
「なぁ鉄、この押し入れは暗くて狭くて心地は良いが、着替えをするにはちょっと狭いな」
「お前が自分で選んだ部屋だろうが。文句言うな」
訴えを軽くあしらい、鉄は押し入れから出て来たウロを小脇に抱えて立ち上がった。
自室を出て向かう先は、一階の談話室兼リビング。
毎朝七時半には、みすゞ舘の住人が揃って朝食を取るのが慣例だ。
「三鈴さん、おはよう」
「鉄君、ウロちゃんおはよう」
階段を降りると、今朝も朗らかに管理人の三鈴がトレイで味噌汁を運びながら迎えてくれた。
「よぉ鉄、朝から見せつけてくれるねぃ」
「何がだよ。歩けないんだから仕方ねぇだろ」
小脇に抱えていたウロを、新しく設けた席に下ろす鉄を藤子が冷やかす。
「愛想がないな~。ウロ、夜は苛められてない?」
「いや、ぐっすりだが?」
茶化す対象の矛先をウロに変えた藤子を一瞥し、鉄は不機嫌そうに三鈴のよそったご飯を掻き込んだ。
「いただきます」
礼儀よく手を合わせて箸を取るウロ。その様子を鉄は何とはなしに観察する。
昨日、ひょんな事から近所の海でウロを拾ったが、一日経った今も分からない事が多い。
名前はウロ、年は二十歳。
どうやら家出のようだが、原因も住んでいた場所は一切不明。
更に、歩けない足で海にいた理由が一番の謎だ。
周辺には車椅子も足跡もなかった。
そして、その事について鉄が尋ねてもウロは何も答えなかった。深く啄くと泣きそうな顔をするので鉄が日和ったとも取れる。
「そういや先生とありささんは?」
朝食の席に彼女らがいない事に気付いた鉄が、ふと口を開く。
「由美は職朝。ありさも早いみたい。そっちこそ姐さんは?」
「早番」
「看護師も大変だ」
しみじみと息を吐き、藤子は艶のある卵焼きを摘む。その時、箸の止まっているウロと目があった。
「ウロちゃん食欲ない? 大丈夫?」
「あ……そんな事はない。ただ、仲がいいなって……」
「元いた家は悪かったってか?」
藤子の問いにウロは曖昧に笑う。追及には答えかねるとでも言いたげだ。
「——まぁ此処では遠慮いらないからね。住人も女ばっかだし、類友みたいだし? ご飯もおいしいしね」
「ありがとう~」
食後のお茶を注いでいた三鈴が、嬉しそうに口を挟む。
「みんな家族みたいなものだしね」
「ホント、さっさと嫁にでも行きゃいーの……いってぇぇっ!」
ボソリ。
憂鬱そうに口を滑らせる鉄。
日頃、癖ある女性達に苦労させられている為に自然と出た嘆きの言葉だったのだが、やはり悪い結果をもたらす。
声に出した瞬間、鉄の足を藤子の踵がピンポイントで小指を狙って踏み付けたのだ。
「――~てめっ」
「何のことかしら?」
「もぅ、喧嘩しないの」
怒鳴る鉄に、煽る藤子をやんわり諫める三鈴が苦笑しながらウロに微笑んだ。
「姉弟みたいでしょ?」
いつも鉄君が言い負かされるんだよねと三鈴は笑う。
「何処の‘弟’も似た様なものだな」
「ウロちゃん弟さんがいるの?」
「みたいなものだが……」
三鈴の問いにウロは言葉を濁す。
その時一瞬見せた、酷く申し訳なさそうに顔を伏せるウロの姿を鉄は見てしまった。考えたって仕方ないのに、深まる疑惑。
何となく放って置けないから仕方なく面倒を見る事にしてみたが、結局今の鉄が彼女に出来る事は何もないのだ。
今更だけど後悔する。
面倒な拾い物をしてしまったと。
大体気にするなって方が無理な話だ。歩けないくせに家出人。鉄にとって寝覚めの悪い案件だった。
* * * * *
「歩けない奴が海まで一人で家出するにはどうしたらいいと思う?」
「は、何? なぞなぞ?」
登校して来るなり鉄から唐突に話を吹っ掛けられた奏が訝しげに眼鏡を上げた。
所変わって学校。
今日から期末テスト期間という事もあり、悪足掻きという名の追い込み勉強をしていた奏は、大して興味もなさそうに教科書を読みながら言葉を返す。
「テスト前のくせに昨日は学校休むし、余裕だね」
奏は世界史の暗記に苦戦を強いられ、眉間に皺を寄せている。
呆れるくらい長い睫毛が頬に影を落とす美少年は、鉄の古い友人だ。悪友とも呼べる彼は、儚げな見た目とは違い大人の階段は鉄より一段二段とその先を行く肉食獣。癖は強いが気心知れた悪友は面白そうな話には食い付きが良い。
「歩けない人の家出って、普通に車椅子を使うとかじゃないの? でも尋ねるって事はそうじゃないのか。誰かに運んで貰うって手はなし?」
「どう思う?」
真面目に答えるまで鉄が納得しそうにもないので、奏は仕方なく手持ちの教科書を机に伏せて置いた。
「その家出人って女でしょ」
「なぞなぞに性別いらんだろうが」
「彼女? やっちゃった? 行きずりの犯行?」
「おい」
睨めば奏は口の端を上げて「冗談」と嘯くが、追及を完全に諦めた顔ではなかった。後日改めて聞かれるのは覚悟して、鉄は「それで」となぞなぞの解答を促す。
「歩けない人は海にいたんだよね。何処から来たか分からない――だったら答えは簡単」
奏は悪戯めいてニッコリ笑う。
「家出人は海から来たんだ。その人は人魚なんだよ」
「――――――は?」
「なぞなぞらしい答えでしょ。いいじゃん人魚」
「ぶふっ」
つい、鉄は鼻で笑ってしまった。奏が気を悪くしたのを謝ったが、鉄は込み上がる笑いを押えるのに必死だった。
確かに、陸にから来た形跡がないなら海から来た説も有り得るかもしれない。しかし小学生にも見える貧相体形ウロは人魚のイメージに掠りもしないじゃないか。
未だ不自然に震える鉄の肩を呆れて見つめるが、詳細を聞くより目先のテスト勉強だと再び教科書を手に取った。このまま笑い潰れてしまえと念を送ってしまうのは、鉄が人相の悪さとは裏腹にコツコツ努力型で成績にの余裕がある所為だ。
「バカ鉄アホ鉄、人魚に溺れてしまえ」
投げ掛けた呪詛に鉄は目を丸くすると小馬鹿にしたように「ありえねぇ」とだけ吐き捨てた。
* * * * *
窓から眺める世界は、穏やかで退屈なものだった。
海は荒れもせず、漁船が遥かで玩具のように浮かび、みすゞ舘の表の通りも人影なく閑散としている。
そもそも昼頃の住宅地など案外このようなものなのだろう。
「……おお、将軍様の再放送が始まるな」
鉄の部屋の時計を見て、ウロは呟く。
新しい環境で時間を潰すのは存外難しい。みすゞ舘はおろか、鉄の部屋の勝手もまだ把握していないウロにとって特に一日は長い。
第一、家出人のウロにしてはやるべき役割が此処には何もないのだ。「好きに遊べ」と渡されたゲーム機一式は触った事もなくて扱いが分からない。
「考えなしに出て来たからなぁ」
ギュッと手元のぬいぐるみを抱き締める。三鈴が‘お近付きの印’と贈ってくれたのは、熊のぬいぐるみだ。
愛らしさの欠片もない、歯をむき出しに威嚇している熊。個性的なデザインで、胸に光る大きな星形の傷が勲章だ。
正直、決して可愛いとは言えないだろうが、抱き心地は素晴らしく、縫製技術は一級品である。
余談ではあるが、三鈴作の熊は‘ギャングスター’と名付けられている。シリーズ作品の予定なので、第二作については現在鋭意制作中らしい。
「弟、か。今頃探しているんだろうな。――心配して……いや、怒ってるだろうな」
ぬいぐるみと向き合い、ウロはそっと囁いた。
「アイツは昔から短気だものな? タカヤス……」
タカヤスと名付けられた熊のぬいぐるみは無言でウロを睨み返す。
不思議とそれに慰められた気がした。
『暗い顔してんじゃねぇよ』
そう言って貰えた気分になる。
「……でも怒られる心配はないのか。そうだな」
また熊に語りかけて、少し元気になる。
「そうだな。心配したって仕方ない。大事なのは惰眠を貪って、このウロ様のパーフェクツボディを損なう恐れを打破する事なんだ」
熊を振り上げ勢い込んだその時、
「今日和~。ウロちゃんお昼一緒にどーぉ?」
丁度いいタイミングで三鈴の扉越しからのお誘いが来た。
「食べるっ」
パッと顔を輝かせ、ウロは名案した。
そうだ、三鈴さんから人形作りを教わろう。
彼女の顔を見て、ウロは本日の暇潰しを思い付いた。
その案は三鈴に快く承諾を得、午後は淑女よろしく裁縫に勤しみ、そして快作は生まれた——。
「なんだこれ」
テスト期間で部活動も休みだというのに奏の家に立ち寄って、結局普段と変わりない時間に帰宅した鉄の前に、くたびれた布の塊が視界に飛び込んだ。
「ライオンだ」
不可思議な物体に鉄が指差して尋ねると、ウロが自信たっぷりと鼻息荒く断言する。
「ライオン……」
まじまじと見ながら、ウロの掌サイズくらいの小さな自称ライオンを鉄は手に取る。
薄い茶色の布の塊。縫目は荒く、間隔はバラバラ。縫目の間から中の綿らしき物がはみ出ている。
これだけでも失敗作と言いたいが、それ以上にデザインが問題だ。
まるで中年のビール腹のように突き出た胴体。その体を支えるにはどうかと思う紐状の手足。
タテガミは頑張ったのかふさふさに仕上がって、後頭部から見ればただの毛玉。尻尾のみが唯一平凡だ。いっそそこも奇抜にしてくれた方がバランスは良い様に思える。
しかしそんな感想も払拭するとどめの顔面。鼻はビーズであしらった可愛い小鼻。口も刺繍糸で「×」に縫われ、某白兎のキャラクターを彷彿させる。そして瞳。エジプトファラオを崇拝しているのか、無機質な感情ない双眸が愛嬌ぶち壊しだった。
「ライオン……?」
呪いの人形の間違いではないだろうか。
その自称ライオン、鞄などに吊り下げられるのを考慮してなのか知らないがストラップ仕様になっている。紐を持てば頭が重いのか、だらんと俯く状態はさながら首吊りだ。
「お前、何してたんだ?」
「暇だから三鈴さんからぬいぐるみ作りを伝授して貰ったんだぞ! ほら見ろ! これは三鈴さんの作品だ」
ウロは無邪気に熊のぬいぐるみを取り出した。
鋭い目付き、むき出しの爪と牙。胸の星形の傷がいなせである。
「タカヤスだ」
「名前はどうでもいい」
こんな奴を人魚に例えるのも馬鹿げた話だと、朝の奏の話を思い出し肩を落とす。
せっかく鉄が朝からわざわざ気にかけていたのに、当の本人は呑気に呪具を作っていたのだ。
「個性的で面白いじゃん」
褒め上手な中学教諭の由美は、ぶら下がるライオンを指差してケラケラ笑う。
「先生、評価甘くない?」
「そう? 初めてにしては上出来じゃないか」
「えへへ」
「指のバンソーコがベタ過ぎだけどな」
「うっ」
高くなった鼻をへし折られ、ウロは渋い顔になった。
「でも初心者だしね」
「それにこのライオン可愛いじゃない」
微笑ましげに藤子とありさがフォローを入れる。心なしか、みすゞ舘の女はウロに甘い。女子特有の謎基準の「可愛い」に呆れもするが、とりあえず鉄はウロがこの家に馴染んだようで安心はする。
それも周囲の女性らがウロを気に掛けてくれた賜物だろう。
「ま、いいか」
楽しそうな様子に水を差すのも悪いので、鉄は仕方なしに一人嘆息した。
そんな自分もまた、ウロを気遣っているのだとはまだ気付いていない。
こうして、みすゞ舘に馴染んだウロの居候二日目は穏やかに閉じた。
* * * * *
「……何でだ」
朝霧立込める、期末テスト二日目の朝。
昨夜はテスト勉強で夜更かしをしたというに、何故か鉄は早朝五時現在、ウロを背負って近所の浜辺まで来ていた。
「潮の匂いがするな」
深く息を吸ってウロが声高らかに言う。
「あぁ」
鉄は頷いた。
「お、漁船が帰って来てる。大猟旗だ!」
遠くで港に入る船を眺めながらウロは言った。
「あぁ」
鉄は頷いた。
話を聞いているのかいないのか曖昧な返事だ。
鉄はウロを背中に背負い、浜辺で鈍色の海をぼんやり瞳に映しながら思った。
俺、何してんだろう……と。
発端は今から十五分程前。
「鉄、鉄」と肩を揺さぶりながら仕切りに名を呼ぶウロに起こされた所から始まる。
「海を見たい」
突然ウロが要求して来たのだ。
「家の中にいたら黴てしまう。海が見たい。外に出たい。拒否したら服を脱いで叫ぶぞ」
訂正しよう。脅迫だ。
かようにして、ウロは鉄に己を背負わせることで足を得、悠々自適に朝の散歩を満喫していたのだった。
それは鉄にとって傍迷惑なだけである。
「大体、何でこんな朝早いんだよ。老人か!」
眠い目を擦りながら、鉄は面白そうに遠く水平線を見つめるウロに向かってがなる。するとウロは背中に流れる長い髪を掻き上げながら、さも当然のように答えた。
「日が昇れば紫外線が肌に悪いじゃないか」
「……」
鉄は、ウロをこのまま海に置いて帰りたい衝動に駆られる。
それだけの理由で貴重な睡眠時間を奪われれば恨み辛みは仕方あるまい。
「海の何がいいんだか……」
年がら年中海のある町で暮らしている鉄にとって、その気持は理解しにくかった。
泳ぐにしては遠浅過ぎるし、真夏の酷い時なんか湿気と潮が張り付くし、洗濯物まで磯臭くなる上、海の潮は車や自転車の錆を激しくするだけだ。台風が来た時は最悪である。
海のある生活なんて実際そのようなものなのだ。
「気はすんだか?」
東の山間から日が上り、西側の海へ放射状に光が差した頃を伺ってウロに尋ねた。
ウロは背中を向けているのでどんな表情をしていたのか鉄には分らないが、問い掛けから少し経って、
「帰ろうか」
一言、やけにしんみりとした声が返って来た。
何やら想いを馳せるような感じがした。
事情ある家出人の身である。考える事の一つや二つはあるのだろう。
「今日の朝食は何だろうな」
場を和ませるつもりで鉄はどうでもいい話をした。
「昨日、茄子を糠床から出すとか三鈴さんが話してたぞ?」
そのどうでもいい話に乗るウロ。声は暗くはなかった。
そしてそのまま二人は朝食の話をしながら家路につこうとした――時だった。
「鉄ぅ?」
ふと、離れた背後から名前を呼ぶ声に鉄は振り返った。
声の主が誰とか判断する前に反射的に振り向いたから、その姿を捉えた瞬間、思わず息を飲んでしまう。
「何してんの? その子、誰?」
鉄が背負うウロを指差し、彼女は大きな瞳を瞬かせ、尋ねた。
幼馴染みの奏と相似した少女。
彼女は奏の双子の妹で、鉄のもう一人の幼馴染みだ。
「響……」
困ったように鉄はその名を呼ぶ。
「ラブコメみたいな展開だな」
ぽつり。
ウロの一言が、鉄の心に鋭く突き刺さる。ウロとは決してそのような浮ついた仲でも疚しい感情も微塵もない関係だ。
そう断言したいのだが、その為にはウロについての経緯を彼女が納得出来る説明になるかは自信がなかった。
そんな事を考えていたら、うっかりウロのボケにツッコミそびれた鉄。
爽やかな朝なのに、鉄の背中はじっとりと暑い。
ある夏の朝の話である。
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