第二章 『トパーズと欲望とブルーサファイア』

第4話 『信じられない本当の話』

「ただいまー」

 言いながら、松来まつらい 叶多かなたは扉を開く。

 叶多のよく通る声にはすぐに反応があり、靴を脱ぎながら欠伸を堪えていた叶多は顔を上げた。

「おかえり。なに、やけに早いじゃない」

 玄関から見てすぐ右手にある扉、居間から上半身を覗かせているのは叶多の祖母だった。

 白髪の目立つ頭と、愛想のいい顔。年不相応にまっすぐ伸びた背中が特徴の祖母は、目を丸くしながら叶多を見つめている。

 下駄箱の上に置かれたデジタル時計は午前十一時半を指している。平日の帰宅時間にしては早く、祖母が驚くのも無理はない。しかし、

「いや、今日は始業式だけだからさ。……それだけが理由じゃないけど」

 そういえば言ってなかったっけ、と頰をかく叶多。今日は色々なことがありすぎて朝のことを覚えていない。

「それだけじゃないって……体調でも悪いの?」

「ああいや、平気平気。気にしないで」

「そう? 無理しないようにね。つらかったら言うのよー」

 祖母の言葉を聞き流しつつ、階段を上っていく。

 祖母は少し心配性すぎるところがあった。別段叶多は病弱なわけではないのに、ほんの少し変わったそぶりを見せると風邪だの何だの心配してくる。

 嬉しい反面、自分はそんなに信用がないか、と。少し渋い顔をしてしまうのもまた事実。

 階段を上って、廊下を少し進んで。そこに叶多の部屋はある。

 大文字で『KANATA』と看板がぶら下げられた扉を開き、ベッドに腰を下ろすと、無意識のうちに大きなため息が漏れた。

「……眠気も、少し」

 張り付く瞼をこすりながらぼやく。思ったより疲れていたらしく、思わず大きな欠伸を漏らすと、


「お疲れですか? 色々と明日にしておきます?」


 ポケットの中から翼を生やした宝石が飛び出し、なにやら頭上にクエスチョンマークを浮かべた。

 毎度毎度これはどう言う仕掛けなのだろうか、と首をひねる叶多だが、今はそんなことどうでもいい。

「んや、今日でいいよ。早め早めに聞いた方がいいだろうし」

 色々、というのは今回巻き込まれてしまった一件についてだろう。今回の学校の一件で関係は解消だと思いきや、気がつけばカーネリアン────リアンは、今後も叶多に協力してもらう気満々らしく。元から協力する気ではいたのだが、ほんの少し解せない叶多である。

 一応座り直し、服の裾やら身なりを正す。リアンは羽音を小さくすると、何処から話していいのか、と。なにやら唸りつつまとめ始めた。

「まず最初に、今日叶多くんが戦ったのはベギオム────言わば、欲望の獣と化したヒトです」

「欲望の獣と化した……ヒト」

 叶多が思い返すのはグラウンドに現れた男の姿。


『ォ菫コ縺ッ縲√◆縺?隱阪a繧峨l縺溘>縺?縺代↑縺ョ縺ォ!!』


 喉よ渇れろとばかりに叫んでいたあの声。何と言っていたかはわからないが、あの声が叶多には何かを求める叫びに聞こえた。

 縋るような目。縋るような声。頭をぶつけながら、唾を飛ばしながら、叫びながら────何かを求めていた。何を逃がさんとばかりに手繰り寄せているように見えたのだ。

「ある連中が身体に細工を施した結果、ヒトはああなります。うちに抱えている一番大きな欲望……それを満たすために暴れまわりながらひとを捕食し、そして魔力に変える。あの方が抱えていた欲望は『承認欲求』でしょうか。承認欲求がどう転んで、グラウンドで暴れまわることになるのかはわかりませんが……」

「………承認、欲求か」

 捕食したひとは色々搾り取られ、解放されることはないとあの時リアンは言っていた。

 確かに男は自分を止めようと飛び込んできた連中を丸呑みにして、体の中に取り込んだ。

 例の宝石を破壊した後に何処からか捕食された先生達は帰ってきてくれたのだが……叶多にはある意味トラウマとして刻まれている。

 呑み込む。色々と搾り取る。欲望のままに……そこまで考えて、


「その『ある連中』ってのは何なんだよ。何のために身体を細工して、何のために暴れさせたんだ?」


 やはり疑問はそこに収束する。

 何のために。何故あんなことをさせ、何のために捕食を行わせるのか。

「何のために……ですか。少し現実味のない話ですが、信じてくれますか?」

 返る声は不安げに。しかしまっすぐと、叶多の胸に突き刺さる。

「……いや、現実味がないも何も散々色々あった後だし。なんか何でもすんなり飲み込める気がするとこだよ」

「ですよねー!!」

 実際信じられない。宝石が空を飛ぶのも、言葉を発するのも、欲望の暴走も────。

 しかし全て現実で起きた出来事だ。目の前で起こった出来事だ。あそこまで非日常をありありと見せつけられれば、信じるなと言う方が難しい。

 心なしか、リアンの声が弾んだ。少し気が楽になったんだろう。

 だがあくまでも真剣な話らしく。話し出した声音は、至って真面目なものであった。

「ボクはこの世界の住民ではありません。それから、あの人の身体に細工を施したのも」

「この世界の住民じゃない……? 異世界から来た、とかそういうことか?」

「そういうことに、なりますねぇ」

 信じるなという方が難しい、と言ったものだが。いきなりリアンから非現実的な話が飛び出して、思わず面食らう叶多である。

 人並みに漫画やアニメ、ライトノベルの知識はあるものだが。本当に異世界なんてものが存在するとは思っても見なかった。

 唸る叶多の手のひらに、リアンが落下する。立て続けに淡く発光して、


「ここからは、映像でも見せながらの方がわかりやすいでしょうか。ちょっと拝借して……」


 叶多の、意識が途絶えた。


 ◇◆◇


 叶多の視界に映るのは何処かの異世界。

 ビルもコンクリートも車も存在しない、叶多が知らない世界だった。

 道行く人はヒトのみではあらず。

 半獣人、エルフ、トール、人間。髪の色も黒い方が少ないくらいで、現代日本なんかよりよっぽど自分の個性を発揮している。

 立ち並ぶ建物は中世的で、叶多は思わず目を見張る。俗にいう異世界────今の中高生が想像するような、憧れるような異世界のソレであった。

 視界はいつもより低く、見下ろす体も自分のものではないことがわかる。

 着込んでいる鎧、自分より小さな手────どうやら叶多は、他の誰かの目を使って、景色を見ているようだった。


『聞こえますか? 今叶多くんに見てもらってるのは、ボクが住んでいた異世界です。本当にあるんですよ? こんな世界が』


 頭に直接響くリアンの声に、淡い身体の感覚を手繰り寄せ、頷く。体はあるのに意識がふわふわと浮いているようではっきりしない。

 まるで、身体の持ち主の意識の中を漂っているような。


『……この異世界で……昔、戦争があったんです。たくさんの国を巻き込んだ、大きな戦争。世界を手に入れようと禁忌に手を汚した連中と、守ろうと足掻く人間たちの戦いです』


 突然、平和だった街中に火の手が上がる。悲鳴が上がる。恐怖が漂う。

 同時に現れたのは飛竜だ。翼を生やし、轟音を立てる大きな竜。

 この世界にも竜は無数に存在している。しかし、明らかに様子がおかしい。

 鱗から漂うのは黒い、真っ黒い邪気。竜の口からは同じものが漂い、目も酷く虚ろで。

 竜は火を吐き出し街を破壊する。口を大きく広げて人を喰い殺す。


 しかしこれは始まりに過ぎない。泣き叫ぶ連中を嘲笑うように、世界は悪い方向へ進んでいく。


 続いて視界に現れたのはだだっ広い野原と────そこに広がる生物の群れ。それから芝生を染める、真っ赤な血。

 鼓膜を揺さぶるのは色々な怒声。それはヒトの呪詛であり、己に鞭を打つ叫びであり、それは飛竜の断末魔であり、咆哮であり、それは、それは、それは────。

 無数の声が、音が重なり戦場の厳しさを物語っている。無数に重なり、戦いに挑む者たちの思いを語っている。

 ……地獄絵図だった。叶多が知らない、知っていて良いはずがない、地獄。

 秒単位で人が死んでいき、秒単位で生が潰れ、秒単位で腕が飛び、足が飛び、骨が折れ、血液が飛び散り、その度に後ろから勢力が追加される。

 目を逸らしたいような惨状。しかし叶多は目を逸らせない。叶多は今、その戦いの真っ只中にいる。

 視界を借りている身体の持ち主は必死に抗い、剣を握り締め、叫んでいる。


『ですがそんな戦争にも終わりが来ました。長い長い戦争に終止符を打ったのは、三人の人間、、と、その武器です』


 途端、戦場に光が走る。

 光の源は一本の剣だった。黄金に輝く聖剣。


 途端、戦場を一本の閃光が駆ける。

 源は、一本の槍だった。持ち主の意思に従い対象を仕留める、真っ赤な槍。


 途端、辺りに雷光がはしる。

 源は一本の槌だった。宙に雲を生み出し、地に雷を叩き落とす槌。


 戦争は終息へ向かっていく。

 足早に、足早に────


 ◇◆◇


 そこで叶多の意識は回帰する。

 いつも通りの自分の部屋。平和すぎるくらいの日本。ベッドの上に腰掛けている、自分の身体だ。

 不思議と、あれだけの映像を見せられて気が乱れることはなかった。リアンが何かしらの配慮をしてくれたんだろう、なんて自分の中で結論を出しておく。


「そして、ボクはその三人の人間のうちのひとりでした。これでもいろんな人に持て囃された、すごい人なんですよ?」

「そうは見えねぇな……」


 今やひとつの宝石だ。それがすごい人だったようには見えない。

 そんな軽口をいう余裕があるなら平気ですね、とリアン。何故だか表情は見えないのに、笑っているような気がした。


「……ボクたちの活躍もあって、長い戦争は終わりを告げました。けど、ここで新しい問題が浮上したんです」

「新しい、問題?」

「はい。全部が全部大団円ってわけにはいきません。戦争を終わらせた勇者、なんてたくさんの人に持ち上げられて……褒められて、美味しいものも沢山食べたし、沢山お金も貰ったし、夢のような毎日でした。ですが……」


 リアンは言葉を詰まらせる。部屋を満たすのは沈黙だった。

 スラスラと語れるような話ではないんだろう。窓の外から聞こえる学生の声や、バイクが走るエンジン音。生活音が響くだけの時間が数十秒続いて、ようやくリアンは言葉を続けた。


「ボクたちの力は、武器は……確かに強大でした。けれど、強大すぎたが故に……ヒトはソレを戦争の象徴、と。我らの力だと声高らかに叫び、またボクたちソレをかけて戦争が始まりました」


 戦争に次ぐ戦争。武力が欲しい、護られる力が欲しいというのは当然の欲望だ。

 しかし自分が原因で戦争が始まる────リアンの悲しみは、思いは、想像することすら難しい。

 叶多はリアンに何も返す言葉が見つからない。ただ頷いて、言葉の続きを待つことしかできなかった。


「ボクたちは戦争を終わらせたかっただけ。なのにボクたちが原因で戦いが起こるなら、もういっそ封印してしまえばいい、と。ボクたちの武器を、ある遺跡に封印して……そして、ボクたちの意思を宝石に封じ込めて、ソレを鍵としました。来るべき時が来るまで、封じ込めるために」


 それが今の姿だとリアンは語る。少し不便ではあるけど不満は覚えていない、自分が原因でいさかいが起こる方がよっぽど嫌だった、とも。


「それから、かなりの年月が経って……ボクたちが、自分の名前も忘れてしまった頃。封印が、解かれてしまったんです。かつての仲間の、裏切りという形で。武器の封印は、ボクたち三人の意思がないと保てない……なのに、そのうちのひとりが裏切ったんです。理由は、わからないんですけど」

「────────」


 思わず、息を呑む。

 これ程までにリアンの表情が見れなくてよかったと感じるとは、叶多自身思ってもみなかった。

 自分が原因で起きた戦争。自分の仲間の裏切り。

 それを語るリアンは、どんな表情をしているのだろうか。


「学校の一件は、きっとそいつが原因です。目的はおそらく、かつてのボクらの武器────聖遺物の再起動。そのためにはたくさんのエネルギーが必要です。だから『欲望』という形の、果てしないエネルギーを回収してるのでしょう」

「人を捕食するのも、そのためか」

「そうでしょうね……『生』というエネルギーもまた、大きいですし」


 相手の目的。ここまでの経緯。その全てを話して、初めて、


「目的はわかりません。ですが、聖遺物アレを再起動させて、ロクなことに使わないのはわかっています。叶多くんにとって、関係ない世界の話というのはわかっています。……それでも叶多くんは、ボクに協力、してくれますか?」


 リアンは、叶多に協力を仰いだ。

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