第八十七話「九歳の誕生日」

 館へ戻った俺達は厨房へと向かう。

 醤油にワサビに酢に白米。

 新鮮な魚を桶に放すと、ピチャっと音を立て跳ねた。

 握り寿司を作る材料は全部揃った。あとは魚を握り寿司用に捌くだけだ。


「清家さん」

「はい、なんでしょうかルーシェリア様?」

「清家さんは魚を捌けますか?」

「もちろんですよ。私の家は料亭でしたので、三枚下ろしでもなんでも。料理ならお任せください!」


 にっこりと頷いてくれた。

 清家雫の実家は料亭だったのか。

 嬉しい誤算だ。

 

 魚はヒラメにブリにアジにマグロだ。

 その他にもエビにイカにタコにウニ。

 貝類はないけど十分だ。

 清家雫が生きたヒラメを木製のまな板に乗せ、エラに包丁を差し入れ一瞬でヒラメをしめる。

 鱗を丁寧に削ぎ落し包丁で頭を落とすと内臓を取出し水洗い。

 手際が良い。これなら旨い寿司にありつけそうだ。


 さすがのメアリーも清家雫の包丁さばきを感心しながら見つめている。

 そもそもメアリーは寿司を知らないしな。


「僕はご飯を炊く準備をするね」


 米を砥ぐことぐらいなら俺でもできるので、及ばすながらお手伝い。

 

「ルーシェリア様、私は大トロが大好物なんです。まさかこの世界でお寿司を食べれる日が来るとは夢のようです」


 そりゃそうだろう。

 清家雫は最近までミッドガル地下牢に幽閉されていたのだ。

 こうやって魚を捌く日が訪れるなんて想像だにしてなかったはずだ。

 

「僕も大好きだよ!」


 清家雫の語りに反射的に答えてしまった。


「あれ? ルーシェリア様はお寿司は初めてなんですよね?」

「あ、いや、そうだった! 僕は初めて食べるんだよ!」


 清家雫が手を休め僕をじーっと見つめた。


「さあさあ、ルーシェ様。今日はルーシェ様のお誕生日ですよ。お米は私が砥ぎますので、ルーシェ様はゆっくりされといてください」


 メアリーがシャカシャカと米を研ぎ始める。

 中々に手慣れたものだ。僕でもできるんだし当たり前か……。

 暫くするとご飯がふっくらと炊けた。


 清家雫が酢と砂糖を調合したものをご飯に混ぜる。

 混ぜ終わったご飯を団扇でパタパタしはじめた。

 ご飯が冷めると、テカテカご飯を手慣れた手つきで握り、器へ並べていく。

 新鮮な魚介の香と酢飯の酸味のある香が漂ってくる。


 めちゃくちゃ美味そうだ。

 待ちきれないと言わんばかりに、物欲しげな顔でもしてたのだろうか。

 清家雫が小皿に擦ったワサビと醤油を用意してくれた。


「食べてもいいの?」

「もちろんです」


 とりあえず白く透明感のあるイカの握りに手を伸ばす。

 醤油を付けてパクッと口に運んだ。

 

「ウマー! 美味い。美味いよ。美味すぎる!」


 そのままマグロのトロにも手を伸ばす。


「やばい……こ、これは……食の神の降臨だ!」


 口に入れた途端、口の中でトロがじゅわっと、とろける。

 俺が食べてる様子を眺めてたメアリーが、固唾を飲んでるのは一目でわかった。


「メアリーも清家さんも食べなよ。凄く美味しいよ」

「あ、はい。ルーシェ様、お言葉に甘えて頂きます」


 マグロのトロを食べたメアリーが感嘆の声をあげた。


「ルーシェ様、清家さん。とっても美味しいです。生で食べるなんて野蛮だと思ってましたが、こんなに美味しいとは思いませんでした」


 寿司を握った清家は遠慮してるのだろう。

 未だに手を付けようとはしない。


「清家さんも遠慮しないで、食べてよ」

「で、でも……私がルーシェリア様と同じ食卓で召し上がるのは……し、失礼ではないでしょうか?」


 ああ、なるほど。身分の差を気にしているのか。


「いいからいいから、気にしないで食べなよ」

「ほんとにいいのですか?」

「作ってくれたのは清家さんだろ? ちゃんと味見しなくちゃ」

「あ、はい」


 清家雫も大トロを口にする。


「お、美味しい……」


 小さく呟くと清家雫は瞳に涙を浮かべていた。

 俺やメアリーと違って故郷の日本の味を思い出したようだ。

 とはいえ、俺も日本人なのだが、清家と違って俺は今の変貌した世界や、今の暮らしに満足している。

 少なくともヒキニートだった過去の自分よりは、今の自分のほうが好きだ。


 一度食べだすと止まらない。

 ちょっと味見するだけのつもりだったが、全員がお腹いっぱいになってしまった。

  

 そのタイミングで、母のエミリーとハリエットが姿を現した。

 俺の誕生日を祝うケーキを作りに来たらしいのだが……。


「何これ、とっても美味しいじゃない!」

 

 ハリエットが醤油もつけずにヒラメの握りを口に運んだ。

 母のエミリーもハリエットに釣られて同じものを口に含んだ。

 

「なんてマイルドな味わいなのでしょう」


 ヒラメの握りは甘みと強めの食感が楽しめて俺も好きな方だ。

 エミリーが俺を見る。


「皆の分も用意しましょう」


 エミリーの声で、清家雫は握り始める。

 厨房はてんやわんやと騒がしくなってきた。




 ◆◆◆




 今夜は僕の九歳の誕生会。

 食卓を囲む者は身内に等しい者たちばかりだ。

 それでも気がつけば我が家は大所帯となっていた。


 親父のアイザックに母親のエミリー。

 ウルベルトにドーガにアニー。

 メアリーにドロシーにハリエット。

 そしてゲストの清家雫の十名だ。


 母のエミリーはお腹が随分と大きくなってきた。

 親父はそんな母を気遣っている。

 一体どんな子が生まれてくるのだろうか。俺も楽しみだ。


 この日は俺の誕生会で大いに盛り上がった。

 皆から誕生日プレゼントを貰う。

  

 親父からは馬だ。

 外の厩舎に繋いであるらしい。ウルベルトと二人で選んだと言う事で、これは二人からの俺へのプレゼントだそうだ。

 明日の朝にでも確認してみよう。


 母とハリエットは親子のように仲が良くなっている。

 二人で城下町で何やら選んで買って来たみたいだ。

 包みを開けると靴だった。

 魔力付与されている靴で、靴の中がほっこりと温かい。

 これは凄く良いものだと思った。

 

 メアリーからは手縫いの帽子を貰う。

 前回は手縫いの手袋だったけど、今でも大切に愛用している。

 これも気持ちが籠ってる分、とても温かい。


 ドロシーからは意味不明なモノを貰った。

 小さな石で、石の中央に古代文字が刻印されていた。


「これはなんだい?」

「それは操縦桿なのです」

「操縦桿?」

「はい、そのマテリアを握りながら意思を込めると、ゴーレムを自由に操ることができるんですよ」


 そういやドロシーは地下の研究所で人間型の泥人形をいじってた。

 人形に魔力を付与した魔道具を作り出したに違いない。


「で、王子。これがゴーレムです」


 ドロシーが手のひらサイズの泥人形を机の上に置いた。

 泥人形といっても土の塊って感じじゃなくなっていた。

 かなり精巧なデザインで、ぱっと見は美女の人形に見えた。

 

「ド、ドロシー……、この人形のデザインはやばくないかい?」

「少し姉様に似てしまった気がします」


 伝説の六英雄のシャルル・シャーロットにそっくりな人形だった。

 石を握り魔力を込めながら動くようにイメージしてみる。

 トコトコと歩きだす。人型のラジコンって感じだ。

 精巧な出来栄えに両親やドーガやアニーさんも驚いている。

 清家雫は唖然としていた。


 嬉しいけど……シャーロットが見たら何て言うのだろう。

 なんでこうなったのかドロシーに訊いてみると、造ってる内に似てしまったらしい。

 しかもこの人形が着てる服はメアリー作のようだ。

 服装まで瓜二つだ。でもまあ可愛い人形だし、内心はかなり嬉しい。

 服の下まで精巧にできているのだろうか。


「ルーシェリア?」

「なんだいハリエット?」

「服の下が気になってるじゃなくて?」

「え?」

「顔がにやけてますわよ」

「ちょ……バ、バカッ! 突然なに言いだしてんだよ。にやける訳ないだろ! 嬉しくて顔が緩んだだけだい!」

「そ、そんなムキになって反論しなくても……いいじゃない!」


 ハリエットが「ふんっ」と、そっぽ向いて少し不機嫌になった。

 たしかに気になった。図星過ぎて、焦ってしまった。

 言い方がちょっときつ過ぎたかな……反省していると


「まあまあ、お二人とも。私からもプレゼントあるんですよ」


 そう言ってくれたのはアニーさんだ。

 アニーさんとドーガさんもプレゼントを用意してくれてたみたいだ。


 アニーさんからは、もふもふしたマフラーだ。

 とはいえメアリーみたいに手編みではなく、どこかで買ってきた品だ。

 俺の誕生日は過去の世界ではクリスマスだし、自然と防寒具ぽいものが多くなる。

 そしてドーガさんからは、魔法の磨き粉だった。

 ハリエットの父君から預かってる隼の剣の手入れにとのことだった。

 武人らしいプレゼントだ。


 誕生日のお祝いは嬉しいけど、皆に気を使わせちゃうなぁ。

 と、考えていると清家からもプレゼントがあるらしい。

 急遽呼び出したから準備する間もなかったと思うのだが。

 清家雫の手のひらにあるモノ。

 どこかで見覚えがある。見覚えがあると言うよりも、知っているモノだ。


 彼女の手のひらにあったモノは消しゴムだった。

 

「これは私の元いた世界での消しゴムってモノなんです。急に用意できるモノがなくて、こんなものしか……」


 そう言いつつも清家雫は俺の顔をじーっと見つめている。

 消しゴムを手に取ってみた。

 懐かしい感触だ。少し使った形跡がある。

 消しゴムの包装紙の裏にボールペンで名が書かれていた。


 名前を見た時にギョッとした。

 俺の名だった。


 どうしてこんなものを……。

 どうして俺の消しゴムを清家が持ってるんだ?


「大したものじゃないですけど、それでも私にとってはお守りみたいなモノなんです。ぜひともルーシェリア様に持っていてほしいです」


 この消しゴムを俺に渡すことに意味があるとするなら。

 ひょっとして俺の正体を探ってる? いや、もしかしたら半ば気が付いているのかもしれない。が、ここは誤魔化しておこう。


「異世界のモノなんだね。お守りって言ってたけど貰ちゃっていいの?」

「はい、いえ……そのう……それ見て何か感じたりしないですか?」


 やっぱりだ、女の勘ってやつなのか。だったとしたら僕は君に敬意を表するよ。

 

「ううん。特には、でも変わったモノだね」

「はい、元の世界では、えんぴつで書いた文字を消せるモノなんですよ」


 俺と清家のやり取りを見ていた親父がすっと立ち上がり消しゴムを手に取った。

 

「ふーむ。清家殿であったな。今度時間がある時にでも、そなたの世界にことを聞いてもよろしいか?」

「私でよければ、何でもお話させて頂きます」


 親父は召喚勇者がどこから召喚されどんな人生を歩んで来たのか気になるようだ。

 さらにどんな文明が発達し、どんな食文化があるのか知りたいようだった。

 よくよく考えれば当然だ。法王庁ではそのあたりの研究も進んでいると聞く。

 だがその情報は王族にすら流れてはこない。秘匿とされているのだろう。


 清家と間宮が生きているのは法王庁にとって都合の悪いことかもしれないな。


 そんな事を考えている間に、誕生会はお開きとなった。


 明日はタイムマシーンのエネルギーチャージ量を見いくと決めている。

 そろそろ過去の世界へと旅立てるかもしれない。




 ◆◆◆




 翌日の朝、厩舎に行ってみた。

 親父の愛馬の横に俺の馬が繋がれていた。

 今日はこれから竜王城へと向かうので、馬を撫で撫でして馴らしておくことだけにする。


「ブルルルゥ」


 可愛いじゃないか。親父も馬に名前を付けている。

 俺も名付けしようと思ったが、瞬時に良い名が思い浮かばない。

 戻ったら名前を付けてやろう。


 魔力を飛ばして、ドラちゃんを呼ぶ。

 普段のドラちゃんは我が家の庭にいるか、火吹き山にいるかのどっちかだ。

 どっちにいてもドラちゃんがやってくるまで、さほど時間はかからない。


「クピー」


 クララの鳴き声だ。

 クララは相変わらずドロシーの頭の上が好きなようだ。


「王子、準備はできてます」

「メアリーとハリエットは?」

「もうすぐ来ると思いますよ」


 暫くすると二人が現れた。

 ひょっとしたら過去の世界に行くかもしれないと伝えてたので、旅仕度に時間を要してるようだった。


「お待たせしました。ルーシェ様」

「時間旅行だなんて楽しみなんだから!」


 メアリーとハリエットも来た。

 さてと行くとしよう。

 疾風のようにやってきたドラちゃんに跨る。


 目指すは過去の世界だ。

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